第40話 あなたの為に①
文字数 3,236文字
三号墳から壊れていなかった昇降機に乗って、クチナワの上を通って、ここまで来た。巨大な塔の内部。その中心。
辿り着いた広大な空間には沢山の装置が並んでいて、それが放つ光が辺りを照らしている。階段状に高くなった中央部に、黒い匣が設置されていて、その中にクスィは居た。
人の気配がない事を確認し、念のため銃を構えながら踏み込む。装置の間を抜け、段差を上る。
「動くな!」
響き渡った低く鋭い男の声。それを続いた轟音がかき消し、遠く壁面にぶつかった何かが空気を震わせた。
「次は当てる。その銃を捨てろ」
恐怖で硬直した身体をゆっくりと動かし振り向くと、そこに黒い外套を纏った人間が立っていた。その手に構えられた巨大な銃が、正確にこちらを狙っている事が分かる。
その事実に緊張が走り、足が震えた。銃を持った手を上げる事もできなくなる。でも捨てる事はできない。例えハッタリにしかならないのだとしても捨ててしまったらそれすらなくなってしまう。
動けずにいる内に男が動いた。銃口をこちらに向けたままゆっくりと片手を離し、外套のフードを取り除き、そのまま顔を覆った装甲に手をかけた。鋼鉄の面が形を変えながらはずれていく。その下から現れたのは見覚えのある顔。
「こんな形で再会したくはなかったよ」
発せられたのは、先程までと違う高い女の声。男だと思っていたのは拘束された後。目を覚ました時にいた女だった。
「覚えていてくれたみたいだね」
表情の変化を読み取ったのだろう女が言った。
「でも名前までは覚えてくれてないかな?まぁいいや、こっちでは鴟梟って呼ばれてる」
女の口調はあの時とは異なっている。こちらの方が素なのだろう。
「独断専行もたまには悪くないか。おかげで間に合った……」
唐突に挟まれた独り言はどこか哀愁を帯びているような気がした。
「私は君を止めなくちゃならない。それは分かるね?君にとっては敵のように思えているかもしれないけれど、でもそうじゃない。銃を捨てて大人しく従ってくれないか?」
女が言葉をかけたから、そこに活路を見出そうと思った。言葉を発する為に唾を飲み込む。
「あんたたちはクスィを使って何かをしたい筈だ。それなら僕にクスィを目覚めさせてくれ、そしたらそれはきっと、もっと簡単に達成できる。僕が協力させる。だから……」
「いや、もうその必要はない。確かに神祇院はその人形を使って人形都市を掌握するつもりだったようだが、君が現れてしまったからにはそうさせる訳にはいかない」
「なんで……」
これほどの設備を用意しながら、それを中止する理由が分からない。
「君はどうして此処に人形があると分かったのだろう?人形が此処に移されてからまだそれほど時間は経っていない。それにさっき複数の人形反応が発生した事によって周囲を警備していた人員を動員せざる負えなくなった。もしそうでなかったら君はここまでやってこられなかった筈だ。随分と都合がいい。まるで全て計画されていたみたいじゃないか。どう思う?その人形は破壊されたふりをして此処まで自らを運び込ませ、そして再起動の鍵である君を招いた。そう考える方が自然だとは思わないか?それでも君はその人形を信じると?」
女の問いを否定できる言葉は思いつかない。それは今まで何度も繰り返された問いだった。良く知らない女と、知ったような気でいるクスィ。人間と人形。
僕にかけられる言葉はいつも正しく聞こえる。けれどどうしても頷けないものがあって、その為に此処まで来ていた。
「そうか……」
僕の顔を見つめている女は残念そうに呟いた
「君はきっと本当にその人形を助けたいだけで、言葉にも偽りはないのだろう。けれど、けれどね。それが正しい事だと証明できない。そして私達は人形では無く人間を守らなければならない。私も君も善意で動いている筈なのに、協力する事は出来ないんだ。難しいね」
女が浮かべた寂しげな表情、一瞬下りた静寂が言葉を交わすという段階が終わりつつある事を悟らせた。
「君が指示に従ってくれないのなら、もう庇う事が出来なくなる。この銃では、君を生かして捕らえるという事は出来ないから、拒むなら君は人形と共に死ぬ事になるよ。私はあいつと違ってそれを躊躇わない。でも出来ればそうしたくないんだ。君はきっと憎く思っているだろうが、君を無傷で連れ戻したあいつの思いを無駄にしたくない」
あいつという言葉からあの男の事を想起して周囲を窺う。
「ここにあいつは来ないよ。あいつの命はもうそう長くない」
女の言葉に生まれた安堵が続きを聞いて動揺に変わる。
「ああ、戦闘の結果では無いから君の所為では無いよ。あいつが元々持っていた命が尽きようとしている。ただそれだけの事だ……誰だってそうであるようにね。けれど君にはまだ未来があって、君はあいつが最後の任務を全うした証なんだ。だからお願いだ。私の指示に従ってくれないか。銃を捨てて、此方に来てくれ」
その言葉は懇願するような響きさえ伴っていて、それが女にとって大切なものである事が分かった。与えられた役割の外で、それでもなお意味を持つもの。僕が此処に来た理由と同じ、感情から生まれるもの。
同時に自分の身体が、女の射線からクスィを守っている事に気が付いた。僕がここから降りていけば、女はクスィを撃つだろう。首筋を冷汗が伝う。
「……分かった……でも一つ、一つだけ、あんたを信じるために、先に銃を捨ててくれ」
口にした言葉が意味を成すのかどうかは分からない。
「分かった。銃を捨てよう。今からそうするよ?」
僕が少しだけ頷いたのを見て、女は腕を動かした。長大な銃が音を立てて床に転がり、空になった女の手が此方に向けて差し出される。
僕は間違っているのだと思う。差し出された手を受け入れれば、いつものように助けてもらえるんだと思う。それでも……。
「あなたを信用する」
心の中で千歳に詫びて銃を手放す。女の表情が緩むのを見ながら体を回転させ強く床を蹴った。
「止めろ!」
制止を無視し段差を駆けあがる。鼓動が煩いぐらい響き、頭に上った血が恐怖を排除する。
クスィまでの距離を果てしなく遠く感じる。軽い銃声が連続し、ついで金属音が響いた。
「穢れによる防壁だと、やはり全部その人形の……」
女の声、走り出したのだろう靴音。クスィの元に到達する寸前。最初に聞いたのと同じ大きな銃声が響いた。衝撃で身体が揺さぶられる。けれどまだ生きている。弾丸は当たっていない。
薬莢が排出される音を聞きながら最後の一歩を踏んだ。次に放たれる弾が僕の身体ごとクスィを貫くかもしれない。理性が訴えるそんな危機感を無視してとにかく手を伸ばす。
割れた顔は黒く変色し。切り裂かれた眼窩には微かな紫電が奔っている。かつての美しさは失われ、知らない人が見れば破損した気味の悪い人形にしか見えないだろう。
けれど僕はまだクスィがそこに居る事を知っている。手を伸ばして引き寄せさえすれば、もう一度目を覚ますと信じている。もしもそれが勘違いであったとしても、僕はクスィを助けに来たのだ。あの時できなかった事を今度こそしに来たのだ。
「クスィ!」
叫びながらその細い腕を掴んだ。途端に感じる冷たさ、指環が強烈な光を放ち、手を黒い霧が駆け上がる。それを見て生まれた恐怖を抑え付け、掴んだ腕を強く引いた。落ちてくる小さな身体。その瞼が薄く開き、現れた青く輝く瞳を見て胸の内に歓喜が溢れた。抱きとめた身体から伝わるのは確かな重み。
「再起動シーケンス、実行」
背に腕が廻された感覚。耳元で紡がれた言葉と同時に視界が光で満ちた。思わず閉じた瞼。それでもそれを透過した閃光が全てを白く染め上げた。
確かなのは抱きしめたクスィの身体のひやりとした柔らかさだけ。もう一度大きな銃声が響き、耳鳴りが生まれると落下するような感覚に襲われた。内臓がひっくり返されるような気持ち悪さの中、クスィの身体に縋りついた。
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