第26話 英雄②
文字数 2,624文字
疑似網膜に浮かべた小さな画面。映像の中で黒い霧のようなものが銃弾と誘導矢を無効化していく。穢れ、人形坑で時折見つかる浮遊する微細機械の群れ。
通常は容易に崩壊するそれが滞空を続け防壁を形成している。それに少年を抱えた人形の右手、穢れは集まる事で形を成す事も出来たらしい。
〘‐葛城が確認された人形を統治人形と託宣。これをもって神祇院は当該人形を常闇姫と命名。当事案を第五段階以上の人形災害と認定し、十束剣の抜刀と身体能力制限の解除を許可します‐〙
擬似網膜に身体能力制限の解除と抜刀許可が浮かぶ。穢れの操作が確認された事によって葛城は託宣を下したのだろう。初めて聞いた神格級の命名が事態の深刻さを示している。
『‐複数の人形反応を検知‐』
響いた全体通信と同時に地中から虚舟が突き出した。内部に消えた人形が再び現れる可能性に備え、索墳に銃を向けていた具足達が反転。楯を設置しなおし防御陣地を築いていく。
虚舟から落とされた土蜘蛛は、視線を動かし索墳内に消えた人形を追うような仕草を見せたが、それが離れているとみるや標的を具足達に変えた。
すぐに戦闘が始まる。想定されていた事だ。そもそも索墳の前で統治人形を倒せるとは考えられていなかった。展開していた部隊は人形が索墳へ侵入する事を防ぐ為のものではなく、侵入した人形が出てくるのを妨害し、その内部から直接クチナワに上がるよう促す為のものだ。
統治人形を逃がさず、都市に被害を出さず、人形の存在を公にしない。それに最も適したクチナワの上で決戦に及ぶ事は端から決まっていた。
虚舟が現れた時点で統治人形の逃走を妨げると言う目的は達成されている。だが起動した土蜘蛛を放置して部隊が撤退する事はできない。
組織の性質上、少数精鋭にならざる負えず。この短期間では殉職した局員の補充は勿論。他の場所で目覚める人形への対応と統治人形を確実に破壊する為、ごく少数の狙撃手と限られた人員しか配置されていない状況であってもだ。
だから今土蜘蛛と戦っている彼らは半ば犠牲になる事を前提とされている。けれどそんな事は重々承知した上で、それでも彼らは自らその役を買って出たのだ。
だが、それを知っていても尚、気が付けば掌に爪が突き立つほど強く拳を握りしめていた。
今此処で彼らの元に行けばきっと全員を救う事が出来る。だが、それは同時に統治人形の破壊を放棄する事を意味する。作戦が開始される前に俺を呼び止めた具足は、俺がいるから戦えるのだと言った。例え自らが斃れようとも、自分達の戦いは無駄にはならないと俺が信じさせてくれるからだと……。
思えば戦闘で必要とされる以上の言葉を鴟梟以外の具足と交わした事は無かった。異質な存在であるから受け入れられていないと思っていた。けれど違ったのかもしれない。
ただ一つ言えるのは、一礼し足早に去っていったあの具足はこれが死戦になると理解して、全てを俺に託したのだ。だとしたらその思いを踏みにじり助けになど行っていい筈がない。
偵察機が捉え続けている光景の中で距離を詰めた土蜘蛛によって楯と共に具足が飛ばされる。銃声の間に怒号が混ざりはじめ、倒れて動かなくなった具足から赤い血が漏れて広がっていく、そんな中にあっても彼らは誰も助けてくれと言わず、逃げようともしない。
〘‐索墳上部に穢れの発生を観測。通信状態悪化。目標、索墳内部から上昇しています。戦闘に備えてください。こちらとの通信が不可能になった場合は独自判断での目標達成を容認します‐〙
穢れの影響を受け、乱れ始めた映像を消し、刀の柄に手を伸ばす。
『‐頼んだぞ、人形を壊す人形……‐』
地上との通信が途切れる寸前、確かにそう聞こえた。遥か上空、ただ回転翼の音だけが響くようになった中で鯉口を切り、劔を抜き放つ。現れた刀身が哭く。
〘‐三機の託宣から、常闇姫に人形都市の再起動を許せば我々に為す術は無くなると判断されました。よって作戦の失敗を三機全てが託宣した時点で皇国は目標に向け玉響を使用します‐〙
戦略核級の人形技術兵器を使用するとあって通信士の声も僅かに震えていた。玉響が使用された事は無いが噂される程のものであるのなら、塔どころかこの都市が丸ごと消し飛ぶ筈だ。そうなれば人連は介入しようとするだろうが、或いはそれすらも玉響の力を示す事で封殺する算段なのかもしれない。
未知の軍事力が開示されれば、きっと世界のありようは大きく変わる。開いていく扉から吹き込む冷たい風が衣を揺らし、それを吸い込んだ身体を内側から冷やしていく。
「‐回線を使えるようにしてやった。最後になるかもしれないんだ話しておけよ‐」
言葉の意味は尋ねなくても分かった。そのおせっかいに感謝して個人回線を繋げる。
「‐そっちは?‐」
「‐え?なんで‐」
困惑した紫依華の声。
「‐時間がない。そっちは?‐」
「‐避難指示が出たから、重要なものだけ運び出してるところ‐」
「‐そうか、それなら‐」
「‐うん、安心して、久那戸を直せるだけの設備は確保して待ってるから‐」
その返事に一瞬言葉を失くした。思惑が食い違っている。
「‐違う、紫依華も避難を‐」
「‐嫌、私がいなかったら誰が久那戸を直すの?どれだけ壊してもいいから必ず帰ってきて‐」
口早にそれだけ言って通信は切られた。もう一度呼び出そうとして止める。それほどの余裕はなく紫依華がそう決めたならどうしたって変えられない。
励ますように言ったその覚悟に答える方法は一つだけだ。都市の存亡も紫依華の命も、具足達の思いもこの身にかかっている。随分と重い。
柄を握る手に力を込めてから緩め、ゆっくりと息を吐く、それがいくら困難でも冷静さを保っていなければ勝てるものも勝てない。
雲の切れ間に覗く満月から下方へ視線を向ければ、送られてくる発信機の位置情報が示す通り、二つの人影がクチナワの上に現れた。
「‐挨拶は済んだか?なら始めるぞ英雄気取り。負ければ都市が消し飛び、それで済まなければもう一度大戦が起こる。何、ただそれだけの事だ‐」
事態の深刻さを払おうとするかのように、鴟梟はいつも通り愉し気に笑った。
『‐穢れの濃度上昇。電探に障害‐』
通信士の声が鴟梟に向けて返そうとした言葉を遮った。視界の先が穢れで黒く染まりつつある。
「‐不味いな……。急げ、このままだと視認さえできなくなる‐」
鴟梟の声に足場を蹴った瞬間、全ての通信が途切れた。
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