Bone Machine【5/5】
文字数 1,674文字
「詭弁じゃないよ、近江さん。わたしは近江さんとも仲良くしたいな」
「な……ッ! 不潔だわ! あたいを誘惑しようって魂胆ね!」
「え? なに? そのロジックは?」
「不潔だわ、不潔だわ!」
そこで、背中から肩をポン、と叩かれる。
「だ、そうですよ、壊色先輩」
振り向くと、長良川鵜飼だった。
「鵜飼……なぜここに」
「そりゃ先輩をストーキング……じゃなかった、たまたま通りがかりまして。近江キアラさん、こんにちわ」
「こんにちわ、長良川先生」
「は? 長良川……先生?」
「先輩、忘れたんですか。ボクは長良川江館の講師ですよ? 長良川家は、ボクの家です」
「悪ぃ、忘れてた」
「先輩ってひとは、そういうひとですよ。抱いた女性の職業を忘れるんだから。ボクとあんなに愛し合ったのに」
「おい鵜飼、記憶をねつ造しないように!」
「近江さん、ここは任せて。お行きなさい。壊色先輩の相手はボクがするから」
近江キアラが、鵜飼にぺこりと頭を下げる。
「ありがとうございます、長良川先生! では、のちほど、江館で」
早足でその場を去る近江キアラ。
ここにはひとに粘着する後輩、鵜飼が残された。
「油断も隙もないですね、壊色先輩」
「油断も隙もあるよ。鵜飼の侵入を許してしまった。不覚!」
「先輩、相変わらず酷いですね、ボクに対して」
「そーかなぁ?」
「そうですよ!」
「普通だと思うけど」
「ボク、傷つきまくってますからね」
「傷?」
「傷を舐めあいましょうよ!」
「すっごく嫌だ」
「うぅ……」
鵜飼がうなだれているのを見ていると、今度はスロウな声が、わたしを呼ぶ。
「あらぁ、奇遇ねぇ、こんなところで会うなんて、壊色さん」
その声は。
「ああ。管理人さん」
「やくしまるななおですよぉ、うふ。ななおって呼んで良いって言ってるじゃないですの、壊色さん」
下宿・西山荘の管理人、やくしまるななおさんだった。
そして、その横には管理人のななおさんの妹、やくしまるななみちゃんが、姉のななおさんと手をつないで、こっちを見ている。
「どーいうことです、先輩。またお邪魔虫が入りましたよぉ」
顔を上げた鵜飼は、今度は泣きそうになっている。
その鵜飼の泣き顔を見て、ななおさんは、
「あらあら」
と、口に手をやり、一寸、笑っている。
ななおさんから手を離したななみちゃんが、わたしの足を思い切り踏む。
「痛ッ!」
「壊色は、ほんと、だらしない!」
「だらしない? わたしが?」
「そうよ!」
怒気を込めて、ななみちゃんが言う。
性的にだらしがないのは、わたしじゃなくて鏑木盛夏だ。
わたしは、だらしなくなんてない。
でも、喉元までそのことを言いそうになるのをこらえて、わたしは息を整えた。
「同人雑誌の会合もあるし、暗くならないうちに、いったん、部屋に戻ろうかな」
「ふん! それがいいと思うわ!」
ななみちゃんはご機嫌斜めに、わたしを突き放す発言をした。
わたしは、浅草オペラも少女歌劇も観ずに、下宿・西山荘に戻ることにしたのだった。
そう。
〈和の庭〉、そして帝都の時が進むのは速い。
帝都だけでなく、デモクラシーは全国に波及していっている。
だが、牧歌的な議論で済む世の中なんて、永遠には続かない。
いつだって、狂騒のときはやがて大きな渦に飲み込まれ、ひとの笑顔を奪う。
わたしたちは、個人的なことに一喜一憂するけれども、大きなうねりの中に、回収されるのが常だ。
もしかしたら、鏑木盛夏は、それが痛いほどわかっているのではないのか。
だから、〈退魔士〉として、〈そのとき〉を、遅らせようとしているのではないか。
そういう気もする。
どちらにしろ、大きなうねりは、少しづつ、少しづつ近づいてくる。
抗えないほどの力を持って。
でもそれは、まだ先の物語だ。
わたしは、今というときを享受するのを、やめないでいる。
それを、心が〈空っぽ〉と表現するのかもしれないけれども。
〈了〉