第36話 同人雑誌

文字数 1,207文字

 昔、あったという。今も、あるのか。
 作家志望の者たちが、しっかり作品を(しっかりかどうか知らないが、きっと真剣に)創作し、それぞれに作品を評価し合い、「高め合っていく」というような媒体。
 何しろ真剣であるのだから、意見がぶつかり合うことも多かったろう、と想像する。
 しかし… どうなのだろう? 私に、それだけの真剣さがあるのか、といえば、自信がない。
 この小説投稿サイトが、いわば同人雑誌的であるかもしれない。
 だが、もし自分の作品(!)に批判が舞い込んだとしたら、その批判者の作品を見て、その応対を判断するだろう。「あ、この人はすごい作品を書いている」と感じたならば、その人の意見を拒むことをしないだろう。むしろすすんで、その人の意見を採り入れようとするだろう。だが、逆の場合、私はその人を適当にあしらってしまうだろう。

 この私の身勝手さ自体が、すでに大問題なのだが。
 ほんとうは、批判・否定されることが、だいじであることは分かっている。ちゃんと、読み、読まれ…「小説」として、こう

いいのではないか、そしてその根拠も明確に書き、伝え合う。
 だが、私の場合、「小説」それ自体が、よく分かっていない。何が良い小説で、何が悪い小説なのか、その確固たる判断基準が、わからない。
 たしかに本は読むが、小説というより、その

を読んでいる傾向が強い。考え方とか感じ方とか、それが小説という形になるのだとしても── その人となりが、作品をつくる土台だとしたら、それを批判することは、その人の人格を批判することに繋がってしまうと思えなくもない。小説は、自身を

表わしていないから、そこまで重大にならないにしても── すると、描写、技術、「形の表し方」について、評価・指摘し合うことになる。

 形は確かに重要だろうけれど、そんな、技術とか、表現の仕方とか、語彙力とか、知識とか、そんなことよりも… と思ってしまう。表象上のことばかりに、とらわれすぎているような空気、何か、現代社会?に流れているその空気の巨大さに、私は抵抗を感じてしまう。
 話が逸れている、「同人雑誌」のこと、小説家志望の有志たちが集まる場所のこと。
「小説家になろう」から始まった、そのような投稿サイトのこと。
「こんなに異世界ものが多くなるとは思わなかった」という運営側の言を、いつか記事で見たことがある。
 何が流行ろうと、私にはよく分からない。何か重いものが書店から消えていき、軽そうなものが蔓延っているような気はするが、何が重く、何が軽いのか、わからない。そもそも私に、何か「分かる」ことがあったのか、そして今まで自分が何か魂を込めて、読者に自信をもって提供できるような作品を創作したとも思えない。
 ただ真剣に、一生懸命書いて、書いた者どうしが一生懸命評価し合っているような… モノクロ写真で見た、同人雑誌編集会議の一室の風景が、何故か懐かしく感じる。
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