トンボ・塗装屋・渡世人

文字数 3,672文字

躑躅も百合も季節が過ぎて梅雨が明ける頃には、保科の両手はまずまず動かせるようになっていた。維は四六時中の側仕えから解放されて一息つくのも束の間、土用も過ぎれば地元商工会の主催する花火大会の準備が始まり、シノギの絡む組員もそうでない者も皆駆り出された。顔の効く者は協賛企業を集めて回り、体力頼みの若衆は資材の搬入や会場の設営に駆り出される。維も三矢ももれなくその中に組み込まれ、盆踊りのやぐらを組み、運営本部のテントを設営するために杭を打ちロープを張った。スポンサー企業の名前をアナウンスして披露される仕掛け花火が咲き、夜空に溶けて消える。その翌日には汗水垂らして設営した会場を、もう一度汗水垂らして解体し、何事もなかったように街をいつもの顔に戻す。そうして赤トンボがそこらじゅうを飛び回るようになった頃、瀬尾の手下が一人いなくなった。

「見つかり次第身柄押さえろ」

瀬尾がやけに勢いづいているのは、その男がそこそこの借金を残したまま行方をくらましたからだった。
まあ、そんなに珍しいことでもねえよと三矢は冷めた様子で、維もそれに同調する。盆正月過ぎると消える奴が増えるのは数年ここで暮らせばわかる風物詩のようなもので、ただその在り方が人によって違うだけだ。カタギになると決めて兄分ときっちり話をつけて身仕舞いする者もいれば、ある日突然ふっといなくなる者もいる。大橋拓実、タクと呼ばれていた塗装工の見習いは後者で、詰所に出入りの準構たちとの博奕で負けが込んで、都合数十万の借金を残して消えた。盆や正月は普段会わない親類や知人と顔をあわせる機会が増えるせいか、構成員たちは若ければ若い程この先の身の振り方を考え始める。タクもそういう事だったのか、単に膨れた借金をまとめて踏み倒すつもりなのかはわからない。だが維と三矢もまたタクと似たような立場だった。
借金こそあるわけじゃないが、ここでいつまでもこうして燻っているのか、盃をもらって収まるところに収まるのか、それとも別の活路を探すのか。いつか決めなければならない事として維と三矢の前にはいつも、それが物憂げに横たわっている。

約束だった3カ月間の「試用期間」が過ぎても、保科が維に何か言ってくることはなかったし、維もそれを口には出せずにいる。出しはしないが忘れたわけでもなく、詰所に保科の気配があればそれとなく近寄ろうとするが、保科は維の姿を躱すように幹部連中と落ち合って何処かへと消える。そうなると維も意地になり、保科の姿を見かけるとふらっと外へと抜け出して、背中に視線で穴が開くのを感じるのがせめてもの復讐のような気がしてくる。奇妙な感情が互いの中に絡まりあってもつれているところへ、小さく携帯が震える。モニターには保科の名前が浮かんだ。

「俺だけど、ちょっと火ぃ貸してくれない?」
「はい?」
「お前タバコ吸うだろ? ちょっと顔貸してよ」

わざわざタバコの火を借りに、詰所まで来た保科が入り口で手招きして維を呼ぶ。待たせてるからはやくと急かされて、ここまで乗ってきたらしいタクシーに一緒になって乗り込んだ。



数週間ぶりに顔を合わせるのも、毎朝毎晩顔を突き合わせていたことを考えれば随分と間が空いた気がする。微妙な空気の中で保科も同じことを感じていたのか、ちょっと見ない間に痩せたんじゃない?と言った。元々暑いのは苦手で夏が終わる頃には体重が落ちるのも毎年のことだから、そんなもんだと思っていたが、ぽろりと自分の口を突いて出た言葉はどこか情けなくしょぼくれている。

「ニンジン擦ってる方が性に合ってるみたいです」
「追い込みなんて面倒なことやらされてんじゃ、その方が楽だな」
「タクの件、聞いてたんですか」
「瀬尾が張り切ってるらしいから、お前と三矢もこき使われてるんだろうと思ってた」
「まあ、二人で適当に合わせてますよ」
「ったく。面の割れてる奴が追ったって手間が増えるだけだろうに」

瀬尾は追ったことはあってもその逆は経験がないのだろう。逃亡者は慎重に周囲を見ている。自分の知った顔をちょっとでも見かければ、もうその場には姿を現さない。面の割れている者を追い込みに使わないのは基本の基と言うべきで、闇雲に追手を掛けても効率が悪いだけだ。三矢も保科もそれを知っているからか、瀬尾の指示に対しては冷静を通り越し、どことなく冷淡さすら感じる動きをしている。
幹線に出た所でお客さんこの先どうしますと運転手に尋ねられ、保科はポケットから出したメモにある住所番地を読み上げる。県境に架かる大きな橋の名前を出してそっちの方ですかと言う運転手に、まずはそこまでお願いしますと応じてメモをたたんで財布にしまいながら、おかげさまででやっと人並みに動く手になったよと言って微笑んだ。

「ところで、荒事は得意だっけ」
「得意、ってほどではないですけど」
「それ、ちょっと頼めないかな。オレ握りこぶしがいまだに力入んなくてさ」
「どういうことですか」
「うん。ちょっとね。人間ひとり移動させたいんだけど。素直に言うこと聞いてくれるかどうかわかんないじゃない?」
「……腕尽くってことですか」
「そうしたくないのは山々だけどね。もしもの時は頼むよ」

詳しいことは現場で説明すると言われて、着いたところはビルが並んだその一角の地下に造られたライブハウスだった。「CLOSED」の看板が下がったチェーンをひと跨ぎで越えて、地下へと続く階段をくだると、扉の前にアロハの袖から彫物を覗かせた若い男が立っている。松岡の者ですと保科が声をかけると、暗い店内に通された。
外から漏れて入ってくる薄明かりだけのロビーから分厚い防音扉を抜けて入ったフロアには、壁際に作られたバーカウンターに男がひとり寄りかかってタバコを吸っている。俯き加減なのは本を読んでいるからで、行動は文系と言うべきなのに、一目で軍払下げと分かるカーキ色のボトムと、黒い編み上げのブーツにタンクトップ姿で、袖からはみ出た腕は体育会系そのものの筋肉の凹凸を誇示している。
色の濃いサングラスをかけているから見当もつきにくいが、維よりひと回りほど年上の様子だ。身長までもひと回り上の大男に保科が声をかけると、読んでいた文庫本を丸めて上着のポケットに突っ込み、タバコを指に挟んだ方の手を軽く挙げて応じた。

「へぇ、随分とマッチョに決めてんですね。初めて見た」
「こんな形で盆中に上がられたら困るのはそっちだろ」
「俺は嫌いじゃないですよ。幹部連中は何て言うか知りませんけどね」

二人のやり取りを聞いて、どうやら保科の盆()らしいことは窺い知れた。
キョロキョロと室内を目で探る保科に男が黙って顎を振り、方向を示す。暗がりに目が慣れてステージの脇に置かれた折り畳み椅子に、誰かが座っているのが見えるようになるまで少し時間がかかった。間違いないかと尋ねる男に保科は満面の笑みを浮かべ、さすがいい腕してますねと言って褒め称えた。

「どこで?」
「川っぺりにあるキャンプ場の隅っこで野営してた。所持品もまとまってるから手間いらずで助かったわ」
「どうやって探ったんです」
「馬券師の手下だってんだろ? 場外を張らせたらすぐ拾えたよ」

左右の足首それぞれ1本ずつが、樹脂製の結束帯で折り畳み椅子の脚に繋げられ、両手は後ろで一括りにされている。細い紐状のプラスチック製品をものの数本使うだけで、人間というのは簡単に拘束される程度のものなのかと、維は妙な感慨に耽る。それから座らされた男の顔色は優れないものの、目立つような外傷がないことを見て少し安心した。いつだったか詰所でモヤをしていたときに、賭けに乗ってきた中にいた顔。タクだった。



「さてと。どうしましょうかね」

そばに置かれていた折り畳み椅子を広げ、背もたれを跨いで腰を下ろし、両腕を背当てに乗せた保科がタクと向かい合う。誰に幾らの借りがあるのか、端から全部言ってみなと言うと、タクは口を開いてぽそりぽそりと組員やら詰所に出入りするチンピラどもの名前を挙げていった。上は5万から下は1万の小口ばかりがずらりと並び、クレペリン検査かと思うような足し算を繰り返して出た答えは22万円で、俺こういうの苦手なんだけど合ってるかなぁと保科が維に確認した。22万ねえ。自己申告だから本当はその倍あるとしても50万足らずかと言って、「で、返せんの」とタクに尋ねる。項垂れて「はい」とも「いいえ」ともつかない呻きが出るばかりのタクを、保科は呆れた顔で眺めている。

「あーもう、踏み倒す気なら早いとこ飛べばいいのに」
「維に『キャラメル』で勝たせてもらったから、それを元に増やそうと思って…」
「ん、何それ」
「モヤです。キャラメルが箱3つのどこに入ってるかを当てるってやつで」

保科には話していなかったあの時のことをタクが一通り説明すると、それを黙って聞いて黒目だけを動かしてほんの一瞬だけ維のことを見る。それから苛立ちを押し殺したような低い声色でタクを追い込みにかかった。





※盆仲……ぼんなか 盆で知り合って付き合いがある人物
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