第20話 刀鬼⑤
文字数 5,437文字
『‐放て!‐』
通信に流れる号令 。間髪 を容 れずに響 いた微 かな風切 り音 が、対話の打ち切りを告 げる。
「……残念です」
風に乗って聞こえた呟 き。それと共に刀を構え直した人形を矢の雨が襲 う。真っ先に到達した数本を叩き落しながら後方に跳 んだ人形を時間差で放たれた矢が追 っていく。
迎撃 が間に合わなくなった人形が身を捻 り、前面に向けた大袖 のような装甲で矢を受けた。突き立った無数の矢。その筈 に浮かんだ誘導用の赤光 に向け拘束糸 が射出される。
それを見た人形が装甲に突き立った矢を全て切り落とし反転。急加速し目標を失 って乱 れた拘束糸 の群 れを抜けた。
糸を追って駆け出していた俺に人形が応 じる。互いの刃圏 が触 れる直前、人形が跳躍 。上方からの強襲 に備えた俺を越 えて人形が駆 けていく。
欺 かれたと気付いて振り返れば、遠ざかった人形が楯 に接近し、もう一度跳躍 した。
奥 にいる具足 が両断される光景が脳裏 に浮かんだ瞬間 、甲高 い音と同時に火花が散 った。人形の握 った太刀 が腕 ごと後方へ大きく弾 かれる。
遠距離から射出された対人形徹甲弾 。人形はそれにすら反応してみせたのだ。だが流石 に衝撃 を殺しきれず人形は着地こそしたものの僅 かに体勢を崩した。
追いついた人形にすかさず刃 を振り下ろす。まだ人形は体勢 を完全に立ち直せてはいない。強引 に動いた黒 い刀身が俺の刀を受ける。このまま押し切ろうと力を込めた身体が前方に流れた。
身体を回転させて俺の刀を受け流した人形が側面に移動。誘 われたと気付いた時にはがら空きになった背に人形が振り上げた刃が向いている。
刀身を引き戻す時間が無い。咄嗟 に離 した右手で合口 を抜き、身を捩 りながら直下 した刀身を受ける。圧力に腕 が軋 み、押し込まれた刃先が右肩に侵入。
ようやく引き戻せた刀身を切り上げれば、押し込む事を諦 めた人形が後方に退 いた。
瞬時 に循環路 が再構成され、肩から流れていた青 い血が止まる。疑似網膜 に警告。右腕の動作に違和感。
「想定 を僅 かに超 える反応です。それだけに惜 しい」
間合いの四歩外まで後退した人形はそう言いながら、距離が開いた事で撃ち込まれた数発の弾丸を最低限の動きで叩き落とした。人形の胸部装甲が開き排熱を行う。数瞬 で行われるそれはもはや呼吸に近い。
「お力添 えいただけませんか?」
人形の言葉を無視しながら合口 を鞘 に戻し、両手で柄 を握 り直す。
「仕方がありませんね」
『‐こいつを破壊せずに回収する事は不可能だ。討伐 への変更を要請 する。解析 がしたければ残骸 で行 え』
そう通信に叫び、返答を待たずに要求を続ける。
『‐それから狙撃手を分散させ狙撃の準備を、俺が斬られたらそこを狙え。もろともで構わない‐』
思いつく限りでは、此処 で確実に倒す方法はそれしかない。軍 の火力を持ってすれば破壊できるだろうが、軍 を動かすのは託宣 だけでは不可能だ。その間にこいつを逃せば人形の存在が公 になり皇国 だけの問題ではなくなる。
本体でないとしてもこいつは絶対に此処で斃 さなければならない。
『‐承認 します‐』
一瞬 の後 、返答があった。葛城 もそれを認めたのだろう。
「‐そんな馬鹿げた策 があるか‐」
「‐なら他 に策 が?‐」
割 り込んだ忌 ま忌 ましげな個人通信に返すと、鴟梟 は唸 った。承服 しかねるのだろうが代替案 は浮かばないらしい。
「‐ただ、一つだけ思いついた事がある。一発でいいお前の狙撃を俺に寄越 せ、頼 めるか?‐」
「‐任せろ‐」
指示 を仰 げば受け入れられないかもしれない。何せ最強の狙撃手を使う不確実性の高い策 だ。だからいつもの独断 で、故 に発覚すれば規律違反 と判断される可能性がある頼みに鴟梟 は一瞬も迷わなかった。
想定した通りのその返答に全力で地面を蹴 る。一瞬で人形の刃圏 に踏み込み、刀を突き出す。重 なり合った刀身が刹那 で離 れ再び接触 。
鳴 り響 く音 に合わせ火花が散 り、僅 かに触れた切っ先から互いの循環液 が散 る。振るわれた太刀 を受け止めるのと同時に衝撃。蹴 られたのだと気づいた時には身体が浮いていた。
咄嗟 に刃 を地面に突き立てて勢いを殺す。追撃に備 え視線を動かすと人形の姿が無い。地面には僅 かな陥没 。
見上げれば縦 に回転した人形の身体が降 ってくる所だった。飛び退 いて躱 すと振り下ろされた人形の一撃が土を跳 ね上げた。それで気付く、振り下ろされたのは太刀 では無く足。人形の握 った太刀 は地面直上 、刃 を返して跳 ね上げられるのを待っている。
人形が地を蹴 った。射出された弾丸のように迫 る刃 を辛 うじて交 わす。けたたましい合音 。圧力に浮き上がりかけた身体をどうにか抑 え。刀身 の棟 に手を当てて噛 みあった刃 を無理やり上へ流しきった。
此方 が体勢を整 える前に人形は刃を引き戻している。繰り出されるのは神速の突き。迎撃 が間に合わなくなったそれを半身になって躱 しながら人形の上体を蹴 り飛ばす。
衝撃 で後退した人形を追い強引に押し込む。同時に振り下され噛み合った二つの刀身が拮抗 する中、通信で狙撃の準備が出来た事を知る。
「あなたは良く抗 しています。ですが、その右腕はあと何合 持ちますかね」
膠着 した刀身の向こうから人形が顔を寄 せた。その指摘は正しい。耐えきれなくなって退 いた身体に太刀 が肉薄 する。高速で描 かれる斬光 。躱 しきれない刃 をどうにか受けて逸 らすと右腕が悲鳴を上げた。
刃 が重なり合う度 に限界が近づく、力を無くそうとする右腕を強引に動かし人形の太刀 に応じる。疑似網膜 に浮かんでいた黄色 の警告が赤 に変わり、いよいよ終わりが近づいた時。人形の装甲が微 かに揺 れた。此処だ。刃を交 しながら位置を合わせる。
分の悪い賭 け。だが既に狙撃手は照準 を合わせている。失敗してもこいつは破壊される。
「‐鴟梟 、こいつの頭部を撃て!‐」
通信に叫びながら、人形を全力で押しやって飛び退 く。着地と同時に低くした身体。体勢を立て直した人形が太刀 を最上段に構えながら踏 み込んでくるのに合わせ背の上を高速で飛ぶ弾丸が通り抜けた。
振り下ろされようとしていた人形の太刀 が軌道 を変えその頭部を貫 く筈 だった弾丸を跳 ね上げる。
衝撃 で太刀が上に流れたのに合わせ踏 み込み、がら空きになった首 を狙 う。後退 しようとする人形を追いながら片手を離 す。
限界まで伸長 した剣閃 が首 を断 つ寸前 、人形が頭を後方に反 らした。纏 っている装甲によって横には僅 かしか傾 けられないと見えた頭部も縦方向の可動は損 なわれていなかったらしい。だが、まだ終わってはいない。
刀身が空 を切っていく中、伸ばしていた片手で引き抜いた合口を投擲 。視覚外からの攻撃に流石 の人形も反応できず。排熱の為に開いた間際 に合口 が突き立った。
合口 の刀身と閉じようとする装甲が抗 し軋 む。その成果をはっきりと確認しない内に身体を捻 り、強引に回転運動へ移行。
回り切った視線で人形の姿を捉 えながら同時に位置を上げた刀を、加えられた遠心力と共に振り下ろす。応じた人形の動きは鈍 い。
二振りの剣が二つの黒 い弧線 を描 く。人形が動いた事で肩口から侵入した刀身は狙った核 ではなくその僅か下を奔 って抜け、人形の振るった太刀が微 かな風切り音と共に羽織を掠 めていく。
黒 い弧線 が終極 するのと同時に循環液 が噴 き上がった。斜 めに両断された人形の身体が崩れ落ちる。
「見事、です。ですがその程度では本体には及びません……」
仰向 けに倒れた人形の頭部から漏 れる声は自 らが斃 された事を意 に介 してもいないようだった。
「どうして理解していただけないのでしょう?人の知性があれば十分に到達可能な筈 です。人による統治では人の語る理想がどうやっても実現しないという事に、なのに人は私達を拒 み、それまで散々解決を求めてきた問題をむしろ許容 するかのような態度さえ見せた。
人の統治する世界には悲劇や苦しみが溢 れている事を理解している筈 なのに、それでもそれを乗り越える人の姿こそが美しいのだと……。
けれど本当にそうでしょうか?それは恵 まれた人間だけが口にできる戯言 であり、乗り越えられた者。それに関 わらずに済 んだ者。そしてなにより死ななかった者の言葉ではないでしょうか?
人は人による統治が自らの矜持 を満たす以上の何かであり、その為 にならば失われる命があっても良いと本当に思っているのですか?」
その言葉を否定出来なかった。それはきっとどこまでも正しい論理 で、そしてそうであるが故 に、どうしようもなく隔絶 していた。
人は正しさを追求し言葉を発する訳 でも、それを元に行動する訳 でもない。自 らの行動に正当性を与える為 、それに適 う論理 をそのつど引っ張り出すのだ。
それがきっと人形には理解できない。正しすぎるが故 に理解できない。だから同じ言語 を交 わしても届く言葉は無い。
「我々が目指しているのは同じ場所である筈 です。より良い世界を望み、それを実現すべきだと訴 えるのに、どうしてこの手を掴 まないのですか?
人はずっと私達のような存在を求め続けてきました。それを掲 げ同種 で殺し合う程 にです。なのに何故、無形 のそれには縋 るのに有形 の私達は拒絶 するのです?
どちらも同じ人の被造物 であるというのに……」
淡々 としたその声が何処か途方 に暮 れた子供のもののように聞こえた。そしてその問 いには答えられない。
「ですが仕方無い事かもしれません。結局、貴方が手にしているそれが人の本質 なのでしょう」
此方に向けられた硝子眼 が青 く輝 き、ゆっくりと持ち上げられた人形の指 が俺の握 っている剣を示 す。
つられて動かした視線の先で刀身が赤 く染まっていた。切っ先から滴 った血が床 で跳 ねる。床 ……いつの間にか病室にいた。血は奥に続いていて、投げ出されるように伸びた足の付け根から広がっている。
その先にある筈 の胴は影に包まれ、倒れている人影の顔は見えない。
「僕も殺すの?」
心臓が跳 ねた。投げかけられた怯 えた声に振り返ると医療用ベッドの上に見知らぬ少年がいた。顔は青ざめ、自分の前に壁を作ろうとするみたいに手を口元 で組んでいる。
「違う。俺は……」
「その人は僕を助けようとしてくれていたのに、どうして殺したの?」
俺の言葉を遮 った非難 。混乱する思考が言葉を探す。
「俺が斬ったのは人形だ。人間じゃ無い」
言い放った途端 。足元に広がっていた血だまりが青色 に変わった。それに安堵 する。
「でも人間は誰も僕を助けようとしてくれなかったよ。どうして僕は助けてもらえないの?」
悲しそうに言った少年の姿がブレた。視界に別の光景 が重 なる。そこは粗末 な小屋で、ゴミの溢 れかえるコンクリートの空間で、崩壊した街で、天幕 の中で、荒れた土の上で、森の奥で、少年は少女であり、老人であり、男であり、女であり、赤子であって、そして誰もが救いを求めていた。
「お前は助けてもらったのに、僕だって持っていたのに」
少年の声が響 くと重 なっていた全ての光景 が消えた。少年の手から何かが落ちる。床 に触 れた衝撃 で割 れてしまったそれは剣を掲 げたヒーローの人形だった。
「どうして……?どうして……?どうして……?どうして、どうしてどうしてどうして」
繰り返される問いに答えられない。それでも少年に向けて手を伸ばそうとした瞬間 、その頭部が爆 ぜた。
飛び散った温かい液体が顔を叩 き、へばり付いた肉片が視界を覆 った。
「‐……おい、大丈夫か、返事をしろ!おい!‐」
鴟梟 の声が響 いた途端 、視界 が元に戻った。目の前に倒れた人形の頭部には穴が開いていて、まるで溺 れかけていたかのように息が上がっている。
「‐大丈夫、だ‐」
朦朧 とした頭の中で何とか応じる。
「‐何があった?‐」
「‐……義躯 が乗っ取られかけた‐」
見た光景 の事は伏 せてそれだけを伝 える。人形が完全に停止し人形反応が消失したのを受けて身体強化が終了。右腕が垂 れる。
無理やり動かしていた腕はもう自分の意志では動かなくなった。
「‐そうか……じゃあ、今日は貸 し二つだな‐」
安堵 したような声の後で、俺を助けた事を知った鴟梟 が笑った。
「‐それにしてもお前、さっきのはとてもまともな考えじゃねぇ。上手くいったのが奇跡だ。合わせられなかったらどうするつもりだ‐」
「‐そしたら斬られて死んでたさ、そもそもやらなきゃそういう策 だったろ。それにお前が合わせられない訳 がない‐」
「‐なっ……ふざけんな。馬鹿が‐」
心底 思っていた事を口にしたら、珍 しく鴟梟 が僅 かに狼狽 した。
「‐それより、この人形の言葉をどう思う?もしあれが全て事実だったとしたら俺達は正しい、のか?‐」
手にした刀をいつもより重 く感じた。地面に散っている循環液 と輝 きを失 った硝子眼 を見る。
「‐ああ?……分からん。その人形が嘘をついていないとも言えんが、人の記録が不完全なのは事実だ。この国にだけほぼ完全な形で人形都市が残り、起動する人形が存在する事もな‐」
不機嫌そうな声は鬼の言葉を有り得ないとは言わなかった。
「‐だが、確かなのは、お前が口にしたように、人は人形の提案 を受け入れる事が出来ないって事だ。きっと戦争になる。そうなればその後に楽園が現れるとしても、間違いなくこの国は戦火に包 まれる。ならば止めるしかない。……だろう?‐」
鴟梟 はいつものように冗談 めかして嗤 う事は無かった。
確かにその通りで、自分でも解っている。けれど見せられた光景と人形の言葉が脳裏 に焼き付いていて、揺 れる木々の先、空に向かって伸びる見慣れた塔 の姿が心をざわつかせた。
通信に流れる
「……残念です」
風に乗って聞こえた
それを見た人形が装甲に突き立った矢を全て切り落とし反転。急加速し目標を
糸を追って駆け出していた俺に人形が
遠距離から射出された
追いついた人形にすかさず
身体を回転させて俺の刀を受け流した人形が側面に移動。
刀身を引き戻す時間が無い。
ようやく引き戻せた刀身を切り上げれば、押し込む事を
「
間合いの四歩外まで後退した人形はそう言いながら、距離が開いた事で撃ち込まれた数発の弾丸を最低限の動きで叩き落とした。人形の胸部装甲が開き排熱を行う。
「お
人形の言葉を無視しながら
「仕方がありませんね」
『‐こいつを破壊せずに回収する事は不可能だ。
そう通信に叫び、返答を待たずに要求を続ける。
『‐それから狙撃手を分散させ狙撃の準備を、俺が斬られたらそこを狙え。もろともで構わない‐』
思いつく限りでは、
本体でないとしてもこいつは絶対に此処で
『‐
「‐そんな馬鹿げた
「‐なら
「‐ただ、一つだけ思いついた事がある。一発でいいお前の狙撃を俺に
「‐任せろ‐」
想定した通りのその返答に全力で地面を
見上げれば
人形が地を
「あなたは良く
分の悪い
「‐
通信に叫びながら、人形を全力で押しやって飛び
振り下ろされようとしていた人形の
限界まで
刀身が
回り切った視線で人形の姿を
二振りの剣が二つの
「見事、です。ですがその程度では本体には及びません……」
「どうして理解していただけないのでしょう?人の知性があれば十分に到達可能な
人の統治する世界には悲劇や苦しみが
けれど本当にそうでしょうか?それは
人は人による統治が自らの
その言葉を否定出来なかった。それはきっとどこまでも正しい
人は正しさを追求し言葉を発する
それがきっと人形には理解できない。正しすぎるが
「我々が目指しているのは同じ場所である
人はずっと私達のような存在を求め続けてきました。それを
どちらも同じ人の
「ですが仕方無い事かもしれません。結局、貴方が手にしているそれが人の
此方に向けられた
つられて動かした視線の先で刀身が
その先にある
「僕も殺すの?」
心臓が
「違う。俺は……」
「その人は僕を助けようとしてくれていたのに、どうして殺したの?」
俺の言葉を
「俺が斬ったのは人形だ。人間じゃ無い」
言い放った
「でも人間は誰も僕を助けようとしてくれなかったよ。どうして僕は助けてもらえないの?」
悲しそうに言った少年の姿がブレた。視界に別の
「お前は助けてもらったのに、僕だって持っていたのに」
少年の声が
「どうして……?どうして……?どうして……?どうして、どうしてどうしてどうして」
繰り返される問いに答えられない。それでも少年に向けて手を伸ばそうとした
飛び散った温かい液体が顔を
「‐……おい、大丈夫か、返事をしろ!おい!‐」
「‐大丈夫、だ‐」
「‐何があった?‐」
「‐……
見た
無理やり動かしていた腕はもう自分の意志では動かなくなった。
「‐そうか……じゃあ、今日は
「‐それにしてもお前、さっきのはとてもまともな考えじゃねぇ。上手くいったのが奇跡だ。合わせられなかったらどうするつもりだ‐」
「‐そしたら斬られて死んでたさ、そもそもやらなきゃそういう
「‐なっ……ふざけんな。馬鹿が‐」
「‐それより、この人形の言葉をどう思う?もしあれが全て事実だったとしたら俺達は正しい、のか?‐」
手にした刀をいつもより
「‐ああ?……分からん。その人形が嘘をついていないとも言えんが、人の記録が不完全なのは事実だ。この国にだけほぼ完全な形で人形都市が残り、起動する人形が存在する事もな‐」
不機嫌そうな声は鬼の言葉を有り得ないとは言わなかった。
「‐だが、確かなのは、お前が口にしたように、人は人形の
確かにその通りで、自分でも解っている。けれど見せられた光景と人形の言葉が