夢視ル為ノ器

文字数 4,638文字

「お待たせして申し訳ない」

 声をかけると(うつむ)いていた夫人が顔を上げた。

「いえ」

 そう言って立ち上がった夫人は、(おもて)に出さないように(つと)めているようだったが疲れた顔をしていた。
 進むごとにセキュリティーチェックが入る為、此処(ここ)に辿り着く頃には誰もが辟易(へきえき)した顔をする羽目になる。けれど恐らく理由はそれだけではないだろう。
 机上(きじょう)のカップには、少しだけ口をつけた形跡(けいせき)。礼儀として口をつけはしたが、のんびりと味わっている気分にはならなかったようだ。まぁ、そんなものを楽しめるのなら此処に来る事は無い。
 夫人の視線が動き、そして困惑(こんわく)を浮かべる。それも慣れた反応だ。

「どうかされましたか?」

 自らの視線を恥じるように、夫人はこちらに視線を戻した。

「まさか、貴方が説明してくださるとは思いもしませんでしたので……」

「ここはいつでも人手不足ですから」

 そう答えつつ、夫人の視線が動いていた先、押している車椅子に座るクスィについて紹介する。

「彼女はクスィ、私の助手(けん)世話係です」

「初めましてクスィです」

 クスィの自己紹介を受けた夫人は微笑んで見せたが、その表情にはまだ困惑(こんわく)が浮かんでいる。

「私は足が余り良くないので杖の代わりと言いますか、それに話し相手にも……立場上気兼ねなく話せる相手というのは限られてしまいますからね。ああ、彼女の事でしたら心配は無用ですよ。彼女はこの施設の何もかもを知っていますし、見聞きした事を()らしたりもしません」

「私は年齢が足りないので、ここでお手伝いをしています。だから気にしないでください。此処(ここ)から出る事はまずありませんが、それでも耳にした事は決して口外しないとお約束(いた)します」

 ボクの説明を()いだクスィが夫人に笑いかける。

「それでは行きましょうか、準備が整うまでもうしばらくかかってしまいますので」

 悲しげな顔をした夫人を(うなが)しながら車椅子を押す。クスィの状況を察して同情を表すのは簡単だ。だが此処に来る人間はそんな言葉を容易(たやす)く口にできない。だから夫人の言葉を待たなかった。
 無機質な廊下に出てから口を開く。まずは既に知っているであろう基本から。

「ソムニウム・ドライブは内部で眠る人間に現実と区別がつかない(ほど)の夢を見せられる装置です。(あらかじ)提示(ていじ)していただいた要望と使用者の中にある願望から装置が最適な夢を構築(こうちく)します」

(ぞく)にドリームボックスと呼ばれているようにですね?」

 それはソムニウム・ドライブに批判的な人々が広めた呼び名だった。それを此処で口にしたと言う事は彼女の中に不安があるのかもしれない。ならば説明はより丁寧かつ慎重(しんちょう)に行った方が良いだろう。

「まぁ、そのように呼ばれる方もいますね。けれど」

「分かっています。ソムニウム・ドライブはあの装置とは違い本当に夢を見せるだけのもの。そうなのでしょう?」

「ええ、その通りです」

 夫人の言葉に少し安堵(あんど)しながら答えると彼女は(うなず)いて、それから考えるみたいな素振(そぶ)りを見せた。

「ですが、その装置が私の望みを現実感のある夢として見せられるのだとしても、眠っているだけならば定期的に目覚める必要があるのでは?」

「確かにただ眠っているだけならばそうです。けれど、ソムニウム・ドライブにその必要はありません。クッションを形成している有機体が貴方の皮膚と同化し、生存に必要な物質の提供と不要な物の排出を行います。同時に肉体が(おとろ)えないように適切な刺激も与える。
 衣類は専用の物に着替える必要がありますが簡単なものです。体にケーブルを刺したり、液体に沈む必要はありません。また有機体とは容易に分離可能なので、望めば元の生活に戻る事も可能です」

「それなら夢が簡単に醒めてしまう事もあるのですか?」

「いいえ。本当の夢と違い夢だと気付いて覚めてしまうと言う事はありません。使用者の意志なしでそれが起きたとしたら、それは外部から装置を停止させた場合か、もしくは施設の異常を検知した装置が緊急停止した場合ですね」

成程(なるほど)、今までのお言葉からすれば、夢は簡単に覚めてしまうものではないようですが、自らの意志があれば目覚める事は可能で元の生活に戻る事もできると、そのような認識であっていますか?」

「ええ、そのとおりです。方法さえ知っていれば簡単に目覚める事が出来ます。ソムニウム・ドライブが(つく)りだす夢の中には、使用者がそう望んだ時に備えて覚醒する方法が用意されているのです。人によってそれが何であるか異なる為、一概(いちがい)に何とは言えないのですが便宜上(べんぎじょう)ゲートと呼んでいます」

「ゲート?」

「そうです。例えば、ある者のゲートは老いた姿が映る鏡だったそうです。他の鏡には例外なく若い自分が映るのにたった一つだけそうならないものがあった。ソムニウム・ドライブが(つく)りだした夢世界において唯一現実を投影した何か、それに触れれば、目覚める事が出来ます」

「そうやって今までに戻ってきた人も?」

「いますよ。その場合、費用の幾らかを返還(へんかん)します。けれど、そうして出ていった人の大半はまた此処に戻ってきますが……」

「どうして?」

「世界はあまりに(むな)しいからと……」

 その返答に何処か納得したように目を()せた夫人は通路の途中で不意に足を止めた。それに(したが)って立ち止まると夫人の視線は壁に飾られた一枚の絵に(そそ)がれていた。 
 白い石をくりぬいたような島に向かう小舟。岸壁には無数の穴。島の中央には糸杉(いとすぎ)が生え、舟を漕ぐ人の前には白い人影と(くろ)(はこ)。恐ろしく静謐(せいひつ)な絵。

「これは本物ですか?」

 絵を(なが)めながら夫人が聞いた。

「どう思います?」

 答える事は簡単だが、聞かれた時はいつもそう返す事にしている。それは重要な問いだからだ。

「……本物?」

 夫人は此方の反応を(うかが)いながら答えた。

「どうしてそう?」

 正誤(せいご)(つた)えずさらに問い返すと、夫人は自分の考えをゆっくりと(まと)めるように言葉を(つむ)ぎ始めた。

(ふで)(あと)。それと絵具(えのぐ)の厚みが、少なくともただのポスターではありえないし。それに貴方とこの企業は莫大(ばくだい)な資産を持っているから」

「そうですね。その着眼点は正しい。けれど残念ながら、この絵はよく出来た偽物ですよ。本物から筆跡(ふであと)絵具(えのぐ)の厚みまでコピーした精巧(せいこう)な」

 夫人はそれを聞くと同時に、絵から興味を失ったようだった。

「そう、まるで此処を表しているみたい。本物は何一つない……いえ、ごめんなさい」

 夫人は(つぶや)いてしまってから、(れい)()いたと思ったのだろう。

「構いません。おっしゃる通りですよ。ですが精緻(せいち)なデータから再現された美術品はもはや科学鑑定(かんてい)無しには真贋(しんがん)が見抜けません。可能だという人もいますが、理論上は不可能です」

 現代において美術品の価値は、それ自体よりもむしろそれに付随(ふずい)する鑑定書にあるといってもいい。以前からその傾向はあったが技術の進歩がそれを加速させた。

「貴方はこの絵に興味を持った。けれど私が偽物だと言った瞬間にそれは失われた。さて絵は変わっていません。変わったとすれば貴方の認識(にんしき)。私の言葉だけでそれが変わったのです」

 夫人の視線がもう一度絵に(そそ)がれ、すぐにこちらを向いた。その目には気づきの色。

「この場所にある事で本物だと思えた絵は、貴方の言葉で偽物になった。そしてそれが嘘である可能性を告げられた事で、真偽(しんぎ)境目(さかいめ)曖昧(あいまい)になってしまった。つまり何が正しいかは、私が何を信じるかで決まると、そう(おっしゃ)りたいのですね?」

 夫人の答えに曖昧(あいまい)に微笑んでおく。

「自信がおありなのですね?この絵画の真贋(しんがん)が私に(わか)らないように貴方の装置もそれと同じだと」

「その確認はご自身で、言葉は意味を成しません」

「そうですね。貴方がどれだけ丁寧に説明してくださっても、結局は分からないのでしょう。けれど、私は不安なのです」

「ええ、そうでしょう。でも今日はひとときの体験だけ、二時間もすれば貴女は自宅へ向かっていますよ。何も不安を覚える必要は無いのです」

「もう一つ聞きたいことが」

「何でしょう?」

「例えば、夫と一緒に入ることはできないのでしょうか?」

 迷いながら口にしたその表情から、問いに対する答えを夫人はもう持っている気がした。だからそれは質問と言うよりも確認だった。

「残念ですが、ソムニウム・ドライブは一つの仮想空間に多数が接続するようなものでは無くあくまで夢を見せる装置にすぎません。それぞれの(はこ)は完全な孤立状態(スタンドアローン)となっています」

「そう」

 少し(さみ)しげな顔をした夫人に恐らく何の救いにもならないだろう言葉を続ける。

「それでもあなたが望めばソムニウム・ドライブの中でも旦那さんに会うことはできますよ」

「でもそれは本物じゃない。私の想像の中の夫。そうでしょう?」

「ええ」

 取り(つくろ)う事もしなかった解答に夫人は分かっていたというように力無く頷く。

「でも、そうね。おかしいわよね。私は、あの子にもう一度会えるのなら幻でもいいと思っているのに、一方で本物に固執(こしつ)するなんて……」

「いいえ、それが恐らく人間というものですよ」

 夫人はおかしいと言ったが、それは此処に来る大半の人間が(かか)えているものだ。夢は夢に過ぎない事と現実の重要性を理解していて、それでもなお、その二つを天秤(てんびん)にかけ、(かたむ)いてしまったから此処にくる。
 準備が整った事を知らせに来たスタッフに夫人を任せ、クスィとロビーに戻れば、ガラス窓の向こうで巨大な作業アームが壁面から中抜き出した六角柱のような(はこ)を下方に運んでいった。(はこ)の色は中の人間が死亡した事を示す(くろ)(はこ)はこのまま、下層にある分解炉へと運ばれていく。
 あらゆる資源が再利用される循環型(じゅんかんがた)都市においては人もまた例外では無い。成立当初こそ忌避感(きひかん)があったらしいが、今となってはそれも遠い話だ。
 個人社会の到来によって(いた)むべき故人(こじん)は多くとも二世代を超えなくなった。経済的移住生活において(はか)は消えた。そして現れた分解葬(ぶんかいそう)こそが現代の(とむら)いの形だ。
 今立っている場所の(はるか)か下で死んだ命の分解と再利用が行われている。命は膨大(ぼうだい)な死の上にのみ(たも)たれる。

「私は本物の人間のように振る舞えていたでしょうか?」

 唐突(とうとつ)な問いに視線を向けるとクスィがこちらを見上げていた。それに微笑んで見せる。

「ああ、完璧だったよ」

「そうでしょうか?あの方は、私を見て怪訝(けげん)そうな顔をしていませんでしたか?」

「あれは君が人間かどうか疑っていたんじゃない。君の姿に戸惑(とまど)っていたんだ」

「それならいいのですけど」

 電気駆動式(くどうしき)の車椅子に座っているクスィはボクが押してやらなくても自分で動き回る事ができるが、その足は見た目だけで立ち上がる事はできなかった。腕も(わず)かな力しか有していない。

「すまない。君の身体を完全なものにできなかった事はボクの落ち度だ」

 謝罪を口にしたボクの手をひんやりとした手が握った。

「そんな事はありません。私はこうやって貴方の手を(にぎ)る事さえできればそれで良いのです」

 優しい微笑みを浮かべたクスィの手を(にぎ)り返し、それから動作を続ける作業アームを(なが)めた。

◆◆◆

 一時間半後に戻ってきた夫人は目元をハンカチで(おさ)えていた。

「あの子がいた。この腕の中で確かに笑ってた」

 震えた声。その表情は別れる前より憔悴(しょうすい)したようにも興奮しているようにも見える。

「今すぐにでも契約したいの」

 (ねつ)っぽくそう言った夫人に、一か月の再考(さいこう)期間(はさ)まなければならない(むね)(つた)えると、彼女は酷く落胆(らくたん)して帰っていった。
 扉の向こうに消えていくその背中を見ながら、彼女はきっと一月後にまた来るだろうと思った。その時に会う事は無いが……。
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