第22話 もしもあなたが世界を壊してしまうのだとしても①
文字数 5,038文字
神祇院が鬼と名付けた人形を斃してから数日。依然として人形災害の発生数は増加し続けていて、これ以上事態が悪化すれば軍が動きかねない状況まで陥っていた。
どうもあの人形は少なくとも明確に一つの事実を隠していたらしい。それは仄めかされた本体の存在。それ自体が事態を悪化させていると言うものだ。例えその根本が大戦時に施された封印にあり切っ掛けが採掘だったのだとしても、今起きている加速度的な人形災害の増加はその本体が引き起こしているものと考えられる。そう葛城は結論付けた。
そうでなければ現在の状況はどうやっても導き出せないらしい。採掘の進展具合とこれまで起きた人形災害の相関から、採掘だけでこのような状況が起きるとしたらそれは少なくとも数百年先であると……。
つまり鬼の語った本体という要素抜きにして、この状況は説明できない。
「ようやく葛城が解析を終わらせた。結果から言えば鬼の内部構造は土蜘蛛と同じだった」
部屋に入ってきた紫依華の声によって俺は思考を中断した。壁面に浮かんだ映像の中で、解析された鬼から伸びた線が土蜘蛛に繋がっていく。
「あれで?」
「ええ、例えるなら人が具足を纏ったのと似ている。本体と現場の状況から、土蜘蛛が他の土蜘蛛を利用し自己改良した結果だと葛城は託宣したし、私も間違いないと思う。数も合うし」
切り替わった画面で複数の土蜘蛛から鬼が作られていく。四基あった虚舟の中身は空、見つかった土蜘蛛の残骸は三十一。一体が鬼になったのだとすると確かに数は合う。
「もしかしたら土蜘蛛は初めからそのように設計されていたのかもしれない。量と質を戦場で変更するシステム。問題なのは今まで起こらなかったそれが起きた理由。鬼の思考回路が外部から書き換えられた形跡を葛城が見つけた」
映し出されていた人形が消え、変わりに細胞のようなものが表示される。
「こいつは?」
「鬼の指先から採取された肉片のようなもの。久那戸の人工皮膚に良く似てるけど技術的には異なってる。もしこれが人形、鬼が語った本体の一部だとするなら、それは土蜘蛛や鬼とは全く違う人形である筈」
「全く違う人形?」
「例えば、非常に人間に似通った人形。見ただけでは分からないような」
統治人形が目覚めたという鬼の言葉を思い出す。
「それが土蜘蛛から鬼を作った。恐らくその人形は鬼から久那戸が受けたのと同様、視線によって土蜘蛛の思考回路を書き換えたのだと思う。
だから久那戸の義眼には考えられる限りの防壁を設けたけれど、もしその人形と対峙しても、あまり眼を直視しないで、どれだけの力を持っているのか分からない」
「分かった。でもそれほどの人形が起動したなら、どうして人形反応はおろか、電探障害さえ検出されていない?」
「考えられるとしたら、その人形が人形反応を消す事ができるか、もっと悪ければ、此方の電探を完全に欺瞞しているか、どちらにしても並の人形じゃない。
もし鬼が語った事が事実で、そんな人形が実在するとしたら、それを放置すれば人形との戦争がもう一度始まってしまうでしょう。でも同時に鬼の言葉が正しいのなら、無差別に人を襲う人形の起動が止まっていない事から、まだ取り返しがつかない所まで事態は進行していないと考えられる。
ただ、現状では情報が少なすぎてそれ以上は分からない。葛城もこれ以上は導き出せなかった。でも、そんなところについさっき情報提供者が現れた。たぶん彼女に会えば、まだ私達が知り得ていないことも分かる。当時あの場所に彼女がいたことはがそこで負った怪我と、残っていた血痕から確証が得られているから」
「そんな人間がいるのにまだ情報を聞きだしてないのか?」
自然に浮かんだ問いが口を吐いた。
「久那戸をご指名なの。そうじゃなきゃ話せないって」
「どうして俺の事を?」
「神祇院関係者の身内だから。情報提供者はりんさ……、白峰博士の娘さん」
紫依華と仲の良い女性研究者が思い浮かぶ。確か配偶者も研究者だった筈だ。
「なるほど、無理が効くわけだ」
「そう、だから今から会いに行ってあげて」
その声には、ただの情報提供者に対するものではない響きが混ざっていた。
◆◆◆
「君が白峰博士の娘さんかな?」
声をかけると、少女が視線を上げた。その顔には確かに紫依華と一緒に何度か会った事のある女性研究者の面影が浮かんでいる。頭の包帯が痛々しかったが、それを気遣う前に少女が口を開いた。
「ええ、あなたが人形を壊す人形さん?」
同意するために頷くと少女は臆する事も無く見定めるように視線を動かした。
「本当は直接会うことなどできないのでしょうけれど、両親に無理を言いました」
「どうして俺に?」
「両親に公にならないように人形を処理していたあなた達の事を聞きました。中でも一番の戦力があなただと。それなら今回の件でもあなたが主力となる筈。だから取引をしたかったのです」
「取引?」
一応問い直してみる。わざわざ俺を指名した時から分かっていた事だが、取引という言葉まで出したからには単なる情報提供では無い。
そう思えば彼女の表情には切実なものが混ざっている気がする。
「私の知っている情報と引き換えに一つだけ頼みを聞いてもらいたいんです」
「それは、どんな?」
できるだけ穏やかに聞こえるように問うと、少女は意を決した様に口を開いた。
「あなた方が探している人形。その隣には少年がいる筈です。彼を連れ戻してください」
人形のそばに少年がいるという事には驚いたが、少女の要求は至極まっとうなものだった。
「神祇院は人命の保護を優先している。けしてその少年を蔑ろにすることは無いよ」
「分かっています。両親にもそう言われました。けれど私はどうしてもあなたに頼みたかったんです」
彼女の握りしめられた手は微かに震えていた。わざわざ俺を指名してきた事も併せれば、彼女にってその少年がどのような相手なのかが分かる。
「出来る限りの事をすると約束する」
俺は静かに言った。例えば正解は、力強く請け負った後、その肩に手を置いて微笑んで見せる事だったかもしれない。紫依華ならきっとそうしただろう。だが、そうしなかった。
優しい嘘が俺には吐けず。俺の手に人の温もりは無い。ただ、全力を尽くすと伝える事だけが、俺にできる精一杯だった。けれどそれは尤もじみた形をした自己保身なのかもしれない。
「ありがとうございます」
俺の弱い回答にそれでも少女はお礼を言った。
「それで、その少年は人形に拘束されて連れまわされていると?」
「いいえ、彼は自分の意思で、人形に協力しています」
少女の返答が理解できない。
「どうして彼はそんな事を?」
「あの人形が人間と見分けがつかないぐらい精巧にできていて、怪我を負っているからです」
少女の発言は紫依華の予想を裏付けるもので、だがそれ以上に続けられた言葉が気になった。
「怪我?」
「はい。第三号墳で目覚めた人形は事故によって損傷したようです。私にはそうは見えませんでしたが、人形の言葉が事実なら、後一週間ほどで活動できなくなる筈です。彼はそんな人形を助けたいのです。五年前の震災の時、救えなかった母親の代わりに」
少女の言葉にこの国を襲った惨禍の事を想う。そして、そこで少年が体験しただろう事も……。だが、だとすると厄介だ。少年はおとなしく従ったりはしないだろう。抵抗される可能性の方が高い。
「君も協力していたのだろうか?ああ、別に咎める気はない」
少女は少し躊躇いを見せた後で頷いた。
「それなのに情報提供を?」
「怖くなったからです。索墳で沢山の人形に襲われ、私達がしていた事の危険性に気付きました。それに今はあの人形に対して不信感も……」
「不信感?」
「ええ、初めてあの人形を目にしたそんな事は欠片も思わなかったんです。人形は十二歳ぐらいの美しい女の子の姿をしていて、言葉だって話せましたし、とても危険な人形には見えませんでした。
索墳で人形に襲われた時だって私は助けられたと思っていました。あの時人形は私達に逃げるように促して、そして……」
「そして?」
襲われ、怪我を負った時の恐怖からだろうか?唐突に口籠った少女にやんわりと続きを促す。
「……すいません。あの人形は、どうやったかはわかりませんが襲ってきた人形の何体かを破壊して、それでも壊しきれなかった人形によって私は頭を打ち意識を失いました。おぼろげながら彼に背負われて逃げた事を覚えています。
でも、今にして思えば、襲ってきた人形さえ、あの人形の所為だったのではないかと……思うのです」
「どうしてそう?」
少し興奮し始めた少女を落ち着かせようと、相槌と共に問いかけてみる。
「あの人形と彼が、私に何も言わず姿を消したからです。彼は私を巻き込まないようにと思ったのかもしれませんが、それによってあの人形は彼一人を手元に残す事に成功した。
もしもあの人形にとって私という存在が邪魔だったのだとしたら、もしも、あの人形の振舞いが全て、私達を自分の都合の良い様に動かす為のものだったのだとしたら……。私はまんまとそれにはまってしまったのです」
酷く責任を感じている様子の少女に、例え気休めだとしても、何か伝えようと開きかけた口を、続けられた少女の言葉が遮った。
「こんな事になる前に私は彼に不安を告げるべきでした。あの日、索墳に行く前に人形が感情まで表わして見せた時、まるで本当の人間を相手にしてた時のように心が動かされた事に気付いて、確かに恐ろしさを感じたのに、彼が無邪気に喜んでいたからそれを告げる事が出来なかった。もしあの時躊躇わず全てを伝えていたら、病室から去ろうとする彼を強引にでも止めていれば、こんな事には……」
平静さを失い早口になった少女の言葉を、途中で遮る事はせず、用意されていた温かいお茶をコップに注いで差し出すと、それを見た少女は、恥じるように一瞬目を伏せた後でコップを受け取ってくれた。
「すいません。少し取り乱しました」
お茶を一口啜った少女がゆっくりと息を吐く。
「いや、おかげで大方の事情は理解できた。それで人形が少年だけは連れて行った事には何か意味が?」
落ち着いたのを見計らって、抱いていた疑問を口にすると少女の顔に焦りが浮かんだ。
「索墳からコードを取得するのには彼が必要なのです」
「コード?」
「ええ、八つ揃えて塔に行けば人形都市を再起動でき、人形はそれによって自分を直せると言っていました」
「その為には彼が不可欠だと?」
「はい」
悲痛な面持ちで少女が頷く。それが正しいのだとすれば、状況が日に日に悪化している理由が説明できる。施した封印とそれに関連した防衛機構が人形都市の再起動を防ごうとしているのなら、再起動を成そうとしているその人形と少年は封印と防衛機構にとって明確な脅威だ。
少年がどこまで理解しているかは分からないが、人形を助けたいという思いが、いつか救えなかった代わりを求める切実さが、もう一度大戦を招くかもしれない。不味いなと思ったが口にはしなかった。少女の証言が事実ならば少年の命を救う理由が消失しかねないどころか、むしろそれを奪う理由にさえなり得る。
「これを」
何と答えるべきか迷っていた俺に少女が小型の外部記録装置を差し出した。
「これは?」
「飼い犬の為に父が作ってくれた追跡装置をアクセサリーにして人形に持たせました。念の為にと思って渡したものですが、今もまだ人形があのアクセサリーを持っているのならこれで現在位置と行動記録が分かる筈です」
小さな記録装置を受け取ってしっかりと握りしめる。
「わかった。提供してくれた情報とこれはありがたく使わせてもらう。それから君が情報源だという事はもちろん誰にも話さないから、安心してほしい」
俺がそう言うと少女は首を横に振った
「そんなの……どっちでもいいです。私が望むのは、彼が無傷で返ってくる事だけ。それさえ叶うなら、この事を知られても、それで彼に憎まれたとしても構いません」
その眼光に紫依華と同じ確固たる決意の輝きを見た。
「君は強いな」
思わず口にした瞬間。少女の顔が歪んだのを見て自らの失言を悟る。
「……もし本当にそうだとしたら、私は、この手で彼を救えたはずです」
その語気に混じる怒りは自らの無力さに対するそれだった。
「すまない」
「……いえ、彼の事をどうかよろしくお願いします」
謝罪した俺に少女はそう言って深く頭を下げた。
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