第17話 刀鬼②
文字数 4,043文字
接岸した船から伸ばされたタラップを降りて、歓楽街行きのバス停に向かっていく人々の流れから抜けた。
乗り込んだのは郊外へ向かうバス。辿り着いたバス停は歓楽街とは打って変わって静まり返っていた。
「いこうか」
重くなった空気を払うような千歳の声を合図に塔から伸びているクチナワを追って、閑散とした住宅地の寂れた公園を抜け、雑木林の中へと続く山道に踏み込む。
しばらく歩くと突然木々が無くなり、背の低い草しか生えていない丘が現れた。
その天辺にクチナワの突き立つ索墳があって、幾つかの外灯がその周囲と入り口を照らしている。
三号墳以外は何処も似たようなものだった。違うのは調査が出来ていないからかその周りを金属の塀が囲んでいる事と、外灯と監視カメラが設置されている事だけ。
クスィが監視カメラを妨害したと告げると千歳が塀を越えていく。以前簡単な上り方を教えてもらったが未だに上手くできない。
苦戦している間にクスィも塀を越えていき、少し情けなくなった。人間ではないと解っていても、小さな女の子にしか見えない存在が自分にできない事を容易くやってのけている光景には刺さるものがある。
しんがりを務めていましたというように、ようやく塀を越えて着地するとクスィは待っていてくれたが千歳は先に進んでいた。
丘に潜っていく入り口。そこに近付くと、奥にある扉が指環に反応して自動的に開き始める。手慣れた墓荒らしみたいに侵入していく千歳の後を追うと、入り口から伸びた通路は直ぐに玄室に到達し、照明が点灯するのに合わせて中央の床から六角柱がせり上がり始めた。
正規の入り口を使えれば内部を歩き回る必要もない。クスィと出会った時の揺れも、三号墳が崩壊しかけていた所為だったようで、他の索墳では起きなかった。
六角柱が完全に停止してから近付き、手袋を外した左手で触れると、指環に浮かんだ光が明滅しコードの取得開始を知らせる。
ひやりとした感触の先、この中にもクスィと同じ予備の管理人形が眠っているらしいけど、危険性を考えて目覚めさせるのは止めていた。指環から光が消えるのを見て手を放す。
「後は帰るだけだね」
六角柱が下がっていく中、手袋をはめていた僕に千歳がそう言った瞬間、唐突に地面が揺れた。クスィと出会った時よりも大きい。この国に住んでいれば慣れている事であっても、毎回その感覚にゾッとする。
「地震だ」
さらに大きくなる事に備えて重心を低くしたが幸いそのまま揺れは治まった。
「早く出た方がいい」
促す千歳に従って足早に玄室を後にする。三号墳が一部崩壊したのは大戦に因るものだし、それ以外の索墳が全て無傷で残っている事を考えれば、今更地震で崩壊するとは考えにくいけど、万が一と言う事もある。念のため広くて安全な場所まで急いで移動した方が良い。
そう考えながら通路を通り抜け外に出た時。先頭を走っていた千歳が突然立ち止まったから、その背中にぶつかった。顔を打った痛みに思わず声が出る。
「なに、あれ……」
呆然とした声に、抗議しようと開きかけていた口を噤んで千歳の視線を辿ると少し離れた場所に、来た時は無かった巨大な黒い棘のようなものが見えた。
その上部が傘みたいに開いていく、伸びていく八つの先端。その一つ一つに何か人間みたいなものがぶら下がっているのに気付いて、血の気が引いた途端。それが一斉に落ちた。
「戦闘用人形。何故……」
クスィの言葉に教科書で見た復元予想図が浮かぶ。地面に転がった人形達がゆっくりと起き上がろうとしているのが分かる。
「嘘、稼働してる?そんなの……」
「敵対反応を感知。危険です。急いで避難を」
クスィの言葉にいち早く千歳が反応し、目の前の光景に硬直していた僕の腕を引いた。
混乱したまま駆け出すと、索墳の周囲に同じ物が四つ飛び出していて、そこから落とされた人形の青く輝く眼が一つ残らずこっちを向いていた。本能的な恐怖が沸き上がる。
「クスィ、あの人形に銃は効く?」
「有効です。ですが人形の総数は三十二。殲滅は困難です。避難を優先してください」
僕の手を離した千歳が銃を取り出すのを見て、慌てて鞄から自分の銃を引っ張り出す。起き上がった人形はもうこっちに向かってきている。
銃把を握った事で現れた照準を急いで人形に向ける。そのまま引き金を引くと微かな音と共に銃口から黒い線が奔り、目標の横で土が散った。外れた。走っているのと焦りから狙いが定まらない。
そうしている内に微かな音と共に横から伸びた黒線が人形の胸に触れたかと思うと、巨大な穴を開けた。
「良し!佳都のは弾に限りがないんだから走りながらとにかく撃って、当たらなくてもいい」
斃れていく人形。前方を見ると回転式の小型拳銃を構えた千歳が叫んでいた。なんでそんな冷静でいられるのか分からない。走りながら初めて撃つ銃を命中させるその技量も凄いとしか言いようが無い。
千歳がいるという安心感に振り返りつつ、言われた通りとにかく人形に向けて引き金を引く。
奔った黒線のほとんどは外れたが、その内の一つが偶然人形に突き刺さった。
「やった」
声を上げた瞬間に、千歳がもう一体破壊する。人形達との距離は詰まりつつあったが、それでも塀はもうすぐそこだ。あれを越えれば人形達も追ってこられないかもしれない。一足先に塀に到達した千歳が、立ち止まって反転し、三体目の人形を破壊する。
「先に行って!僕の銃を渡すから」
その場にとどまろうとしている千歳に叫ぶ。千歳の銃は弾数が限られているし、僕は千歳みたいには塀を越えられない。銃を持ったままなら尚更だ。
意図を理解した千歳が頷いて塀に上る。此方に伸ばされたその手に銃を託し。響き始めた銃声を聞きながら塀に手をかけて身体を持ち上げる。
何とか乗り越えて着地した僕のすぐ横にクスィが続き、それを確認した千歳も降りてきた。上がってしまった息を整えようとした背後で衝撃音。金属の塀が揺れ、その表面が微かに変形した。
追いついた人形がぶつかったのだろう、千歳が銃を塀の上に向けて構えたが、人形が塀を越えてくる事は無く。音が数回響いただけで静かになった。
たぶん塀を壊す事も、乗り越えるという思考もあの人形には出来ないのだ。僕達が見えなくなった事で諦めたのかもしれない。助かった。汗をぬぐい、改めて呼吸を整える。
「とにかくここを離れよう」
千歳が差し出した銃を受け取った瞬間。何かが破裂したような音が聞こえた。視線を向けると接合部から弾け飛んだ鉄板が宙を舞っていて、生まれた隙間から人形が此方を見ていた。
金属の足が踏み出され、人形が破壊した塀を抜けて此方に向かってくる。焦って構えようとした銃は手から滑り落ちた。
「佳都!」
千歳の声が何処か遠く聞こえ、逃げなければいけないと思っても竦んだ身体は動かなかった。人形が拳を振りかぶる。
それは異様なほどゆっくりと見えて、死ぬという確信が溢れた。間延びした一瞬の中でようやく目を瞑った時。思っていたのとは違う方向からの衝撃と共に身体が倒れていくのが分かった。
地面に打ち付けられた痛み。それに耐えて目を開けると、身体の上に千歳がのっていた。僕を庇う為に千歳が飛び込んできたのだと理解する。
目線を上げると人形が立っていて、その前にクスィがいた。クスィの右腕はあらぬ方向へ曲がり、左手が人形の首を掴んでいる。人形は痙攣していて、その両腕がだらりと下がったかと思うとクスィが手を離した。
思わず身を硬くした僕の前で、解放された人形は身を翻すと自分が開けた穴の中へ駆けていき、直後に金属音が響いた。
「思考回路を書き換え、足止めを指示しました。あの人形が役目を果たしている間に此処から離れましょう」
「千歳」
クスィの言葉を聞いて慌てて千歳を促したのに返事が無かった。頭が重力に引かれていて身体には力が入っていない。
月明りに照らされた千歳の髪に黒い液体が滲んでいるのを見つけて身体が震えた。血だ。動かすべきではないとどこかで聞いた知識が警鐘を鳴らす。
「千歳は頭を打ってる」
僕を庇ってくれた時。クスィが受け止めきれなかった一撃が掠めていたのかもしれない。
「佳都の懸念は理解できます。しかし今は此処にいる事自体が危険です」
「ああ、うん。そうだ。そうだけど」
クスィの返答に頷きながら思考が纏まらない。どうしたらいいのか分からない。
「クスィの言う通り」
視線を向けると千歳が頭を抑えながら立ち上がろうとしていた。慌ててそれを手伝う。
「私は大丈夫だから、肩だけ貸してよ」
ふらつくように立ち上がった千歳がバランスを崩す前に支えた。
「背負ってください。私が補佐しますから」
肩だけでいいと言う千歳を強引に背負った。自分にそれができるか不安だったが、クスィが手伝ってくれているからか想像していたより重くなかった。
背後からは人形同士が戦っているのだろう音が響き続けていて、恐怖で強張る体を必死に動かして歩き出す。
「焦らないでください。あの人形が戦っている限り、他の人形は此方にはやってきません」
返事をする余裕も無くてただ頷く。なんとか山道を下り舗装された道路まで出ると、もう戦いの音はずいぶん小さくなっていた。少しだけ安堵しながら救急車を呼んでいない事を思い出す。
「そうだ救急車を、救急車を呼ばなきゃ」
「大丈夫です。全て手配しています。聞こえませんか?」
そう言われて耳を澄ますと遠くから微かに救急車のサイレンが聞こえた。
「佳都は千歳を落とさないように、前に進むことだけを考えてください」
頷いて千歳を背負い直す。千歳の肩掛け鞄が揺れる。いつの間にか千歳は何も言わなくなって、呼びかけても応えてくれなくなった。あるのは背中から伝わる体温と重さだけ。
泣きそうになる自分を罵りながら足を進め、何かもわからない存在に祈る。
どうか……
どうか……
どうか……
近づいてくるサイレンだけが希望だった。
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