雀荘・名刺・禿頭

文字数 3,747文字

見知らぬはずの街並みに既視感を覚える景は、それが駿河屋のある商店街によく似ているからだと気づく。幹線道路に寄り添うように伸びた古い商店街は、シャッターの降りた店がほとんどで、それも深夜に近いこの時間なら尚更のことだ。それでも昼間はちゃんと開いているシャッターと、もう何年もそのままのそれとは、同じ閉まった様子でもどこか違う。圧倒的に後者の多いその通りの、人の気配のする場所は飲み屋が数軒集まった一角だけだった。
維は景に車で待ってなと言ったものの、景が一緒に行きますと言えばまんざらでもない様子で、まあ枯れ木も山のって言うからな。賑やかでいいんじゃないのと三矢もそれに賛同した。

雀荘カワダはその一角にあり、ドア口付近に立っている電柱に寄り添うように看板を掲げていた。「リーチ麻雀カワダ」と極太丸ゴシックで書かれたオレンジ色の電飾スタンドは、安心・親切・お気軽になどの単語に初心者マークやハートを散らしつつ、愛想笑いを浮かべてしなだれるようにドア前に佇んでいる。
しかし3人を連れたカンタはその店を通り過ぎて、すぐ隣に建ったマンションのエントランスへと向かった。木造モルタル造りの一軒家ばかりが軒を連ねる付近一体と、明らかにムードの違うそこは数年前まで同じような個人商店や住宅が密集していたことろで、そのうちの1件から出た火事のために大きく延焼し、それをきっかけに不燃化再開発と称して竣工されたマンションらしい。呑み込まれた地権者のために用意された店舗用テナントの、中でも一際無愛想な扉の前でカンタが「ここっす」と言って立ち止まった。

入り口の扉は何の装飾もない黒い一枚板の厳めしさで「会員制麻雀倶楽部 河田」と彫られたシルバーのプレートがなければ素通り必須、会員でさえなければ目を当てるのも憚られる素振りで敬遠されそうな空気を纏っている。入りにくいなぁ、ちょっと呼んできてよと維が声をかけるとカンタがその扉の奥へ行き、しばらくすると全身からヤニを匂わせたチンピラが顔を出す。さぞや店内は紫煙たち込めているんだろうと想像すると、維はやはり自分から店内に入り込まなくて良かったと得心した。目の前では派手なピンストライプのスーツが芸人よろしくラメが折り込まれたネクタイで肩を怒らせている。明らかに着慣れていないし、こんなもん着慣れるようでは芸人養成所に入所した方がよっぽど大成しそうだ。



シンジさんってあんたのこと? 
維がそう言うが早いか「ぁんだオメぇ呼び出しといて名乗り無しかよ」と前のめりになるチンピラの顎に、三矢がいきなり一発くれてやり、頭がゆらゆら揺れているところに足払いをかけると面白いように転がって、建物脇に停められていたママチャリまでも巻き添えにしてハデな音をたてて転がった。半歩下がったところで見ている景に「なかなかいい拳してるだろ」と維が声をかけると、景はもう半歩さらに脚を引き、チラリと背後を確認して逃げ道を確保している。何級だったっけ、バンタム?と維が尋ね、三矢はよろけながらも立ち上がった男の腹に、「ウェルターだよっ」と答えつつもう一発をめり込ませ、地に沈める。
すっかり動きの止まった男の横に立った維が、手に持ったポーチを振りながら、これあんたんとこの商売道具でしょ。返しに来たんだけどと声をかけると、物音に呼ばれたのか麻雀倶楽部河田の扉が開いて、禿頭の大男が老婆をエスコートしながら歩み寄ってきた。

「おいシンジ、ちえこママお店まで送ってくれ」

三矢に掴みかかりたいのは山々だが、それより先に大男の命令と、老婆のゆるゆるとした「あらあらまあ、シンちゃん、大丈夫?」の声に勢いを削がれたらしい、シンジという名のチンピラがようやく立ち上がる。前屈みなのは体を庇っているのか、それとも小柄な老婆の身の丈に合わせているのか、少し鈍い動きでカンタに一瞥をくれてから「さぁ、ちえこさん帰りましょう」と優し気な声を出して通りへと出ていく。ふわふわと歩き出したちえこさんを、そっちじゃないですよと呼び止めて方向修正させながら歩いてゆく姿を見送っていると、「常連さんなんだけど、帰り道がわからなくなっちゃうんだよね」というぼやくような声がする。それであんたたちはどちらさんなのと大男が言うから、維は取り出した革の名刺入れから一枚を男に差し出した。

無駄な諍いを避けるため、ヤクザ同士のケンカは高度にシステム化されている。どちらが矛を収めるのか、互いの名刺についた代紋と、上部組織の大きさで一瞬のうちに勝負が決まる。受け取った男も自分の名刺を維に差し出すと、どうやら名刺ジャンケンに勝った様子の維が、招かれざる客として最低限の礼儀は欠かさないように用件を切り出した。

「うちの若衆がご厄介になっていたそうで、とんだご迷惑をおかけしました。お預かりしてた商売道具をお返しして、あとはこちらにこいつの身柄、一切不問でお渡し願えませんか」

手渡された名刺と、維の顔、それからカンタの顔を順繰りに見比べると、へえ、お前随分太いとこから飛び出たもんだなと言って、男は維が手にしたポーチを受け取って中身を確認する。これさえ戻りゃ文句はないけど、店の前で騒ぐのは勘弁してよと言いながら、倒れているママチャリを起こして傷や不具合がないかボディーを見回している。そこへまた店から出てきた老爺に「ごめんねぇハタナカさん、シンの奴が引っ掛けて転がしちゃったのよ」と言って詫びを入れた。老人はいいのいいの、どうせ最初からボロなんだから気にせんでと言って、サドルに跨りよろよろと揺れながら商店街へ走り出てゆく。

チラリと覗き込んだ店内は客も少なく、牌の音よりはその脇に置かれたソファーで談笑する客の声が聞こえてくる。意外なことにタバコの匂いはしない。「うちは年配の客が多くて、昼は健康麻雀やってるから禁煙にしてんの。タバコ吸いたかったら隣の1号店にしてくれる? セット料金お安くしとくよ」と愛想を向ける。言われてみれば維と三矢、カンタと景でちょうど4人。いつの間にか雀卓を囲むにはおあつらえ向きのパーティーになっていた。

「そちらさんは若衆がたくさんいていいね」

そう言ってどこか羨むような視線を景とカンタに向ける禿頭に、維は改めて面倒をかけた旨を詫び「稼業益々のご盛業を」と挨拶して店を後にした。
駐車場までの道をぞろぞろと4人で歩きながら、もっと派手なことになるかと思ってましたけど、案外簡単にまとまっちゃうんですねと景が言えば、もっとドラマみたいな大騒ぎになる方が良かったかと維が嗤った。何か揉めればすぐ切った張ったになる、血気盛んな時代はとっくに過ぎて、こんな世間の路地裏にまで近代的合理主義というものは隈無く染み渡っている。若者が減り老人が増え、世界は図らずも老成してきたと言うべきかもしれない。



途中であっ、と声を出した景が、慌ててポケットの中を探ると白い粉をパッキングした小さな袋が出てきた。

「……これ、まずいですよね返さないと」

ファミレスで受け取ってそのままポケットに入れていたのをすっかり忘れていたのだ。
あーあ、どうすんだコレ。こんなもん持って職質されたら全員ひとまとめで留置だぞ。どっかに捨てちまえ。いや、よい子のみんなが拾って舐めでもしたら一発でぶっ倒れるぞ。封開けちまってトイレに流しちまえ。ゴシャゴシャと取り乱す4人のうちで、唯一黙っていたカンタが捨てちゃって大丈夫ですよと言う。

「……パウダーっすよ」
「何?」
「ベーキングパウダーです、それ」

信用できる客筋にしか本物売らないんです。俺が持ってたピンクのポーチに入ってるのはベーキングパウダーだけしか入ってません。偽物売って逃げるスタイルです。そう言ったカンタに、三矢は「何だお前売人じゃなくて、詐欺師の片棒担いでたのか」と言って呆れ、あのハゲなかなかの喰わせもんだなと言って維はケタケタと笑い転げた。
すっかりしてやられた気分になっている景に、いいんだよこっちも似たようなもんだからと言って、お前にもやるよと維が寄越した名刺には、松岡組の松の字も葦折原の葦の字もない。横から覗き込んだ三谷が、はぁ随分太いとこ持ってきたなあ。どうりで一発でカタが付くわけだと感心しきりの面持ちで頷いている。

「……仁栄連合関東明誠会本部 東郷組 若頭補佐 相原隆之……って誰ですか」
「さあねぇ。どこの誰だか。うちの名刺じゃ勝てないってわかってたから、勝てそうなとこの代紋拝借して、にんべん屋に作らせた偽物だよ」

キツネとタヌキが化かしあって、お互い上手くいったと思って納得してんだからさ。いいんだ、こんなもんで。真実をばら撒いて諍いを始めるより利口だな。維がそう言う声を聞きながら、景は白い小袋を破って通りかかった橋の上から粉をばら撒いた。粉はささやかに流れるドブ川の水面にたどり着く前に、空中に散って見えなくなり、景は指についた白い名残りを戯れに舐めてみる。
ニヤニヤ笑いながら「旨いか」と尋ねる三矢に、景はただ困ったようにしかめた眉で、笑顔だけを返してみせた。苦いばかりのはずの粉が、口の中に溶けた後、なぜかほんのりと甘みのようなものを景の舌に残し、それからようやく本当に消えてなくなった。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み