第28話 英雄④
文字数 3,542文字
少年の声に足を止めたのは間違いだった。人形から離れてくれればという甘さが事態を悪化させた。
噴出 していた穢 れが薄 れ、漆黒 の着物 のような装束 が覗 く。再び姿を見せた人形はその様相 を大きく変えていた。欠損 していた腕も再形成され、大きな袖 の表面では青 い複雑な模様 が脈打 つように明滅 している。
俺のマフラーや着物と同じだ。衣 の中に循環液 を流す事で恒常的 な冷却 を成立させている。
小さな頭を覆 っていたフードが消え、露 わになった白銀 の髪が濡 れ羽 色に染まりながら長く伸びると、穢 れによって霞 む月下 で人形の碧眼 がいっそう強く輝 いた。
優雅 な佇 まいに反 して感じられるのは君臨 するものとしての圧力 。血の通 っていない義躯 さえも怖気 立っているように感じる。
「この状態の私に抗 しうるとは、随分 と優れた防壁ですね」
感心したように投げかけられた言葉に怖気 の原因が分かった。鬼との戦闘結果から紫依華 が施 した防壁が無ければ、既 に敗北していただろう。
「ならば、方法を変えましょう」
宣言 と共に着物 の隙間 から細 く白い足が伸 び、黒い下駄 のように変化した靴 が踏み下ろされた。
途端 に澄 んだ音が響 き、足元を濡 らしていた穢 れに水紋 が広がったかと思うとその内側に八つの影が浮かんだ。
注視 すると人形を取り囲むように現れたそれが水面に反射した像 などでは無く、下から浮き上がろうとしている何かだと分かる。
一瞬の後 に現れたのは人の頭骨 。頸骨 、肋骨 と続く内に、穢 れが肉体の形成を始め、形成された頭部から髪が伸びた。
全てが同じ少女の姿だと気付いた頃 、その薄 い身体は黒 い千早 によって覆 われ、顔は幕 によって隠 された。
現れた八体の擬似人形 とでもいうべきものが一斉 に細い腕を持ち上げる。翳 した手の先に伸び上がったのは長い柄 、黒 い水面から現れた八本の薙刀 引き抜いた擬似人形 達はそれを構えながら僅 かに身を下げた。
声帯 など無い筈 の疑似人形 達が、怨嗟 の声のような音を上げるのと同時に走り出す。土蜘蛛 に匹敵する速さ、距離が一瞬で詰 まる。
最初に振るわれた薙刀 を片手持ちした刀で受けながら合口 を抜き、二刀を持って殺到する薙刀 を捌 く、薙刀 の生む死線を越え、振り抜いた刀で擬似人形 の頭部を切断。
断面から穢 れを噴 きながら倒れていく疑似人形。その奥から突き出てきた薙刀 の刀身を避ける。腕が伸び切り、一瞬だけ停止した疑似人形 の胸部を刺し貫 き、掲 げた合口 で別の薙刀 を防ぐ。
引きぬいた刀を振るって擬似人形 の足を斬り飛ばし、転倒したそいつの頭部を踏み貫く。
そこを狙って振り下ろされた薙刀 を合口 で受け流しながら、別の薙刀 を弾 き、その反動を利用しながら斬り返そうとしたところに、這うように低く踏み込んでくる疑似人形 の姿が見えた。
斬り上げられた斜 めに奔 る死の線を躱 すのと引き換えに側面 から突き出された薙刀 が脇腹 に突き立った。
侵入した刃 が深手に至 る直前、逆手 に握り直した合口でその柄 を切断。刀身を失い残った柄 と共に前傾 してくる人形を身を廻 しながら避ける。
回転した結果。遠心力と自重 で刺さっていた薙刀 の刀身が落下。そのまま体勢を崩していた擬似人形 の首を刎 ね。順手 に持ち直した合口 で頸部 を裂こうとした薙刀 の軌道 を逸 らす。
捉 え損 ねた事を理解した擬似人形 は薙刀 を引き戻そうとしたが、此方 の刃 は既 に返 っている。擬似人形 の下腹部から斜 めに侵入した刀身がその胸を通り肩口から抜ける。
そして呼吸を整える為 に大きく退いて距離を取った。攻防は一分にも満 たなかっただろう。現れた疑似人形 を五体屠 ったが、割に合わない。致命傷こそ避けられたが、脇腹の傷口からはそれなりの量の循環液 が流出し、運動性能が数パーセント低下した事を疑似網膜 の表示が知らせている。対して、目標の人形にはかすり傷一つ負わせられていない。
多勢 に無勢 。例え土蜘蛛 と同程度の性能だとしても連携 が取れているだけでその強さは桁違 いだ。
それは絡新婦 が行うような単純な傀儡化 とはまるで違う。それぞれが独自の意志を持ち、それでいて一つの生き物であるかのような動き。
恐怖も痛みも感じない人形と、そしてそれを此処まで巧 みに操る人形が、人間では目指しても到達する事の出来ない究極の戦闘部隊をいとも容易く出現させていた。その事実に言いようのない恐ろしさを感じた時、残り三体となった擬似人形の向こうで黒 い衣 を纏 った人形が此方に向けて手を伸ばすのが見えた。
「八色雷公 、喚起 」
風に乗って届いた声。伸ばされた人形の掌 の前に紫電 。遠距離攻撃がくると直感が告 げる。疑似人形達が振り下ろした薙刀を受け流しながら合口 を投擲 すると回転を伴 って紫電 へと向かった合口 が轟音 と共に跳ね上がった。
弾 かれた以上単 なる雷 では無い。距離を取ろうとした所へ三つの薙刀 が振り下ろされ、受けた刀身ごと押し込まれる。
殺傷では無く足止めを目的とした力押し、それを裏付けるように紫電 が輝 きを増している。棟 に添 えた手に力を込め、強引に薙刀 を押し返して擬似人形 を蹴 り飛ばす。
反動で後退しようとした瞬間。後方へ傾斜 していく擬似人形 の向こうから光が迸 った。直線上にあった疑似人形の頸部 から上が消滅 。遅れて雷鳴 が轟 き、擬似網膜上 に警告。
通り抜けた雷 が胸部側面 を抉 り、人形合金製 の肋骨 とその下にあった人工肺 の一部を削 っていった。
即座 に破損部の機能が補 われ、循環系 も再構成されたが出力が四割低下。崩れた体勢を整 え追撃に向けて構えるも圧倒的優位を取った人形は動いていなかった。それどころか残っていた二体の擬似人形 が形を失って穢 れに戻っていく。
「もう十分でしょう。通していただけませんか?」
静かな声で美しい少女を模 した人形が言った。下ろされた手。その先に在った紫電 は今や八 つの球体に別 れ人形の身体を取り巻くように舞っている。
投げかけられた言葉には答えず全力で駆 けだす。対処できるかどうかは分からないが、接近しなければ打つ手がない。
「……でしょうね」
落胆 したような声。再び上げられた腕に雷球 が反応。光線 に備 えて身構えるが、雷球 はそれぞれ異 なった軌道を描 き此方に向けて奔 った。光線を放つ迄 に必要な時間が不足しているのだろう。
雷球 を追って人形も疾走 を開始。右上から飛び込んできた雷球 に刀を振るう。接触点で紫電 が躍 る。
反発をねじ伏 せ強引に押し斬ると雷球 はたちまち液状化 した。擬似人形 と同じく穢 れが形成している。強度は段違いだが斬 れなくは無い。足捌 きを合わせ迎撃 する。
一つ、二つ、叩き落とす度に散る紫電 を抜け前進。三つ、此方に向けて駆 けてくる人形が止まる様子は無かった。
四つ斬り伏 せた時点で残った雷球 が重 なり十束剣 を受け止めた。紫電 が撒 き散 らされ衣 を焦 がしていく。弾 かれそうになる刀身を抑え込んで無理やり断ち切ろうとすると雷球 が強烈 な閃光 と共に爆 ぜた。一瞬目が眩 む。けれど人形が跳躍 したのは分かっている。
見上げれば高く跳 んだ人形の姿を左目が捉 えた。振り上げられた細い手の先に膨大 な量の穢 れが集 っている。
作られていくのは巨大な穂先 。擬似人形 が消えたのは雷球 と同時に操 れないからだと思っていたが違ったらしい。あれを作りだす為 に全て廻 されていたのだろう。
だが致命的な遅れは無い。刃を返し切先 を降下 してくる人形の胸に合わせる。僅 かにこちらの方が早い。勝機 を見て、飛び込もうとした瞬間膝 が落ちた。
鳴 り響 く警告音。擬似網膜 が赤い文字で埋め尽くされる。流しすぎた循環液 と雷球 が撒き散らした紫電 によってぼろぼろになった衣 。それに伴 って急激に低下した冷却性能が内部の熱量を逃がしきれなくなり、擬躯 が行動不能に陥 っていた。
それを予測していたように此方を見下ろした人形が薄く嗤 った。
「終わりです」
人形の手が酷くゆっくりと振り抜かれ、現れた巨大な矛 が此方に向かって放たれる。
一瞬動けるだけの冷却が完了したのと同時に跳 び退 る。稼 げたのは一歩。視界を巨大な穂先 と螺旋 を描 きながらそれに纏 わりついた穢 れが埋め尽くす。
圧倒的な死の確信 。無駄だと思いながら刀身を翳 した瞬間、衝撃と轟音 で一切の感覚が消し飛んだ。
‐警告‐警告‐警告
闇の中に浮かぶ赤や黄色の表示。展開され続けるそれが明滅 し、重 なり合った警告音が一つの悲鳴のように響 く。
右目は何も捉 えず。左目の表示だけが唯一の情報源になる。
‐循環系不全 。蓄積 熱量限界 。
まだだ。
‐左 脚部 圧壊 。
叫んだはずの声は聞こえず、警告音だけが響 く。
‐左腕 欠損 。‐腹部内機関損傷 。
まだ、終わるわけにはいかない。
‐損壊 循環系閉鎖 。代用 循環系形成 。‐生体部維持最優先 。
動こうとする意志を義躯 が撥 ねつけ、膨大な警告表示が消えていく。
‐疑似躯体 休眠 。
俺のマフラーや着物と同じだ。
小さな頭を
「この状態の私に
感心したように投げかけられた言葉に
「ならば、方法を変えましょう」
一瞬の
全てが同じ少女の姿だと気付いた
現れた八体の
最初に振るわれた
断面から
引きぬいた刀を振るって
そこを狙って振り下ろされた
斬り上げられた
侵入した
回転した結果。遠心力と
そして呼吸を整える
それは
恐怖も痛みも感じない人形と、そしてそれを此処まで
「
風に乗って届いた声。伸ばされた人形の
殺傷では無く足止めを目的とした力押し、それを裏付けるように
反動で後退しようとした瞬間。後方へ
通り抜けた
「もう十分でしょう。通していただけませんか?」
静かな声で美しい少女を
投げかけられた言葉には答えず全力で
「……でしょうね」
反発をねじ
一つ、二つ、叩き落とす度に散る
四つ斬り
見上げれば高く
作られていくのは巨大な
だが致命的な遅れは無い。刃を返し
それを予測していたように此方を見下ろした人形が薄く
「終わりです」
人形の手が酷くゆっくりと振り抜かれ、現れた巨大な
一瞬動けるだけの冷却が完了したのと同時に
圧倒的な死の
‐警告‐警告‐警告
闇の中に浮かぶ赤や黄色の表示。展開され続けるそれが
右目は何も
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まだだ。
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叫んだはずの声は聞こえず、警告音だけが
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まだ、終わるわけにはいかない。
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動こうとする意志を
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