第3話 人形を壊す人形③
文字数 3,601文字
刀身から身体に衝撃が伝わった直後、膠着 していた刀身が根元まで一気に突き立った。核 を貫いた感触と共に鳴 り響 いた絶叫 の如 き耳障 りな音。
絡新婦 が上げたそれ聞きながら、急いで刀身を引き抜いて飛び退 くと、核 を貫 かれ痙攣 していた巨体が目の前で音を上げながら倒れた。
見れば、まだ蠢 いている歩脚 の一本が垂れている。関節が撃ち抜かれたそれが機能しなくなった事で絡新婦 は自らを支えられなくなったのだ。まだ体を持ち上げようと蠢 いていた歩脚 が動きを止めるのに合わせ、硝子眼 の光も消え、伏 したその体から循環液 が広がり始める。
『‐金糸雀 の復旧を確認。感知範囲内に人形反応 無し。能力制限を再開します‐』
強化が終了し重くなる身体。寄 せる疲労感。生まれかけた咳 を殺す。
「‐今日だけで、いくつ貸しだ?‐」
曲げた左腕に刀身を挟み込み、付着した循環液 を拭 いながら、乱れている息を気取 られぬように鼻で返事をする。綺麗になった刃 を鞘 に収めつつ振り返れば、大型の狙撃銃を担いだ鴟梟 が外套 のフードを外すところだった。
狙撃のみに重点を置いた軽装具足 でこんな近距離まで来る狙撃手は最高に頭が悪い。
『‐あれが、人形 を壊す人形 ‐』
鴟梟 に言葉をかけようとした時、通信に怖 れを帯 びた呟きが流れた。収拾作業を始めようとしていた具足 の何人かが僅 かに反応し、鴟梟 が足を止めた。
そこに視線を送ると意図を酌 んだ鴟梟 が歩みを再開。具足達 も作業を始め、呟 きに返す声は無い。
立ち尽くし此方 を見ているのは一人だけ。情 を排 す為、性別を含む個人の区別をできなくする具足 を纏 ったそれが誰なのかは分からないが、新入りだったのだろう。
そいつが一歩後退 ったから、顔を逸 らし紫色 に輝 いている筈 の左眼を隠した。黒針 に抉 られた傷口からの出血はもう止まっているが流れ出てしまった血は腕を伝って指先から滴 っている。
肉体を離れ擬態 できなくなったその色は青 。肉体の大半が人形義躯 である証し。本来は強化具足 を纏 い。個人である事を捨 てる局員への蔑称 が俺に向けられる理由。
「‐あんまり、気にすんなよ‐」
個人回線に励 ますような声が流れる。鴟梟 はその卓越 した技量 と悪目立 ちする言動から具足 を纏 っていても俺のように特定できる個人だった。
局内最強の狙撃手はそうであるが故に尊敬 と羨望 を集め、そして妬 みの対象でもある。
その重要性と、それを行うのにどれだけの才と研鑽 を必要とするのかは誰もが理解していても、安全な後方に居て美味しいところを持っていく存在として妬 む者もいるのだ。
だからこそ鴟梟 は俺に向けられた言葉や目に思う所があって、珍 しく人を気遣 うような発言をしたのかもしれない。
或 いは鴟梟 の振舞 いそのものが、狙撃手に向けられる感情を自分一人に集 める為なのかもしれないと思った事もあるが、深読 みのしすぎだろう。たぶんそこまで考えていない。
「‐別に気にしてない。それよりお前がそんな事を口にした事が最高に気色悪い‐」
「‐はぁ?折角気にかけてやったのに、ありがとうぐらい言え。ばーか‐」
心に生まれた温かさを悟 られぬよう、あえてそっけなく発 した軽口 に鴟梟 はのって、笑ってくれる。
俺に自然体で接してくる唯一の局員。顔も本名も知らないが戦友と言ってもいい。だからこそ、それできっと十分で、もしも感謝など伝えたら、それこそ互いに気持ちが悪いだけだろう。
「‐あとは任せておけ。お前は早く帰ってやれよ‐」
俺の横を通り抜けながら鴟梟 が軽く肩を叩いていった。確かに此処で俺に出来る事はもう何もない。
◆◆◆
坑道 から出ると海に向けて吹く冷たい夜風 が身体を撫 でた。歓楽街 の喧騒 と港 を出入りする船の汽笛 が聞こえる。
一帯 に敷 かれた規制線 の中は集まった緊急車両が放つ回転灯 の赤 で満 ちていて、それが漆黒 の車体に書かれた特別安全管理局 という白い文字を照らしている。
一般に特安 と呼ばれ、人形坑 が存在するこの街特有の防災機関 を装 ってはいるが、実際は神祇院 が直轄 している未 だ起動可能な人形の存在を隠蔽 し続けている我らが組織の名称。
そんな車の前に立っていた黒服の男二人が近づいて来るのを見て歩き出す。無言のまま俺の前後をかためた男達に構わずそのまま足を進め、緊急車両の間を抜けて止められている黒塗 りの乗用車に向かう。
先に到達した黒服が開けた扉から後部座席に乗り込むと扉は直 ぐに閉められた。車体を廻り込んだ黒服が運転席に、もう一人が俺の隣に乗った後で動き出した車は規制線を抜け、高層建築群 や歓楽街 から放たれる煩 い程 の光を置き去りにして幹線道路 にのった。
高速走行に移った車内から窓の外に視線を移せば、遠くに街を取り囲む軍事施設の灯 りが浮かび、そしてそれを遮 る黒 い巨大な影が、天上 で輝 く月に向かって伸 びている。
塔 。そう呼ばれる失われた人形技術時代 の遺構 。この都市、ひいては皇国を象徴 するそれはどこか墓標 を連想 させた。
社会の変化に付いて行けず言葉として残るだけになった墓 という概念 。だから感じている哀愁 が正しいかどうかは分からない。
だが大半の人間が分解葬 によって都市に還 る今。都市そのものが墓 だという認識はそれほどかけ離れたものでは無いだろう。
煌 びやかな歓楽街 の対岸 にあって暗 く沈んだ塔 は、そのまま生者の世界と死者の世界の差を現 しているかのようでもあって、人が死んだ時は特にそう思う。
「‐……おい、まだ起きてるか?‐」
思考を止め、目を瞑 ろうとした瞬間 にかけられた声に、閉じようとしていた瞼 を持ち上げる。
「‐どうした?‐」
「‐現場検証の結果を聞きたいだろうと思ってな‐」
音量を上げた鴟梟 の声に同意すると、解っていたというような含 み笑いが聞こえた。
「‐あの坑道 の奥にはやはり研究施設があった。恐らく最初に見つけた坑夫 が報告する事なく踏み込んだのだろう。
よくある事だ。上手くいけばポケットに入れて持ち出せる物ひとつで一生遊んで暮らせるだけの金が手に入るんだからな。
まぁ、命を失うとまでは考えていなかっただろうが……だが坑夫の勘は当たっていた。内部には大隊規模の強化具足を作れるだけの人形鉱 があったよ‐」
人形鉱 、強化具足 の主要機関 である竜椎 、具足 の発展形 である俺の人形義躯 に留 まらず。あらゆる人形技術兵器 に必要とされる現代では生成不能な金属の名称。
だがそれを聞いても心は弾 まなかった。
「‐何人死んだ?‐」
俺の問いかけに鴟梟 は一瞬沈黙 し息を吐いた。
「‐……二十六人だ。戦闘で死亡した局員を除き、公式には十一人と発表されるだろう‐」
「‐局員が十五人も死に、坑夫 の生存者は無し、か……‐」
「‐ああ、だが被害は最小限に抑えられた。主砲が健在 な絡新婦 まで出てきてこれなら上出来だ‐」
「‐いや、俺が、もう少し早く気づいていれば坑夫 を一人救えた筈だ。駆 け出すのがあと一瞬早ければ局員も一人は救えた‐」
「‐ならば俺は最初から土蜘蛛 の核 を撃 ち抜いているべきだったな。もしそれで全ての火力が絡新婦 に集中できていれば、或いは主砲の使用前に完全拘束が完了し局員が犠牲になる事を防げた‐」
「‐それは違う。核 を残す事は基本だ。お前のやったことは正しい。俺だってそうした‐」
損傷する事で無価値化 する核 ではなく、破損していても価値のある思考回路 を狙うのは、まず叩き込まれる基本だ。特安 の目的は人形の殲滅 ではなく、人形技術 の確保。年間百を超える人形災害 の内、絡新婦 まで出てくるのは僅 か数件に過ぎないのだからなおさらだ。
「‐ではお前だけが誤ったと?‐」
不満げなその声は、俺の答えを待たなかった。
「‐お前は理想を求めすぎる。全てを救えるような英雄は物語の中にしか存在しない。今日救えた命だってある。そして回収された人形技術 は、さらに多くの人間を救う‐」
「‐解ってる。解ってはいるさ……‐」
ただ、それが言い訳のような気がすると、俺は口にしなかった。
「‐それならいい。けれど死んだらもう誰も救えない事と、それからお前を案じている人の事も忘れるなよ。……ああ、一応言っておくと俺じゃあないよ‐」
「‐……もしそうなら願い下げだ‐」
俺が言い淀んだ事に気付いていただろうが鴟梟 はそれを追求 しなかった。そして真剣な声の後に続けられた軽口 に俺が返すと少しだけ笑った。
「‐じゃあな。邪魔しちゃ悪いからしばらく通信はしないようにしといてやるよ‐」
通信が切られ、走行音だけが耳を叩くようになった車内で個人通信を繋ごうか考えて止めた。既に知っているだろう事を伝える意味は無いし、揶揄 われた手前そうしたくない。
だから今度こそ目を瞑 った。「目を瞑 っているだけでも休息になるんだからそうして」と言われてから、帰りの車内ではいつもそうしている。
遠ざかっていく賑 やかな歓楽街 の音。定期的に揺 れる車内、柔 らかな座席と温かい空調に、少しづつ意識が薄 れていくのを感じた。
見れば、まだ
『‐
強化が終了し重くなる身体。
「‐今日だけで、いくつ貸しだ?‐」
曲げた左腕に刀身を挟み込み、付着した
狙撃のみに重点を置いた
『‐あれが、
そこに視線を送ると意図を
立ち尽くし
そいつが一歩
肉体を離れ
「‐あんまり、気にすんなよ‐」
個人回線に
局内最強の狙撃手はそうであるが故に
その重要性と、それを行うのにどれだけの才と
だからこそ
「‐別に気にしてない。それよりお前がそんな事を口にした事が最高に気色悪い‐」
「‐はぁ?折角気にかけてやったのに、ありがとうぐらい言え。ばーか‐」
心に生まれた温かさを
俺に自然体で接してくる唯一の局員。顔も本名も知らないが戦友と言ってもいい。だからこそ、それできっと十分で、もしも感謝など伝えたら、それこそ互いに気持ちが悪いだけだろう。
「‐あとは任せておけ。お前は早く帰ってやれよ‐」
俺の横を通り抜けながら
◆◆◆
一般に
そんな車の前に立っていた黒服の男二人が近づいて来るのを見て歩き出す。無言のまま俺の前後をかためた男達に構わずそのまま足を進め、緊急車両の間を抜けて止められている
先に到達した黒服が開けた扉から後部座席に乗り込むと扉は
高速走行に移った車内から窓の外に視線を移せば、遠くに街を取り囲む軍事施設の
社会の変化に付いて行けず言葉として残るだけになった
だが大半の人間が
「‐……おい、まだ起きてるか?‐」
思考を止め、目を
「‐どうした?‐」
「‐現場検証の結果を聞きたいだろうと思ってな‐」
音量を上げた
「‐あの
よくある事だ。上手くいけばポケットに入れて持ち出せる物ひとつで一生遊んで暮らせるだけの金が手に入るんだからな。
まぁ、命を失うとまでは考えていなかっただろうが……だが坑夫の勘は当たっていた。内部には大隊規模の強化具足を作れるだけの
だがそれを聞いても心は
「‐何人死んだ?‐」
俺の問いかけに
「‐……二十六人だ。戦闘で死亡した局員を除き、公式には十一人と発表されるだろう‐」
「‐局員が十五人も死に、
「‐ああ、だが被害は最小限に抑えられた。主砲が
「‐いや、俺が、もう少し早く気づいていれば
「‐ならば俺は最初から
「‐それは違う。
損傷する事で
「‐ではお前だけが誤ったと?‐」
不満げなその声は、俺の答えを待たなかった。
「‐お前は理想を求めすぎる。全てを救えるような英雄は物語の中にしか存在しない。今日救えた命だってある。そして回収された
「‐解ってる。解ってはいるさ……‐」
ただ、それが言い訳のような気がすると、俺は口にしなかった。
「‐それならいい。けれど死んだらもう誰も救えない事と、それからお前を案じている人の事も忘れるなよ。……ああ、一応言っておくと俺じゃあないよ‐」
「‐……もしそうなら願い下げだ‐」
俺が言い淀んだ事に気付いていただろうが
「‐じゃあな。邪魔しちゃ悪いからしばらく通信はしないようにしといてやるよ‐」
通信が切られ、走行音だけが耳を叩くようになった車内で個人通信を繋ごうか考えて止めた。既に知っているだろう事を伝える意味は無いし、
だから今度こそ目を
遠ざかっていく