通信士ノ記録
文字数 8,377文字
ヘッドホンを被 ってスイッチを押すと、計測器 の針が動き、ノイズと共に画面がゆっくりと明 るくなる。
並んだ真空管 が淡 い光を放ち始めるのを確認して文字盤 に手を伸ばした。
‐hello、hello
青白 い画面に文字が浮かびあがる。打ち込んだ文章は、内部で数種類の言語 に自動翻訳 された後 、信号化され、屋上に取り付けられた馬鹿みたいに巨大な錆 び付いたアンテナから、ガラス天井の向こうに見える闇 の中へ送 られていく。
‐此方 は
そこまで打ち込んで手を止めた。椅子を深く倒し、古代の石棺 に彫られた王様みたいに空を見上げる。
雲一つない空には満月 、目を凝 らせば星も見える。世界には夜空を美しいと思う人と恐ろしいと思う人がいる。前者は暗闇 の中にあっても確かに灯 る星々の光を指 して希望を語 り、後者は煌 めく星々を見つめながら、それすらも押し潰すような闇 を世界の真実だと捉 える。ボクは後者だ。幼い頃は夜が怖くて仕方がなかった。果ての無い暗闇 に飲み込まれるような気がした。
「馬鹿だろ、じいちゃん」
届かないと知りながら呟 く。ガラクタを集めて造られた無駄に巨大な通信機は、受信どころか送信できているのかすら怪 しい。だが此処に座って試 してしまった時点でボクも似たようなものかもしれない。
じいちゃんが最後に通信していたのと同じ時期、同じ時間に試 してみたけれど特に変わった事は起こらなかった。あの日此処 で倒れていたじいちゃんは「届いた」と呟 いて微 かに笑ったけれど、画面には何も表示されていなかったから単なる勘違いか、死の間際に聞こえた幻聴 だったに違いない。
けれど、そう思いながらも通信を試 みていた。何故だかは自分でもよく分からない。
じいちゃんが最後にした交信 の記録 は結局何処 にも見つけられなかったけれど、ばあちゃんが作ったらしい送信文は装置の中に保存されていた。それは四十年以上前、この通信機が完成して間もない頃 の物で、とても外宇宙 の知的生命体 に向けたメッセージとは思えないもの。端的 に言えば日記だった。
‐いつか、これを読んでくれるかもしれない。遥 か遠くの知的生命体 さんへ。
そう始められた文章の下には‐所々 間違っている。という注釈 が加えられている。きっと何度も手を加えられている間に打ち込まれたのだろう。
‐あの日の空気は冬の匂いがしていた。空には私の心とは裏腹 に雲一つなくて、暗闇 には満天 の星が煌 めき、それが私を嘲笑 っているみたいな気がした。
踏み出す一歩で世界が壊れてしまえばいいと強く踏みしめても、怒りは気を抜けば容易 く悲しみに変わってしまって、込み上げてくるそれを、唇 を噛みしめる事でどうにか抑 え込んでいた。
単純な裏切り。いや私が信じていただけで向こうにとってみれば初めから私との関係など存在しなかったのだろう。幼 かったと言えばそれまでで、それでも当時の私にとっては、それが世界の全てだった。
坂 を上 りきると僅 かな外灯 が校舎 を浮かび上がらせていて、普段なら気味が悪いと思っただろうけれど足を止めようとは思わなかった。
学校を選んだのは、当て付けだった。それが私にできるささやかな復讐 で、私の死があの人の脳裏 に焼き付く事を願ったのだ。
昼間に開けておいた窓から中に入った。微 かに差し込む光を頼 りに薄暗 い階段を昇 り、屋上 の扉を開けるために内鍵 を回して、取っ手をひねりながら押した時。元々 鍵がかかっていなかった事に気付いた。
鍵をもとに戻すと扉は軋 みながら開き、夜の明かりと共に冷たい風が吹き付けて、それが収まった後で顔を上げると視線の先に人影があった。
全てを壊しつくす筈 だった怒りが、瞬間的に恐怖に覆 われて、私は小さな悲鳴を上げた。
それに反応した人影が顔を上げてこちらを見た。微 かな明かりに照らし出された顔は記憶には無かったけれど、この学校の制服を着ていた。彼が此方に視線を向けたのは一瞬で、すぐに興味を失ったように隣 の望遠鏡を覗 き込んだ。恐らく私が悲鳴を上げるまでそうしていたのだろう。よく見れば、望遠鏡の横に何か良く分からない機材が置かれ、そこから伸びたケーブルがヘッドホンに繋 がっているのが分かった。
彼が何も言わず、私を無視したから、私は怒りを思い返し、決行するのだと近くの手すりへ向かった。
触れた手すりは夜風 に冷 やされた私の手よりも遥 かに冷 たく、痛みを感じる程 で、最後はきっともっと痛いのだろうなと思いながら、それでも乗り越えようとした。その時に初めて声をかけられた。「なぁ」とか「あぁ」とかそんなのだ。これと言って興味も無さそうなその声に振り返ると、彼がこっちを向いていた。
「もし飛び降りようとしてるなら、余所 でやってくれないか、犯人か何かだと疑 われても困 る」
「……遺書を持ってる」
私は驚いてしまった心を奮 い立たせるようにそう返した。
「ああ、そうか。でもそれでどうなるっていうんだ。君が此処で飛び降りたなら、此処は事件現場になって、きっと僕は証言をしなくちゃいけなくなる」
「そんなの、此処に居た事を黙ってればいいでしょ」
「それで僕が此処にいた事が分かれば、こんな時間に此処にいた訳 と、止めなかった理由を長々 と問われる事になるんだろうね。君は僕に一体どんな恨みがあるんだ」
そんな事を言う彼に対して私は怒りを覚えて「自分の事しか考えてないんだね」と睨 み付けながら言ったけれど、彼は臆 する様子も無かった。
「君だって今まさにそうだろ。他に何があるっていうんだ。誰だって自分の事以外どうでもいいんだよ。それともまさか止めるべきだとでも?見ず知らずの君を説得 すべきと?仮にそうしたとして、そしたら君が抱えている何かは解決するのか?幸せが訪 れて楽しく暮らせるのか?有り得ないだろ」
まったくその通りだと思いながら、それでも言い返した。
「じゃあ帰れば?その後で死んであげるから」
「嫌だ。先にいたのは僕で僕は前から此処を使ってる」
「此処はあなたの所有地じゃない」
「君のでもないだろ」
そこまで言葉を投げ合って解ったのは、彼は退 かないだろうという事だ。
「とにかく此処で死ぬのは諦 めて帰ってくれ、君の発するノイズが煩 すぎて何も聞こえない」
強い口調でそう言われてついに私は言い返せなくなった。けれど今にして思えば、私が本気だったなら彼が止める間もなく目的を果たせていただろう。だからそうしなかったのは、きっと本当はそうしたくなかったからなのだ。
ただその時はそんな事に思い至 ったりはせず、そのままおめおめと帰るのもなんだか悔 しかったから彼の言葉に反抗 して私は扉の横に座り込んだ。
死のうと思って出てきたから防寒具 なんて持ってきてなくて、身体が急に寒さを感じ始めて、ついでに悲しみが溢 れてきた。涙が零 れ始め、嗚咽 が漏 れた。しまいには鼻水 まで垂 れてきて、その全部を、身体を強く抱 いて抑 え込もうとしていると望遠鏡を覗く事を再開していた彼が一瞬こっちを見た。
煩 いんだろうなと言うのは分かっていた。でも止まらなくて、そうしたら望遠鏡から目を離し溜息 を吐 いた彼が黙って近づいてきたから、まだ残っている事を責 められるのだろうと思って身を硬くしたら、言葉じゃなくマフラーが飛んできた。
「巻いてろ、そのほうが少しだけ静かだ」
上着も貸 してくれればいいのにと思いながらマフラーを巻くと少しだけ温かくなった。
それから私は寒さに震 えながらずっと座っていた。初めは居 なくなったら死んでやるんだと思っていたのに、彼がいつまでたっても帰る気配が無かったから、だんだん決意も薄 れてきて、今日は諦 めようと考えるまでになっていた。けれど、それでも帰ったら負けな気がして、意地になって耐え続けた。
「此処で何してるの?」
随分 経 った頃 、寒さと退屈 に耐 えられなくなって、なんとなく問いかけてみた。冷え切った空気の中に響 いた私の声、でも彼は顔を動かす事も無く望遠鏡を覗 き続けた。
「……宇宙からの信号を待ってる」
何も返ってこないと思った沈黙の後で、そっけなく返事があった。だから、続けて聞いた。
「そんな小さな通信機で宇宙に向けて信号が送れるの?」
「送れない」
「じゃあ、受信だけ出来るんだ」
「できない」
彼の言葉を何回か頭の中で復唱 させた。
「……何してるの?」
まったく意味が分からなかった。つまり彼は、役に立たない通信機を持って望遠鏡を覗 いていたのだ。天体観測が趣味なのかもしれないと考えついた。彼がノイズと呼んだ私の言葉が、実際のところ何の邪魔にもなっていない事を知って、私は遠慮 するのをやめた。
「あの星は?」
「知らない」
私が指 さした先は見られる事も無かった。
「ああ、そう、じゃあどれがオリオン座?北極星は?」
「教科書か何かで探してくれ」
「そんなの持ってない」
「じゃあ、見つけるのは不可能だ」
「……それで何見てるの?」
まともな答えは返ってこないだろうと思いながら一応尋 ねた。
「地球外の知的生命体 との通信は禁止されているんだ。通信機だけ持ってたら怪 しまれるだろ」
そんな事も知らないのかというように言われたけれど、星の一つも知らないで望遠鏡を持っていても何の説得力も無い気がした。
私が偶然 出会ってしまった人は、かなりやばい人なのかもしれないとその時に思った。使えない通信機を持って、星を一つも知らずに望遠鏡をのぞいている。つまり目の前の彼は、こんな寒い冬の夜、学校の屋上に何の意味も無く立っていたのだ。
「あ、えっと、結局此処で何してるの?」
彼は望遠鏡から顔を離して空を見上げ、それから数秒沈黙した後でこっちを向いた。
「この通信機では基本的に宇宙からの信号を受信できない。現在考えられているようなそれらの信号を受信するにはもっと巨大な受信装置がいる。それは、宇宙からの信号が、人類が過去にそうしたように、おおよその見当で発信されたものか、別の目的で発進された信号が偶然 、この惑星まで届いたものだからだ。でも、もし向こう側が高い技術力を持っていてこの通信機で受信できるように信号を送信してきたなら受け取れるかもしれない」
「つまり、宇宙に住んでる知的生命体 が、何故かこの星のあなたに向けて直接信号を送ってきたらってこと?知り合いでもないのに?」
彼は頷 いた。そのことに少しだけホッとした。自分は宇宙人にさらわれたことがあって体のどこかに何かを埋め込まれているとか言い出したらどうしようかと思っていた。
「それに知的生命体 の技術レベルによっては宇宙船でこの惑星の近くまで来ているかもしれない。それなら偶然 、僕を見つける可能性も無くは無い。そしたら僕はたぶんこの惑星で初めてのコンタクティーになるんだ。政府が地球外の知的生命体 との接触を隠蔽 していなければね」
「もしそうなったら、どうするの?」
「……何処かへ連れて行ってもらう。ここじゃない何処かへ」
僅 かな間をおいて返ってきたそれは、殆 ど嘘を吐 いているような彼の言葉の中で、数少ない本音のような気がした。
結局彼は夜が明けるまで動かなかったから、その日、私は死 に損 なった。まぁ、その後でも実行しようと思えば可能だったから、実際は死ねなかったんじゃなく彼に気を使って死なないで上げたのだ。そして私は風邪 をひいて数日寝込んだ。
病 み上がりで登校した日。同学年か一つ上だと思っていた彼が自分よりも一つ年下だった事を知った。
その日の夜も死のうと思って屋上 に行ったけど彼が居たから死なないであげた。次の日も、その次の日もそうだった。
いつしかそれが習慣 みたいになって、私は彼から三歩離れた位置に座るようになった。時々投げかけてみる言葉に、彼はめんどくさそうに返事をして、そしてそれはたまに彼にしては長い会話になって……。
そんな日が何故だかずっと続くような気がしていた。けれどある日、空を厚 い雨雲 が覆 った。星の見えない空を仰 ぎ、容赦 なく振 り注 ぐ雨を浴 びながら、今日が最後の日になるのだと思った。
彼がいたから死ねなかったのだから、彼がいないなら死ねるのだ。やっと目的が達成されるというのに何故だか足は重かった。
辿 り着いた屋上の扉の前。いつもの癖 でそのまま取っ手を捻 ると鍵が閉まっている筈 の扉 は微 かに軋 みながら開いて、そしていつもの場所に彼がいた。
望遠鏡と通信機は持たずに黒 い傘 をさして、雲に覆 われた空を見ていた。扉の開いた音に反応して彼がこっちを向き、私達は数秒 視線を合わせた。
「今日は星なんて見えないのに……」
彼が何も言わなかったから、私が口を開いた。
「どうせ、通信なんて届きはしないんだ。……ただ、今日此処へ来なければ、君が……死んでしまうのではないかと思ったから」
そんな事の為 に、彼が此処 にいる事が信じられなかった。そんな人ではないと思っていた。
「私はあなたにとってノイズだった筈 でしょ?ああ、私が死ねば此処が使えなくなるからか……」
自分でそれに気付いて落胆 した私を余所 に、彼は何処 か戸惑 っているみたいに視線を動かした。
「違う。確かに、君はノイズだった。けれどそれがない世界をもう想像できなくなってしまった。君を救う言葉も術 も、僕には思いつきやしない。けれど、それでもいつか通信が成功するその瞬間に立ち会ってくれないだろうか、……死ぬのは、その後でもいいんじゃないか?」
そんな事を彼が言ったから、渇 いた笑い声が自分の口から漏 れて、気 が付 いたら泣いていた。嗚咽混 じりの声で返事をしたその時から、それが生きていく理由になった。
彼が傘 を一本しか持っていなかったのは彼も私が来ないかもしれないと思っていたからだろう。いや私達は、そうやってお互 いがお互 いの目的を果たす為にやってきた場所で偶然 出会ってしまったという、そういう体裁 を保 とうとしていたのかもしれない。彼が足を進め、そして降 り注 ぐ雨を傘 が遮 った。
記録にはその後 の事も延々 と書かれていた。二人だけで同好会を作って放課後から夜までじいちゃんはそこで眠っていた事。ばあちゃんは夕方に一度家に戻って、夜に抜け出した事、テストの前にじいちゃんに勉強を教えた事なんかが記録されていた。ほとんど惚気 だ。
そして二人は山奥の廃屋 を買って、天体観測所を増築 し通信装置を作り始めた。幼い頃は両親に連れられて此処にきた。進学と共 に移り住んだのは、辺鄙 だが家賃を払わなくてもいいと言う理由もあったけれど、なによりもきっとこの奇妙 な家が好きだったからだ。
時が流れ、快 く迎え入れてくれた二人が老いていくのも、その先でばあちゃんが壊れていくのも、その結末も見届けた。そしてボクだけが残った。
まだ二人が生きていた頃、深夜に鳴 った電子音で目を覚ました事があった。端末 を開くと別室の窓が開かれたという表示が浮かんでいて、部屋を出ると上の階から灯 りが漏れていたから、じいちゃんがまだ通信機にかじりついているのがわかった。でも、開かれていたのは違う部屋の窓で、だからそれを確認に行くと、ベランダに出たばあちゃんが空を眺 めていて、呼びかけるとこっちを見て安心したように表情を緩 めた。
「……届いた?」
ボクにそう聞いたあの時のばあちゃんは、きっと記録 に書いてあったいつかの屋上 にいたのだろう。
「戻ろう」と差し出した手に向けて伸ばされた指は枯れ枝のように細く衰 えていたけれど、しっかりとボクの手を握 った。
「そう、じゃあ、また明日ね」
そう言って、嬉しそうに微笑 んだばあちゃんは、きっとボクの事をじいちゃんだと思っていた。何もかもゆっくりと失っていったばあちゃんが最後まで手放さなかったのはじいちゃんとの思い出だった。
けれど、だからといってどうにもならなかった。真 っ暗 な部屋の中で一人座っていたじいちゃんが「どうして……」と呟 いていたのを覚えている。
ばあちゃんの身体に、頻繁 に痣 ができて、それがじいちゃんの所為だと知っていても、ボクは何もできなかった。知っていたからこそ、何もできなかったのかもしれない。じいちゃんは怒りに任せて手を出してしまった後で、いつも涙を流しながら謝って、恐らく何も理解できていないだろうばあちゃんは、微笑 みながらじいちゃんの頬 に触れようとするのだ。
それが繰り返される日々の中で、じいちゃんは信号を探し続けた。まるで返信さえあれば、それを聞かせられれば、ばあちゃんを元に戻せると信じているみたいに、ばあちゃんが死んでもじいちゃんは止めなかった。手段だったそれが、いつの間にか目的になっていたのかもしれない。それは狂気だったのだろうか、それとも正気だったのだろうか。それを聞く事はもうできない。
思い出に浸 り終えて、ヘッドホンを外 そうとしたとき、急に強いノイズが聞こえた。一度では無く二度。慌てて画面に目を向けると画面に文字が表示されていた。
‐Aello、Aellow
計器類が信号の受信を示し、ボクは息をするのも忘れ、慌 てて文字盤 に指を乗せた。
◆◆◆
「それで、どうなったのです?」
久しぶりに電源を入れた通信機の椅子に座り、昔話をしていたボクへ向かってクスィが聞く。
「残念ながら、彼は外宇宙の知的生命体 などでは無かった。彼によると、この通信機からの信号は月に反射して彼の通信機と偶然繋 がったらしい」
「それは……」
「そうだ、ボクも最初はありえないと思った。この惑星の最も近くにあって、未 だ手の届かない天体が月だ。解明されていない事象がその道を閉ざしている。送り出された無人探査機は全て消息 を絶 ち、通信は反射されるどころか表面に到達すらしない筈 だ。でも、彼にはそれができた。月の障壁 の綻 び。大戦 の混乱で人が忘れてしまったそれを彼は探し当て、利用しているらしかった。
じいちゃんが最後に届 いたと言っていた通信も存外 そんなものだったのかもしれない。名前やプライベートを語る事を嫌がった彼はオクルスと名乗り、ボクの事を通信士 と呼んだ。「お互いを知らないという事が、君と僕を対等 な存在と成 さしめる」それが彼の信念のようなもので、だからこそ、彼は文字だけの限定された通信で遊んでいるらしかった。彼の教えてくれる周期に合わせ何度もやり取りをした後で、彼は唐突 にいなくなった」
此処ができた時に持ち込んだ通信機に繋がるアンテナは、あの時と同じになるよう調整してある。だが、結局、何度試 しても繋 がる事は無かった。通信記録を開けば、オクルスと名乗った彼との最後の通信が画面上に緑色 の文字で浮かび上がる。ボクはそれがクスィにも見えるように画面を動かした。
‐残念だけれど僕にはもう時間が無い。これが最後の通信になるだろう。君に僕の全てを、けれど、それをどう使うかは君に任 せるよ。通信士
「それから彼が何をどうやったのかは分からないが、ボクのところにソムニウム・ドライブを初めとするあらゆる構想と設計図、それを実行するために必要な巨額の資金が送られてきた。そこから辿 ろうとしたけれど全て途中で追跡不能になって、結局彼が何者だったのかは終 ぞ解 らなかった。全てを持っていた彼には時間だけが無くて、何も持っていなかったボクにはただ時間だけがあって彼と友人になれた。そんな偶然 がボクを此処まで連れてきたんだ」
全て話し終えてボクは通信機の電源を落とした。暗くなっていく画面に寂 しさを覚える。
「いつだって人は唐突 にいなくなって、残された者は置き去りにされる……」
確かに言葉を交 わした人達はもう記憶 の中にしか存在しない。あの家も既 に無く、机上 の小さな額縁 、ボクが撮った写真の中で微笑 む二人にも、もう会う事は出来ない。
残ったのは僅 かな記録 と、がらくたみたいな通信機だけ、二人の人生とはなんだったのだろう。そしてボクの、いや、そもそもの人の一生とは……。今まで何度も考えてきた事に、また身震 いを覚 えた。
誰もが一世紀もすれば消えてしまう。そんな人の作り出す喧騒 は全て幻のようなもので、その中にいる人々は誰もが、未 だ果てていないだけの生き残りで、そして自分が何処に行くのかと、いなくなってしまった人達が何処にいってしまったのかを誰も知らない。
いつか再会できるかもしれないなんていうのは望み以上の何かではないと誰もが解っている筈 なのに、人が未 だに繁栄 を続けている理由がかつてはわからなかった。
「幼い頃 に思い描 いていた未来は、こんなんじゃなかった。ずっとそのままでいられるような気さえしていたんだ。そんな筈 ないのに、いつの間にかずいぶん遠くまで来て、皆どこかにいってしまった……ボクを置いてどこかに……」
呟 いたボクの手をクスィがそっと握 った。
「私はあなたを置いて居なくなったりはしませんよ」
そう言ったクスィの手はひんやりと柔らかい、いつもと同じ感触がした。
並んだ
‐hello、hello
‐
そこまで打ち込んで手を止めた。椅子を深く倒し、古代の
雲一つない空には
「馬鹿だろ、じいちゃん」
届かないと知りながら
じいちゃんが最後に通信していたのと同じ時期、同じ時間に
けれど、そう思いながらも通信を
じいちゃんが最後にした
‐いつか、これを読んでくれるかもしれない。
そう始められた文章の下には‐
‐あの日の空気は冬の匂いがしていた。空には私の心とは
踏み出す一歩で世界が壊れてしまえばいいと強く踏みしめても、怒りは気を抜けば
単純な裏切り。いや私が信じていただけで向こうにとってみれば初めから私との関係など存在しなかったのだろう。
学校を選んだのは、当て付けだった。それが私にできるささやかな
昼間に開けておいた窓から中に入った。
鍵をもとに戻すと扉は
全てを壊しつくす
それに反応した人影が顔を上げてこちらを見た。
彼が何も言わず、私を無視したから、私は怒りを思い返し、決行するのだと近くの手すりへ向かった。
触れた手すりは
「もし飛び降りようとしてるなら、
「……遺書を持ってる」
私は驚いてしまった心を
「ああ、そうか。でもそれでどうなるっていうんだ。君が此処で飛び降りたなら、此処は事件現場になって、きっと僕は証言をしなくちゃいけなくなる」
「そんなの、此処に居た事を黙ってればいいでしょ」
「それで僕が此処にいた事が分かれば、こんな時間に此処にいた
そんな事を言う彼に対して私は怒りを覚えて「自分の事しか考えてないんだね」と
「君だって今まさにそうだろ。他に何があるっていうんだ。誰だって自分の事以外どうでもいいんだよ。それともまさか止めるべきだとでも?見ず知らずの君を
まったくその通りだと思いながら、それでも言い返した。
「じゃあ帰れば?その後で死んであげるから」
「嫌だ。先にいたのは僕で僕は前から此処を使ってる」
「此処はあなたの所有地じゃない」
「君のでもないだろ」
そこまで言葉を投げ合って解ったのは、彼は
「とにかく此処で死ぬのは
強い口調でそう言われてついに私は言い返せなくなった。けれど今にして思えば、私が本気だったなら彼が止める間もなく目的を果たせていただろう。だからそうしなかったのは、きっと本当はそうしたくなかったからなのだ。
ただその時はそんな事に思い
死のうと思って出てきたから
「巻いてろ、そのほうが少しだけ静かだ」
上着も
それから私は寒さに
「此処で何してるの?」
「……宇宙からの信号を待ってる」
何も返ってこないと思った沈黙の後で、そっけなく返事があった。だから、続けて聞いた。
「そんな小さな通信機で宇宙に向けて信号が送れるの?」
「送れない」
「じゃあ、受信だけ出来るんだ」
「できない」
彼の言葉を何回か頭の中で
「……何してるの?」
まったく意味が分からなかった。つまり彼は、役に立たない通信機を持って望遠鏡を
「あの星は?」
「知らない」
私が
「ああ、そう、じゃあどれがオリオン座?北極星は?」
「教科書か何かで探してくれ」
「そんなの持ってない」
「じゃあ、見つけるのは不可能だ」
「……それで何見てるの?」
まともな答えは返ってこないだろうと思いながら一応
「地球外の
そんな事も知らないのかというように言われたけれど、星の一つも知らないで望遠鏡を持っていても何の説得力も無い気がした。
私が
「あ、えっと、結局此処で何してるの?」
彼は望遠鏡から顔を離して空を見上げ、それから数秒沈黙した後でこっちを向いた。
「この通信機では基本的に宇宙からの信号を受信できない。現在考えられているようなそれらの信号を受信するにはもっと巨大な受信装置がいる。それは、宇宙からの信号が、人類が過去にそうしたように、おおよその見当で発信されたものか、別の目的で発進された信号が
「つまり、宇宙に住んでる
彼は
「それに
「もしそうなったら、どうするの?」
「……何処かへ連れて行ってもらう。ここじゃない何処かへ」
結局彼は夜が明けるまで動かなかったから、その日、私は
その日の夜も死のうと思って
いつしかそれが
そんな日が何故だかずっと続くような気がしていた。けれどある日、空を
彼がいたから死ねなかったのだから、彼がいないなら死ねるのだ。やっと目的が達成されるというのに何故だか足は重かった。
望遠鏡と通信機は持たずに
「今日は星なんて見えないのに……」
彼が何も言わなかったから、私が口を開いた。
「どうせ、通信なんて届きはしないんだ。……ただ、今日此処へ来なければ、君が……死んでしまうのではないかと思ったから」
そんな事の
「私はあなたにとってノイズだった
自分でそれに気付いて
「違う。確かに、君はノイズだった。けれどそれがない世界をもう想像できなくなってしまった。君を救う言葉も
そんな事を彼が言ったから、
彼が
記録にはその
そして二人は山奥の
時が流れ、
まだ二人が生きていた頃、深夜に
「……届いた?」
ボクにそう聞いたあの時のばあちゃんは、きっと
「戻ろう」と差し出した手に向けて伸ばされた指は枯れ枝のように細く
「そう、じゃあ、また明日ね」
そう言って、嬉しそうに
けれど、だからといってどうにもならなかった。
ばあちゃんの身体に、
それが繰り返される日々の中で、じいちゃんは信号を探し続けた。まるで返信さえあれば、それを聞かせられれば、ばあちゃんを元に戻せると信じているみたいに、ばあちゃんが死んでもじいちゃんは止めなかった。手段だったそれが、いつの間にか目的になっていたのかもしれない。それは狂気だったのだろうか、それとも正気だったのだろうか。それを聞く事はもうできない。
思い出に
‐Aello、Aellow
計器類が信号の受信を示し、ボクは息をするのも忘れ、
◆◆◆
「それで、どうなったのです?」
久しぶりに電源を入れた通信機の椅子に座り、昔話をしていたボクへ向かってクスィが聞く。
「残念ながら、彼は外宇宙の
「それは……」
「そうだ、ボクも最初はありえないと思った。この惑星の最も近くにあって、
じいちゃんが最後に
此処ができた時に持ち込んだ通信機に繋がるアンテナは、あの時と同じになるよう調整してある。だが、結局、何度
‐残念だけれど僕にはもう時間が無い。これが最後の通信になるだろう。君に僕の全てを、けれど、それをどう使うかは君に
「それから彼が何をどうやったのかは分からないが、ボクのところにソムニウム・ドライブを初めとするあらゆる構想と設計図、それを実行するために必要な巨額の資金が送られてきた。そこから
全て話し終えてボクは通信機の電源を落とした。暗くなっていく画面に
「いつだって人は
確かに言葉を
残ったのは
誰もが一世紀もすれば消えてしまう。そんな人の作り出す
いつか再会できるかもしれないなんていうのは望み以上の何かではないと誰もが解っている
「幼い
「私はあなたを置いて居なくなったりはしませんよ」
そう言ったクスィの手はひんやりと柔らかい、いつもと同じ感触がした。