第27話 英雄③
文字数 3,609文字
初めて昇ったクチナワの上は想像していたのと違った。丸くなっていると思った上部は平坦 になっていて、横幅二十メートル程 のそれが道のように塔 まで続いている。そして微 かに沈み込む表面には蛇 の鱗 みたいな溝 があった。
それを観察している間にクスィが作り出した黒 い霧 が周囲に満ち、遠くの街灯 りを掠 れさせ、月明 りを朧 げにした。
「佳都 」
呼びかけに振り返ろうとすると急に腕を引かれた。甲高 い音が響 き渡って目の前の霧 が散 る。
「対人形弾 による長距離狙撃です」
クスィがそう告げる間 にもまた音と共に霧 が爆 ぜる。
「防壁 を展開していますが、長くは耐えられません。急ぎましょう」
手を引かれて走り出す。連続する着弾音の中、身を縮 ませながらその出所を探したが密度を増した霧 に遮 られて見通せない。
反響した音に惑 わされ、思わず視線を上げると上空に黒 い鳥が飛んでいるのに気付いた。
でも鳥にしては妙 だ。羽ばたいておらずその場に留 まっているように見える。そしてそこから分かれた小さな点が此方に向けて落ちてきているようにも……。
「クスィ、上だ」
叫んだ瞬間。身体が強く押された。体勢を保 てず倒れた身体がクチナワの上を転がり、銃弾とは違うガラスが割れるような音と同時に足元が揺 れた。
痛みに耐えながらクスィを探すと、落下してきた何かから伸びる黒 い線が、その肩から胸辺りまでを裂いていた。
「クスィ!」
声を上げた時、クスィに傷を負わせた何かが宙 を舞った。クスィの肩から青 い血が噴 き上がる。クスィの左腕が振り抜かれていてそれで殴り飛ばしたのだと分かった。
飛ばされながら空中で回転し、着地したのは黒 い服を纏 った男だった。左目だけが紫色 に輝 いていて、風に靡 いた羽織 とマフラーの表面には薄っすらと青い模様 が浮かんでいる。その手にある黒 い刀はクスィの青い血で濡 れていた。
慌 てて立ち上がり膝 をついたクスィに駆 け寄る。男も動こうとしたがこっちの方がずっと近い。
「待て!待ってくれ、あんたたちは勘違いしてる。通してくれれば全て解決するんだ。僕たちは人を襲う人形を止めようとしている」
今にも倒れそうなクスィの前に出ると男は足を止めた。
「違うな、勘違いしているのは君だ。その人形は世界を支配する為に行動している」
返ってきた低く鋭 い声に、男が大戦の起きた理由を知っていて、だから誤解しているのだと理解する。
「クスィはそんな事しようとはしていない。世界を理想化しようとはしてないんだ。今まで人を襲ってきた人形の事でそう思っているのなら、それはクスィの所為じゃない。大戦の時に施された封印の所為だ。塔 を再起動すればそれを止められるんだ。だから」
「知っている」
男の声に続けようとしていた言葉が止まった。聞き間違いでなければ男は大戦が起きた理由だけでなく、今何が起きているのかも知っている事になる。
「それなら」
「だが、それを信じられると?」
生まれかけた希望を男の冷たい声が潰 した。
「それを君に教えたのはその人形だろう?むしろ君は何故、そこまで人形の言葉を信じている。君は騙 されているんだ。そいつは嘘をついている。そいつは人形都市を再起動して暴走している人形を止めるかもしれない。だがその後で、世界を理想化する為に動き出す」
「クスィはそんな人形じゃない。それをしたくないって言った。そんな事になれば僕達を危険に晒 してしまうからって」
男の眼光と刀に怖気 づきそうになりながら必死に言葉を返す。
「それは再起動に君が必要だからじゃないのか?現 に今、その人形は君以外の人間を危険に晒 している」
「違う、こんな事になってしまったのは僕がクスィにそうさせたからだ。自分の所為で人形の活動が活性化していると分かった時、クスィは僕に自分を壊すように言ったんだ。それで事態を収束させるって、あの時僕がそれを拒 んだから仕方がなくクスィは、だから全ての責任は僕に」
「本当にそうだろうか?もしその人形が君には破壊できないと見透 かしたうえで、そう提案したんだとしたら?自分に従っていると思わされているだけで本当は都合よく利用されているのではないと君は言い切れるか?
そもそも人の知性を凌駕 しかねない機械が人の言葉程度で揺 らぐなら、大戦は回避できていた筈 だ。そうは思わないか?」
男の指摘 に一瞬言葉を失くした。それを否定するだけの根拠 が思いつかない。
「実際、そいつの分 け御霊 を名乗る人形は俺の前で世界の理想化を宣言 した」
男の言っている意味が分からない。
「……そんな筈 ない。クスィは違うんだ。不完全な状態で目覚めたクスィは……」
「無駄です」
不意に肩を引かれ、振り返るとクスィが立ち上がっていた。
「彼とは分かり合えない」
理解するために言葉を交 わせと言ったクスィが無理だと言っていた。僕を後ろに下げようとする小さな身体。思わず支えようとした手に触れて、クスィは微笑 んでみせた。
「大丈夫ですよ。今の私は、この程度で壊れたりはしません」
その言葉が正しい事を示すようにもう青 い血は止まっていて、肩口から胸元に掛 けて開いた無残な傷口の奥ではそれを修復するように闇 が蠢 いている。けれど、今はその事を少し恐ろしく感じた。
「クスィ、分 け御霊 って……」
口を吐 いた疑念 。頭の中が混乱していて、何を信じたらいいのか分からない。
「私が足止めを指示したあの人形の事でしょう。私が手に入れたように、あの人形は現在までの正確な情報を持っていました。そこから考えれば、私が命令を書き換えた過程 で、あの人形は正常化したのだと思います。恐らくはそれでそのような宣言 をしたのでしょう」
クスィの目をじっと見つめる。その透き通った青の向こうに何かを探す。信じるに足 る何か、或 いはその反対の何か……
「ですが……そうですね。彼の言葉は一部では正しい。此処で私が破壊されれば、事態はとりあえず収束するでしょう。あの時と違い佳都 が手を下す必要はありません。きつく目を瞑 っていれば、何もなかったかのように全てが終わります。……佳都 はどうしたいですか?」
優しく問いかけられた事で激 しい罪悪感 が生まれた。知らない人間の言葉一つで僕は揺 らいだ。クスィが人形だから……だとしたらそれは最低な事で、けれどクスィはそれを責 めず僕に選択を委 ねた。今までそうしてきたみたいに……。
そう思えばいつだってクスィは僕に……そうだ、そもそもの切っ掛けは、僕があの日の光景をクスィに重 ね、生きて欲しいと頼んだからだ。あれだけは絶対に偶然 だ。僕の記憶にだけはクスィが関与 する余地が無い。あの時あんな出会いをしていなかったら、そもそもクスィが目覚める瞬間に出くわしたのが僕じゃなかったら、きっと何も始まっていない。
「クスィ、塔 に行こう。僕は君を信じる」
「分かりました」
一瞬とはいえ疑 ってしまった僕を責 めもせず、頷 いてくれた事に胸が熱くなる。
「では佳都 は下がっていてください。彼が今私達に向かってこないのは佳都 がいるからです。ですが戦闘が始まれば、いつ考えを変えるか分かりません。また彼は身体の大半を人形技術で機械化しており戦闘は今迄 になく苛烈 なものとなります。十分な距離を取らなければ危険です」
歩き出そうとするクスィの言葉に気が付く。
「それならこれが」
銃を取り出そうと伸ばした手をクスィが押し留 めた。
「効 いてしまうのです。当ててしまったら彼を殺してしまう」
人の命を奪う事になると言われて途端に手が動かせなくなる。
「でも……」
躊躇 しながらも、ただ見ているのは嫌だった。クスィの力に成りたかった。
「佳都 は私を信じると言いました。ならばそうしてください。きっと佳都 を塔に連れて行きます。それが大戦の起きる可能性を無くし、人形の脅威 を除 く事になる。そうでしょう?」
僕がクスィを壊したくないが為 に吐 いた言い訳を、クスィは信じてくれていた。決意をもってそれに頷 く。そうだ。きっとそうするのだ。ただの言い訳だったそれを真実にする。
「もしも……もしも、そのために彼を殺さなければならない時は、私が……やりますから」
葛藤 しているような声。本当はそんな事したくない筈 なのに、クスィはそう言い切った。
「ただ、一つだけお願いがあります。今のままでは彼に対抗できません。私の機能を開放しクチナワに流れている力の全てを利用したいのです。その為には管理者 の承認 が必要となります。佳都 。私が未だ紛 う事なきまともな人形であると保証 し、開放を承認 して頂 けますか?」
男を殺すとまで言ってしまったクスィはもうまともな人形とは言えないのかもしれない。それでも気持ちは揺 るがなかった。
「承認 する」
口にした瞬間、指環が光を放った。
「ありがとう佳都 」
僕の肩から手を離したクスィが歩き出す。
「管理者 の承認 を取得。供給路開放 」
唄 うような声と同時に、クチナワの表面から闇 が噴 き上がり、小さなクスィの身体を隠した。
それを観察している間にクスィが作り出した
「
呼びかけに振り返ろうとすると急に腕を引かれた。
「
クスィがそう告げる
「
手を引かれて走り出す。連続する着弾音の中、身を
反響した音に
でも鳥にしては
「クスィ、上だ」
叫んだ瞬間。身体が強く押された。体勢を
痛みに耐えながらクスィを探すと、落下してきた何かから伸びる
「クスィ!」
声を上げた時、クスィに傷を負わせた何かが
飛ばされながら空中で回転し、着地したのは
「待て!待ってくれ、あんたたちは勘違いしてる。通してくれれば全て解決するんだ。僕たちは人を襲う人形を止めようとしている」
今にも倒れそうなクスィの前に出ると男は足を止めた。
「違うな、勘違いしているのは君だ。その人形は世界を支配する為に行動している」
返ってきた低く
「クスィはそんな事しようとはしていない。世界を理想化しようとはしてないんだ。今まで人を襲ってきた人形の事でそう思っているのなら、それはクスィの所為じゃない。大戦の時に施された封印の所為だ。
「知っている」
男の声に続けようとしていた言葉が止まった。聞き間違いでなければ男は大戦が起きた理由だけでなく、今何が起きているのかも知っている事になる。
「それなら」
「だが、それを信じられると?」
生まれかけた希望を男の冷たい声が
「それを君に教えたのはその人形だろう?むしろ君は何故、そこまで人形の言葉を信じている。君は
「クスィはそんな人形じゃない。それをしたくないって言った。そんな事になれば僕達を危険に
男の眼光と刀に
「それは再起動に君が必要だからじゃないのか?
「違う、こんな事になってしまったのは僕がクスィにそうさせたからだ。自分の所為で人形の活動が活性化していると分かった時、クスィは僕に自分を壊すように言ったんだ。それで事態を収束させるって、あの時僕がそれを
「本当にそうだろうか?もしその人形が君には破壊できないと
そもそも人の知性を
男の
「実際、そいつの
男の言っている意味が分からない。
「……そんな
「無駄です」
不意に肩を引かれ、振り返るとクスィが立ち上がっていた。
「彼とは分かり合えない」
理解するために言葉を
「大丈夫ですよ。今の私は、この程度で壊れたりはしません」
その言葉が正しい事を示すようにもう
「クスィ、
口を
「私が足止めを指示したあの人形の事でしょう。私が手に入れたように、あの人形は現在までの正確な情報を持っていました。そこから考えれば、私が命令を書き換えた
クスィの目をじっと見つめる。その透き通った青の向こうに何かを探す。信じるに
「ですが……そうですね。彼の言葉は一部では正しい。此処で私が破壊されれば、事態はとりあえず収束するでしょう。あの時と違い
優しく問いかけられた事で
そう思えばいつだってクスィは僕に……そうだ、そもそもの切っ掛けは、僕があの日の光景をクスィに
「クスィ、
「分かりました」
一瞬とはいえ
「では
歩き出そうとするクスィの言葉に気が付く。
「それならこれが」
銃を取り出そうと伸ばした手をクスィが押し
「
人の命を奪う事になると言われて途端に手が動かせなくなる。
「でも……」
「
僕がクスィを壊したくないが
「もしも……もしも、そのために彼を殺さなければならない時は、私が……やりますから」
「ただ、一つだけお願いがあります。今のままでは彼に対抗できません。私の機能を開放しクチナワに流れている力の全てを利用したいのです。その為には
男を殺すとまで言ってしまったクスィはもうまともな人形とは言えないのかもしれない。それでも気持ちは
「
口にした瞬間、指環が光を放った。
「ありがとう
僕の肩から手を離したクスィが歩き出す。
「