第4話 人形を壊す人形④
文字数 8,039文字
「百五十年以上前に人類が作り出したとされる人形」
ゆっくりと進む車椅子。それを押しながら話し始めた博士の声が、無機質な廊下に反響 する。
「当時の人形がどういうもので人とどのような関係にあったのか正確には分からない。
およそ百年前に起きた大戦で人は持っていた技術の大半と、世界を覆 っていた電子網 。なにより電子化されていた記録のほとんどを失ってしまったからね。
けれど、当時の文明が現在よりも格段に優れていた事は確かだ。それは世界中に残る遺構。なによりもこの街にある塔と地下の巨大都市が示している」
その言葉を聞いて、この街で目にした塔 の事を思い出す。近くの高層建築群 が酷く小さく見えて、遠近感が狂ってしまったような感覚と共に、あんなものを作る技術がかつては存在したのだと驚嘆 した。
写真や映像で何度も見て、知っているつもりだったのに、それでも実物にはそう感じさせるだけの迫力があって、そしてそんな塔 さえも比較にならない程 の巨大な都市がこの街の下には眠っているのだ。
「間違いなくその頃の人類は繁栄 を謳歌 していた。現在、大戦 と呼ばれている人形達との全面戦争が起きるまでは……。
どうしてそんな事になったのかは今も解っていない。ただ伝えられている事によれば、当時、各 人形都市 に一体ずつ存在し、都市の中枢 と直接繋がっていた人形達が一斉に反旗 を翻 し、大戦は始まったらしい。
人形都市 と全ての人形を支配下に置き、人類に攻撃を開始した大戦 の元凶 。そんな人形達に人は統治人形 という名を与えた。それは君も知っているね?」
その言葉に同意する。それはこの国に住んでいる人間なら誰もが習う事だった。歴史の教科書には必ず載 っている。それが人の間 ではなく、世界で初めて起こった人が造り出した技術との戦争だと……。
たぶん世界中、どの国でも似たように教えられている筈 だ。
「統治人形達 によって引き起こされた大戦 は、被害を考えれば幸 いと言っていいかは分からないが、比較的 短期間で決着した。それは、当時の世界に溢 れていた超兵器群にも由来するだろう。いずれにせよ 統治人形 を全て破壊して、人類は勝利した。だが引き換えに世界人口は大きく減少し、失われた技術に伴 って文明も衰退 した」
崩壊 。そう称 される程 の惨禍 。人類にとって唯一 救いだったのは、世界中に爪痕 を残した大戦はそれでいて、この惑星の環境にほとんど影響を与えなかった事だ。
当時の兵器群はそれを可能にする程の技術的産物 であった。
人形都市を破壊しつくすだけの威力を誇 りながら、一方で完全に綺麗 な兵器。だから人類は残された生存可能な環境と人形技術 によって、文明をもう一度発展させ、そして現在に至 っている。
「さて、では君は、どうして世界中で破壊された人形都市が、この国にだけほぼ完全な状態で残っているのか知っているかな?」
博士からの問いに、記憶を探る。
「……この国には、それができなかったから」
僕の答えを聞いた博士の声が少しだけ嬉しそうに弾 んだ。
「そうだね。人形都市 を破壊するだけの兵器をこの国は持っていなかった。だからこの国は統治人形 を直接 討伐 し、人形都市 を強制停止 させるしかなかった。
もしそれが遅れていたか、失敗していたら、この辺り一帯 はそれが出来る国の介入によって、焦土 と化 していた筈 だ。
ともあれ、この国は成功した。代償 として当時の超破壊兵器 を用いた場合とは比べ物にならない程の人的被害を出してね」
「皇国の愚行 」
教科書の注釈に書いてあった。皇国が行った統治人形 討伐 作戦を異国はそう呼んでいると……
「ああ、大戦終了時に異国は皇国の行為をそう名付け、そして今は妬みを含めてそう呼んでいる。
皮肉なものだ。大戦時は恐らく異国どころか皇国すらそう思っていただろう。そうするしかなかった選択が結果として完全な塔 と人形都市 を残し、そこから得られる多量の人形技術 が皇国の復興 と現在の繁栄 を可能にした。
「まぁ、それが脅威をもたらす事にもなったのだけれどね」
「脅威?」
博士の言葉の意味が良く分からなかった。皇国のとった行動は現在、結果として最良であったと教えられている。脅威がもたらされたなんて話は知らない。
「そう。君もこの街の人形坑で事故が頻発しているのは知っているね?」
その言葉に頷 く。この街にある人形都市 。そこへ繋がる人形坑 と、それを通 して行われている採掘 は、この街が出来た理由にもなっている重要な産業であると同時に、大きな危険を伴 うものだ。
報道番組で毎週のように取り上げられているように、坑道 の崩落や、有害な化学物質、或いは可燃性物質の突出 などによって頻繁 に事故が発生し、ケガ人や死者が出る。
「実際の所。あれはね。本当は報道されているような事故なんかじゃなく、人形が原因なんだ。事実を知っている者の間では人形災害 と呼ばれている。
この国には未 だ起動可能な状態の人形が眠っていて、そして起動した人形は見境 なく人を襲 うから……」
「起動可能な人形が人を襲っている?そんなの聞いた事も」
「勿論 そうだろう。皇国は事実を隠しているからね。知っているのはごく限られた人間だけ、なんなら坑夫 たちも知らない。だけど事実なんだ。そしてそれは年々 増加傾向 に……」
「どうして?」
「うん?」
思わず口にした問い。それに返された声を聞いて、自分のした問いかけが博士の言葉を遮 った所為で、二つの意味として捉 えられる事に気付いて問い直す。
「どうして、人形の事を秘密に?」
「ああ、それはね。公 にしてしまえば、採掘を止めようと言う声が出てきてしまうからだよ。
事故ならばどれだけ起こっても、人々は非難したり、改善を求めるだけだ。せいぜい、運が無かったのだとか、高給に惹かれて自分で選んだ仕事だとか、そういう無数の意見に分かれてやがて沈静化する。
けれど、起動可能な人形が現存 していて、それが人を襲 っていると知ったら話はきっと変わってくる。
人々は危険な殺人人形 の存在を知りながら、そこに人を送り込んでいた事に強い嫌悪感を抱くだろうし、何より崩落や化学物質などと違い、坑道の外にまでその被害が及ぶ可能性に危機感を募 らせるだろう。
人はそれがどれだけの犠牲者を生んでいても自らに被害が及びそうにない限り無関心でいられるが、いざ自分にそれが降りかかってくる可能性を突きつけられるとそうはいかなくなる。
だから、人形の事を知った人々は当然、採掘を止めるように声を上げるだろう。採掘を止めれば、人形は起動しないのではないかと考えてね。
人形災害 が増加傾向にある事も知れば、よりその声は強くなり、とにかく一度そうしてみるべきだとなる筈 だ。そしてそれはあながち間違っているとも言えない。全てを知る研究者の中にも、採掘が停止中の人形都市 を刺激した結果として、人形の起動が起きているのだと考える者もいて、それを否定するだけの根拠 は存在しないからね」
人形坑 から行われている採掘は、停止と同時に全て下りてしまった人形都市 の隔壁 を一つずつ手動で開ける事で、より都市の深くへと向かっている。その行為が人形都市を刺激しているのなら……
「それじゃあ」
間違った事をしているのではないかと困惑 した僕の背後で、博士が微 かに嗤 ったのが分かった。
「そう皇国は間違っているのかもしれないね。けれど皇国はその可能性を理解しつつも、採掘を続けているんだ」
「なんでそんな事を?」
「一つには別の説があるからさ、人形の起動とそれが増加傾向にあるのは、採掘に因 るものではなく人形都市 自体が、時間の経過と共に活動を再開しようとしているからだという説がね。
それが正しいのだとしたら採掘を止めても意味が無いどころか、増していく危険性を放置する事になる」
「なら、この国やあなたはその説を」
「いいや、私は別にどちらの説も支持していない。というより、どんな説もかな。皇国政府にしても同じだろう。何がより正解に近いか知りたければ、それこそ一度、採掘を止めてみたらいい」
自分が属している国や、味方だと思っている人は善良なものである筈 だと言う意識を、ともすれば否定するような言葉を博士は淡々 と口にした。
「だけどね。そういう訳にはいかないんだ。採掘が原因だったとしても、どのみち止める事は出来ないからね」
「それはどうしてですか?」
博士の発言で生まれた微 かな心の距離感から、問いかけは、ぎこちない敬語のようなものになった。
「採掘によって得られるものがこの国にはどうしても必要だからさ。それによって犠牲者が出るのだとしても、採掘を止めてしまえば、この国は現在の国力を維持できない。
採掘を止 めるという事は今の君や、大抵の人々が思うだろう少し不便になると言うような範囲を遥かに超え、国の存続すら危うくなるような事なんだ。軍事力やそれに伴 う国防だけの話ではないよ?
君の命をこれまで保ってきた医療もまたそうであるように、この国の先端技術の全ては採掘によって手に入る人形技術 に由来 している。
生活基盤から、あらゆる産業まで、採掘に依存していないものは無いといってもいい。
この国は大戦の復興時からずっと限られた犠牲と引き換えに国を発展させ、大多数の生活を守ってきたんだ。君はそれを間違っていると思うかな?」
僕は返答に詰 まった。それを正しいと思いつつ、そう口にする事はもちろん、首を横に振る事もできなかった。
そんな僕の様子を見ているだろう博士は、けれどそれを気にする事も無く続けた。
「それにね。いずれにせよこの世界は正しい理想論なんかで動いてはいないんだ。例え、この国が採掘から手を引いたところで、この国に眠る人形技術 の価値がなくなるわけじゃない。
事実として人連 の動きがそれを示 している」
人連 、それは大戦の後、それ以前に存在した国際機関を引き継いで設立された人類連盟 の略称 だ。
主な活動目的は世界平和と人形技術 の平和的利用。世界のほとんどの国が加盟しているそれに皇国は加盟していない。人形遺構 を自国で保有している中では唯一の国家だ。
そして、そんな皇国に対し人連 が示している動きと言えば……。
「それは、人連 の再三 にわたる加盟要求の事ですか?」
「その通り。表立っては人形遺構 、並 びにそこから技術を得ている国家全ての加盟が世界の安定に繋がると主張しているが、実際はこの国を加盟させ、人形条約 の拘束下 に置きたいというだけの話だ。
人連 への加盟は、そのまま人形条約 への合意に繋がるからね。条約があれば、人連 の国際人形技術管理機関 の査察 や、人形遺構 及び人形技術 の公開と相互提供を強制できるようになる。
だが、それは唯一ほぼ完全な状態で残った塔 と人形都市 を擁 し、起動する人形さえ存在している最大の人形技術 保有国であるこの国にとっては不利益しかない。
なにせ、人形都市 に埋没 していると予想される人形技術遺産 の量はこの国を除いた全国家の人形遺産 。その合計を軽く上回るからね」
「でも、そのせいでこの国は国際社会から孤立しつつあって、危険な状態だって」
聞きかじった知識で口を挟 んだ僕に博士は気を悪くした様子もなく同意した。
「確かに表立 ってはそう見える。まぁその主張の大半はこの国を加盟させたい人連 の政治工作に因るものなのだけど、何にせよ完全に孤立してしまわない為にこの国は人連において強い発言権を持つ大国と密約を結んでいるんだ」
「密約?」
「この国が得た人形技術 の一部提供と引き換えに人連 を抑えてもらう。そんな密約だよ。
人形技術 は軍事技術に転用できるから、秘匿されているこの国の人形技術 があれば、その国は他国より優位に立てるんだ。
それを維持する為にもその国はむしろ、皇国に加盟などされては困る訳だ。世界中で技術が共有されてしまっては優位性が失われてしまうからね。
結局のところ、どれだけ綺麗事を並べても、人連 も一枚岩では無いって事さ、過去の国際機関にも存在した問題を同じように抱えている。
世界が一つになった事はないし、これからもきっとない。人の文明がかつての水準を上回り、この国の技術が無価値になるか、こちらがその提供を止めない限りこの密約は続くだろう。
それに、人連 が加盟要求以上の事が出来ないのには、大国との密約だけではなく、もう一つ理由がある」
「それも、人形技術 ?」
推測 から発した言葉に、博士は感心した様 に同意した。
「君はなかなか察 しが良いね。この国の軍事力は名目上限定的で核も保有していないが、人形技術によって劣らぬ抑止力を持ち得ている。
得体のしれない超技術。それが実際はどれ程のものか分からなくても世界がそう信じている限りそれは効力を持つ。
採掘で得られるものは皇国の繁栄を維持するものであり、異国に対する防波堤なんだよ。もしそれを手放せば、皇国は衰退 する。
人連 を代表する異国の介入を招けば、最悪、皇国の意志は考慮されなくなる。もしそんな事に成ったら異国は皇国で何をすると思う?」
その言葉に頭を働かせる。人連 や異国が欲しいもの、皇国を支配下に置いた時にするだろう事。
「採掘、ですか?」
「そう。必ずそうなる。そしてその採掘は今とは違い皇国の意志では止められないものに変わる」
最悪を想定すればきっとそう成るだろう。採掘で出るどれだけの犠牲を許容するか、その犠牲を誰が払い、誰がどれだけの利益を得るか、その決定権さえ皇国の手から離れる。
「だから否 が応 でも皇国はこの道を行くしかないんだ。例え採掘が災厄 を招くもので、後に本当に愚行と呼ばれるのものになってしまうのだとしても、突き進むしかない。
そうしなければ、人的資源 ではもはや斜陽 へ向かいつつあるこの国を保ち、この国に住まう人々を守る事は出来なくなる。
故にこの国は、現在起きている事態に対処し、なによりいつか起きるかもしれない災厄 に備 えなければならないんだ。見て見ぬふりをしている訳にも、理想に浸 っている訳にもいかない。
その為には人知れず戦う人間が要る。どうしても、ね」
博士がそう言い切った後、唐突 に車椅子が止まった。不思議に思って振り返った僕の眼を博士がじっと見た。
「さて、私は今、君に伝えるべき事を全て伝えたと思う。だから改めて聞くよ。君はその戦いに身を投じる事を望むのかな?
これは義務なんかじゃなく、そうする必要はない。普通の身体と変わらない義躯 を選んで、普通に生きていく事も出来る。君はそういう選択をしても良いんだよ」
この街に来る前、冗談のように問われた意志。それを今もう一度問うた博士の声は、以前とは違って、酷く真剣なものだった。
だからそれに一呼吸おいて僕は口を開いた。
「僕は、戦おうと思います。僕が生きる為にはきっと……それが必要なんです」
全てを教えられて、戦いというものが意味するところも知って、それでも僕はそうすべきだと思っていた。それがきっと僕の望む人達とその幸せを守る事になり、そして何より、自分がこうしてまだ生きている理由であるような気がしたから……。
「そうか……わかった」
車椅子が再び動き出し、突き当りの自動扉が開くと、室内には沢山の機器に囲まれたベッドがあった。
「じゃあ、麻酔が効いたら眠ってしまうけれど、目を覚ましたら君はヒーローだよ。君がそう望んだようにね」
車椅子をベッドの側に寄せた博士は、僕の横に進み出ると、片目を瞑って見せながら口元を綻 ばせた。
◆◆◆
門の開く音に目が覚めた。夢、いや過去を見ていた。睡眠時に脳と同調 し最適化を行う義眼が引き摺 りだす記憶。最近頻度が増したそれは残った生体部の衰 えを意味している。もうそれほど時間は無いだろう。
停止した車から降り、黒服に見届けられながら何重もの警備が施されている自動扉を抜ける。無機質な通路を進み、専用の昇降機に乗って上の階に移動すれば、電子音と共に開いた扉の先で雰囲気が一変した。
淡 く黄色みがかった壁に天井から注ぐ暖色 の光。置かれている観葉植物の鉢植え。慣れていない人間なら突然の変化に目眩 さえ覚えるだろう。
内部がこんな異様 な作りになっているのは、紫依華 の拘 りだった。俺を監視下に置いておきたい神祇院 と、身体を維持するのに設備を必要とする俺と、人らしい生活を要求した紫依華 の妥協点が作り出した空間。勿論、紫依華 は自分だけならどんな生活も可能だった。ただ俺に付き合ってくれただけだ。
玄関扉の横に掛けられた表札。それを見る人間は俺と紫依華 の二人しかいないのだが、それでも必要なのだと紫依華 は言った。
今にして思えば、こうして表札を見るたびにどことなく心が安らぐのだからその言葉は正しかったのだろう。
「おかえりなさい」
扉を開けると、いつものように紫依華 が出迎えてくれた。差し出された手に帯から抜いた刀を預けながら「ただいま」と返す。
刀を大事そうに抱いた紫依華 は俺の爪先から頭の上まで確かめるように視線を動かしてから俺の目を覗き込んだ。
目の下にあるクマがもともと愛嬌 ではなく冷 たさを感じさせる顔をより険 のあるものにしている。知らない人が見れば、不機嫌なのだと思うだろう。
「それで?今日はどこを壊してきたの?」
投げかけられたのは、毎回服を汚して遊びから帰ってくる子供を追及 する母親みたいな声。
「まだ、壊したとは言ってない」
「じゃあ壊してないの?今まで壊さずに帰ってきた事は一度も無かったのに?」
紫依華 は呆 れたような顔をした。そして残念だがその指摘は正しい。向けられた指が俺の左腕を示 す。
「まず左腕。それから足、僅 かだけど左右のバランスが崩れてる。右足が原因かな」
自己診断機能では正常と判定された違和感だけのものを紫依華 は見ただけで指摘 した。
「すぐに直すから」
紫依華 の目の下にいつもクマが有る理由は分かっている。
「大した事は無い。少し休んでからでも構わない」
俺の言葉は紫依華 の機嫌を損ねたようで、その目が僅かに細められた。
「そうして、休んでいる間に人形が現れたら、久那戸 は誰かに任せて此処にいられるの?」
そう言われてしまうと何も返せない。嘘をつく事はできず口をつくのは、はぐらかす為の言葉。
「紫依華 の事が心配だ。あまり眠っていないようだから」
それを聞いた紫依華 は溜息 をつくように笑った。
「それなら、できるだけ壊さないで帰ってくる事。止めはしないし、止められるとも思ってない。でも、それは私ができる事を全てしたうえでの話。
もしもそうじゃなかったら私は絶対に後悔する。だから私はいつもできる限りの事をするの。それを忘れないで」
その声は穏やかだった。打つ手を失い黙って頷くと紫依華 も満足したように頷いた。
「じゃあ、さっそく始めるから」
導 かれるまま居住空間の奥へ進み、繋 がっている研究施設の中。そこにある施術台 に身を預 ける。
「すまない」
紫依華 が守ろうとしてくれている日常は俺の所為で侵食 されていて、だからそんな資格などないと解っていながらも、そう小さく口にすると抱えていた刀を台に置いた紫依華 は振り返って微笑んだ。
「気にしないで」
与えてもらったそれに返せるものは何もなく、無力さと微 かな胸の痛みを感じた。何も言えなくなった俺の目の前で、紫依華 は手際よく準備を進めている。
その姿から視線を横に動かせば硝子窓の向こうに少しだけ色褪せた人形の背が見える。懐かしいヒーローの人形。それが例え微かな痛みを想起 させるものだとしても世界を眺 めるだけの存在だった頃、画面に映し出されるヒーローは俺の憧 れで、その存在に支えられていた。
どれだけの苦境に立たされても決して諦 めず、最後には悪を倒し人々を守るヒーロー。そんなふうになりたいと思っていた。
実際はこの有様 で、鴟梟 が言ったようにそんな存在は物語の中にしか存在せず、世界の複雑さに気付いてしまった今になっても、その気持ちは変わっていなかった。。
ゆっくりと進む車椅子。それを押しながら話し始めた博士の声が、無機質な廊下に
「当時の人形がどういうもので人とどのような関係にあったのか正確には分からない。
およそ百年前に起きた大戦で人は持っていた技術の大半と、世界を
けれど、当時の文明が現在よりも格段に優れていた事は確かだ。それは世界中に残る遺構。なによりもこの街にある塔と地下の巨大都市が示している」
その言葉を聞いて、この街で目にした
写真や映像で何度も見て、知っているつもりだったのに、それでも実物にはそう感じさせるだけの迫力があって、そしてそんな
「間違いなくその頃の人類は
どうしてそんな事になったのかは今も解っていない。ただ伝えられている事によれば、当時、
その言葉に同意する。それはこの国に住んでいる人間なら誰もが習う事だった。歴史の教科書には必ず
たぶん世界中、どの国でも似たように教えられている
「
当時の兵器群はそれを可能にする程の
人形都市を破壊しつくすだけの威力を
「さて、では君は、どうして世界中で破壊された人形都市が、この国にだけほぼ完全な状態で残っているのか知っているかな?」
博士からの問いに、記憶を探る。
「……この国には、それができなかったから」
僕の答えを聞いた博士の声が少しだけ嬉しそうに
「そうだね。
もしそれが遅れていたか、失敗していたら、この辺り
ともあれ、この国は成功した。
「皇国の
教科書の注釈に書いてあった。皇国が行った
「ああ、大戦終了時に異国は皇国の行為をそう名付け、そして今は妬みを含めてそう呼んでいる。
皮肉なものだ。大戦時は恐らく異国どころか皇国すらそう思っていただろう。そうするしかなかった選択が結果として完全な
「まぁ、それが脅威をもたらす事にもなったのだけれどね」
「脅威?」
博士の言葉の意味が良く分からなかった。皇国のとった行動は現在、結果として最良であったと教えられている。脅威がもたらされたなんて話は知らない。
「そう。君もこの街の人形坑で事故が頻発しているのは知っているね?」
その言葉に
報道番組で毎週のように取り上げられているように、
「実際の所。あれはね。本当は報道されているような事故なんかじゃなく、人形が原因なんだ。事実を知っている者の間では
この国には
「起動可能な人形が人を襲っている?そんなの聞いた事も」
「
「どうして?」
「うん?」
思わず口にした問い。それに返された声を聞いて、自分のした問いかけが博士の言葉を
「どうして、人形の事を秘密に?」
「ああ、それはね。
事故ならばどれだけ起こっても、人々は非難したり、改善を求めるだけだ。せいぜい、運が無かったのだとか、高給に惹かれて自分で選んだ仕事だとか、そういう無数の意見に分かれてやがて沈静化する。
けれど、起動可能な人形が
人々は危険な
人はそれがどれだけの犠牲者を生んでいても自らに被害が及びそうにない限り無関心でいられるが、いざ自分にそれが降りかかってくる可能性を突きつけられるとそうはいかなくなる。
だから、人形の事を知った人々は当然、採掘を止めるように声を上げるだろう。採掘を止めれば、人形は起動しないのではないかと考えてね。
「それじゃあ」
間違った事をしているのではないかと
「そう皇国は間違っているのかもしれないね。けれど皇国はその可能性を理解しつつも、採掘を続けているんだ」
「なんでそんな事を?」
「一つには別の説があるからさ、人形の起動とそれが増加傾向にあるのは、採掘に
それが正しいのだとしたら採掘を止めても意味が無いどころか、増していく危険性を放置する事になる」
「なら、この国やあなたはその説を」
「いいや、私は別にどちらの説も支持していない。というより、どんな説もかな。皇国政府にしても同じだろう。何がより正解に近いか知りたければ、それこそ一度、採掘を止めてみたらいい」
自分が属している国や、味方だと思っている人は善良なものである
「だけどね。そういう訳にはいかないんだ。採掘が原因だったとしても、どのみち止める事は出来ないからね」
「それはどうしてですか?」
博士の発言で生まれた
「採掘によって得られるものがこの国にはどうしても必要だからさ。それによって犠牲者が出るのだとしても、採掘を止めてしまえば、この国は現在の国力を維持できない。
採掘を
君の命をこれまで保ってきた医療もまたそうであるように、この国の先端技術の全ては採掘によって手に入る
生活基盤から、あらゆる産業まで、採掘に依存していないものは無いといってもいい。
この国は大戦の復興時からずっと限られた犠牲と引き換えに国を発展させ、大多数の生活を守ってきたんだ。君はそれを間違っていると思うかな?」
僕は返答に
そんな僕の様子を見ているだろう博士は、けれどそれを気にする事も無く続けた。
「それにね。いずれにせよこの世界は正しい理想論なんかで動いてはいないんだ。例え、この国が採掘から手を引いたところで、この国に眠る
事実として
主な活動目的は世界平和と
そして、そんな皇国に対し
「それは、
「その通り。表立っては
だが、それは唯一ほぼ完全な状態で残った
なにせ、
「でも、そのせいでこの国は国際社会から孤立しつつあって、危険な状態だって」
聞きかじった知識で口を
「確かに
「密約?」
「この国が得た
それを維持する為にもその国はむしろ、皇国に加盟などされては困る訳だ。世界中で技術が共有されてしまっては優位性が失われてしまうからね。
結局のところ、どれだけ綺麗事を並べても、
世界が一つになった事はないし、これからもきっとない。人の文明がかつての水準を上回り、この国の技術が無価値になるか、こちらがその提供を止めない限りこの密約は続くだろう。
それに、
「それも、
「君はなかなか
得体のしれない超技術。それが実際はどれ程のものか分からなくても世界がそう信じている限りそれは効力を持つ。
採掘で得られるものは皇国の繁栄を維持するものであり、異国に対する防波堤なんだよ。もしそれを手放せば、皇国は
その言葉に頭を働かせる。
「採掘、ですか?」
「そう。必ずそうなる。そしてその採掘は今とは違い皇国の意志では止められないものに変わる」
最悪を想定すればきっとそう成るだろう。採掘で出るどれだけの犠牲を許容するか、その犠牲を誰が払い、誰がどれだけの利益を得るか、その決定権さえ皇国の手から離れる。
「だから
そうしなければ、
故にこの国は、現在起きている事態に対処し、なによりいつか起きるかもしれない
その為には人知れず戦う人間が要る。どうしても、ね」
博士がそう言い切った後、
「さて、私は今、君に伝えるべき事を全て伝えたと思う。だから改めて聞くよ。君はその戦いに身を投じる事を望むのかな?
これは義務なんかじゃなく、そうする必要はない。普通の身体と変わらない
この街に来る前、冗談のように問われた意志。それを今もう一度問うた博士の声は、以前とは違って、酷く真剣なものだった。
だからそれに一呼吸おいて僕は口を開いた。
「僕は、戦おうと思います。僕が生きる為にはきっと……それが必要なんです」
全てを教えられて、戦いというものが意味するところも知って、それでも僕はそうすべきだと思っていた。それがきっと僕の望む人達とその幸せを守る事になり、そして何より、自分がこうしてまだ生きている理由であるような気がしたから……。
「そうか……わかった」
車椅子が再び動き出し、突き当りの自動扉が開くと、室内には沢山の機器に囲まれたベッドがあった。
「じゃあ、麻酔が効いたら眠ってしまうけれど、目を覚ましたら君はヒーローだよ。君がそう望んだようにね」
車椅子をベッドの側に寄せた博士は、僕の横に進み出ると、片目を瞑って見せながら口元を
◆◆◆
門の開く音に目が覚めた。夢、いや過去を見ていた。睡眠時に脳と
停止した車から降り、黒服に見届けられながら何重もの警備が施されている自動扉を抜ける。無機質な通路を進み、専用の昇降機に乗って上の階に移動すれば、電子音と共に開いた扉の先で雰囲気が一変した。
内部がこんな
玄関扉の横に掛けられた表札。それを見る人間は俺と
今にして思えば、こうして表札を見るたびにどことなく心が安らぐのだからその言葉は正しかったのだろう。
「おかえりなさい」
扉を開けると、いつものように
刀を大事そうに抱いた
目の下にあるクマがもともと
「それで?今日はどこを壊してきたの?」
投げかけられたのは、毎回服を汚して遊びから帰ってくる子供を
「まだ、壊したとは言ってない」
「じゃあ壊してないの?今まで壊さずに帰ってきた事は一度も無かったのに?」
「まず左腕。それから足、
自己診断機能では正常と判定された違和感だけのものを
「すぐに直すから」
「大した事は無い。少し休んでからでも構わない」
俺の言葉は
「そうして、休んでいる間に人形が現れたら、
そう言われてしまうと何も返せない。嘘をつく事はできず口をつくのは、はぐらかす為の言葉。
「
それを聞いた
「それなら、できるだけ壊さないで帰ってくる事。止めはしないし、止められるとも思ってない。でも、それは私ができる事を全てしたうえでの話。
もしもそうじゃなかったら私は絶対に後悔する。だから私はいつもできる限りの事をするの。それを忘れないで」
その声は穏やかだった。打つ手を失い黙って頷くと
「じゃあ、さっそく始めるから」
「すまない」
「気にしないで」
与えてもらったそれに返せるものは何もなく、無力さと
その姿から視線を横に動かせば硝子窓の向こうに少しだけ色褪せた人形の背が見える。懐かしいヒーローの人形。それが例え微かな痛みを
どれだけの苦境に立たされても決して
実際はこの