第7話 「わかる」ということ

文字数 1,916文字

 キルケゴール。
 その著作は、ひどく読みにくい。ワンセンテンスワンセンテンス、時間をかけて、よく、よく考えて行かないと、とてもじゃないが「理解」し難い。
 彼の言葉のまま、文字通り読み進めても、キリスト教についてのことなど、チンプンカンプンで、頭の中に全く入ってこない。
 で、ぼくはこのキリスト教という文字を、伝統的なもの、たとえば日本の仏教に置き換えたり、身辺の慣習、「こうなっているのだから従え」とでもいう、規則性のある慣習、空気のようなものに置き換えて、自分に引きつけるようにして読んでいる。
 一方で、キルケゴールがキリスト教について感じていることも、この足りない頭で想像しながら…
 こういう読み方をしているから、ぼくはキルケゴールをほんとうに「わかっている」と言えない。
 それでも、「彼が真実を言っている、ほんとうのことを言っている」ということだけは「わかる」。これは、抗い難く体感されるもの。
 その著作「不安の概念」の中に、罪について書かれている小さな箇所がある。
 罪、原罪というものは何なのか。彼は倫理学、教義学、心理学など、それぞれの学問分野から、罪を見つめる。そして精密に、罪の分析を開始する。言葉というメスを用いて、「人間の精神解剖書」をしたためる。

「わかる」は、「分ける」から来ている言葉だ。「分け」なければ人間は「理解」へ到達できない。
 「人間は」と言い始めた時点で、すでに人間と他の動物と分けている。言葉を使うこと、これ自体に、すでに相反するもの、相対するものが含まれてしまう。
 人間が「人間」と言ったのは、人間自身を理解したいためだったろう…

「罪」はなぜ罪であるのか? 倫理学を助産婦にしただろう。教義学は、人に強制してくるものだから、罪とは他人の通りすがり。心理学は、それ自体がひとつの体系だから、罪の母にはなり得ない…というふうに、キルケゴールは「罪」のなりたち、なぜ罪が罪なのかを分析する。緻密に、こまかく、もういいよ、と思えるほど、こまかく。

 学問、と書くといかめしいけれど、結局「人間は学問、~学から成り立った観念、ものの見方をもって、物事に対している」ということが、キルケゴールを読んでいると「わかる」気がする。こんな文章を書いているのも、きっと言語「学」に依るのだろうし、と思う。
 漠然とした不安も、その不安がなぜ不安であるのか、解体していけば、きっとクリアになるだろう…クリアになれば、その先に解決も見えてくるだろう、とさえ思えてくる。
 
 それにしても、なぜ「わかりたい、理解したい」欲求が生まれるのか── その欲求は、人間自身が持つけれど、言葉自体が求めてくる要求があるにも思える…。
 人間は思考する時、言葉、つまり論理化しようとする意思によって考えているという。とすると、人間と言葉は二人三脚で進化してきたと言えるだろう。
「理解」という言葉は、こんな要求を人間にしているように思う、
〈 あなたひとりがわたしを理解していても、わたしは不本意だ。わたしは、共有されることを望む。わたしは、

ものであって、あなただけが理解しても、わたし自身は理解されたことにならない 〉

 人間は自分の欲求に従って、動物のように欲望をそのままに生きることができない。できたなら、もっと悪い世界になっているだろう。異なる他者と自己を繋ぐように言葉は発信され、分かち合われ、理解し合われるために用いられる…
 キルケゴールは、その力のぜんぶをもって、頭の中を全て言葉に、もれなく、余すところなく表現しようとしていた。彼の頭の中が言語なのか、頭が言語の中にあるのか、わからぬほどに感じられる。
 言葉にしようとする、その自分に対する誠実な姿勢が、読んでいて強く強く響いてくる。そして彼の書いていることが、ぼくには正確にはわからない。

〈 私の言いたいことが、読んでいる途中で「わかった」なら、どうぞ読者よ、最後まで読まないで、本を閉じてほしい。貴方の日常、行なうべき生活の中に戻ってほしい 〉
 これはキルケゴールの本心だと思う。ニーチェ同様、著作を読んだ人に、机にへばりついてほしくなかったろう。

生活、そこに、生かされてほしかったろう。他の哲学者、学者と呼ばれる人たちと、ここが決定的に違うと思う。専門的な分野というより、自分自身の、「キルケゴール」というジャンルをつくった人だったと思う。

 一時期、「おかえりなさい、キルケゴール」と題して、ぼくなりのキルケゴール解釈、読み方を連載しようと画策していたけれど、頓挫している。あまりに難しくて、とにかく、難しい。
 それでも、どうしても気になる存在。わかりたい、存在。
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