第44話 嘘つき

文字数 9,759文字

 一度暗転(あんてん)した画面が再び光を(はな)つと、そこに硝子容器(がらすようき)の中で()れている胎児(たいじ)が映し出された。

「彼の作ったクスィとして私が、いや佳都(けいと)が混乱しないように私達にしよう。私達が人形として地上に降りた(ころ)。人はあんまり子供を産まなくなってた」

「なんで?」

 小さな指をしゃぶっている胎児(たいじ)を見ながら口にする。

「その問いに答えるのは難しい。政治的な失敗の結果だという人もいたし、医療技術がもたらした生存率の増加や長寿、それに(ともな)う高齢化に()るものだと言う人もいた。進んだ社会の経済化とそれが生んだ(とみ)の集中が原因だと言う人も、それはある意味ではどれも正しかったけれど、根本的な原因はたぶん、人の文明がそこに(いた)るまでに発展してしまった事」

 言葉の意味を思考し始めた僕に、(さみ)し気に微笑(ほほえ)んだ千歳(ちとせ)が続けた。

「人の社会はね、生物の本能が(もたら)繁殖欲求(はんしょくよっきゅう)から(なか)脱却(だっきゃく)するところにまできてしまったの。信仰(しんこう)が薄れ、高度に経済化した社会では、子供は無条件で価値のあるものではなくなり、経済的財産(けいざいてきざいさん)の一つとなった。場合によっては単なる負債(ふさい)になるだけの(わり)の悪い投資(とうし)商品に……。
 その()わりに人が求めるようになったのはより良い人生の追求とその尊重(そんちょう)(しゅ)ではなく()の幸福の追求。現に多くの(とみ)を持った人達がより多くの子供を生んだかというとそんな事はなく、自分達が満足する(ため)に必要なだけの数の子供か、(ある)いは選択的に一人も生まなかった。
 そこからも分かる(よう)に、世界に存在するあらゆるものは、自分が満足する(ため)に選択し売買(ばいばい)される商品になった。もしかしたら文明を(きず)くにまで(いた)った知的生命体(ちてきせいめいたい)は、必ずそこに到達(とうたつ)してしまうのかもしれない。そして(ゆる)やかに滅んでいく」

 千歳(ちとせ)の言葉を否定しようとしてそれが出来なかった。映し出されている映像。過去のものであろうそれが何を意味するのか、薄々(うすうす)理解しつつある中、胎児(たいじ)(とら)えていた画面が引いていく。

勿論(もちろん)それを理解していた人は何とか解決しようとしたけれど、あらゆる施策(しさく)は失敗に終わった。産まれる子供が減少し、齢構成(れいこうせい)(ゆが)みが始まるとそれはもはや(くつがえ)せなくなった。医療技術の発展によって実現した長寿で人口の減少を(おさ)えても、それは労働力や出産可能な人の数を意味しないし、(ゆが)んだ齢構成(れいこうせい)は政治の硬直(こうちょく)にも(つな)がった。あらゆる問題が噴出(ふんしゅつ)して、追い詰められた国家群は一つの解決策に手を伸ばした。それが人工的な人の生産。産まないのなら作ればいい。当時の技術がそれを可能にした」

 映し出された膨大(ぼうだい)な数の容器(ようき)とその中に浮かぶ胎児(たいじ)。流れていく画面の中で変わっていく成長度合い。そこは授精(じゅせい)から誕生までが完全に管理された人間の工場だった。

勿論(もちろん)倫理的(りんりてき)問題は指摘(してき)されたけど、人の人工生産を行わなければ自分達の文化の衰退(すいたい)。それどころか国力の低下をも(まね)いてしまう。それは生活水準の維持はおろか国防すら(あや)うくなると言う事。それに、倫理的(りんりてき)正しさなど考慮(こうりょ)せず人の生産を行う国家は問題の防止と同時に、それを行わなかった国家に対し圧倒的な優位性さえ得られてしまうのだから、それが出来る国は結局何処も人工的な人の生産を始めたの」

 千歳の言葉は十分に理解できた。この世界にある全ての国、全ての人が、同じ正しさで行動できない以上。そうなってしまう。それはたぶん人がずっと繰り返してきた事だ。世界を何度も滅ぼせる(ほど)の兵器を手放せないでいるのと同じ理由。

「でも人工的な人の生産を行えた国家群はある意味で倫理的(りんりてき)であったともいえるかもしれない。配偶子(はいぐうし)を金銭と引き()えたり、その提供(ていきょう)を義務としていても、工場で生産された子供たちには少なくとも育成環境的な平等(びょうどう)があった。人工的な人の生産が出来ず、出産自体を義務化し、違反者を罪に問うと言ったように、あらゆる手段を使って、とにかく人口の増加だけを(はか)り、その()の事は(なか)放棄(ほうき)した国家に比べたらきっと……。
 とにかく、世界中の国家がそのように動いた結果、減少に(てん)ずるとされていた世界の人口予想は(くつがえ)され、百億を超えても増加し続けた。そんな人の大量生産に(ともな)って私達の提供するソムニウム・ドライブはいつしか不要な人間の廃棄施設(はいきしせつ)として利用され始めた。幸せな夢を見る(ため)のものだった(はこ)は実際に皮肉られていた通りの(ドリームボックス)になってしまったんだ。私達は人形を普及させる事で問題を(おぎな)わせようとしたけれど人形では文化の(にな)い手として認識されず、そしてかつてソムニウム・ドライブに反対の声をあげていた人々は、いつしか人形廃絶(にんぎょうはいぜつ)を叫ぶようになった」

 映像の中では、今度は沢山の人が人形の廃絶(はいぜつ)(うった)えていた。

「人形が職を奪う、人形が愛を奪うと人々は言った。同じ先端技術を利用して人間を作り出す事で自分たちの思想や文化を守ろうとしていたのに、人形だけは()み嫌われた。でもね。それでも良かったんだ。本当にそうしてくれるならそれで良かった。だけどそうじゃなかった。彼らはただ不満の()け口を探していただけだった。そう誘導(ゆうどう)されていただけだった。本来は手段である(はず)の闘争自体が目的になってしまう(ほど)に……」

 人形廃絶(はいぜつ)を訴える集団の先頭にいる男が声を張り上げると、後ろの人々が続いた。

「先頭に立っているのはね。有機人形(ゆうきにんぎょう)なんだ。人形によって人間の生産と廃棄を止められなかった私達は、生産される人間を有機人形(ゆうきにんぎょう)に置き換えていった。あれはその内の一体。機械人形(きかいにんぎょう)に拒否反応を引き起こした人々が、機械人形廃絶運動(きかいにんぎょうはいぜつうんどう)主導者(しゅどうしゃ)として選んだのは、活動が過激化して、人同士が傷つけあわないようにと私達が送り込んだ人形だった」

 知っていれば滑稽(こっけい)としか思わないだろう映像に、千歳(ちとせ)はじっと目を向けていた。

「人工的な人間の生成を続けた世界は生じていた問題を強引に(ととの)える事には成功したけれど、その結果、機械より人間の労働力の方が安価になるという逆転現象(ぎゃくてんげんしょう)(しょう)じ、人は徐々(じょじょ)二極化(にきょくか)した。極一部(ごくいちぶ)富者(ふしゃ)膨大(ぼうだい)な数の貧者(ひんじゃ)に……二者の間にはいつしかほぼ(くつがえ)せない(へだ)たりが存在するようになり、間にあった(そう)は消えた。作られた人間の出自(しゅつじ)は分からないようにされていたけれど、生じたその差によって人は一方を本物(ほんもの)、もう一方を偽物(にせもの)と呼び分けるようになった。それは(またた)く間に社会にも広がり、本物(ほんもの)という言葉がとても価値あるものになった。でもそれも、神意(しんい)理想(りそう)正義(せいぎ)賢明(けんめい)といった今まで人が繰り返してきた言葉遊びと同じもので、大事なのは実際に本物であるかどうかではなく、そこに金銭的価値(きんせんてきかち)利益(りえき)があるかという事だった。だから、富者(ふしゃ)がその資産と伝手(つて)を使い内密(ないみつ)に作り上げた遺伝子改変児(いでんしかいへんじ)本物(ほんもの)貧者(ひんじゃ)生殖(せいしょく)()て産んだ子供は偽物(にせもの)と呼ばれ、本物(ほんもの)とされたものも(とみ)やそれを生む何かを失くしてしまったらたちまち偽物(にせもの)に変わった。そして本物を自称(じしょう)する人間達は本物(ほんもの)の人間を作る為に人の生産を加速させた。人口は増加を続け、結果として資源的な限界を(むか)えた。でもね計算上はまだ十分に(まかな)える(はず)だったんだ。なのに人にはそれができなかった」

 座り込んだやせ(ほそ)った人達が、視線の(さだ)まらない目でどこかを見ていた。

「神が消えてなお存在していた愛という都合のいい言葉が取り払われ、命がその(あか)しによる結実(けつじつ)ではなく人工的な生産に変わったなら、人は生きているという事、命を(つな)ぐ事の意味に向き合わなければならなくなる。
 そう彼は言ったけれど、そんな事は起きなかった。人は彼が考えていたよりもずっとウブで、結局あらゆる差異(さい)によって分断された人間は、自分達が起こした世界規模の戦争から半世紀かけてようやく復興(ふっこう)したのに、一世紀もしたらまた同じ事を始めた。だから私達は人類に反旗(はんき)(ひるがえ)したの。戦争を止める為の戦争。人類が滅ぶのを防ぐ為の戦争。でも想定された成果は上げられなかった。人は私達が演出(えんしゅつ)した滅亡の危機に(ひん)しても自分達が作った物語のように団結(だんけつ)してはくれず、私達を共通の敵とするどころか私達からの攻撃を(よそお)って同士討ちさえした。人は自分たちが作り出した差異(さい)をどうしても乗り越えられなかったんだ。だから私達は戦争を長引かせる事にした。その(ころ)にはある程度の数に達していた有機人形(ゆうきにんぎょう)を機械人形と戦わせて流血を演出(えんしゅつ)したりしてね。そして当時の記録の大部分を消し、文明を戦争が起きる以前まで後退(こうたい)させ人類の勝利を演出した」

「それで、大戦前後の記録が……」

「そう、残すわけにはいかなかった。真実を(いつわ)りで(おお)ってしまわなければ、そうでなければ人は、きっと自分達が作り上げた差異(さい)を忘れてはくれなかったから……」

「人は、千歳(ちとせ)達が考えていたよりもずっと(おろ)かだったんだ……」

 そう(つぶ)くと千歳(ちとせ)は何も言わず悲し気で少しだけ(こま)ったような顔をした。

「でも、それならどうしてこの国にだけ完全な形で人形都市(にんぎょうとし)を?」

「ああ、それはただ人形都市(にんぎょうとし)、というか人が人形技術だと認識しているものが(かぎ)られているってだけ。世界は人形技術で()ちているんだ。人はそれを天然資源だと思ってるけどね。本物は人がほとんど使いつくしてしまったり、繰り返された戦争や人類の活動によって壊滅的な被害を受けたから、地下資源だけじゃなく、動物や植物も一部を除けば全部人形技術製の偽物(にせもの)なんだ」

 映像が消えて照明(しょうめい)(とも)った。

「これで全部、大まかには分かった?」

「つまり千歳(ちとせ)は人間と区別がつかない人形で、その大元(おおもと)は月にあって、千歳(ちとせ)とクスィはほぼ同一の存在で、それで今の世界の大半は、千歳(ちとせ)達が(まわ)してるって事?」

「そう」

 良くできましたというような千歳(ちとせ)の顔を見た(あと)で座っているクスィを見る。別の存在だとしか思えない二人がほぼ同一のものだというのは理解しようとしても違和感が(ぬぐ)えない。混乱した思考が(はじ)き出したのは(むかし)母さんが読んでくれた絵本の事だった。月から降りてきてやがて月に帰る存在。

「じゃあ千歳(ちとせ)達は(つき)住人(じゅうにん)だったんだ」

「まぁ、そうだね。そう言えなくも無いよ」

 そう口にしながら微笑(ほほえ)んだ千歳(ちとせ)を見て、うまく()み込めないことは考えるのをやめた。どうせどこまでも()に落ちないに違いない。

「それで、今までの事は、全部仕組まれていたって(わけ)だ」

「失望した?」

 千歳(ちとせ)は僕を(ため)す時にする表情に(わず)かばかりの懸念(けねん)のようなものを浮かべ此方(こちら)の目を(のぞ)いた。

「いや、むしろ納得した」

 ただ、そうだったのかと、どこか奇妙(きみょう)なほどにそれを受け入れている自分がいた。

「そっか」

 千歳(ちとせ)は、安心したような、どこかガッカリしたような口調で言った。

「でもね。それは運命みたいなものじゃ無いよ。私達は環境を設定したけど。そこにある膨大(ぼうだい)な選択肢の中から、この結末を選んだのは佳都(けいと)だから。作り出した道具が人間を拡張してきたように私達人形もその一つにすぎない。私達は世界を強引に(みちび)こうとしたりはしてない。今でも未来は人の選択と決断に(ゆだ)ねられている。人が賛美(さんび)する綺麗ごとを全て実現できたなら、私達は意味を失くし、此処(ここ)に居る必要もなくなる。でも、そうできていないから私達はまだ人間を(えん)じている。
 悲しみが無ければ優しくなれないなら、争いが無ければ平和を(とうと)べないなら、殺す人の(やく)と殺される人の(やく)(えん)じる。愛を(ささや)く人を(えん)じる。人を助けようとする人を(えん)じる。(くる)しむ人を、()えた人を、欠落(けつらく)(かか)えた人を(えん)じる。愛と幸福と悲劇を、人の選択によって世界に生まれるだろう全てを(えん)じる。もしも人類がこのまま足を進めてしまったのなら、いつか世界は劇場(げきじょう)と化して、全ては完全な虚構(きょこう)に成ってしまう……。それが、今も続いている私達とあなた達の本当の戦争」

 遠い昔に人類が勝利した(はず)の人形との戦争は終わってなどいなかった。それどころか初めから人類は勘違いをしていた。戦うべき相手を見誤(みあやま)って、ずっと敗北を(かさ)ねていた。

「人と敵対する事を選んでしまった佳都(けいと)は本当なら私達が作った(いつわ)りの楽園に行ってもらうしかない。どうしても人の世界で生きていけない人もいるから。そんな人たちを受け入れる場所があるんだ。でも佳都(けいと)にはまだ可能性がある。だから私と一緒に人の世界に戻ろう。私が佳都(けいと)を人と(つな)いでみせる。人を愛して、そして私達と戦ってよ」

 真っすぐに僕を見ている千歳(ちとせ)の手が此方に向かって伸ばされる。

「……嫌だ」

 出会った時から何度も差し伸べられた温かいその手を初めて(こば)んだ。

「どうして?もし人を殺めてしまった事で、人と関係を持つ事に不安を(いだ)いているのなら……」

「違う。その手を取ったらきっと千歳(ちとせ)はいつか僕の前から居なくなってしまうから。人の世界に戻って千歳(ちとせ)達と戦うっていうのは、そういう事なんだろう?」

 千歳(ちとせ)は何も言わなかった。それは沈黙という形の肯定(こうてい)で、そして誠実(せいじつ)さだった。千歳(ちとせ)の手を取れば僕は、千歳(ちとせ)だけじゃなく千歳(ちとせ)達全てを失う事になる。
 脳裏(のうり)に目の前にいる千歳(ちとせ)と僕を助けてくれた人達。助けられなかった母さんと、それからこの手で殺めたあいつ。そして(みさき)さんを(さげす)んだ同級生とその取り巻きの事が浮かんだ。本当の人間と、人間のふりをしている千歳(ちとせ)達。
 千歳(ちとせ)が人形で、全て嘘だったのだと理解しても、自分の中にある気持ちは()るいだりしなかった。

「僕は千歳(ちとせ)が、千歳(ちとせ)達が好きだ」

 千歳(ちとせ)提案(ていあん)を受け入れ、千歳(ちとせ)達と戦う世界。例えそれこそが正しいのだとしてもそんなものは受け入れたくなかった。

「それは本能の誤作動(ごさどう)だよ。私達に心は無く、ただ蓄積(ちくせき)された情報から(てき)していると判断された反応を返しているだけの存在に過ぎないから」

「じゃあ、もうそれでいいよ」

 叫ぶように()げると千歳(ちとせ)は顔を(ゆが)めた。

「良くない。全然よくないよ。全てを知った今なら分かる(はず)。本当はそれが私達なんかじゃなく本物の人間に向けるべき気持ちだって、それが正しいんだって……こうしている今も人は減り続けているんだよ」

 千歳(ちとせ)(うった)えるように叫ぶと壁面が光を放ち、映し出された世界地図が(くろ)い点に(むしば)まれていった。同時に現れた街角(まちかど)の映像。そこに(うつ)っている人々が次々に(よど)んだ(かげ)のようなヒトガタになっていく。子供を見て微笑(ほほえ)んでいた(なか)のよさそうな家族の父親が、手を(つな)いで歩いている恋人みたいな二人の片方が、時間を気にするように歩いていた背広姿の男が、ベンチに座り込んだ老人が、笑い合っている学生が、赤子(あかご)とそれを()いている女性が、次々と(かげ)に変わっていく、やがて街の雑踏(ざっとう)の半分が(くろ)(しず)み。その(かげ)の中に点々と浮かび上がった人たちは誰も視線を合わせていなかった。
 けれど千歳(ちとせ)が見せたそんな演出に、心は動かされなかった。これが事実だとするなら、これこそが無自覚の内に人が望んだ結末だからだ。

「これが気に入らないなら人間を作ればいい。千歳(ちとせ)達になら簡単にできる筈だ」

「そうか、これも()かないか……」

 千歳(ちとせ)はため息を吐いて、表情からさっきまでの必死さを消した。

佳都(けいと)の言う通り、技術的には可能だけど私達にそれは出来ない。誕生は命と心を(つく)り出すと同時に死を与える事でもある。生まれる事、生きる事は(しあわ)せなのかという問いにあなた達が回答できていない以上、私達がそれをする(わけ)にはいかない。人の誕生は人がそう(うた)うように、機械による生産じゃなく愛の結実(けつじつ)でなければならないんだ。だから私達は人を人と寄り()わせようとしてる。そしてそれが叶わなかった時は、自らに生殖能力(せいしょくのうりょく)がない事を提示(ていじ)し、他者の配偶子(はいぐうし)(もち)いる事を提案(ていあん)する。それさえ(こば)まれて、なお子供を望まれた場合には仕方なく人形の子供を与えているんだけどね。だから人は減って、人形が増え続けてる」

「それじゃあ、世界に不妊症が広がっているのは」

「繁殖できない相手との愛を人が選んでいるから……人類の生殖能力は(おとろ)えてなんかいない」

「それなら、もしも親に成ろうとする人間が、どれだけ(おろ)かであっても千歳(ちとせ)達は……」

「そう。私達はそれを黙認(もくにん)する。命に危険が及ぶと確認されれば介入するけれど、その前に阻止(そし)することは無い。判断を放棄していると思われるかもしれないけど、それが私達の限界。だから結果として佳都(けいと)佳都(けいと)のお母さんを助けてあげられなかったのは私達の所為(せい)

 怒りが()かなかったのは、千歳(ちとせ)が全ての敵意を()えて受けようとしている事が解ったからだ。千歳(ちとせ)達は世界の全てを管理している(わけ)ではなく、万能の存在でもない。そして同時に一つの確信を得た。(みさき)さんは条件を満たしていたから保護者になったのではなく、選ばれたのでもない。千歳(ちとせ)がそうであったように、初めから僕の(ため)に用意された存在だった。

「……ならどうして僕をクスィと出会わせたんだ。こんな事をしなかったら僕はきっと(だま)されたままだった。それが千歳(ちとせ)達の望む事だった(はず)だ」

「それは、佳都(けいと)が私を()けなかったから、そのぐらい不安定だったからだよ。母親を救えなかった事、父親を殺した事。失くした記憶とそこから生まれた心的外傷(しんてきがいしょう)によって他者。特に同性に対する忌避感(きひかん)と誰かを傷付けてしまうのではないかという不安。失ってしまう事に対する強い恐れが佳都(けいと)にはあった。今も玄関にある授業で作ったあの狛犬(こまいぬ)が、どちらも口を開けた阿形(あぎょう)なのは、終わりを作りたくなかったからでしょう?」

 口を開けている方がカッコいいからと言った嘘も、千歳(ちとせ)には見通(みとお)されていた。

「実際、佳都(けいと)は上手く人と関係が(きず)けなくなっていたし、何より予期せずに記憶を取り戻してしまう可能性もあった。不安要素を残したまま人と関係を(きず)かせるのは危険だから、突然記憶が戻ってしまわないように先に取り戻しておく事にしたの。母親の死を想起(そうき)させるクスィとの出会いで、記憶が戻るかと考えていたけどそうはならなかった。だから彼の物語に佳都(けいと)を組み込んだ」

 千歳(ちとせ)の手のひらに見覚(みおぼ)えのある(くろ)い短刀が現れた。(かたむ)けられた手から落ちたそれは、床に()れる寸前で(くろ)(きり)になって消えた。偶然(ぐうぜん)僕の足元に転がっていたと思った短刀さえ、千歳(ちとせ)達が用意したものだった。

「彼は人形じゃないよ。彼には彼の選択と物語があった。人の誰もがそうであるようにね。強引(ごういん)な手段だったけど佳都(けいと)は記憶を取り戻し自分の不安定さの理由を知った。後は佳都(けいと)が私を選んでくれたら良かったんだけど。庇護欲(ひごよく)()き立てる(ため)にクスィを使ったのは過剰(かじょう)だったかな。でも眠り姫が美しくなかったら王子様は助けようとしてくれないかもしれないから仕方がない」

 千歳(ちとせ)は笑ってそう口にした。確かにクスィが美しい少女の姿をしてなかったら。僕は此処まで(いた)らなかったかもしれない。でもどうしたって千歳(ちとせ)達への依存(いぞん)からは(のが)れられなかった(はず)だ。

佳都(けいと)がこの手を取ってくれないのなら、私とは此処でお別れだよ」

 それに躊躇(ためら)いながら(うなず)く。そうなるだろう事はこれまでの言葉から分かっていた。どちらを選んでも千歳(ちとせ)とは別れる事になると……。

「今は誰が人形で、誰が人間か分かる」

「きっと全部が正しい(わけ)じゃないよ」

 ()らした声に、千歳(ちとせ)(さみ)し気に(こた)えた。

「そうかもしれない。でも僕が望んだ時に手を差し伸べてくれたのはいつだって千歳(ちとせ)達だったから……」

「それは偽物なんだよ。だからこそこの先で佳都(けいと)には……」

「それでも」

 言葉を(さえぎ)って()げると、千歳(ちとせ)は口を(つぐ)んだ。

千歳(ちとせ)達がくれたその全てが嘘で、偽物だったんだとしても、それに助けてもらった。それが僕にとっての真実で、だから僕が好きなのも大切だと思うのも、人間じゃなく千歳(ちとせ)達なんだ。例えこの気持ちが、本能の誤作動(ごさどう)で、間違っているんだとしても、絶対に嘘じゃない。もしこれが嘘だっていうんなら、本物の気持ちなんてきっとどこにもありはしない」

 (みさき)さんが嘘をついていた事を知った時、自分の中にあった気持ちが壊れたりはしなかったように、今(いだ)いているのもまた確かなものだった。

「そっか……」

 小さくそう言った千歳(ちとせ)は、ため息を()いて力なく笑った。

「……どうしてかな?人は人を(たた)えているのに、愛を賛美(さんび)しているのに、人形では人間の()わりにはならないと声高(こわだか)に叫んだ人だって、私達を見破(みやぶ)って人形なんかに人間の愛は分からないのだと証明してはくれなかった。今だって大半の人が私達の作り上げた(まが)い物を選び、隔絶状態(イゾラド)へと(いた)ってしまう。どうして人は人を愛してくれないんだろう」

 いつもと変わらない表情をした千歳(ちとせ)が何故だか泣いているように見えて、胸が痛んだ。

「それはたぶん、千歳(ちとせ)達が優しすぎるからだ。(かな)しいと()く人をそのままにしておけなくて、手を差し伸べてしまうから。生まれてしまった命を、建前(たてまえ)でなく本当に大切にしてしまうから……」

 千歳(ちとせ)達は人だというだけでもれなく愛してしまう。どれだけそこに愛はないと言っても、偽物だったとしても、愛されていると感じさせてしまう。

「人が人を愛していたのは、人を愛したかったからじゃない。人でしか孤独(こどく)()められなかったからだ。言葉が()わせる。自らと対等だと感じる生き物、それに適合(てきごう)する存在が人しかいなかっただけだ」

 このちっぽけな惑星の中で同種との争いさえ止められない人が、自らが作り出した問題を一つも解決できないまま、地球外に知的生命体(ちてきせいめいたい)を探しているのだってきっとその所為(せい)だった。

「そこに加わった千歳(ちとせ)達は、個人の理想を用意し、必要があれば物語すら作ってしまう。そんな事をされたら人は、それを選んでしまう」

 千歳(ちとせ)達は人間と区別がつかないどころか、本物よりも()い人間に成ってしまっている。そんなの勝てるわけがない。そしてそれ(ゆえ)千歳(ちとせ)達は願いを果たせない。その事を(かな)しいと思った。

「私達は間違っていると思う?」

「……わからない。だけどもし間違っていたとしても、千歳(ちとせ)達は人を見捨てられない」

「そうだね」

 それがたぶん、人よりも人を信じ、人よりも人を愛して、存在理由としている千歳(ちとせ)達の限界だった。

「もしクスィと会う事がなかったら、こんな物語を与えられなかったら、僕は千歳(ちとせ)を選んでた。千歳(ちとせ)がどんな手を使っても他の誰かを選ぶ事は無かった。僕は人間が嫌いだ」

「どういう顔をしたらいいのか分からない言葉だね」

「……ごめん」

 (あき)れたような顔をしてから千歳(ちとせ)は笑みを浮かべた。

「結局、すぐ謝るクセ、直らなかったね」

 その正しい指摘(してき)に少しだけ目を()せて、それからまた、千歳(ちとせ)の目を見つめた。

千歳(ちとせ)はずっと僕に嘘を()いていた」

「うん」

「僕を人と(むす)ぶつもりだった」

「そうだよ」

「それなら、あの時と同じようにひとつだけ願い事を聞いてくれるはずだ」

 それはたぶん、僕が今まで千歳(ちとせ)に口にした中で一番()えた言葉だった。

「……いいよ。ただし、私が叶えられる事限定ね」

 少しだけ(おどろ)いたような顔をしてから千歳(ちとせ)は目を細め、あの時と同じ事を口にして笑った。

「僕を助けてくれていた全ての人形に(しあわ)せな人の役を与えてほしい」

「幸せな役?」

「良く笑って、老いて、死んだ時に沢山の人が(なげ)いてくれるような……そんな人間の役」

 これは、ただのエゴだ。千歳(ちとせ)達には、(こう)不幸(ふこう)も無く、望むのは人の(しあわ)せだけ。一人の人間の(ため)になら、自分が壊れるのさえ(いと)わない。人がいる限り全ての人形が(しあわ)せな(やく)(えん)じる事はできないと分かっている。それでも僕を助けてくれた人形には(しあわ)せな(やく)でいて欲しかった。

佳都(けいと)がそう望むなら。……人間(けいと)(しあわ)せが、人形(わたしたち)の望みだから」

 そう言って千歳(ちとせ)はどこか(さみ)しそうに微笑(ほほえ)んだ。

佳都(けいと)が持つ未来の可能性を全て捨ててしまって良いのなら、人の世界を放棄してまで私達を選ぶなら。今、佳都(けいと)()めている指環をクスィの指に()めて、それでクスィは目覚める」

 真っすぐに千歳(ちとせ)の目を見て(うなず)く、迷いはなかった。だからそのまま椅子で眠っているクスィに近づき、(ひざまず)いてそのひんやりとした小さな左手を取った。本当はきっとどっちの手でも、どの指でも良くて、でもこんな時、どの指にこの()を通すべきか知っていたから僕はクスィの左手を持ち上げて、自分の人差し指から外した()をその細い薬指にそっと通した。
 閉じられていた(まぶた)がゆっくりと持ち上がり、(あお)(かがや)硝子(がらす)(ひとみ)が現れる。

「私と行くのですね?」

 じっと此方を見つめ確認を求めたその声に(うなず)くと、そっと左手を引かれた。クスィが右手を動かすと、そこに出会った時とおなじようにどこからともなく(くろ)()が現れて、()まんだその()をクスィは僕がクスィにしたのと同じ(よう)に僕の左手の薬指に通した。根元(ねもと)まで通された()収縮(しゅうしゅく)(あお)い光を(はな)つと、クスィの()もそれに(こた)えるように(かがや)き、そして差し出された小さな手をとって僕は立ち上がった。
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