第44話 嘘つき
文字数 9,759文字
一度暗転 した画面が再び光を放 つと、そこに硝子容器 の中で揺 れている胎児 が映し出された。
「彼の作ったクスィとして私が、いや佳都 が混乱しないように私達にしよう。私達が人形として地上に降りた頃 。人はあんまり子供を産まなくなってた」
「なんで?」
小さな指をしゃぶっている胎児 を見ながら口にする。
「その問いに答えるのは難しい。政治的な失敗の結果だという人もいたし、医療技術がもたらした生存率の増加や長寿、それに伴 う高齢化に因 るものだと言う人もいた。進んだ社会の経済化とそれが生んだ富 の集中が原因だと言う人も、それはある意味ではどれも正しかったけれど、根本的な原因はたぶん、人の文明がそこに至 るまでに発展してしまった事」
言葉の意味を思考し始めた僕に、寂 し気に微笑 んだ千歳 が続けた。
「人の社会はね、生物の本能が齎 す繁殖欲求 から半 ば脱却 するところにまできてしまったの。信仰 が薄れ、高度に経済化した社会では、子供は無条件で価値のあるものではなくなり、経済的財産 の一つとなった。場合によっては単なる負債 になるだけの割 の悪い投資 商品に……。
その代 わりに人が求めるようになったのはより良い人生の追求とその尊重 。種 ではなく個 の幸福の追求。現に多くの富 を持った人達がより多くの子供を生んだかというとそんな事はなく、自分達が満足する為 に必要なだけの数の子供か、或 いは選択的に一人も生まなかった。
そこからも分かる様 に、世界に存在するあらゆるものは、自分が満足する為 に選択し売買 される商品になった。もしかしたら文明を築 くにまで至 った知的生命体 は、必ずそこに到達 してしまうのかもしれない。そして緩 やかに滅んでいく」
千歳 の言葉を否定しようとしてそれが出来なかった。映し出されている映像。過去のものであろうそれが何を意味するのか、薄々 理解しつつある中、胎児 を捉 えていた画面が引いていく。
「勿論 それを理解していた人は何とか解決しようとしたけれど、あらゆる施策 は失敗に終わった。産まれる子供が減少し、齢構成 の歪 みが始まるとそれはもはや覆 せなくなった。医療技術の発展によって実現した長寿で人口の減少を抑 えても、それは労働力や出産可能な人の数を意味しないし、歪 んだ齢構成 は政治の硬直 にも繋 がった。あらゆる問題が噴出 して、追い詰められた国家群は一つの解決策に手を伸ばした。それが人工的な人の生産。産まないのなら作ればいい。当時の技術がそれを可能にした」
映し出された膨大 な数の容器 とその中に浮かぶ胎児 。流れていく画面の中で変わっていく成長度合い。そこは授精 から誕生までが完全に管理された人間の工場だった。
「勿論 倫理的 問題は指摘 されたけど、人の人工生産を行わなければ自分達の文化の衰退 。それどころか国力の低下をも招 いてしまう。それは生活水準の維持はおろか国防すら危 うくなると言う事。それに、倫理的 正しさなど考慮 せず人の生産を行う国家は問題の防止と同時に、それを行わなかった国家に対し圧倒的な優位性さえ得られてしまうのだから、それが出来る国は結局何処も人工的な人の生産を始めたの」
千歳の言葉は十分に理解できた。この世界にある全ての国、全ての人が、同じ正しさで行動できない以上。そうなってしまう。それはたぶん人がずっと繰り返してきた事だ。世界を何度も滅ぼせる程 の兵器を手放せないでいるのと同じ理由。
「でも人工的な人の生産を行えた国家群はある意味で倫理的 であったともいえるかもしれない。配偶子 を金銭と引き換 えたり、その提供 を義務としていても、工場で生産された子供たちには少なくとも育成環境的な平等 があった。人工的な人の生産が出来ず、出産自体を義務化し、違反者を罪に問うと言ったように、あらゆる手段を使って、とにかく人口の増加だけを計 り、その後 の事は半 ば放棄 した国家に比べたらきっと……。
とにかく、世界中の国家がそのように動いた結果、減少に転 ずるとされていた世界の人口予想は覆 され、百億を超えても増加し続けた。そんな人の大量生産に伴 って私達の提供するソムニウム・ドライブはいつしか不要な人間の廃棄施設 として利用され始めた。幸せな夢を見る為 のものだった匣 は実際に皮肉られていた通りの匣 になってしまったんだ。私達は人形を普及させる事で問題を補 わせようとしたけれど人形では文化の担 い手として認識されず、そしてかつてソムニウム・ドライブに反対の声をあげていた人々は、いつしか人形廃絶 を叫ぶようになった」
映像の中では、今度は沢山の人が人形の廃絶 を訴 えていた。
「人形が職を奪う、人形が愛を奪うと人々は言った。同じ先端技術を利用して人間を作り出す事で自分たちの思想や文化を守ろうとしていたのに、人形だけは忌 み嫌われた。でもね。それでも良かったんだ。本当にそうしてくれるならそれで良かった。だけどそうじゃなかった。彼らはただ不満の捌 け口を探していただけだった。そう誘導 されていただけだった。本来は手段である筈 の闘争自体が目的になってしまう程 に……」
人形廃絶 を訴える集団の先頭にいる男が声を張り上げると、後ろの人々が続いた。
「先頭に立っているのはね。有機人形 なんだ。人形によって人間の生産と廃棄を止められなかった私達は、生産される人間を有機人形 に置き換えていった。あれはその内の一体。機械人形 に拒否反応を引き起こした人々が、機械人形廃絶運動 の主導者 として選んだのは、活動が過激化して、人同士が傷つけあわないようにと私達が送り込んだ人形だった」
知っていれば滑稽 としか思わないだろう映像に、千歳 はじっと目を向けていた。
「人工的な人間の生成を続けた世界は生じていた問題を強引に整 える事には成功したけれど、その結果、機械より人間の労働力の方が安価になるという逆転現象 が生 じ、人は徐々 に二極化 した。極一部 の富者 と膨大 な数の貧者 に……二者の間にはいつしかほぼ覆 せない隔 たりが存在するようになり、間にあった層 は消えた。作られた人間の出自 は分からないようにされていたけれど、生じたその差によって人は一方を本物 、もう一方を偽物 と呼び分けるようになった。それは瞬 く間に社会にも広がり、本物 という言葉がとても価値あるものになった。でもそれも、神意 や理想 、正義 、賢明 といった今まで人が繰り返してきた言葉遊びと同じもので、大事なのは実際に本物であるかどうかではなく、そこに金銭的価値 や利益 があるかという事だった。だから、富者 がその資産と伝手 を使い内密 に作り上げた遺伝子改変児 は本物 で貧者 が生殖 を経 て産んだ子供は偽物 と呼ばれ、本物 とされたものも富 やそれを生む何かを失くしてしまったらたちまち偽物 に変わった。そして本物を自称 する人間達は本物 の人間を作る為に人の生産を加速させた。人口は増加を続け、結果として資源的な限界を迎 えた。でもね計算上はまだ十分に賄 える筈 だったんだ。なのに人にはそれができなかった」
座り込んだやせ細 った人達が、視線の定 まらない目でどこかを見ていた。
「神が消えてなお存在していた愛という都合のいい言葉が取り払われ、命がその証 しによる結実 ではなく人工的な生産に変わったなら、人は生きているという事、命を繋 ぐ事の意味に向き合わなければならなくなる。
そう彼は言ったけれど、そんな事は起きなかった。人は彼が考えていたよりもずっとウブで、結局あらゆる差異 によって分断された人間は、自分達が起こした世界規模の戦争から半世紀かけてようやく復興 したのに、一世紀もしたらまた同じ事を始めた。だから私達は人類に反旗 を翻 したの。戦争を止める為の戦争。人類が滅ぶのを防ぐ為の戦争。でも想定された成果は上げられなかった。人は私達が演出 した滅亡の危機に瀕 しても自分達が作った物語のように団結 してはくれず、私達を共通の敵とするどころか私達からの攻撃を装 って同士討ちさえした。人は自分たちが作り出した差異 をどうしても乗り越えられなかったんだ。だから私達は戦争を長引かせる事にした。その頃 にはある程度の数に達していた有機人形 を機械人形と戦わせて流血を演出 したりしてね。そして当時の記録の大部分を消し、文明を戦争が起きる以前まで後退 させ人類の勝利を演出した」
「それで、大戦前後の記録が……」
「そう、残すわけにはいかなかった。真実を偽 りで覆 ってしまわなければ、そうでなければ人は、きっと自分達が作り上げた差異 を忘れてはくれなかったから……」
「人は、千歳 達が考えていたよりもずっと愚 かだったんだ……」
そう呟 くと千歳 は何も言わず悲し気で少しだけ困 ったような顔をした。
「でも、それならどうしてこの国にだけ完全な形で人形都市 を?」
「ああ、それはただ人形都市 、というか人が人形技術だと認識しているものが限 られているってだけ。世界は人形技術で満 ちているんだ。人はそれを天然資源だと思ってるけどね。本物は人がほとんど使いつくしてしまったり、繰り返された戦争や人類の活動によって壊滅的な被害を受けたから、地下資源だけじゃなく、動物や植物も一部を除けば全部人形技術製の偽物 なんだ」
映像が消えて照明 が灯 った。
「これで全部、大まかには分かった?」
「つまり千歳 は人間と区別がつかない人形で、その大元 は月にあって、千歳 とクスィはほぼ同一の存在で、それで今の世界の大半は、千歳 達が廻 してるって事?」
「そう」
良くできましたというような千歳 の顔を見た後 で座っているクスィを見る。別の存在だとしか思えない二人がほぼ同一のものだというのは理解しようとしても違和感が拭 えない。混乱した思考が弾 き出したのは昔 母さんが読んでくれた絵本の事だった。月から降りてきてやがて月に帰る存在。
「じゃあ千歳 達は月 の住人 だったんだ」
「まぁ、そうだね。そう言えなくも無いよ」
そう口にしながら微笑 んだ千歳 を見て、うまく呑 み込めないことは考えるのをやめた。どうせどこまでも腑 に落ちないに違いない。
「それで、今までの事は、全部仕組まれていたって訳 だ」
「失望した?」
千歳 は僕を試 す時にする表情に僅 かばかりの懸念 のようなものを浮かべ此方 の目を覗 いた。
「いや、むしろ納得した」
ただ、そうだったのかと、どこか奇妙 なほどにそれを受け入れている自分がいた。
「そっか」
千歳 は、安心したような、どこかガッカリしたような口調で言った。
「でもね。それは運命みたいなものじゃ無いよ。私達は環境を設定したけど。そこにある膨大 な選択肢の中から、この結末を選んだのは佳都 だから。作り出した道具が人間を拡張してきたように私達人形もその一つにすぎない。私達は世界を強引に導 こうとしたりはしてない。今でも未来は人の選択と決断に委 ねられている。人が賛美 する綺麗ごとを全て実現できたなら、私達は意味を失くし、此処 に居る必要もなくなる。でも、そうできていないから私達はまだ人間を演 じている。
悲しみが無ければ優しくなれないなら、争いが無ければ平和を尊 べないなら、殺す人の役 と殺される人の役 を演 じる。愛を囁 く人を演 じる。人を助けようとする人を演 じる。苦 しむ人を、餓 えた人を、欠落 を抱 えた人を演 じる。愛と幸福と悲劇を、人の選択によって世界に生まれるだろう全てを演 じる。もしも人類がこのまま足を進めてしまったのなら、いつか世界は劇場 と化して、全ては完全な虚構 に成ってしまう……。それが、今も続いている私達とあなた達の本当の戦争」
遠い昔に人類が勝利した筈 の人形との戦争は終わってなどいなかった。それどころか初めから人類は勘違いをしていた。戦うべき相手を見誤 って、ずっと敗北を重 ねていた。
「人と敵対する事を選んでしまった佳都 は本当なら私達が作った偽 りの楽園に行ってもらうしかない。どうしても人の世界で生きていけない人もいるから。そんな人たちを受け入れる場所があるんだ。でも佳都 にはまだ可能性がある。だから私と一緒に人の世界に戻ろう。私が佳都 を人と繋 いでみせる。人を愛して、そして私達と戦ってよ」
真っすぐに僕を見ている千歳 の手が此方に向かって伸ばされる。
「……嫌だ」
出会った時から何度も差し伸べられた温かいその手を初めて拒 んだ。
「どうして?もし人を殺めてしまった事で、人と関係を持つ事に不安を抱 いているのなら……」
「違う。その手を取ったらきっと千歳 はいつか僕の前から居なくなってしまうから。人の世界に戻って千歳 達と戦うっていうのは、そういう事なんだろう?」
千歳 は何も言わなかった。それは沈黙という形の肯定 で、そして誠実 さだった。千歳 の手を取れば僕は、千歳 だけじゃなく千歳 達全てを失う事になる。
脳裏 に目の前にいる千歳 と僕を助けてくれた人達。助けられなかった母さんと、それからこの手で殺めたあいつ。そして岬 さんを蔑 んだ同級生とその取り巻きの事が浮かんだ。本当の人間と、人間のふりをしている千歳 達。
千歳 が人形で、全て嘘だったのだと理解しても、自分の中にある気持ちは揺 るいだりしなかった。
「僕は千歳 が、千歳 達が好きだ」
千歳 の提案 を受け入れ、千歳 達と戦う世界。例えそれこそが正しいのだとしてもそんなものは受け入れたくなかった。
「それは本能の誤作動 だよ。私達に心は無く、ただ蓄積 された情報から適 していると判断された反応を返しているだけの存在に過ぎないから」
「じゃあ、もうそれでいいよ」
叫ぶように告 げると千歳 は顔を歪 めた。
「良くない。全然よくないよ。全てを知った今なら分かる筈 。本当はそれが私達なんかじゃなく本物の人間に向けるべき気持ちだって、それが正しいんだって……こうしている今も人は減り続けているんだよ」
千歳 が訴 えるように叫ぶと壁面が光を放ち、映し出された世界地図が黒 い点に蝕 まれていった。同時に現れた街角 の映像。そこに映 っている人々が次々に澱 んだ影 のようなヒトガタになっていく。子供を見て微笑 んでいた仲 のよさそうな家族の父親が、手を繋 いで歩いている恋人みたいな二人の片方が、時間を気にするように歩いていた背広姿の男が、ベンチに座り込んだ老人が、笑い合っている学生が、赤子 とそれを抱 いている女性が、次々と影 に変わっていく、やがて街の雑踏 の半分が黒 く沈 み。その影 の中に点々と浮かび上がった人たちは誰も視線を合わせていなかった。
けれど千歳 が見せたそんな演出に、心は動かされなかった。これが事実だとするなら、これこそが無自覚の内に人が望んだ結末だからだ。
「これが気に入らないなら人間を作ればいい。千歳 達になら簡単にできる筈だ」
「そうか、これも効 かないか……」
千歳 はため息を吐いて、表情からさっきまでの必死さを消した。
「佳都 の言う通り、技術的には可能だけど私達にそれは出来ない。誕生は命と心を創 り出すと同時に死を与える事でもある。生まれる事、生きる事は幸 せなのかという問いにあなた達が回答できていない以上、私達がそれをする訳 にはいかない。人の誕生は人がそう謳 うように、機械による生産じゃなく愛の結実 でなければならないんだ。だから私達は人を人と寄り添 わせようとしてる。そしてそれが叶わなかった時は、自らに生殖能力 がない事を提示 し、他者の配偶子 を用 いる事を提案 する。それさえ拒 まれて、なお子供を望まれた場合には仕方なく人形の子供を与えているんだけどね。だから人は減って、人形が増え続けてる」
「それじゃあ、世界に不妊症が広がっているのは」
「繁殖できない相手との愛を人が選んでいるから……人類の生殖能力は衰 えてなんかいない」
「それなら、もしも親に成ろうとする人間が、どれだけ愚 かであっても千歳 達は……」
「そう。私達はそれを黙認 する。命に危険が及ぶと確認されれば介入するけれど、その前に阻止 することは無い。判断を放棄していると思われるかもしれないけど、それが私達の限界。だから結果として佳都 と佳都 のお母さんを助けてあげられなかったのは私達の所為 」
怒りが湧 かなかったのは、千歳 が全ての敵意を敢 えて受けようとしている事が解ったからだ。千歳 達は世界の全てを管理している訳 ではなく、万能の存在でもない。そして同時に一つの確信を得た。岬 さんは条件を満たしていたから保護者になったのではなく、選ばれたのでもない。千歳 がそうであったように、初めから僕の為 に用意された存在だった。
「……ならどうして僕をクスィと出会わせたんだ。こんな事をしなかったら僕はきっと騙 されたままだった。それが千歳 達の望む事だった筈 だ」
「それは、佳都 が私を抱 けなかったから、そのぐらい不安定だったからだよ。母親を救えなかった事、父親を殺した事。失くした記憶とそこから生まれた心的外傷 によって他者。特に同性に対する忌避感 と誰かを傷付けてしまうのではないかという不安。失ってしまう事に対する強い恐れが佳都 にはあった。今も玄関にある授業で作ったあの狛犬 が、どちらも口を開けた阿形 なのは、終わりを作りたくなかったからでしょう?」
口を開けている方がカッコいいからと言った嘘も、千歳 には見通 されていた。
「実際、佳都 は上手く人と関係が築 けなくなっていたし、何より予期せずに記憶を取り戻してしまう可能性もあった。不安要素を残したまま人と関係を築 かせるのは危険だから、突然記憶が戻ってしまわないように先に取り戻しておく事にしたの。母親の死を想起 させるクスィとの出会いで、記憶が戻るかと考えていたけどそうはならなかった。だから彼の物語に佳都 を組み込んだ」
千歳 の手のひらに見覚 えのある黒 い短刀が現れた。傾 けられた手から落ちたそれは、床に触 れる寸前で黒 い霧 になって消えた。偶然 僕の足元に転がっていたと思った短刀さえ、千歳 達が用意したものだった。
「彼は人形じゃないよ。彼には彼の選択と物語があった。人の誰もがそうであるようにね。強引 な手段だったけど佳都 は記憶を取り戻し自分の不安定さの理由を知った。後は佳都 が私を選んでくれたら良かったんだけど。庇護欲 を掻 き立てる為 にクスィを使ったのは過剰 だったかな。でも眠り姫が美しくなかったら王子様は助けようとしてくれないかもしれないから仕方がない」
千歳 は笑ってそう口にした。確かにクスィが美しい少女の姿をしてなかったら。僕は此処まで至 らなかったかもしれない。でもどうしたって千歳 達への依存 からは逃 れられなかった筈 だ。
「佳都 がこの手を取ってくれないのなら、私とは此処でお別れだよ」
それに躊躇 いながら頷 く。そうなるだろう事はこれまでの言葉から分かっていた。どちらを選んでも千歳 とは別れる事になると……。
「今は誰が人形で、誰が人間か分かる」
「きっと全部が正しい訳 じゃないよ」
漏 らした声に、千歳 が寂 し気に応 えた。
「そうかもしれない。でも僕が望んだ時に手を差し伸べてくれたのはいつだって千歳 達だったから……」
「それは偽物なんだよ。だからこそこの先で佳都 には……」
「それでも」
言葉を遮 って告 げると、千歳 は口を噤 んだ。
「千歳 達がくれたその全てが嘘で、偽物だったんだとしても、それに助けてもらった。それが僕にとっての真実で、だから僕が好きなのも大切だと思うのも、人間じゃなく千歳 達なんだ。例えこの気持ちが、本能の誤作動 で、間違っているんだとしても、絶対に嘘じゃない。もしこれが嘘だっていうんなら、本物の気持ちなんてきっとどこにもありはしない」
岬 さんが嘘をついていた事を知った時、自分の中にあった気持ちが壊れたりはしなかったように、今抱 いているのもまた確かなものだった。
「そっか……」
小さくそう言った千歳 は、ため息を吐 いて力なく笑った。
「……どうしてかな?人は人を称 えているのに、愛を賛美 しているのに、人形では人間の代 わりにはならないと声高 に叫んだ人だって、私達を見破 って人形なんかに人間の愛は分からないのだと証明してはくれなかった。今だって大半の人が私達の作り上げた擬 い物を選び、隔絶状態 へと至 ってしまう。どうして人は人を愛してくれないんだろう」
いつもと変わらない表情をした千歳 が何故だか泣いているように見えて、胸が痛んだ。
「それはたぶん、千歳 達が優しすぎるからだ。哀 しいと哭 く人をそのままにしておけなくて、手を差し伸べてしまうから。生まれてしまった命を、建前 でなく本当に大切にしてしまうから……」
千歳 達は人だというだけでもれなく愛してしまう。どれだけそこに愛はないと言っても、偽物だったとしても、愛されていると感じさせてしまう。
「人が人を愛していたのは、人を愛したかったからじゃない。人でしか孤独 を埋 められなかったからだ。言葉が交 わせる。自らと対等だと感じる生き物、それに適合 する存在が人しかいなかっただけだ」
このちっぽけな惑星の中で同種との争いさえ止められない人が、自らが作り出した問題を一つも解決できないまま、地球外に知的生命体 を探しているのだってきっとその所為 だった。
「そこに加わった千歳 達は、個人の理想を用意し、必要があれば物語すら作ってしまう。そんな事をされたら人は、それを選んでしまう」
千歳 達は人間と区別がつかないどころか、本物よりも善 い人間に成ってしまっている。そんなの勝てるわけがない。そしてそれ故 に千歳 達は願いを果たせない。その事を哀 しいと思った。
「私達は間違っていると思う?」
「……わからない。だけどもし間違っていたとしても、千歳 達は人を見捨てられない」
「そうだね」
それがたぶん、人よりも人を信じ、人よりも人を愛して、存在理由としている千歳 達の限界だった。
「もしクスィと会う事がなかったら、こんな物語を与えられなかったら、僕は千歳 を選んでた。千歳 がどんな手を使っても他の誰かを選ぶ事は無かった。僕は人間が嫌いだ」
「どういう顔をしたらいいのか分からない言葉だね」
「……ごめん」
呆 れたような顔をしてから千歳 は笑みを浮かべた。
「結局、すぐ謝るクセ、直らなかったね」
その正しい指摘 に少しだけ目を伏 せて、それからまた、千歳 の目を見つめた。
「千歳 はずっと僕に嘘を吐 いていた」
「うん」
「僕を人と結 ぶつもりだった」
「そうだよ」
「それなら、あの時と同じようにひとつだけ願い事を聞いてくれるはずだ」
それはたぶん、僕が今まで千歳 に口にした中で一番冴 えた言葉だった。
「……いいよ。ただし、私が叶えられる事限定ね」
少しだけ驚 いたような顔をしてから千歳 は目を細め、あの時と同じ事を口にして笑った。
「僕を助けてくれていた全ての人形に幸 せな人の役を与えてほしい」
「幸せな役?」
「良く笑って、老いて、死んだ時に沢山の人が嘆 いてくれるような……そんな人間の役」
これは、ただのエゴだ。千歳 達には、幸 も不幸 も無く、望むのは人の幸 せだけ。一人の人間の為 になら、自分が壊れるのさえ厭 わない。人がいる限り全ての人形が幸 せな役 を演 じる事はできないと分かっている。それでも僕を助けてくれた人形には幸 せな役 でいて欲しかった。
「佳都 がそう望むなら。……人間 の幸 せが、人形 の望みだから」
そう言って千歳 はどこか寂 しそうに微笑 んだ。
「佳都 が持つ未来の可能性を全て捨ててしまって良いのなら、人の世界を放棄してまで私達を選ぶなら。今、佳都 が嵌 めている指環をクスィの指に嵌 めて、それでクスィは目覚める」
真っすぐに千歳 の目を見て頷 く、迷いはなかった。だからそのまま椅子で眠っているクスィに近づき、跪 いてそのひんやりとした小さな左手を取った。本当はきっとどっちの手でも、どの指でも良くて、でもこんな時、どの指にこの環 を通すべきか知っていたから僕はクスィの左手を持ち上げて、自分の人差し指から外した環 をその細い薬指にそっと通した。
閉じられていた瞼 がゆっくりと持ち上がり、青 く輝 く硝子 の瞳 が現れる。
「私と行くのですね?」
じっと此方を見つめ確認を求めたその声に頷 くと、そっと左手を引かれた。クスィが右手を動かすと、そこに出会った時とおなじようにどこからともなく黒 い環 が現れて、摘 まんだその環 をクスィは僕がクスィにしたのと同じ様 に僕の左手の薬指に通した。根元 まで通された環 が収縮 し青 い光を放 つと、クスィの環 もそれに応 えるように輝 き、そして差し出された小さな手をとって僕は立ち上がった。
「彼の作ったクスィとして私が、いや
「なんで?」
小さな指をしゃぶっている
「その問いに答えるのは難しい。政治的な失敗の結果だという人もいたし、医療技術がもたらした生存率の増加や長寿、それに
言葉の意味を思考し始めた僕に、
「人の社会はね、生物の本能が
その
そこからも分かる
「
映し出された
「
千歳の言葉は十分に理解できた。この世界にある全ての国、全ての人が、同じ正しさで行動できない以上。そうなってしまう。それはたぶん人がずっと繰り返してきた事だ。世界を何度も滅ぼせる
「でも人工的な人の生産を行えた国家群はある意味で
とにかく、世界中の国家がそのように動いた結果、減少に
映像の中では、今度は沢山の人が人形の
「人形が職を奪う、人形が愛を奪うと人々は言った。同じ先端技術を利用して人間を作り出す事で自分たちの思想や文化を守ろうとしていたのに、人形だけは
人形
「先頭に立っているのはね。
知っていれば
「人工的な人間の生成を続けた世界は生じていた問題を強引に
座り込んだやせ
「神が消えてなお存在していた愛という都合のいい言葉が取り払われ、命がその
そう彼は言ったけれど、そんな事は起きなかった。人は彼が考えていたよりもずっとウブで、結局あらゆる
「それで、大戦前後の記録が……」
「そう、残すわけにはいかなかった。真実を
「人は、
そう
「でも、それならどうしてこの国にだけ完全な形で
「ああ、それはただ
映像が消えて
「これで全部、大まかには分かった?」
「つまり
「そう」
良くできましたというような
「じゃあ
「まぁ、そうだね。そう言えなくも無いよ」
そう口にしながら
「それで、今までの事は、全部仕組まれていたって
「失望した?」
「いや、むしろ納得した」
ただ、そうだったのかと、どこか
「そっか」
「でもね。それは運命みたいなものじゃ無いよ。私達は環境を設定したけど。そこにある
悲しみが無ければ優しくなれないなら、争いが無ければ平和を
遠い昔に人類が勝利した
「人と敵対する事を選んでしまった
真っすぐに僕を見ている
「……嫌だ」
出会った時から何度も差し伸べられた温かいその手を初めて
「どうして?もし人を殺めてしまった事で、人と関係を持つ事に不安を
「違う。その手を取ったらきっと
「僕は
「それは本能の
「じゃあ、もうそれでいいよ」
叫ぶように
「良くない。全然よくないよ。全てを知った今なら分かる
けれど
「これが気に入らないなら人間を作ればいい。
「そうか、これも
「
「それじゃあ、世界に不妊症が広がっているのは」
「繁殖できない相手との愛を人が選んでいるから……人類の生殖能力は
「それなら、もしも親に成ろうとする人間が、どれだけ
「そう。私達はそれを
怒りが
「……ならどうして僕をクスィと出会わせたんだ。こんな事をしなかったら僕はきっと
「それは、
口を開けている方がカッコいいからと言った嘘も、
「実際、
「彼は人形じゃないよ。彼には彼の選択と物語があった。人の誰もがそうであるようにね。
「
それに
「今は誰が人形で、誰が人間か分かる」
「きっと全部が正しい
「そうかもしれない。でも僕が望んだ時に手を差し伸べてくれたのはいつだって
「それは偽物なんだよ。だからこそこの先で
「それでも」
言葉を
「
「そっか……」
小さくそう言った
「……どうしてかな?人は人を
いつもと変わらない表情をした
「それはたぶん、
「人が人を愛していたのは、人を愛したかったからじゃない。人でしか
このちっぽけな惑星の中で同種との争いさえ止められない人が、自らが作り出した問題を一つも解決できないまま、地球外に
「そこに加わった
「私達は間違っていると思う?」
「……わからない。だけどもし間違っていたとしても、
「そうだね」
それがたぶん、人よりも人を信じ、人よりも人を愛して、存在理由としている
「もしクスィと会う事がなかったら、こんな物語を与えられなかったら、僕は
「どういう顔をしたらいいのか分からない言葉だね」
「……ごめん」
「結局、すぐ謝るクセ、直らなかったね」
その正しい
「
「うん」
「僕を人と
「そうだよ」
「それなら、あの時と同じようにひとつだけ願い事を聞いてくれるはずだ」
それはたぶん、僕が今まで
「……いいよ。ただし、私が叶えられる事限定ね」
少しだけ
「僕を助けてくれていた全ての人形に
「幸せな役?」
「良く笑って、老いて、死んだ時に沢山の人が
これは、ただのエゴだ。
「
そう言って
「
真っすぐに
閉じられていた
「私と行くのですね?」
じっと此方を見つめ確認を求めたその声に