第21話 刀鬼⑥
文字数 7,307文字
「私は、白峰千歳 。よろしくね」
差し出された手を握 った時の温 もりと、満足そうな笑顔を今でもはっきりと覚えている。
病院のソファーは冷え切っていて最悪ばかりが浮かんだ。人はあっさりと死んでしまう。それを知っていたのに、何故かここまでの危険は無いと思っていて、それどころか訪れた非日常に喜 びさえ感じていた。本当にどうしようもない馬鹿だ。僕が巻き込まなければこんな事にはならなかった。
「目を覚 まされましたよ」
聞こえた声に視線を上げると看護士さんが立っていて、僕を安心させるように微笑 んだ。
急いで立ち上がりその後に続くと、通された部屋のベッドに寝かされていた千歳 が僕を見て手を上げた。
「ほら、大丈夫だったでしょ?」
その声と笑顔に涙が溢 れる。
「……良かっ、た」
「もう、大げさだよ」
「僕は……僕は、また……」
「ごめん、心配かけちゃったね」
千歳 が真剣な顔をした。でも、そうじゃない。千歳 は何も悪くない。頭に巻かれた包帯は僕の所為 で、それを伝 えたいのに、喉 は震 えるばかりで言葉にならなかった。
「ほら、恥ずかしいから涙拭 いて」
押し付けられるように渡されたハンカチで涙を拭 う。
「あー、お取込み中のところ申し訳ないのだけど」
突然響いた声に驚 く、千歳 しか見てなかったから壁際に男性医師が居る事に気付いていなかった。途端 に恥ずかしさが生まれる。
「簡易的な検査では異常は見受けられなかったけど、彼女には念のため此処で安静にしていてもらう事になる。専門医が出勤したらもう一度精密な検査をしてもらうから」
「親御さんと連絡が付きました。三十分ほどで来院されるそうです」
僕を案内してくれた看護士さんが戻ってきてそう告げた。
「そうか良かった。それじゃあ僕は少し席を離すよ。でも、何かあったらすぐ戻ってくるからね」
「ありがとうございました」
千歳 と共に頭を下げると男性医師は微笑 みを見せてから看護士さんと共に去っていった。
「抱 きしめてあげようか?……ほら、泣いていらっしゃるから」
僕と千歳 とクスィだけになった病室で、千歳 が揶揄 うように笑って腕を広げた。でもそれに応 えるよりも先に謝らなければならない。
「千歳 、ごめん、全部僕の……」
「佳都 、先ほどから何度も連絡が来ています。岬 さんからです」
クスィの声に遮 られて岬 さんに連絡していなかった事を思い出す。時計を見ればもう十一時を過ぎている。心配していない訳 がなかった。
「行ってきなよ。私は大丈夫。何かあったらそこの装置が知らせてくれるし、お母さんたちも来るみたいだから。私の事よりも、佳都 は岬 さんに何て言うかを心配した方が良いよ」
「うん……じゃあ、ちょっと行ってくる。すぐ戻ってくるから」
躊躇 いながらも部屋から出て端末を取り出す。待機状態を解除すると浮かび上がった画面には、電子手紙が届いている印 が表示されていた。でも一通だけだ。操作してそれを開くと〔了解。千歳 ちゃんの家族によろしくね〕という文字だけが並んでいた。意味が分からない。
「嘘をつきました。岬 さんには既に電子文書にて連絡済みです」
囁 くようなクスィの声に、まさかと思って送信記録を開くと〔今日は、千歳の家に泊めてもらうことになりました。心配しないでください〕という文面 が現 れる。
「……なん、で?」
信じられなかった。クスィが勝手に連絡をとっていた。手にしている端末がクスィに繋 がっているという事は、そうしようとすれば容易 にそれが可能だったのだと今更になって気が付く。救急車を呼ぶ時だって同じ事をしていた筈 なのにまるで思い至 らなかった。
「申し訳ありません。けれど千歳のいない場所でお伝 えした方が良いと思いましたので、このような偽装 を行いました。
内容は、もはや私達だけにとどまらなくなった安全上の問題についてです」
その一言で責 める事ができなくなった。
「どうか、此方 へ」
歩き出したクスィに従って薄暗い病院の中を進む。非常口から外に出た所で、クスィは立ち止まった。
「足止めを指示していた人形が破壊されました」
人形は沢山いたから、あの一体では僅 かな足止めにしかならない事は分かっていた。
「それなら、もしかして此処も?」
「いいえ直 ちに危険はありません。人形を壊したのは私達を襲った人形ではありませんから」
返ってきた答えに頭の中が疑問で満ちる。
「それは、どういう……」
「神祇院 が事態の収拾 に向けて動き始めたようです。彼らは対人形用の戦闘部隊を所有しており、それが全ての人形を破壊してくれました」
「神祇院 の対人形部隊?」
理解できないまま聞き直した。人形が起動した事なんて今迄 なかった筈 なのに、その為の戦闘部隊があった事になる。それも軍 じゃなく神祇院 に……。
「特別安全管理局 と呼ばれている組織です」
映像や街中で何度も見た真っ黒な車両が頭の中に浮かぶ、
「いや、でも特安 は主 に人形坑 で起こった事故専門の……」
そこまで言って気付いた。
「ええ、どうやら彼らはこれまで人形坑 やこの都市において起動する人形を破壊し、その存在を秘匿 し続けていたようです」
頻発 する人形坑 での事故。生き残った抗夫 が語る殺人人形の噂 。クスィの言葉が正しいなら全てが繋 がる。
「でも、それならとりあえず事態は解決されたって事?」
「いいえ、残念ながら解決していません。それどころか悪化しつつあります。索墳 で人形が起動してしまった原因は私達にありましたから」
「僕達に?」
口にしながら、とても嫌な予感がした。
「はい、人形の命令を書き換えた時、同時に幾 つかの情報を取得し、理解したのです。全ては私達が半数以上のコードを取得してしまった所為 でした」
その言葉を受けて人差し指に嵌 まっている環 を見る。
「あの人形達は塔 。そして地下にある人形都市 を守る為 の防衛機構 に従 って行動しています」
「塔 と人形都市 を守る為の?……それがなんで僕達を……そうか僕が正規の手順を踏 まずにクスィの管理者になってしまったから」
「いえ、それは違います」
「違う?ならなんで?」
「現在の防衛機構 が本来のものとは異 なってしまっているからです。順を追って説明しましょう」
その後 に続いたクスィの話 を聞いて、僕は状況のほとんどを理解した。大戦が起きた理由から、クスィが目覚めた訳 も……
もしもクスィに出会う前なら嘘だと思っただろう。けれど今は信じざる負 えない。問題は僕たちがコードを取得した事によって、それを危険だと判断した防衛機構 が活性化してしまった事だ。不完全に終わった封印の影響を受けた今の防衛機構 は封印を保つ事を最優先していて、その結果、再起動の為に動いている僕たちに強く反応してしまうらしい。
「どうしたら……そうだ、あの人形にしたみたいに他の人形も命令を書き換えたら」
「現状では個別に行う必要があり現実的ではありません。塔 を再起動させれば防衛機構 を停止させ、全ての人形を制御下に置く事も可能な筈 ですが、それにはまだ半数のコードが足りず、このままコードの取得を続ければ、状況は悪化の一途 を辿 るでしょう。解決するには私を破壊するしかありません。だから佳都 、私に自壊 を命じてください」
唐突 な言葉に息をのんだ。脳裏 にクスィの身体がバラバラになって青い血溜 まりに倒れる光景が浮かぶ。
「そんな筈 ない」
叫ぶようにクスィの言葉を否定する。いくら何でも論理 が飛躍 しすぎている。何か別の方法がある筈 だ。例えば、例えば……必死に働 かせた脳が数瞬後 に何かを捉 えた。それが消えてしまわない内 に口を開く。
「まって、特案 にこの事を話して、協力してもらえば、そうだよ。そうしたらきっと」
口にして、それが最善 な気がした。どうしてクスィはこんな簡単な事を思いつかなかったのだろう。そう思って安堵 した僕に、クスィはなぜか想像したのとは違う冷たい目を向けた。
「残念ですが、恐らく特安 は私達を受け入れてはくれないでしょう。人形である私の言葉を信じてもらえるとは思えません。もしも彼らが、今何が起きているのかを理解していたとしたら、なおさらです」
「でも、可能性は零 じゃないはずだ」
クスィの考えが正しかったとしても、その選択肢を除外 してしまう必要はない。
「確かに可能性は零 ではありません。ですが彼らに協力を申し込めば、間違いなく私達は身動きが取れなくなります。彼らが協力してくれなかったとしても即座 に私を破壊してくれるのならいいでしょう。しかし、もし彼らが即決 してくれなかったとしたら?
私の言葉を信じてもらえないという事はつまり、私を破壊すれば事態 を収束 できるという言葉も信じてはもらえないという事です。
彼らが現状に対する正しい理解を得ていなかった場合、私達は単に拘束 される恐れがあります。最悪の場合、佳都 が私を破壊する事も不可能になります」
深刻 そうに語るクスィとは逆 に寧 ろそれなら不利益がないと思った。クスィを壊すなんていう馬鹿げた命令を下さずに済 む。それを見透かしたようにクスィの眼差 しが鋭 さを増した。
「佳都 、あなたは今、そうなるならそれでいいと考えていませんか?だとしたらそれは無責任です。私の管理者としても、そして現状を理解し、解決する術 を持っている人としても」
たじろいで後ずさりした分だけ詰 め寄 られ、背中が壁面にあたった。此方を見上げる冷 ややかな青 い眼 に圧倒される。
「このままでは街に被害が出ます。人的な犠牲さえ生 じるかもしれないのですよ?それを放置するつもりですか?」
「……それでも、僕はクスィを壊す命令なんかしたくない」
発した声は、クスィが語る現状の認識なんかじゃなく、クスィに責 められているという事と自らを壊す命令を下せと言われている恐 れから震 えていた。
「特安 を信じる訳 にはどうしてもいかないのか、な……少なくとも彼らは今まで、人形の脅威 からこの街を守ってきた。だから、例え協力してくれなくても、被害は食い止めてくれる筈 だ。そうしている間に彼らを説得できれば……」
「佳都 の言う通り、彼らはそうしてくれるでしょう。ですがそれは逃避的 な選択です。千歳 は命を落としていたのかもしれないのですよ?」
そう告 げられて言葉を失 くした。さっきまで感じていた強い不安と頭に包帯を巻いた千歳 の姿が浮かび、曖昧 だった被害の想像が一瞬で現実的なものに変わった。
「それに言いましたね。記録を失っている事で私が例外的な存在になっている可能性があると、あれはやはり正しかった」
身じろぎ一つできなくなった僕にクスィは穏 やかに語 りかけた。
「現在の私に影響を与える事はありませんでしたが、今でも人形の思考回路 の奥には世界の理想化という目標が存在しています。恐らく私と違い正常な状態のまま眠っている予備人形達 は、目覚めたのならそれを実行しようとするでしょう。それが正常な人形なのです。それはつまり、私が突然そうなってしまう可能性も示 しています。私はそれを避けたいのです」
それを聞いてクスィが急 いでいる理由が分かった。吹き付ける風は冷たいのに、首筋を嫌な汗が伝う。
「今も私の所為 で、佳都 や千歳 、二人が大切に思う人々を危険に晒 しているのに、もしも自分が直接危害を加えてしまうかもしれないのだとしたら。そんなのは嫌です。だからどうか私が今の私でいる内 に、まだ被害が拡大していない内 に、私を破壊して全てを終わりにしてください。私の為 にどうか、お願いです佳都 」
此方をまっすぐに見つめているクスィの言葉が酷く切実 なものに思えた。自分が自分でなくなって大切な人を傷つけてしまう前に壊 して欲しい。
何度も見る悪夢の様 に、狂ってしまった僕が実際に千歳 や岬 さんを傷つけてしまうのだとしたら、僕も同じ事を願うだろう。けれど、それでも僕は何もできなかった。
「命令する事が出来ないのなら、これで……」
急に引かれた手。それを掴 んだクスィから伝 わるのはゾッとする程 の冷 たさ。そしてその次に指先 が硬質 な物体の感触を伝 えた。一瞬の内に銃を握 らされていた。人形に襲われた時、確かに落としたそれをクスィが回収していた事を知る。
折れ曲がっていたクスィの右腕もいつのまにか直っていて、両手で固定された銃口がその胸へ押し当てられている。
照準 が現れるのを見て咄嗟 に人差し指を伸ばした。命令なんかよりもずっと現実味があるそれに寒気 がして、頽 れそうになった身体は、密着 し僕の手を強く握っているクスィと背後にある壁面に支えられて、そうする事ができず、銃を手放そうとした指の動きさえもクスィは許 してくれなかった。
自由なのはただ、引き金を引くための人差し指だけ……。
「私は人形。ただの道具です。道具が人に害をなすならば、破壊しなければなりません。そして道具を破壊する事に躊躇 いを覚える必要はありません」
優しく諭 すような声。
「私が行 ってきた事がこんな状況を招 き、また私自身も変容 してしまう危険性がある限りどちらかしかないのです。どちらにしても佳都 の負担になってしまう事は分かっています。
自分で引き金を引ければよかったのですが、私にはそれができません。だからお願いです。管理者になる時佳都 は約束してくれました。もしもの時は私を破壊すると。あの約束を果たしてください」
助ける為に交 わしたその場しのぎの嘘がこんな状況を招 くなんて思っていなかった。だけどそんないい訳 はもう通用しないと解っている。
初めは僕の事を助けてくれたクスィを助けたかっただけだ。あの時救 えなかった母さんの代 わりに、でも、もうそれだけじゃない。今は一緒に過ごした日々の思い出ができてしまっている。三人で行った買い物に、廻 った索墳 。握 ればひんやりとする小さな手。豊 かになった抑揚 や表情。
それはきっとクスィの中にもあって、だからクスィはこんなにも苦 しんでいる。人形だと分かっていても、もうそんなふうに扱 える訳 がなかった。
「確かに僕たちのしてきた事が、今の状況を招 いてしまったのかもしれない。でも僕はもうクスィをただの人形や、ましてや道具だなんて絶対に思えない。だから命令も破壊もしたくない」
震 えている身体からなんとか声を絞 り出す。
「それでは」
反論しようとしたクスィの声を遮 って続ける。
「クスィを壊せば事態は収まるのかもしれない。だけど不完全に終わった封印と続けられてきた採掘がそもそもの原因だったら。ここでクスィを壊しても人形による被害はなくならない。それに眠っている他の予備人形が目覚めたら、それは世界の理想化に向けて動いてしまうんでしょ?もしそんな事に成ったら、それこそもう一度大戦 が起きてしまう筈 だ」
必死に考えながら言葉を紡 ぐ、ここでクスィを壊さなくて済む、それができるだけの論理 。
「確かに人が採掘を続ける以上人形による被害は出るでしょう。けれど私がこのまま活動を続けるよりも問題が大きくなるのは、この国の技術が再起動を可能にしてしまわない限りは数百年は先の話であり、それは十分に避けられる事です。そして崩壊していない索墳 の予備人形 が今後目覚めるかどうかは極僅 かに存在する可能性の話に過ぎません」
「あり得ないとは言い切れない訳だ」
咄嗟 にそう返 すとクスィの視線が一瞬揺 れた。
「それは……そうですが」
戸惑 ったようなクスィを見て畳 みかける。
「それなら、ここでクスィを壊す事は最善じゃない。さっき塔 を再起動すれば全ての人形を制御下におけるって言ったね。一緒に人形都市 の封印 を完全なものにする事は?」
「可能な筈 です。ですがそれは、そこに至るまで私が変わってしまう事無く、管理者 である佳都 を優先していたならばの話です。佳都 はそんな不確定なものを信じて行動すると言うのですか?」
「同じ不確定なら、僕はクスィが変わらない事を信じる。偶然 成立した今のクスィこそがこの問題を解決し、これから先、二度と人形による被害も、理想化を目指す人形との戦争も起こらないようにする希望だって、そう考えれば試 す価値はある筈 だ。
特安 に協力は求めず、僕たち二人だけでやるんだ。特安 が抑 え込めないほど事態が悪化する前に全てを終わらせる」
「けれど、もし事態が想定を超えて悪化してしまったら?もし私が狂ってしまったら?その時はどうするのです?」
「その時は僕が、クスィを壊す。クスィが変わってしまった時も、僕が壊す。必ずそうする。だから、それまではどうか……お願いだクスィ」
懇願 する僕を見つめながらクスィは数秒沈黙 した。
「どちらかの状況に陥 った時は、本当に私を破壊してくれるのですね?」
じっと僕の目を見ながら口にされた言葉にゆっくりと頷 く。
「だとしたら……それを、信じるとして……本当にそれでいいのですか?事態の解明 と収束 を図 っているだろう特安 はいずれ私の存在に辿 り着 きます。協力を仰 げない以上。敵対する事になるでしょう。それはつまり人形は疎 かこの都市の治安維持 組織、ひいては人間さえも敵に回すと言う事ですよ」
「解ってる。事態を収束 させるまで僕たちは追われる身になって、誰かを頼る事も出来なくなる」
特安 と協力する事をクスィが受け入れない以上、そうなるしかない。家にも帰れなくなる。岬 さんを巻き込むわけにはいかないし、特安 がクスィの存在と共に僕の事まで把握 したのなら、自宅などすぐに特定されてしまうだろうから……。
「それだけではありません。佳都 は今以上の危険に晒 される事になりますよ?」
躊躇 うような口調の中にクスィの迷いが見えた。だからそれを退 けるように語気 を強める。
「構わない。それで僕が望む事が達成できるかもしれないなら、全部と敵対して世界を救うんだ」
本当は世界なんてどうでもよかった。ただクスィを壊さずに済むのならそれで……。
僕の言葉を聞いて考え込むように目を伏 せたクスィ。その手から力が緩 んだのを感じて銃把 から指を離し、そっと取り上げる。
「行こう」
返事を待つ事無くその腕を引いた。クスィは何も言わなかったけれど抵抗される事は無かった。千歳 に言った言葉を嘘にした。その罪悪感を振り払うように歩き出す。街灯の光が届かない闇の中に向かって……。
差し出された手を
病院のソファーは冷え切っていて最悪ばかりが浮かんだ。人はあっさりと死んでしまう。それを知っていたのに、何故かここまでの危険は無いと思っていて、それどころか訪れた非日常に
「目を
聞こえた声に視線を上げると看護士さんが立っていて、僕を安心させるように
急いで立ち上がりその後に続くと、通された部屋のベッドに寝かされていた
「ほら、大丈夫だったでしょ?」
その声と笑顔に涙が
「……良かっ、た」
「もう、大げさだよ」
「僕は……僕は、また……」
「ごめん、心配かけちゃったね」
「ほら、恥ずかしいから涙
押し付けられるように渡されたハンカチで涙を
「あー、お取込み中のところ申し訳ないのだけど」
突然響いた声に
「簡易的な検査では異常は見受けられなかったけど、彼女には念のため此処で安静にしていてもらう事になる。専門医が出勤したらもう一度精密な検査をしてもらうから」
「親御さんと連絡が付きました。三十分ほどで来院されるそうです」
僕を案内してくれた看護士さんが戻ってきてそう告げた。
「そうか良かった。それじゃあ僕は少し席を離すよ。でも、何かあったらすぐ戻ってくるからね」
「ありがとうございました」
「
僕と
「
「
クスィの声に
「行ってきなよ。私は大丈夫。何かあったらそこの装置が知らせてくれるし、お母さんたちも来るみたいだから。私の事よりも、
「うん……じゃあ、ちょっと行ってくる。すぐ戻ってくるから」
「嘘をつきました。
「……なん、で?」
信じられなかった。クスィが勝手に連絡をとっていた。手にしている端末がクスィに
「申し訳ありません。けれど千歳のいない場所でお
内容は、もはや私達だけにとどまらなくなった安全上の問題についてです」
その一言で
「どうか、
歩き出したクスィに従って薄暗い病院の中を進む。非常口から外に出た所で、クスィは立ち止まった。
「足止めを指示していた人形が破壊されました」
人形は沢山いたから、あの一体では
「それなら、もしかして此処も?」
「いいえ
返ってきた答えに頭の中が疑問で満ちる。
「それは、どういう……」
「
「
理解できないまま聞き直した。人形が起動した事なんて
「
映像や街中で何度も見た真っ黒な車両が頭の中に浮かぶ、
「いや、でも
そこまで言って気付いた。
「ええ、どうやら彼らはこれまで
「でも、それならとりあえず事態は解決されたって事?」
「いいえ、残念ながら解決していません。それどころか悪化しつつあります。
「僕達に?」
口にしながら、とても嫌な予感がした。
「はい、人形の命令を書き換えた時、同時に
その言葉を受けて人差し指に
「あの人形達は
「
「いえ、それは違います」
「違う?ならなんで?」
「現在の
その
もしもクスィに出会う前なら嘘だと思っただろう。けれど今は信じざる
「どうしたら……そうだ、あの人形にしたみたいに他の人形も命令を書き換えたら」
「現状では個別に行う必要があり現実的ではありません。
「そんな
叫ぶようにクスィの言葉を否定する。いくら何でも
「まって、
口にして、それが
「残念ですが、恐らく
「でも、可能性は
クスィの考えが正しかったとしても、その選択肢を
「確かに可能性は
私の言葉を信じてもらえないという事はつまり、私を破壊すれば
彼らが現状に対する正しい理解を得ていなかった場合、私達は単に
「
たじろいで後ずさりした分だけ
「このままでは街に被害が出ます。人的な犠牲さえ
「……それでも、僕はクスィを壊す命令なんかしたくない」
発した声は、クスィが語る現状の認識なんかじゃなく、クスィに
「
「
そう
「それに言いましたね。記録を失っている事で私が例外的な存在になっている可能性があると、あれはやはり正しかった」
身じろぎ一つできなくなった僕にクスィは
「現在の私に影響を与える事はありませんでしたが、今でも人形の
それを聞いてクスィが
「今も私の
此方をまっすぐに見つめているクスィの言葉が酷く
何度も見る悪夢の
「命令する事が出来ないのなら、これで……」
急に引かれた手。それを
折れ曲がっていたクスィの右腕もいつのまにか直っていて、両手で固定された銃口がその胸へ押し当てられている。
自由なのはただ、引き金を引くための人差し指だけ……。
「私は人形。ただの道具です。道具が人に害をなすならば、破壊しなければなりません。そして道具を破壊する事に
優しく
「私が
自分で引き金を引ければよかったのですが、私にはそれができません。だからお願いです。管理者になる時
助ける為に
初めは僕の事を助けてくれたクスィを助けたかっただけだ。あの時
それはきっとクスィの中にもあって、だからクスィはこんなにも
「確かに僕たちのしてきた事が、今の状況を
「それでは」
反論しようとしたクスィの声を
「クスィを壊せば事態は収まるのかもしれない。だけど不完全に終わった封印と続けられてきた採掘がそもそもの原因だったら。ここでクスィを壊しても人形による被害はなくならない。それに眠っている他の予備人形が目覚めたら、それは世界の理想化に向けて動いてしまうんでしょ?もしそんな事に成ったら、それこそもう一度
必死に考えながら言葉を
「確かに人が採掘を続ける以上人形による被害は出るでしょう。けれど私がこのまま活動を続けるよりも問題が大きくなるのは、この国の技術が再起動を可能にしてしまわない限りは数百年は先の話であり、それは十分に避けられる事です。そして崩壊していない
「あり得ないとは言い切れない訳だ」
「それは……そうですが」
「それなら、ここでクスィを壊す事は最善じゃない。さっき
「可能な
「同じ不確定なら、僕はクスィが変わらない事を信じる。
「けれど、もし事態が想定を超えて悪化してしまったら?もし私が狂ってしまったら?その時はどうするのです?」
「その時は僕が、クスィを壊す。クスィが変わってしまった時も、僕が壊す。必ずそうする。だから、それまではどうか……お願いだクスィ」
「どちらかの状況に
じっと僕の目を見ながら口にされた言葉にゆっくりと
「だとしたら……それを、信じるとして……本当にそれでいいのですか?事態の
「解ってる。事態を
「それだけではありません。
「構わない。それで僕が望む事が達成できるかもしれないなら、全部と敵対して世界を救うんだ」
本当は世界なんてどうでもよかった。ただクスィを壊さずに済むのならそれで……。
僕の言葉を聞いて考え込むように目を
「行こう」
返事を待つ事無くその腕を引いた。クスィは何も言わなかったけれど抵抗される事は無かった。