プロローグ 眠リ姫

文字数 1,760文字

 部屋の中央に()えられた、玉座(ぎょくざ)のような(くろ)い椅子には、この空間の(あるじ)である彼女が身を(あず)けている。

 (まと)っているのは(くろ)入院着(にゅういんぎ)のような簡素(かんそ)(ふく)で、(とし)(ころ)は11才(なか)ばから12才と言ったところだ。
 145センチメートル38キログラムの肉体は標準からすれば()せ気味で、服の側面にある切れ目から、(かす)かに浮き上がった肋骨(ろっこつ)の線が(のぞ)いている。
 ()びた四肢(しし)はもちろん(ほそ)(たよ)りない。だがその二の腕や(もも)には今後の成長を予期させるような(かす)かな肉感が(すで)に存在しており、()りのある指は宝石のような爪で飾られていて、(くるぶし)の先にある22センチメートルの足は光沢(こうたく)のある(くろ)い靴に(つつ)まれている。それはまだ、開いていないつぼみの如き少女の姿だ。いずれ失われてしまう一瞬の美しさ。
 そこから視線を上げて、(わず)かに(かたむ)いている頭部に目を向ければ、身に着けている(くろ)とは対照的な、肩口で切りそろえられた(つや)やかな白銀(はくぎん)の髪が目に()まる。
 その下にある肌は白磁(はくじ)のように(なめ)らかで、(ほほ)には(かす)かな赤みが差し、閉じられた(まぶた)から生える睫毛(まつげ)(おだ)やかな()(えが)いている。
 軽く結ばれた小さな口と(やわ)らかそうな(くちびる)。その端整(たんせい)な顔を見たなら誰もが見惚(みと)れてしまうだろう。

 その姿に数瞬時を忘れた後で手を(かざ)せば、指に()めた環状端末(かんじょうたんまつ)が青い光を放ち、空中に多数の仮想ディスプレイを出現させた。
 
 装置の起動と共に動作(どうさ)を始めた冷却ファンが加速し、音を立て始める。引き起こされた風によって彼女の髪が(なび)き、展開したディスプレイ群の放つ青色によって(きら)めく。
 瞬間、警告音が(ひび)き、回路の一部で火花が()った。即座に予備回路が中継を開始。警告音が消え、仮想ディスプレイに表示されている数値が再上昇していく。
 (みゃく)が速まり、口腔(こうくう)から水分が失われていく、視線の先で奇跡(きせき)が起こるのを願う。再び響いた警告音と共にそこかしこで火花が散り、(いく)つかのディスプレイが黄色発光(おうしょくはっこう)。冷却ファンが減速し、彼女の髪が(しず)まっていく。現れつつあった奇跡(きせき)が遠のく。
 部屋を埋めた黄色(きいろ)一斉(いっせい)赤色化(せきしょくか)したかと思うと次々に消失した。これまで何度も繰り返された光景にそれでも落胆(らくたん)(おぼ)える。
 暴れていた(みゃく)がおさまっていくのに()わり、身体の奥から()いた寒気(さむけ)は、高揚(こうよう)や期待が生み出した万能感が幻想だった事を知らしめようとしていて、それに耐える為に目を瞑り、手を強く握った。

 いつもの事だ。

 心の中で言い聞かせるように(つぶや)き、ゆっくりと息を吐きながら手を開く。目を開ければ彼女が見える。ただそれだけの事が急速に希望を喚起(かんき)させた。それが苦痛を長引かせるだけだと知りながら口元は(ほころ)ぶ。

 これしかない。もうこれしかないのだ。

 思考が失敗の原因を探し始める。装置の損傷具合(そんしょうぐあい)を確かめる為、一つだけ残ったメインディスプレイに手を伸ばそうとして、彼女の睫毛(まつげ)が微かに揺れた気がした。
 冷却ファンが止まった今そんな事が起こる(はず)が無い。それでも(まばた)きすら躊躇(ためら)凝視(ぎょうし)した先で彼女の睫毛(まつげ)が確かに()れた。
 
 息を呑んだ瞬間、周囲に仮想ディスプレイ群が再出現。数値が上昇し冷却ファンが動き出す。何かした訳では無く誤作動でもない。
 心臓が()ねる中、彼女の(まぶた)がゆっくりと持ち上がり、(うれい)いを()びたような(あお)い瞳が(あら)わになった。頭部ごと持ち上げられた視線は迷うように動いたあと、硬直したままそれを見つめていた此方を向いた。

 「あっ……」

 静寂(せいじゃく)を破ったのは自分の口から()れた(ふる)え声。(ほう)けたように立ちながら、あらゆる歴史的瞬間も、居合(いあ)わせた者にとっては、ただ過ぎ去ってゆく現象に過ぎず、喜びも恐怖も想定を超えると適切な反応すら(しめ)せなくなるのだと頭の片隅(かたすみ)で思った。

 「……君に、会いたかった」

 永遠のような一瞬のあと、(かわ)ききった口を動かして何とか発した言葉はまだ(ふる)えていた。躊躇(ためら)いながらも伸ばそうと動かした指も(ふる)えている。

 「君はクストス」
 
 (ふる)えの(おさ)まらない声で続けた私に向かって彼女は(うなず)いてくれた。

 「私は……」
 
 そこまで言って少しだけ迷った。

 「ボクは、君をクスィと呼ぶ」
 
 確かめるように発した彼女の愛称(あいしょう)。口にした懐かしい一人称(いちにんしょう)は、何処(どこ)かぎこちない発音で、そんな事をしたのは、たぶん彼女を前にして、いつかの自分に戻りたかったからだ。
 それは永遠の少女である彼女と釣り合う存在でありたいという。きっとそんな見苦しさだった。
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