第39話 婚姻②
文字数 3,483文字
目を開けると見慣れた寝室の天井が見えた。けれど身体が載 っているのはいつも使っているダブルベッドではなく、その横に置かれた医療用ベッドだった。
疑似網膜 の表示によれば、あの人形を倒してからまる一日ほどが経過 している。どうも俺はあれからずっと眠っていて夢を見ていたようだ。
有人機 が降り立つのを見ながら意識を失った俺は、たぶんそのまま隣 の施術室 に運び込まれて、紫依華 の施術 を受けたのだろう。そして施術 が終わった俺を紫依華 はわざわざこっちまで移動させてくれたらしい。
「おはよう」
聞こえた声の方に視線を動かすと紫依華 がいた。或 いはこれも夢かもしれないと伸ばした手でその頬 に触 れると夢とは違う確 かな感触があった。
嫌がるでもなく優 し気に目を細めた紫依華 が頬 に触れた俺の手に自らの手を重 ねる。
「どうなった?」
意識がハッキリしてくるのに合わせて、気になったのはそれだった。
「大丈夫。久那戸 があの人形を倒した事で事態は収束 したよ。起動する人形の数も以前と同じ水準まで戻った」
「そうか……それは、良かった」
とりあえず役目は果たせたのだと安堵 しながら、口にした言葉は揺 れていた。
「本当にこれで良かったか考えてる?」
見透 かされた迷いに頷 く。
「人形の言葉が全て真実だったなら、俺は未来を閉ざしたのかもしれない。人にはできない理想的な世界を人形が本当に作れたのなら……」
「確かに、人形が嘘をついていなかったら、それはできていたのかもしれない。でも久那戸 が負けていたら間違いなくもう一度大争が起こっていた。それが最後の戦争になったとしても、沢山の人が死んでいた。だとしたらそれを人は選んじゃいけない。未来の為に必要な犠牲なら正しいと言ってはいけない。どこまでも詭弁 に聞こえてしまうかもしれないけど、それでも私はそう思う。結果として争いが無くならなくて、救える筈 の命を救えない世界が残ったんだとしても、それでも……。
それにそもそも、そんなのは久那戸 が負 うべきものじゃないよ。人形の言葉通りなら今も暴走しているままの防衛機構 や、いつか人形都市 が目覚める可能性の事だってそう。少なくとも久那戸 は起きようとしていた戦争を止められた。それでいいと思わない?」
紫依華 の言葉は正しいと思いながら、俺はまだ迷っていて、それでも向けられたまっすぐな眼差 しと力強い声は、俺の気持ちをいつものように少しだけ軽くした。
軽く頷 いて見せた俺がまだ迷っている事にも気づいているだろう紫依華 は、けれどそれ以上何も言わなかった。
二人きりの部屋。初めて会った時にも似た光景の中、目の前にいる紫依華 の姿は変わっていて、それに流れた歳月 を感じ、けれど、あの時と同じ気持ちを今も確かに抱 いている。
「こうしていると、初めて会った時の事を思い出すね」
紫依華 も同じ事を思っていたらしい。
「俺も、そう思ってた」
そう答えると紫依華 は軽く微笑 んでから立ち上がって、医療用ベッドを操作した。俺の上体を起こしたベッドに紫依華 があの時みたいに上 ってきて横に座る。あの時は余裕があったベッドも今は狭 い。
紫依華 が落ちないように身を動かした時、今更義躯 が全て綺麗に直されているのに気付いた。
「全部直してくれたんだ」
「どれだけ壊してもいいって言ったからね」
「ありがとう。……でも、もうきっと……」
笑いかける紫依華 は完璧な処置をしてくれただろう。けれど身体がズレているような感覚は増大していて、それが示 す事を伝 えようとした口を紫依華 の指が抑 えた。
「帰ってきてくれた。それだけで十分」
満足げにそう言う紫依華 を見ていると申し訳なさが込み上げる。
「俺は結局、紫依華 から貰 うばかりで何もしてあげられなかったな」
生まれてきてからずっとそうだった。貰 うだけ、奪 うだけの命。そんな罪悪感を抱 いた俺を見ながら、紫依華 は首を横に振 った。
「そんな事ない。久那戸 は私が望んだとおりそばにいてくれた。例えそれが誰かの言う幸せとは違っても、それでも私は幸せだった。久那戸 がそうしてくれたんだよ。ちゃんと私を幸せにしてくれた」
返された優しい言葉と一緒に紫依華 が寄りかかってきて、その温 もりに掛 け替 えのない価値を感じた。
けれど同時に少しだけ湿 っぽい気持ちになって、僅 かに視線を動かすと机の上にある花瓶にいつもとは違って沢山の花が活 けられている事に気付いた。品種も色もバラバラで、どの花も主役になろうとしているみたいなそれは、絶対に紫依華 の仕業ではない。
「ああ、それ?なんか久那戸 の同僚の人が来て置いていったの、手ぶらで来るのも何だったから道すがら摘 んできたって……笑っちゃうよね……会っていくか聞いたけど弱ってる姿なんて見たくないって。具足 姿 で名前も教えてくれなかったから誰だかわからないんだけど」
あいつらしいと思った。たぶん俺の体の事も知っていて知らないふりをしてくれていたのだろう。通信を繋 ぐ気にはならなかった。どうせあいつは出ないだろうし、そういう別れ方でいい。
「それでいい。俺も見られたくない」
「私はいいの?」
「もう、何度も見られてる」
「そうだね。私だけが知ってる」
「紫依華 が兄 さんなんて呼んだから死 に損 なった」
微笑みながらこっちを見ている紫依華 に向けて、少しだけ責 めるように口にする。
「ああ、突然通信が繋 がって、生体反応が薄れてたから何度も呼んだんだ。思わず兄 さんって呼んだかもしれない。でも、もしもそれで死 に損 なったなら、私の手柄 だね」
冗談めかすように口にした紫依華 が嬉しそうに笑う。
「これで二回目だ。初めて会った時も紫依華 の所為 で死 に損 ねた」
今思えばあれで死ねたかは分からないが、あの時俺の手を止めてくれたのは紫依華 だった。
「そうか……そうだったんだ。それなら、何回でもそうなったらいいのに……」
紫依華 の顔が陰 ってしまったから話を変えようと今日も花瓶の横で剣を掲 げている少しだけ色あせた人形に視線を移す。
「俺は、ヒーローみたいに成れたかな」
幼い頃にあこがれ、そうありたいと願ったもの。口にした俺に紫依華 は深く頷 いて見せた。
「成れたよ。随分 手がかかったけど、人を守る為に戦い続けて、大争 だって防 いだんだから、それが記録にも残らないとしても私は知ってる。それに私にとってはずっとヒーローだったよ」
自然と笑みが浮かんだ俺とは違い紫依華 の頬 には涙が伝 った。それが嬉しくて悲しかった。
それはきっとあの時紫依華 が言った綺麗な涙で、伸ばした指先にそれを載 せると紫依華 は顔を逸 らした。
「本当は、全部治して、あげたかったんだけどな……」
悔 やむような小さな呟 き、そんな気持ちを抱 いて欲しくなくて笑みを浮かべる。
「人形技術 だって万能 じゃない。もしそうじゃなかったら、大戦の時に人間は負けてたさ、それに、予定より五年以上長く持たせたんだから、大したものだよ」
「他人事 みたいに言わないでよ……」
その声には少しだけ怒りが混ざっていて、また言葉を間違えたのだと気付く。
「でも俺はさ、こんな風に生きられるとは思ってなかったから何処か満足してるんだ……ほら、紫依華 、こっちを向いて」
「嫌 、きっと酷い顔をしている」
「そんな事はない。初めてあった時から紫依華 はいつだって綺麗だ。少なくとも俺にとっては」
「……なに、それ」
面白くもない冗談に、こちらに視線を戻した紫依華 は無理やり笑ってくれた。その頭を引き寄せる。いつか紫依華 がそうしてくれたように……。
「……いい、人生だった?」
嗚咽 交 じりの声で囁 くように聞かれた。それに迷う事は無い。
「ああ、紫依華 がそばに居てくれたから」
眠るたびに幾度 となく見た過去。あの頃には考えられなかった今。何度も身体を直しながら壊れた心まで紫依華 は治してくれた。過去が傷をつけるたびに何度でもそうしてくれた。俺にとっては紫依華 がヒーローだった。
「私も、久那戸 と一緒にいられてよかった。……ありがとう」
いつか悲しみを抱いた感謝の言葉も紫衣華 が口にするとまるで別の言葉のように優しく響 いた。
「……紫依華 」
「何?」
呼びかけておいて続ける言葉に迷った。言いたいことは山ほどあるような気がするのに、探すと見つからない。
「こんな時はもっとこう、何かいい言葉を思いつくと思っていた」
苦笑 いを浮かべながら呟 くと紫依華 は涙をぬぐいながら笑った。
「久那戸は口が下手だから、いつもと同じくだらない言葉でいいよ。そのかわり少しでも長く私のそばにいて、少しでも多く話してよ」
俺は頷 いて口を開き、二人の間でしか意味を成さない、くだらない言葉を声にのせた。
「おはよう」
聞こえた声の方に視線を動かすと
嫌がるでもなく
「どうなった?」
意識がハッキリしてくるのに合わせて、気になったのはそれだった。
「大丈夫。
「そうか……それは、良かった」
とりあえず役目は果たせたのだと
「本当にこれで良かったか考えてる?」
「人形の言葉が全て真実だったなら、俺は未来を閉ざしたのかもしれない。人にはできない理想的な世界を人形が本当に作れたのなら……」
「確かに、人形が嘘をついていなかったら、それはできていたのかもしれない。でも
それにそもそも、そんなのは
軽く
二人きりの部屋。初めて会った時にも似た光景の中、目の前にいる
「こうしていると、初めて会った時の事を思い出すね」
「俺も、そう思ってた」
そう答えると
「全部直してくれたんだ」
「どれだけ壊してもいいって言ったからね」
「ありがとう。……でも、もうきっと……」
笑いかける
「帰ってきてくれた。それだけで十分」
満足げにそう言う
「俺は結局、
生まれてきてからずっとそうだった。
「そんな事ない。
返された優しい言葉と一緒に
けれど同時に少しだけ
「ああ、それ?なんか
あいつらしいと思った。たぶん俺の体の事も知っていて知らないふりをしてくれていたのだろう。通信を
「それでいい。俺も見られたくない」
「私はいいの?」
「もう、何度も見られてる」
「そうだね。私だけが知ってる」
「
微笑みながらこっちを見ている
「ああ、突然通信が
冗談めかすように口にした
「これで二回目だ。初めて会った時も
今思えばあれで死ねたかは分からないが、あの時俺の手を止めてくれたのは
「そうか……そうだったんだ。それなら、何回でもそうなったらいいのに……」
「俺は、ヒーローみたいに成れたかな」
幼い頃にあこがれ、そうありたいと願ったもの。口にした俺に
「成れたよ。
自然と笑みが浮かんだ俺とは違い
それはきっとあの時
「本当は、全部治して、あげたかったんだけどな……」
「
「
その声には少しだけ怒りが混ざっていて、また言葉を間違えたのだと気付く。
「でも俺はさ、こんな風に生きられるとは思ってなかったから何処か満足してるんだ……ほら、
「
「そんな事はない。初めてあった時から
「……なに、それ」
面白くもない冗談に、こちらに視線を戻した
「……いい、人生だった?」
「ああ、
眠るたびに
「私も、
いつか悲しみを抱いた感謝の言葉も
「……
「何?」
呼びかけておいて続ける言葉に迷った。言いたいことは山ほどあるような気がするのに、探すと見つからない。
「こんな時はもっとこう、何かいい言葉を思いつくと思っていた」
「久那戸は口が下手だから、いつもと同じくだらない言葉でいいよ。そのかわり少しでも長く私のそばにいて、少しでも多く話してよ」
俺は