第12話 管理人形②

文字数 4,942文字

 (いた)みに()えて目を開けると視界の中にはさっきまで無かった巨大な黒い物体。
 天井を()っていた柱。崩落したそれが床に突き立っていた。此方(こちら)に向けて手を伸ばした人形が、その瓦礫(がれき)の一部に脇腹(わきばら)(つらぬ)かれて()()められている。
 人形の手に(とら)えられず突き飛ばされただけで()んだのは、そのおかげだった。

「a……、ア……、……あっ」

 動けなくなった人形の口が(ひら)苦鳴(くめい)のような電子音を上げた。その身体から青い液体が()れ始める。
 後退(あとずさ)りながら安堵(あんど)の息を()いた。(にぎ)ったライトは割れていたが、身体は少し痛むだけだ。

「良かった」

 突然(ひび)いた声の出所(でどころ)を探した視線が、目の前の人形に辿(たど)り着く。

言語(げんご)設定が間に合わず(おそ)れを与えてしまった(よう)である事をお()びいたします」

 そう続けた人形は無表情で声すらも淡々(たんたん)としたものだったが、それで気付いた。僕はこの人形に助けられたのだ。落ちてきた瓦礫(がれき)は、あのままなら僕を(つらぬ)いていた。

貴方(あなた)が私を目覚めさせたのですか?」

「……違う」

 反射的に答えた目の前で、人形の身体から()れ出ている(あお)い液体が広がっていく。それがいつかの光景と(かさ)なる。あの時もこうだった。瓦礫(がれき)()もれた身体から血が広がっていって、そして……。

「そうですか、では早急(そうきゅう)避難(ひなん)を、現在この場所は危険です。また見える範囲(はんい)での異常は検出(けんしゅつ)されませんが、(ねん)のため避難後に医療機関の受診(じゅしん)をお(すす)(いた)します」

 人形の言葉で意識が現実へと引き戻される。手も服もあの時みたいに(あか)く染まってはおらず血の匂いもしない。けれど、いま()わりに広がっている(あお)は、色は違ってもきっと存在を(たも)つ為に必要なもので、()れてしまってはいけないもので、気が付けば身体が動いていた。
 あの時そうしたように、瓦礫(がれき)に手をかけて持ち上げようと力を込める。このままなら何が起きるかを知っている。

「何をしているのですか?早く避難してください」

 冷静に(うなが)す声。そんな事は言われなくても分かっている。それでも……。

「君を助けたいんだ。このままなら君は……死んでしまうんじゃないのか?」

 口にした単語に身体が震えた。

「いいえ、人形である私に死という定義(ていぎ)は当てはまりません。ただ壊れてしまうだけです」

「それを、死というんだよ!」

 返された言葉はある意味ではきっと正しくて、でもそれが許せなくて気が付けば声を(あら)げていた。

「何か方法は……そこから抜け出せないのか?」

 必死に力を込めても瓦礫(がれき)は少しも動かず。あの時と同じ絶望が脳裏(のうり)()め尽くす。

「その必要はありません。私が人を()している為、貴方(あなた)は考え違いをしているのです。私は人形、人の為に存在する道具です。人である貴方(あなた)が自らを危険に(さら)す価値はありません。(くわ)えて」

「方法はないのか聞いてるんだ」

 まるで()み合わない会話に焦燥感(しょうそうかん)(つの)る。こうしている間にも(あお)い液体は広がり続けている。

「此処から抜け出す方法ならあります。ですがそれだけの出力を発揮(はっき)するには人命の危機と認識される(ほど)の事態か、管理者(かんりしゃ)承認(しょうにん)が必要です。貴方(あなた)には現状即座に命を落とす(ほど)の危険は認められず。また現在の私には管理者(かんりしゃ)が存在しない(ため)承認(しょうにん)も不可能です」

管理者(かんりしゃ)?」

 聞きなれない言葉を復唱(ふくしょう)する。

「人形を管理する人間の事です。全ての人形は人間に管理されていなければなりません。ですが現在の私は管理者がおらず正常とはいえない(ため)(すみ)やかに廃棄されるべき存在です。よって私を助ける必要はないのです」

「それなら僕が管理者になれば助けられるのか?」

 (いそ)いで言葉を(かさ)ねた。あの時と違って出来る事があるのだと言って欲しかった。

貴方(あなた)が私の管理者に?」

「僕じゃなれないのか?」

「回答不能です。現在私の記録は大部分が欠損(けっそん)しており通信も(つな)がりません。貴方(あなた)が管理者となる資格を(ゆう)しているのか判断できません」

「なら、不可能ではない訳だ」

 人形の答えに希望を感じ、願いを込めながらその(あお)い瞳を(のぞ)き込む。

「確かに、現在持ち得ている情報で判断する限り不可能ではありません。ですがそれを行った場合。(のち)貴方(あなた)が管理者となる資格を有していなかったと判断されれば、管理者権限を剥奪(はくだつ)されるだけでなく法的に(ばっ)せられる可能性があります。賛同(さんどう)できません」

「それでもいい」

「ですが……」

「僕は君と一緒でなければ避難しない。このままなら僕は此処で自らを危険にさらし続けるぞ」

 脅迫(きょうはく)するように(さけ)んだ。人形の(かた)った懸念(けねん)など何も(こわ)くは無かった。(おそ)らくそれは大戦以前に存在した規則(きそく)だ。人形の言う罰則(ばっそく)を与える法も、それを行使する機関も、もう存在しない。

「……仕方がありません。ならばお手を、貴方(あなた)を私の管理者として登録します」

 此方(こちら)に向けて伸ばされた手に(あわ)せ左手を差し出すと、人形がそれを(にぎ)った。(つた)わった手の冷たさに思わず手を引きかける。

「すみません。人形である私の身体は冷たいのです」

 そう謝罪した人形は、いつの間にか(にぎ)っていた(くろ)()を僕の人差し指に通した。指よりも大きかった()収縮(しゅうしゅく)し、付け根あたりに(おさ)まったかと思うと青い光の線が表面に浮かんだ。

「これは?」

環状端末(かんじょうたんまつ)です。貴方(あなた)が私の管理者である(あか)しであり、管理者権限を付与すると共に私と(つな)ぐもの。
 それで、貴方が避難する為に必要なのは私がここから抜け出す事で(よろ)しいですね?」

 人形の問いかけに(うなず)く。

「その為には管理者であるあなたの承認(しょうにん)が必要です。承認(しょうにん)いただけますか?」

承認(しょうにん)する」

 人形の声に(かぶ)せるように言い放つ。

「分かりました。それでは少し(はな)れていてください」

 それを聞いて安堵(あんど)した。これで人形は助かる筈だ。数歩後退(こうたい)した僕の前で人形が床に両手をつく。ゆっくりと瓦礫(がれき)が持ち上がっていく、そんな光景を想像したのに、視線の先にある人形の身体は(ひね)られようとしている気がする。

「いや、ちょっとまっ……」

 制止(せいし)する前に人形の身体が回転して、(あお)い液体が()った。

「抜けました」

 脇腹(わきばら)()いて瓦礫(がれき)拘束(こうそく)から抜けた人形は、何事も無かったかのように立ち上がった。人間だったら死んでいるだろう光景に、改めて目の前に居る少女みたいなものが人形なのだと理解する。

「血が……」

 それを見ても取り乱さずに済んでいるのは、それが(あお)く、血の(にお)いがしないからだ。

循環液(じゅんかんえき)の事でしたら心配はいりません。既に循環系(じゅんかんけい)再構築(さいこうちく)()みで、重要部位の損傷(そんしょう)軽微(けいび)です。確かに処置しなければならない箇所もありますが、当面の活動に支障(ししょう)は有りません。
 それよりも、まずはここを離れましょう。早急(そうきゅう)にあなたの安全を確保(かくほ)しなければなりません」

 近づいてきた人形が差し出した手。小さく(やわ)らかいけれど(ぬく)もりのない(つめ)たいそれを(にぎ)ると、その手は僕を出口とは違う方向に引いた。

「待って、違う。出口はあっちだ」

 見当違(けんとうちが)いの壁面に向かおうとしている事に抵抗(ていこう)すると、人形は素直に足を止めて、此方(こちら)を見た。

「時間をかけすぎました。そちらはもう危険です」

 その瞬間。入ってきた通路を(ふさ)ぐように(くろ)瓦礫(がれき)が落ち、轟音(ごうおん)(ひび)いた。

此方(こちら)へ、私を信じてください。必ず貴方を避難(ひなん)させます」

 唯一(ゆいいつ)知っていた通路が(ふさ)がった今、そうするより他に無く、ただ引かれるままに歩き出すと人形は速度を上げた。壁に向け真っすぐ進んでいる事に不安を感じ始めた頃。視線の先に穴が開いた。(あらわ)れたのは通路。
 引っ張られながらそこに飛び込むと人形は速度を(ゆる)め、足を止めた。

「此処まで来れば、もう大丈夫です」

 そう言われても、今も後ろからは瓦礫(がれき)が落下する音が(ひび)いている。

「あれは老朽化(ろうきゅうか)した供給路(きょうきゅうろ)崩壊(ほうかい)しているだけです。この施設(しせつ)自体に問題はありません」

 僕の不安を()したのか、人形が解説(かいせつ)してくれた。

「ですが本来なら崩壊と再生は(ちり)程度の大きさで行われるもの。施設が放棄されているのだとしても破壊されていない以上、保守点検(ほしゅてんけん)作業は継続されている(はず)なのですが……申し訳ありません。現状私が所有している情報では回答不能です」

「いいんだ。それよりも処置しなければならない箇所(かしょ)があるって言わなかった?」

「ええ、けれど切迫(せっぱく)したものではありませんので先に自己紹介を、私はクストスです」

 唐突(とうとつ)に口にされたそれが、人形の名前なのだと理解する。

「クストス?」

 口に出すと、異国語(いこくご)らしいその(ひび)きは(うつく)しい少女のような人形には似つかわしくない気がした。

「そうです。私の管理者(かんりしゃ)(さま)貴方(あなた)のお名前は?」

佳都(けいと)

佳都様(けいとさま)

 初めて呼ばれた敬称(けいしょう)に恥ずかしさにも似た違和感を覚える。

「その、(さま)はつけなくてもいいよ。佳都(けいと)でいい」

「分かりました。では以後、佳都(けいと)とお呼びします。さて、それでは自己処置できる範囲(はんい)での修復(しゅうふく)(ほどこ)そうと思いますが、残念ながら(うで)の数が足りません。少し手を()していただけますか?」

「分かった。何をしたらいい?」

胸部外装(きょうぶがいそう)を開くので、作業の邪魔になるものを保持(ほじ)していてください」

 (うなず)いて、手を持ち上げる。

「あれ?さっきの指環(ゆびわ)が……」

 気が付けばさっきクストスが指に通した(くろ)()が消えていた。

「防犯上の都合により透明化されただけです。環状端末(かんじょうたんまつ)は管理者である限り(はず)せませんから」

 そう言われると指には()の感覚が残っていて触れるとそこにある事が分かる。それを確認している間にクストスが(まと)っていた(ふく)(ひも)(ほど)き、それをはだけさせた。
 反射的に向けてしまった眼が(あら)わになった身体を(とら)える。千歳(ちとせ)とは違う発達していない胸、薄く浮き上がる肋骨(ろっこつ)(せん)と小さな(へそ)。ホクロ一つない(なめ)らかな肌には瓦礫(がれき)から抜けた時にできた(はず)の傷すら見当たらない。
 美術品みたいなその身体を見つめてしまってから、強烈な背徳感(はいとくかん)(おぼ)えて目を()らした。人形とはいえ、少女にしか見えないものの(はだか)なのだ。

「ではこれを持ち上げていてください」

 投げかけられた声。出来るだけ直視しないように視線を戻すとその薄い胸部(きょうぶ)が開かれていた。そこには想像したような生々(なまなま)しさは欠片(かけら)も無く、(あお)(かがや)球体(きゅうたい)多様(たよう)な機械部品、そしてケーブルの(たば)があるだけで、けれどそんな事よりも胸部(きょうぶ)が開かれた事で背徳感(はいとくかん)(うす)れた事になによりホッとした。

(おそ)れる必要はありません。ただ私の指示に(したが)っていただければ大丈夫です」

 僕の反応を勘違いしたらしいその声に(あわ)てて(うなず)き、(ゆび)(しめ)されたケーブルをそっと持ち上げるとクストスが手を突っ込んで作業を始めた。

「……あの、クストスは何の為に作られた人形なの?」

 そう口にして、ばつの悪さを(はら)う。でも、クストスが普通の人形だと思えないのは確かだ。

「私は管理人形(かんりにんぎょう)予備人形(よびにんぎょう)です」

管理人形(かんりにんぎょう)?」

「この下にある都市全体を管理している人形の事です。私はその予備ですから本体に何らかの問題が生じ、それを解決する為に目覚めさせられたのだと推測(すいそく)しました。ですが違うようです。何の指示も無く此方からの通信にも応答がありません。
 今何が起きているのか佳都(けいと)はご存じですか?」

 返された言葉に背筋(せすじ)(さむ)くなった。クストスの言っているこの下にある都市とはきっと地下にある人形都市(にんぎょうとし)の事だ。だとしたら管理人形(かんりにんぎょう)というのは……。

「どうかしましたか?」

 沈黙した僕を(いぶか)しんだのか、作業の手を止めず(うつむ)いたままのクストスが聞いた。

「いや、なにも……ごめん、僕にはわからない」

「そうですか、気になさらないでください。私の通信機が故障しているのかもしれません。此処から出たら通信機のある場所に向かいましょう……
 終わりました。もう(はな)しても大丈夫です」

 これ以上何か聞かれたらという緊張感と共に手を(はな)すと(ひら)いていた胸部(きょうぶ)が閉じられた。周りの皮膚が(うごめ)いたかと思うと

が消えていく。瓦礫(がれき)から抜けた時の傷もきっとこうやって消したのだろう。そんな超技術の産物に僕は今(うそ)をついている。

「これで、(なお)った?」

 服を合わせ、(ひも)(むす)びなおしているクストスに聞いた。

「いいえ、応急処置をすませただけです。ですが、とりあえず二週間ほどは問題ないでしょう」

「その先は?」

「完全な修理を受けなければ活動停止に(おちい)ります」

「……そんな」

 この人形は危険だと訴える理性を感情が(わず)かに上回った。

「現状ではこれが限界です。けれど安心してください。適切な設備のある場所へ行けば容易に直す事が出来ます」

 元気づけようとしてくれたのだろうその言葉は、状況を理解している僕にとっては絶望の言葉だった。
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