第50話 創作された現実に

文字数 1,572文字

 まさか戦争が起きるなんて、という(うつつ)
 東日本大震災のときもそうだった。コロナのときも。
 ついこないだまで、まるで考えていなかったようなことが、現実に起こり、その現実の中に生きているという。
 大きなことが起こる前には、布石がある── 地震はちょくちょくあったし、中国は隠蔽をかさね、ロシアも権力に逆らう者を消してきた。
 原発が震災をいっそう大きなものにさせたし、それでも再稼働させる現実が今もあって、そもそも人間がコントロールできないエネルギー、核につながる原発の、どこがクリーンと呼べるかと思う。
 もともとおかしいことが分かっていたロシアと中国の為政者の、ひごろのおこない。
「人を消す」ことが日常茶飯に行なわれるなんて、おかしいどころではなかった。もう、通り越していた。

 世界的な世界でなく、小世界たるぼくの職場でも、おかしなことが公然と行われていたし、そもそもぼくもおかしかったし、それでも仕事はまわって、それが日常だった。
 子どもの通っていた保育園では、ほんとにワンパクな男の子がいて、ぼくはその子が大好きで、迎えに行けば必ずあの子とちょっとコンタクトしたものだった。お母さんも、ふつうにみえた。だが、その後、大きくなったその子は、少年院に入れられたという。
「そうとう、悪いことしないと…」大きくなった、ぼくの一人娘が言っていた。懲役が何年もついて、それこそ殺傷沙汰、極悪犯的なことをしたようだった。

 思い出す、もうひとりの子。ぼくが昔関わった美術館の、当時の館長の息子さん、六、七歳だったか。その子も、そうとうワンパクだった。一緒に遊んでいる時、本気で、全く手加減なしに、ぼくの腹を殴ってくるのだった。
 被害者はぼくだけでなく、ぼくの友人もよく殴られていた。
 だが、その子も、保育園のワンパク坊主同様、何か憎めないところがあって、ぼくは大好きだった。
 笑顔がとても可愛かったし(笑顔はみんな素敵だ)、何かエネルギーがあった。ほかの、「ふつう」の子より、強いエネルギー… そのエネルギーに、おとなのぼくはとても惹かれた。一緒に遊んでいて楽しかったし、ワンパク坊主からほとばしるようなエネルギーが、ぼくは大好きだったのだ。

 ぼくの勤めていた自動車工場の職場には所謂「老害」というような人もいて、間接的にイタイ目にも遭ったけれど、その人は、ぼくなんか及びもつかないほど長く長く勤め続けていた。「害」となり得るようなほどのエネルギーが、その人にあったのだ。それは、すごいエネルギーだとほんとに思う。
 何が言いたいのかといえば、エネルギーは、善にも悪にもなるということ、日常のつづきに非日常があるということ…。
 なんだか平和そうだし、戦争なんか起こってないし、ご飯があれば死なないし、世の中こうなってるし… というところで、漠然としていた暮らしがあった。そして、暮らせていたのだ。
 それは、一気に覆されるんだな、という。
 その布石は、今までもあって、今もあって。
 それでも、ぼくら、きっと言う。「めんどくさいの、きらい」

 大きな事件、たいへんなことが起こるたびに、小さなことが大切に思えて、見直したい、などと思う。
 よく、工場に車で送ってくれた友達のことも思い出す。彼は、むかし学校でイジメにあって腰の骨を折っていた。
「でも、事件になんか、なんなかったけどな。… 死ななきゃ、ダメなのかな」
 運転しながら言っていた。
「あ、オレも高校でボコボコにされたことあるよ」
 そう言うと、
「えっ」と助手席のぼくを見たので、あぶなく信号無視しそうになっていた。

 どうして、こうなるんだろう。
 どうして戦いが、諍いが、戦争が。
 誰でも言えるわな、「どうして?」
 問い続けよう、「どうして?」
 子どもみたいに、「お母さん、どうして?」と。
 母なる… なにものかに。
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