第7話 咎人③
文字数 3,485文字
海岸沿 いに伸びた道を一台のオープンカーが走っている。水平線の向こうに沈もうとしている太陽。それが放つ光に照らされて磨 き上げられた車体が輝 く。
その色は夕焼けよりも深い赤 。運転しているのは若い男。助手席には同じぐらいの歳の女が座っていて、長い髪が海風に靡 いている。
「連続運転時間が二時間を経過。自動運転に切り替えますカ?」
機械音声が男へと告げた。それはわざと機械音声だと解 るように設定されている。
「ありがとう、でも必要ない」
「わかりまシタ」
男の返答に機械音声は沈黙した。なにかあれば即座 に自動運転へ移行。さらにはあらゆる安全装置が働く自動車において、その機械音声の提案は一つの気遣 いに過ぎなかった。
「今、僕たちが当たり前のように使っている。この人工精霊 についてどう思う?」
「どうって?」
男の問いに女は少し呆 れたように返した。もっと気の利いた話題を望んでいたのかもしれない。
「例えば、人工精霊 を良くないものだと考える人たちもいる」
「俗に言う人理主義者 みたいな?」
「そう」
女は少し考えるような素振 りをしてから、口を開いた。
「私には彼らの考えは理解できない、精霊 は誕生と同時に与えられ双子みたいに育つもの。在り得たかもしれない片割れ とも呼ばれるようにね。
表出 しない根本的な倫理 構成を除けば、精霊 は所有者の精神に応じて構築 されていく。だからもし精霊 が低俗なのだとすればそれは所有者が低俗だという事。
それに所有者の精神状態が不安定な場合、精霊 は周りの精霊 に警告を発信する。だから、むしろ精霊 を否定し、使用しない事の方が、自らの精神を隠匿 する危険かつ迷惑極まりない行為のように私には思えるけど?」
「じゃあ精霊 によって行動を決めるのは精霊 に支配される事だという彼らの主張については?」
女はまだ続けるのかというような顔をしながらも会話を打ち切る事はしなかった。
「確かに精霊 は所有者の行動に提案をする事もあるけれど、人理主義者 の中にも占 いを熱心に行う人がいるし、大半の人が天気予報はあてにしてる。
精霊 の提案はある意味では科学的な占 いであり天気予報に近いものよ。その人の向き不向き、先天的なものと後天的に得た性質。精霊 はそれらを踏 まえて最適と思われるものを提示しているだけ、それに精霊 の使用は義務では無く権利。現に人理主義者 達は精霊 の使用を拒否できているもの。
それを支配と捉えるのであれば精霊 が誕生する前からずっと人は何かに支配されてきた。例えばかつてなら自然、今は社会といったふうにね。
そう考えれば、彼らの言う自由な時代なんて今迄 一度も無かったし、精霊 だって追加された要素の一つに過ぎない」
「それを否定するなんて馬鹿げている?」
「ええ、現 に人理主義者 の家庭で育った子供の学力平均は低く、ストレスや自殺率も高いという統計結果が出ているし、なにより私には精霊 無しで他人と関係を築 くなんて信じられないわ。だってそれは見た目や取り繕 われた態度 だけで人を判断するって事でしょ?」
「確かに今の感覚からすると良く分からないけれど。ほんの一世紀前までの人は人工精霊 無しで他人と関係を築 いていたんだ。そうだろ?」
「そうでス」
男の問いに機械音声が答えた。
「それは精霊 が無かったから仕方なく、でしょ?現代に生きてる私からすれば、理解しがたくて、野蛮 にすら感じてしまう。私は精霊 を使ってて良かったと思ってるから……。
ほら、初めて会った時の事を覚えてる?」
「覚えてるよ。駅で迷っていた君に声をかけられた」
迷っていたと言われた女は照 れくさそうに少しだけ頬 を染めた。
「どうしたらいいか精霊 に尋 ねたら貴方に聞くのがいいって、いつもみたいにナビゲートしてくれたらいいのにと思ったけれど、あの時は精霊 の無線対話 機能が働 いていたのね。古い表現をすれば運命の出会いというやつ。
貴方はわざわざ道案内してくれたし、貴方の精霊 も親切で穏やかだったわ。それから次は博物館だった。偶然みたいだけど、でもそうじゃない」
「僕が君にまた会いたいって思ってたからだ」
「私もそう思ってたからよ。だから精霊 が再会を設定した」
そう言った後、思い出に浸 るように二人の間には沈黙が降りた。スクリーンには時折 ノイズが走っている。視覚的効果を狙ったものでは無く、フィルムの経年劣化 による本物のノイズだ。それはこの映画がそれだけ古い事を示しているが、今日に限 っては自分の中にある動揺 を表 しているような気がする。
いつもと同じように疎 らな人影が点々と座っているだけの小さな劇場で、僕は誰もいない右の席に出来るだけ身体を寄 せていた。炭酸飲料の入った紙コップには結露 した水滴 が垂 れていて、僕の首筋にも同じように汗が伝っている。
暑 いからじゃ無くて酷い緊張状態にある所為だ。原因は左の席に平然と座っている千歳 にある。
あんな事があったのにどうして僕は千歳 とこうして恋愛映画など見ているのだろうか?千歳 がこの映画を見たがっていた事は知っている。でも、あんな事があった次の日に、しかもどう考えても怒っている千歳 が僕を連れてきた理由が分からない。あれから何も言ってくれない事も怖い。
「食べたら?」
突然の声に飛び上がりそうになった。怖々 と視線を向ければ千歳 の顔は真っすぐスクリーンを見ていて指がポップコーンの入れ物をさしている。震える手で中身を摘 まむと満足したように指は戻っていった。
口に放り込んで咀嚼 したポップコーンは何味なのかもわからない。乱れた思考が逃避と解決策を模索 して意味もなく廻 っている内に時間が過ぎ、画面上の二人がウィルスによって精霊 の消滅してしまった世界で戸惑 いながら手を繋 ぐと、画面が暗転し歌声と共にエンドロールが流れ始めた。
終わった。終わってしまった。照明が灯 り、疎 らな客が席を立ち始める。千歳 は幕 が下りきるまで座っているタイプだ。何の策も浮かばない内に幕 は下りた。
「さて、行こうか」
その声に急いで残った炭酸飲料を飲み干し、立ち上がった千歳 の後におずおずと続く。
「楽しかった?」
小さな劇場の外で時間を確認しながら千歳 は僕にそう聞いた。千歳 は見終わった後に感想を共有したいタイプだ。それが抑 えられなくなったのかもしれない。
何にしても千歳 が話題を振ってくれていた。その声が多少穏 やかになっている気がして、心臓が少し落ち着きを取り戻す。
「あ、うん良かったと思うよ」
そう口にしながら頷 いてみたが、残念ながら内容をほとんど覚えていない今日はあまり言える事が無い。
「そう、因 みにどういうところが良かった?」
自分と意見が違っていても、僕が的外 れな事を言っていてもいつもの千歳 なら笑って聞いてくれる。でも今日は試験を受けているような気分で、だから覚えているシーンで必死に纏 めようとした。
「それは、ほら最期の二人が精霊 なしで寄り添 おうとするところ、……とか」
いつにも増して浅 い感想になった気がする。
「じゃあ佳都 は、精霊 なしであの二人は分かり合えると思う?」
続けられた問いかけに少しだけ迷う。頷 くのは簡単だ。でも千歳 は多分そんな答えを喜ばない。
「それは、わからないけど、でもそういうメッセージが込められてたんじゃないかな?」
「そう」
その相槌 みたいな言葉からは、正答か誤答か読み取れない。
「あの映画ね。原作とは結末が違うの」
千歳 が言葉を続けてくれた事にホッとする。
「原作では精霊 を失った二人はお互いの気持ちがわからなくなって別れてしまう。そしてそれから何年も経って精霊 が再起動した時に、その記録を見て二人は気付くの、どれだけ相手を思いやっていて、それでいてどれだけ伝わっていなかったのかを、そしてその時にはもう、それを取り戻す事はできなくなっている。社会的な距離が二人の間には生まれてしまっていたから」
「元々はハッピーエンドじゃなかったんだね」
「うん、だから原作はあまり評価されてなかった。映画で結末が書き換えられて、愛を謳 った作品として評価されるようになったけど原作者はそれを気に入らなかったんだ。人が理解し合う為には人の力だけでは不十分で、人工精霊 のような発達した技術が不可欠だと考えていたから」
そう言いながら千歳 は少し遠くを眺 めていた。何と言ったらいいか分からなかった。別に意見は求められていないのかもしれない。
「ちょっと遅いけど昼食にしようか」
その提案 に頷 きながら窺 った表情には、明確な怒りは浮かんでいなかったけれど、それでもそれは完全に安堵する程の材料とは言えず、先に歩き出した千歳 の背を僕はおそるおそる追 った。
その色は夕焼けよりも深い
「連続運転時間が二時間を経過。自動運転に切り替えますカ?」
機械音声が男へと告げた。それはわざと機械音声だと
「ありがとう、でも必要ない」
「わかりまシタ」
男の返答に機械音声は沈黙した。なにかあれば
「今、僕たちが当たり前のように使っている。この
「どうって?」
男の問いに女は少し
「例えば、
「俗に言う
「そう」
女は少し考えるような
「私には彼らの考えは理解できない、
それに所有者の精神状態が不安定な場合、
「じゃあ
女はまだ続けるのかというような顔をしながらも会話を打ち切る事はしなかった。
「確かに
それを支配と捉えるのであれば
そう考えれば、彼らの言う自由な時代なんて
「それを否定するなんて馬鹿げている?」
「ええ、
「確かに今の感覚からすると良く分からないけれど。ほんの一世紀前までの人は
「そうでス」
男の問いに機械音声が答えた。
「それは
ほら、初めて会った時の事を覚えてる?」
「覚えてるよ。駅で迷っていた君に声をかけられた」
迷っていたと言われた女は
「どうしたらいいか
貴方はわざわざ道案内してくれたし、貴方の
「僕が君にまた会いたいって思ってたからだ」
「私もそう思ってたからよ。だから
そう言った後、思い出に
いつもと同じように
あんな事があったのにどうして僕は
「食べたら?」
突然の声に飛び上がりそうになった。
口に放り込んで
終わった。終わってしまった。照明が
「さて、行こうか」
その声に急いで残った炭酸飲料を飲み干し、立ち上がった
「楽しかった?」
小さな劇場の外で時間を確認しながら
何にしても
「あ、うん良かったと思うよ」
そう口にしながら
「そう、
自分と意見が違っていても、僕が
「それは、ほら最期の二人が
いつにも増して
「じゃあ
続けられた問いかけに少しだけ迷う。
「それは、わからないけど、でもそういうメッセージが込められてたんじゃないかな?」
「そう」
その
「あの映画ね。原作とは結末が違うの」
「原作では
「元々はハッピーエンドじゃなかったんだね」
「うん、だから原作はあまり評価されてなかった。映画で結末が書き換えられて、愛を
そう言いながら
「ちょっと遅いけど昼食にしようか」
その