第5話 つまり

文字数 463文字

宗教は、贖罪のための気休め。
人心をつかんで離さない、大きな役割を果たす。
慈善活動と呼ばれるものの、主体者にも、どこか心の動き、似たような気配がないでもない。
日常の些細な罪も、「祈る」こと、「善行」をすることで、気持ちが楽になる?
そのときの人の心とは?

さしあたり、神聖な装飾。
装飾に向かい、手を合わせる。または、ひざまづく。
「つくられたもの」と知りながら
神仏は目に見えぬから、祈る者の意のままだ。

私はAを傷つけ、Bを不幸にした
私はCからZまで、とにかく悪いことをした
私は、私は。
祈る者の意識下は「私が」が。
「この世界が平和でありますように」だって

、そう願います、だ。
まわりのことを、いくら思うつもりになったって
自分が楽になることが第一。至上の望み。

それをまことに自覚する者は、神に祈りなど捧げまい。
他者の、まして目に見えぬものを、自己に介入せず
AやB、CからZに対し、

現実に何をどうするか、どうすべきか、どうすべきだったかを

考えようとするだろう。
そこに、人間のまことの歩みがある、と
ニーチェは訴えたということだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み