第18話 刀鬼③
文字数 3,790文字
瞼を開けると降り注ぐ光に目が眩んだ。それを遮って人影が覗き込む。
「君は改造人間として生まれ変わった。私の作った最高傑作。人類救済の鍵よ。さぁ立つのだ」
言われるがまま身体を起こすと博士は悪そうな笑みを浮かべていて、その奥から溜息が聞こえた。
「いつも思うんだけどそれいる?なんか子供っぽくてすごく恥ずかしいんだけど」
まだ幼さの残る声と共に暗闇から歩み出た紫依華は呆れたような顔をしていた。
「……何を言っているんだ紫依華、いるに決まってるじゃないか、まさかもうわからなくなったというのか、まだ十五に成ったばかりだというのに……よく覚えておきなさい。男というのはいつまで経っても少年なのだよ。ロマンをとったら何も残らない。それは死んでいるのと同じだ」
「あー、そう。手のひらからレーザーが出るようにしようとしてたのもその所為ってわけ?」
「無論だ」
そんな新装備が追加されたのかと、何もない場所に向けて手を翳してみる。
「何してるの兄さん。話をちゃんと聞いてた?レーザーは搭載してないよ。仮に搭載していたとしても制限が解除されていない状態で、そんなものが使えるわけないでしょ」
それを知ってちょっとがっかりする。
「そもそも重量が増加してそれを支えるために運動性能が十五%低下し、かつ放射に全エネルギーの七十四%が必要で、使用後一定時間の機能制限状態に陥る武装にどんな利点が?」
「それこそがロマンだ」
理解できない事が理解できないといった顔をした博士を見て紫依華がまた溜息を吐いた。
「一般には無駄というものだと思うんだけど?」
「そんな事はあるまい。統計でも取ったのかね?」
「それ本気で言ってるんだとしたら笑える」
「おお、この齢になって私にもユーモアのセンスが……」
「違う、皮肉で言ってるの」
二人のやりとりを見て思わず笑ってしまった。傍から見れば家族の真似事のように見えるかもしれなくても、それは自分にはもう手に入れることができないと思っていた光景だったから。
「何笑ってるの兄さん」
そう聞かれて答えようとしたら、途端に全てが消えてしまった。
窓から差し込む西日の眩しさに自分がいる場所を思い出す。博士の入った棺が分解炉に飲み込まれていくのを見送って、僕と紫依華は立ち尽くしていた。
「お爺ちゃんとは、お父さんとお母さんが死んだ時に初めて会った」
連れ出そうと伸ばした手がその腕に触れる前に、呟くような声が耳に届いた。
「他に肉親もいなかったからそのまま一緒に暮らす事になって、でもすぐに打ち解けたりはできなかったな……。
お爺ちゃんは研究ばかりしていてお父さんに構ってあげられなかった事を悔やんでいたみたいで、私との時間は大切にしようとしてくれたんだけど、ずっと研究しかしてなかったからさ、子供を楽しませる方法が分からなかったんだね。
話してくれるのは研究の事ばっかり。でも興味を惹こうと必死で、簡単な実験とかをしてくれた。あの頃はそれが魔法みたいに見えた……」
斎場の窓を埋める滲んだ赤がいつもより澱んでいる気がした。その中には天へと伸びる巨大な影があって、自分の周りが決定的に変わってしまっても世界は何も変わっていないように続いていくのだと思った。
だから止めていた手を伸ばして、隣にいる紫依華の手をしっかりと握った。
「これからは、俺が守るから」
静寂の中にその言葉が溶けて消える寸前、紫依華は此方を向いて力無く笑った。
「私がいなかったら満足に身体も動かせなくなるのに?」
その目には涙が溜まっていて、口にされた言葉は責めようとしたのでも嘲笑ったわけでもなく冗談でぽっかりと空いてしまった穴を埋めようとして、でも上手くいかなかった、そんな響きをしていた。
華奢な身体を抱き寄せると紫依華は顔を押し付けるように埋めた。胸に重さが加わり、嗚咽が漏れはじめる。震える体を強く抱きしめると、服に浸み込んだ涙が熱を伝えた。
◆◆◆
警報音に目を覚まし、再生されていた記憶を振り払うように回線を開く。このところ人形の起動が急増している。身を起こした俺に紫依華の視線が向けられた。
「いくの?」
「ああ」
答えながら戦闘靴を履き、羽織に腕を通す。マフラーを掴む間に紫依華が十束剣を手にしていた。腕を伸ばすと丁寧にそれが差し出される。
それを受け取りながら残った片手を伸ばして紫依華の頭を撫でたのは、見ていた記憶の所為だ。乱れている髪が、もう少し乱れる。
「どうかした?」
「……なんとなく」
戸惑った声にそう答えると、紫依華は分からないまま話を進める事にしたようだった。
「このところの連戦で休息が足りていない」
紫依華の顔は不安そうだった。それを拭い去りたくてその細い肩に軽く触れる。
「分かってる。でも俺は大丈夫だ。紫依華こそ、もう少し休んだ方が良い」
それを聞いた目が一瞬茫然とこちらを見つめた後、唇が噛みしめられ戦慄いた。それが開かれる前に部屋を出る。余計だった一言にはいつも口にした後で気付く。
出口を抜け待っていた車に乗り込むと運転手がアクセルを踏んだ。強い人形反応が検出されたのは八つある索墳の一つ。だがそもそも人形坑の外で人形が起動する事は稀で、まして索墳付近に人形が現れた事など例がない。内部のクチナワが崩落した三号墳との関係が思い浮かぶ。或いは最近の起動数の増加もそれと関係しているのかもしれない。
『‐周囲の封鎖完了、半径300メートル圏内に民間人無し‐』
『‐人形反応、依然索墳直近に停滞中‐』
『‐外縁に楯の展開が完了‐』
『‐確認しました。内部に追展開しつつ距離を詰めてください‐』
『‐了解‐』
「‐やっとお出ましか英雄気取り‐」
作戦区域に近づいた事で行き交い始めた通信の中に、愉しそうな個人通信が混ざる。
「‐状況は悪くないようだな‐」
「‐場所がよかった。周囲はほぼ無人。楯による包囲も完成している。だが……‐」
「‐人形反応の消失が気になる、か‐」
「‐ああ、それで司令部も慎重になってる。葛城の電探が誤った事など無いし偵察機の事もある‐」
当初の報告で電探に掛かった三十二の人形反応が今は二つになっている。併せて先に放たれた複数の無人偵察機は映像を送ってくる前に全機が消息を絶った。異様すぎる。
『‐俺が先行する‐』
通常通信で告げながら停止した車から飛び出し、走りだす。
「‐待て、じきに有人の偵察機が……‐」
『‐許可します。攻撃班は後に続いてください‐』
制止する鴟梟の声に重なって認可と命令が下り、身体能力制限が解除される。鴟梟の悪態を聞きながら雑木林を駆け、展開された楯と具足達の間を抜ける。
現れた金属の塀を跳び越えれば、索墳の周囲に突き出した四つの異物が見えた。
虚舟。大戦で起動する事のなかった強襲装置。単に不発弾とも呼ばれるそれには八体の土蜘蛛が格納されている。全て起動したとすれば電探の反応を裏付ける。
だが蠢いている筈の土蜘蛛の姿が無い。それどころか辺りには、既に壊れた土蜘蛛が散らばっている。
漏れだした循環液に塗れた地面。そこに着地しながら原因を探すと、索墳を形成する丘の中腹で動く影に気付いた。
設置された照明の届かない場所。倒れている土蜘蛛だろうものとそれに覆い被さった影。上の影が動く度に土蜘蛛らしきものが揺れる。
それが何か確かめようと目を凝らした瞬間。回転翼の音と共に飛来した偵察機が光を注いだ。照らし出された光景に理解が追い付かない。見た事も無い人形が土蜘蛛を貪っている。
「a……a……a?」
照らし出された視界の中、それはゆっくりと身を起こし、偵察機の方に顔を向けてから此方を見た。循環液に塗れたその頭部は兜のような装甲に覆われ、奥から硝子眼の青い輝きが覗いている。
引き千切ったらしい土蜘蛛の腕を捨てながら異様な人形が装甲を震わせた。響いたのは声のようにも聞こえる不快な金属音。
「ka……hi……ii……hi、sA、シ、イですね。この国の人間よ」
人形の発していた音が唐突に言葉を成した。発音も急速に整えられ澄んだ女のようなものに変わる。信じ難いがこの人形は言葉を発する機関を持っている。
「人にとっては長く、私達にとっては短い時間が経過しましたが、人は何も変わっていないと判断するに至りました。よって私達は……」
異様な風貌。言葉を発するどころか明らかに思考力を有している人形に本能が警鐘を鳴らす。疑似網膜に浮かんだ抜刀許可を見て人形の言葉を待たずに駆け出し、手を伸ばす。
疾走から繋げた最速の抜き打ちは空を切った。碌な予備動作も見せずに人形は大きく跳び退っている。追撃への一歩を踏み込むよりも先に、人形が二度目の跳躍。宙を舞うようにして虚舟の上に着地した。
「何故人はいつも、そのように短絡的な解決を図ろうとするのでしょう?理解不能です。けれど言葉を交わす事が出来ないのなら仕方がありません。今回もそれに倣うとしましょう」
人形が言い終わる前に虚舟の上部が割れた。その可能性に背筋が冷える。再び全力で地面を蹴って走り出す。
疾駆しながら虚舟内部から掲げられるように現れた黒い柄を人形の指が握るのを見た。
最悪だ。虚舟に格納されている兵装を目の前の人形は取り出せるらしい。そしてそれはもう防げない。
引き抜かれた黒い刀身。鴉羽の劔、その原型たる太刀が哭いた。
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