第10話 時間

文字数 1,248文字

「そういう時もあるよ」
 声がする、
「何も言えなくなるような時間もあるよ。どんな言葉でも、表現できないような時間が…」

「どうして時間があるのかね。とってもいい時間、とってもわるい時間がある」声が聞く。
「さあねえ。ただ、時間も、そう感じる人がいて、生きていてよかったと思うだろう」声が答える。
「時間が生きてるわけないだろう」
「いや、時間は生きてるよ。時間が死んだら、ぼくらも死ぬことになる。ぼくらが死んだら、時間も死ぬことになる。今、ぼくら、生きている。ぼくらを生かすものが、生きていないわけないじゃないか」
「生かすもの… 食べ物、空気とかなら、思い浮かぶけど」
「見えるもの、見えないものがある… 言葉だって、書かなきゃ、見えないものだ。見えないものに、傷ついたり、励まされたり。言葉は、いのちに関わるものだろう。だから言葉だって生きているのだ」
「でも、時間は生きていないだろう」
「生きてるよ。電車だって、道路だって、ブロック塀だって…われわれの生活に作用するもの、関わるものは、みんな生きているよ。時間はその最たるものだ」
「生きているものに生かされ、生かすものは生きている、ってことかい?」
「そうだよ。壊れたり、変化して、死は、あらゆるものにある。でも、生きている者が、それを忘れない限り、死は、ないのと同じだよ」

「ぼくの両親は亡くなったけれど、忘れたことはない」
「記憶に残る、ひとや、もの、かたちのない思い出… それらは、きみを生かしたところのもので、きみが生きている限り、今も無関係ではいられない」
「たとえば、僕が死んでも、誰かが忘れずに覚えていたら、僕は死んでいないってことかい?」
「そうなるね。創作活動も、もしかしたら、それが動機なのかもしれないよ、子孫を残す、本能のような…」

「もしかして、悪いことをする人は、忘れないでいてほしいのかな。いじめたりして、意地悪な人間は、『オレを忘れるな』って、淋しくて、いじめてんのかな」
「それは分からんけど、そうさせる本能は、けっして悪ではない。本能を間違った方向へ持って行かせるものが、悪の正体だろう」
「そのラスボスみたいなヤツは、どこにいるんだろう?」
「そういうところを、突き詰めていくのが、言葉を使って論理的に考えようとする人間の、創作活動なのかもしれない。それこそ本能的に、善とか真実とか、正しさを追わざるを得なくてさ。作曲家や画家は、音や線、色で美を表現して… 美は、人に本来備わっている善の心を触発するらしいよ。人間どうしを繋ぐ、言葉の表現も、そういうものでありたいね」

「大変だなぁ、表現するって。日常生活でも、言葉を使うの、難しいのに」
「大変で、難しいけど、その時間がある。それに向かえる、時間がある。わるい時間があっても、時間が止まることがない。ありがたいことだよ」
「宇宙にも、時間はあるんだろうか」
「たえず動いているのが時間だから… 心臓が止まらないように、星も回って… 流れて、生まれて…」
「ほら、何が言いたいか、わからなくなった」
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