第10話 死に損ない②

文字数 4,661文字

 消灯時間(しょうとうじかん)()ぎ、誰も居なくなった暗い病室。視線で天井にある斑模様(まだらもよう)()う。耳の奥に今も響いているのは「ありがとう」という幻聴。
 気が付いたら此処(ここ)にいて、体中にある痛みと、自分の腕から伸びた点滴(てんてき)用の(くだ)を見て、自分が死ななかった事を知った。
 白衣を着たお医者さんや、制服姿の看護師さんが来て「大丈夫だよ」とか「安心して」とかそんな事を(やさ)し気に言いながら笑いかけてくれたけど、それにどんな顔をしたらいいか分からなくて、ただ何となく(うなず)いて過ごした。
 (くろ)い服を着た女が(おとず)れたのは、部屋に時計がないから正確には分からないけれど、窓の外の景色からたぶん夕方の事だったと思う。
 女は、椅子に座って僕と視線の高さを合わせた後で、まず名刺(めいし)を見せてから、質問を始めた。
 名刺(めいし)に書かれた肩書(かたがき)と質問の内容から僕は女がどういう存在(そんざい)であるかを知って、今回の事が(うたが)われているのだと(さと)った。だからこの部屋には、新しい父さんも弟も、あの人も来ないのだ……。
 あの人が今回の事を事故だったと証言していると知って、僕もそれを肯定(こうてい)した。けれど、女がそれを信じてくれることは無かった。
 もしも信じてくれていたなら、去り際に、僕の未来、その為の力に成りたい。だから本当の事を教えて欲しいとは言わなかっただろう。
 何か思い出したらいつでも連絡して欲しいと言いながら、女が置いていった名刺(めいし)は今もベッド横の机の上にある。
 女は質問の大半をはぐらかした僕に怒る事もせず、ずっと優しい顔をしていた。お医者さんや、看護師さんが僕に向けたのと同じ顔。いつかのあの人が僕に向けてくれたのと同じ顔。

「……未来」

 薄闇(うすやみ)の中で女が言った言葉を口にしてみると、それは酷く滑稽(こっけい)に響いた。
それは少なくとも僕には存在しないものだ。最初からそんなものは僕には無く、それを与えられるべき人達はきっと別にいる。
 弟にとってあの人は間違いなく優しい母親になる。弟の父親は僕とは他人で、あの人は手に入れた生活がまた壊れてしまうんじゃないかと恐ろしくて仕方がなかっただけだ。
 きっと幸せの総量(そうりょう)は決まっていて誰かが(あきら)めないと誰も幸せにはなれない。それならそれは初めから未来の無い僕の役目だった。僕が死んでいれば、みんな幸せになれていた。 
 もしも崖下に生えていた木が僕を受け止めなかったら、もしも左眼を(つぶ)した枝が脳を(つらぬ)いていてくれたら、こんな事にはなっていなかった。
 僕は死んでいるべきだった。死んでいなければならなかった。けれど此処(ここ)で目を覚ました時。咄嗟(とっさ)に良かったと思ってしまった。生きているという落胆(らくたん)が頭の中を埋め尽くす前に、確かにそう思ってしまった。
 なんて(あさ)ましいのだろう。あの人から幸せを奪った僕に、そんな事を思う資格なんてないのに……。
 だからせめて早く手を打たなければならなかった。女が真実(しんじつ)(あば)いてしまう前に、あの人が(うそ)()き続けていられる間に、全てを(ほうむ)って、あの人の望みを叶える。その為に机の上に置いてあった人形を手に取った。
 転落(てんらく)した時にポケットに入れていたヒーローの人形。唯一残った僕の持ち物。これで(えだ)がしてくれなかった事をする。ヒーローが高く(かか)げた(つるぎ)はそれをするのに十分なものに思える。これを無くなった左目に突き立てて脳まで届かせる事が出来たなら、きっと全てが上手くいく……。
 そう思っているのに人形の(かか)げる(つるぎ)を包帯で(おお)われた左目にあてがった所で手は止まってしまった。
 何故だか(あふ)れ始めた涙が落ちてシーツを()らしていく。僕が死ねば皆幸せになれると分かっているのに、僕は死ななきゃならないのに、この腕を止めてしまう感情が消えてくれない。
 押し殺せなくなった嗚咽(おえつ)が室内に(ひび)く。助けて欲しかった。でもそんなものが(おとず)れない事は知っていて、だから(ふる)える手に力を込めた。
 ヒーローが僕を救って、あの人を、皆を幸せにしてくれる。何も恐れる必要はないのだと言い聞かせる。
 そうだ。そうしてくれる(はず)だ。ヒーローは人々を救う為に戦い。そして(かなら)ず勝つのだから。
 決意を(かた)めようやく剣を突き刺そうとした瞬間(しゅんかん)、引き戸の車輪が転がる音を聞いた。驚いて手放してしまった人形がベッドの下に消える。
 自分がしようとしていた事を(とが)められたくなくて、眠っているふりをする(ため)に身を(ちぢ)こまらせ、嗚咽(おえつ)()れないように口を(かた)(むす)んだ。
 (うす)く開けた目を動かすと(にじ)んだ視界の中には想像と違う小さな人影が(うつ)っていて、それは軽い足音と共に近くまでやって来るとしゃがみこんで消えた。
 一瞬後、立ち上がった影が僕を(のぞ)き込んだからその正体が十歳ぐらいの女の子だったと分かった。持ち上げられた手が此方(こちら)に何かを差し出している。

「落としたよ?」

 (ひび)いたのは()んだ声。深夜の病室に似つかわしくないその姿に恐ろしさは消えていて、でも嗚咽(おえつ)()れそうだったからお礼も言う事が出来ず。ただ(うなづ)いて、差し出された人形を受け取った。

「痛いの?」

 隠そうとしたのに、上手くいかなかったのだろう。女の子の顔が心配そうに(かし)げられる。

「……そんな、こと、無いよ」

 (かろ)うじて吐き出した言葉はやはり嗚咽(おえつ)が交じっていて、取り(つくろ)う為の笑顔を見せる事もできなかった。
 だから顔を(そむ)けると、動作したベッドが上体を持ち上げ始め、(わず)かに(きし)んだ。その音に視線を向けるとベッドに()い上がった女の子がこちらに向けて両手を伸ばしていて、そのまま僕の頭を()いた。
 押し当てられた(うす)い胸から規則正しい鼓動(こどう)の音が伝わる。

「大丈夫だよ。おじいちゃんがきっとなおしてくれるから」

 小さな手が僕の頭を優しく()でる。

「死んじゃったお父さんとお母さんはなおせなかったけど、あなたは生きてるから、大丈夫」

 (やさ)しい声と(ぬく)もりに、()えていた涙と嗚咽(おえつ)(あふ)れ、けれどそれが女の子の服を汚してしまっている事に気付いて慌てて身体を離すと、女の子は不安そうな顔をした。

「嫌だった?私が泣いてたとき、お母さんはよくこうしてくれたから」

「君の服が、汚れちゃうから」

「そんな事気にしないで、泣きたい時は思いっきり泣いた方がいいって、お母さんが言ってた」

 そう言って女の子は表情を和らげた。

「そう、だね。でも、僕はそういうわけにもいかないんだ」

 涙を拭いながらそう言うと、女の子は良く分からないという顔をした。

「どうして?」

「……君よりも、大きいからね」

 自分は生きていちゃいけない存在で、そんな資格が無いからだとは言えず、代わりになんとなくもっともらしい言い(わけ)を口にする。

「私よりも大きいと泣いちゃいけないの?」

「僕の、場合はね。でも大丈夫。君のおかげで涙は止まったから。ありがとう」

 笑みを作る事はできなかったけど、涙を止める事はできた。包帯で(おお)われていない僕の右目をしっかりと確認してから「なら、良かった」と女の子は微笑(ほほえ)んだ。

 (はな)をすすりながら、ずっと気になっていた事を聞く。

「君はどうしてこんな時間に此処にいるの?」

「あー、それはね。おじいちゃんに連れられて、

、した時はたまにこうやって抜け出して散歩してるんだけど、秘密なの。怒られちゃうから、だから、誰にも言わないでね」

 女の子のおじいちゃんはお医者さんか何かなのだろうか?いまいち事情は分からなかったけれど、不安そうな顔に真剣な表情で(うなず)くと、笑顔を見せた女の子が僕の小指に自分の小指を(から)めた。

「約束」

 そう言いながら大きく()られた指が離され、それから女の子はベッドから()ねるように降りると窓まで()けていって()められていたカーテンを開け放った。
 一気に開かれたそこには今まで見た事も無い(ほど)光点(こうてん)

綺麗(きれい)でしょ?この病院からは星が良く見える事にさっき気付いたんだ」

 振り返った女の子が星空を背景にして、自慢(じまん)げに胸を張った。()れた髪が(わず)かな光を反射して(きら)めき、体の動きに追随(ついずい)して(ひるがえ)った服が星明りを透過(とうか)してまるで羽衣(はごろも)のように見える。

「あれ?もしかして知ってた?」

 その姿に見惚(みと)れ、言葉を返せなかった僕を見て女の子はガッカリしたような顔をした。

「いや、初めて知ったよ。綺麗(きれい)だ。うん。本当に……少し驚いてしまって」

 取り(つくろ)うように言った答えを聞いて、女の子は笑った。

「やっと少し笑ってくれた。そのほうがいい」

 そう言われて、自分がいま(わず)かでも笑えていることを知った。けれど、笑顔で()け寄ってくる女の子を見ながら一度は止まった(はず)の涙がまた(あふ)れてくるのを(おさ)えることができなかった。

「やっぱりどこか痛いの?」

 女の子の表情はころころと変わる。

「……違うよ。これは嬉しくて泣いてるんだ。綺麗(きれい)な星空を君が見せてくれたから」

 咄嗟(とっさ)にそう言ったけれど、星空では無く彼女を見て泣いていた。その(ぬく)もりと(やさ)しさが、星よりもずっと(かがや)いて見えた。

「そっか、じゃあ良い涙だね。あの星とおんなじ綺麗(きれい)な涙」

 嬉しそうにそう言うと女の子は再びベッドに上ってきた。追いやられるように横にずれた僕の隣に女の子が座る。その小さな肩が触れるのを感じながら一緒に星を(なが)め、話をした。

◆◆◆

 目を開けて、見ていた記憶を(なつ)かしく思った。あの頃よりもずっと大きくなった紫依華(しいか)はまだ俺を()いていて、その寝息を聞いて身を起こすのを(あきら)める。
 (つた)わる(ぬく)もり。あの日、(まぼろし)かと思った紫依華(しいか)は確かに存在していて、その祖父である博士に出会った。
 人形義躯(にんぎょうぎく)の実験へ協力する見返りに博士はあれを本当に事故にしてくれて、記録上死んだ事になった俺に自らの養子という新しい身分もくれた。(とく)しかない取引。
 関係上、紫依華(しいか)(めい)という事になったけれど「(にい)さんって呼んでもいい?」と聞かれてそれを受け入れた。
 そもそも紫依華(しいか)は、僕が家族になると知っていて、あの日どんな人かを確かめに来たらしい。
 初めて会った時からどこか浮世離(うきよばな)れしているように感じた紫依華(しいか)は本当にそういう存在で、生まれ持った高すぎる知性(ちせい)ゆえの孤独(こどく)(かか)えていた。
 交通事故で両親を失ってからその傾向(けいこう)は加速したと博士は(うれ)いていた。きっと両親の存在が紫依華(しいか)と社会を(つな)(くさび)だったのだろう。
 紫依華(しいか)を引き取った博士は同世代の子達と上手く馴染(なじ)む事が出来ないそんな紫依華(しいか)の事を(あん)じていて、だから俺の事を知った時、研究の為だけではなく俺が紫依華(しいか)の力になってくれればとも思ったらしい。その期待に今(こた)えられているかどうかは分からない。
 博士が予想していたように優れた人形技術(にんぎょうぎじゅつ)の研究者になった紫依華(しいか)と、博士みたいに議論を()わす事は俺にはできないし、初めて会った時から支えてもらってばかりな気がする。
 まず命を助けられて、久那戸(くなと)という名前も(もら)った。あの人がくれた名前を持っていてはいけないと思って、けれど博士はネーミングセンスがないからと名付けてくれなかったから……。
 眉間(みけん)にしわを寄せるぐらい真剣に考えてから提案(ていあん)された久那戸(くなと)という名前を聞いて、紫依華(しいか)のネーミングセンスは博士(ゆず)りのものだと思ったけれど、その由来が(わざわ)いを退(しりぞ)ける神様の名前だと博士に教えてもらった時に、紫依華(しいか)が見せなかった悲しみに()れたような気がした。
 だからそれを知った時、(あこが)れたヒーローのような存在になるのと同時に、なにより紫依華(しいか)から(わざわ)いを(はら)いのける存在になろうと(ちか)ったのだ。どちらもとても実現できているとは言えないけれど……。
 (なさ)けなさから溜息(ためいき)をつきながら視線を動かすと、閉じられたカーテンの隙間(すきま)から薄明かりが差し込んでいるのに気付いて、思い出に(ひた)るのを止めた。
 けれど、紫依華(しいか)はまだ起きそうになかったから、自然に目を覚ますまでじっとしている事にした。
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