第36話 人殺し③

文字数 2,447文字

 学校から帰ってきてベッドに身を投げ出すと、端末(たんまつ)(わず)かな音を立てて電子文書の受信を知らせた。
 取り上げて見れば想像していた通り千歳(ちとせ)からのもので、何か返すべきだと思いながら、結局端末(たんまつ)を投げ出し、ぼんやりと天井を(なが)めた。
 あれから、千歳(ちとせ)と別れた後で少しだけ眠って、学校に行った。(みさき)さんは休んでもいいと言ったけど、それでも登校したのはたぶん(みさき)さんや千歳(ちとせ)に心配を()けたくなかったというよりは、そうする事でこの現実から逃避したかったからだろう。でもそれはやっぱり僕を救ってはくれなかった。
 教室に入ると、神祇院(じんぎいん)が手をまわしたらしく、僕は入院していた事になっていて、先生や、今まであまり話した事のない同級生からも声をかけられた。その度に「大丈夫」と答えて笑顔を作った。
 誰も(いぶか)しむ様子を見せなかったから、それなりに上手く演じる事が出来ていたのだと思う。でもそれを繰り返すたび、心が()()っていった。あれだけの事があったのに、まるで何も無かったかのように繰り広げられている日常と、そしてそんな場所に居ていい(はず)のない自分が皆から優しい声をかけられている事に眩暈(めまい)と吐き気がした。
 たぶん、そんな僕の様子に千歳(ちとせ)だけは気付いていて、だから今日はあえて距離を取ってくれていたのだろう。
 結局、再会してから僕は千歳(ちとせ)にほとんど何も話せていない。本当は全てを打ち明けなければいけないのに、それが出来なかった。
 それは千歳(ちとせ)を失う事が怖いからだ。(みさき)さんは誰にも話さないだろうから、僕がこのまま黙ってさえいれば、きっとこれからも千歳(ちとせ)はそばにいてくれる。それは自分勝手で酷く(みにく)い考えだった。母さんの代わりに(みさき)さんに(すが)って、クスィを助けようとして、それが失敗した今は千歳(ちとせ)(だま)したまま利用し続けようとしている。
 (みさき)さんが僕の(ため)を思って秘密にしていた事でさえ僕は(だま)されていたように感じたのに、それなのに僕は、千歳の事なんて欠片も考えず。ただ自分の(ため)だけにそうしたいと思っている。
 本当に最低で最悪な人間。人殺しで、そしてその事を()いてもいなくて、もしやり直せるとしても必ずあいつを殺すだろうと思っているのに、差し出してくれた手を握り続けようとしている。
 そんな事が許される訳がない。本当は今すぐにでもどこかへ消えるべきで、けれどその勇気すらない。

佳都(けいと)ー。ご飯だよー」

 廊下から(ひび)いた(みさき)さんの声を聞いて、重い体を持ち上げる。居間に入り、食卓に着くと、用意されていたのは僕の好きな料理。口にすれば温かく、馴染んだ(みさき)さんの味がした。それでも、あまり(はし)は進まず。食べられるだけ口にして席を立った。残してしまった事を謝罪(しゃざい)すると(みさき)さんは優しい声をかけてくれた。それがまた心を(きざ)む。
 長くない廊下を歩き、自室の前に立つ。取っ手を(つか)んでゆっくりと扉を開けても、そこに出迎えてくれるクスィの姿はない。クローゼットの中を(のぞ)いてもそこにクスィはいない。当然だと理解していながら、それでもそれを願っていた。母さんが居ない事がそうなったみたいに、クスィが居ない事だってもう普通なのだ。どんなに(こば)もうとしてもそれは(くつがえ)らない。でも嫌だった。どうにかしてそれを否定したかった。
 だからまたベッドの上に倒れ込み。指輪を()めて端末(たんまつ)を手に取った。暗い部屋を照らす画面の光。開いた地図の上に赤い点を探す。何度開きなおしても変わらない出来の悪い地図の上に(あか)い点は無い。(わか)っている。
 (あふ)れてくるのは僕が信じなかったからクスィは死んでしまったんじゃないかという後悔(こうかい)。クスィは僕が人を殺さないようにしてくれた。でもそんな気遣(きづか)いは要らなかった。僕の手はもうとっくに(よご)れていたから。クスィが止めなかったらヒーローを倒して今度こそ助けられた。そうしたらきっとその事だけは自分を認められた。

「君は間違ったんだ。間違ったんだよ」

 そう口にしたのを切っ掛けに涙が(こぼ)れた。

「何処に行ったんだ。クスィ」

 (とど)(はず)の無い言葉に(こた)えて欲しかった。無駄だと知っている。(たましい)がある(はず)の母さんさえ、何度(いの)っても(こた)えてはくれなかったから。でも、もう一度クスィに会いたかった。クスィの声が聞きたかった。

(こた)えろ、(こた)えてくれ……」

 視界が(にじ)む、嗚咽(おえつ)(みさき)さんに聞こえないように押し殺し、(こぼ)れる涙を(ぬぐ)う。けれど涙は止まらなくて、(おさ)えようと何度も涙を(ぬぐ)った時、唐突(とうとつ)(かす)かな光が目を()した。
 手を離せば(にじ)んだ視界の中に青白(あおじろ)い光が確かに(とも)っている。指環(ゆびわ)が放つクスィとの(つな)がりを(しめ)す光。
 (あわ)てて地図を表示させると途端(とたん)に画面が()れて詳細(しょうさい)なものがノイズのように浮き上がった。求めていた(あか)光点(こうてん)(とう)の真上で弱々(よわよわ)しく明滅(めいめつ)しているのを見て、飛び起きる。どうしてかなんて分からなくても、どうするかは決まっている。
 (みさき)さんに気付かれないように家を抜けだし、駅に向かって走りながらクスィを連れ帰ってきた道を思い出す。指輪(ゆびわ)が機能している今なら、高架下(こうかした)にあったあの出口から三号墳(さんごうふん)に入れる(はず)だ。奥にある昇降機(しょうこうき)が壊れていなければそこからクチナワをつたって(とう)に行ける。あがる息を無視して走り続け、端末(たんまつ)を叩きつけるようにして改札(かいさつ)を抜ける。
 ホームへ続く階段を昇り切ると電光掲示板(でんこうけいじばん)に次の列車が数分後に出ることが表示されていた。乗車位置(じょうしゃいち)(しめ)(しるし)の上に立って息を(ととの)え、(にじ)む汗を(ぬぐ)う。遠くに列車が放つ光が見えた時、急に強く腕が引かれ、痛みが走った。

「……こんな時間に、どこにいくの?」

 驚きと共に振り返ると、息を(はず)ませた千歳(ちとせ)が僕の腕を(つか)んでいて、全身が委縮(いしゅく)した。

「どうして……」

小柴(こしば)を家の中に入れようとしたら佳都(けいと)が走ってくのが見えたから、追いかけてきたんだよ」

 困惑(こんわく)したまま()れた問いに答えが与えられた瞬間(しゅんかん)。停止した列車が音を立てた。

「行こう」

 僕の手を引いた千歳(ちとせ)が、開いた扉から列車の中に乗り込んでいく。連れ戻されると思っていたから行動の意味が理解できない。

佳都(けいと)は今、監視(かんし)されているんだよ。悪いようにはしないから」

 躊躇(ためら)った僕を(うなが)すように千歳(ちとせ)が体を寄せて(ささや)いた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み