第14話 管理人形④
文字数 3,680文字
仕事に出かけて行く岬 さんを見送りながらトーストに噛 り付く。意味もなく付けていたテレビに目をやると、遠い街で起きた殺人事件が報道されていた。
連行 されていく若い男の口元には薄 い笑み。映像はすぐに次の報道に切り替わったが、昼や夕方になれば特集され、スタジオに集められた人達が動機や犯人の人柄 についての推測 を熱心に語り合うのだろう。まるでもっともらしい答えを与えればそれは安全で、これから起 こらないものになるとでも言うように……。
けれどそんな事はありえない。人は人を殺せる。ただそれを大半の人間は実行に移さないだけだ。
できるけれどやらない。或 いはまだやっていない。男とそれ以外を別 けているのは結局のところそんな些細 なものにすぎない……。
テレビを消して溜息 を吐 く。朝からこんなに気持ちが沈 んでいるのは、昨日見た夢の所為 だ。時折 見る酷い夢。ジャムで汚 れたお皿を洗いながら、横に置いてある包丁立てから伸びる柄 を見てその内容がよみがえる。
夢の中で僕は包丁を手にしていて、それを母さんの背に突き立てる。脂肪 や筋肉を強引に押しのけて刃が侵入 し、そこから溢 れてくる血が白い服を染めていく。痛みに顔をゆがめながら振り返った母さんが、驚いた表情で「どうして?」と呟 く。呆然 とした僕が答えられずにいるうちに、包丁の柄 から伝 った血で両手が真っ赤に染まっていき、そこで決まって目を覚 ます。
母さんを助けられなかった時、広がった血だまりの中に落ちていた包丁の光景が焼き付いてしまった所為 で見るようになった夢。それによっていつしか刃物を見るだけで、人を刺す想像が浮かぶようになってしまった。そんな事絶対にしたくないのに、いつか本当にそうしてしまうんじゃないかと時々恐 ろしくなる。
ましてこの身体にはあいつの血が流れているのだ。岬 さんの身体の事を知り、それを揶揄 った同級生を殴 った時にその事を痛感 した。千歳 は義憤 だと言ってくれたけれど、あの時、暴力を振るう事に悦 びを感じていなかったと言い切るだけの自信がない。
岬さんや千歳がいてくれるからそうならずに済 んでいるだけで、そうじゃなかったら僕だって薄い笑みを浮かべた人殺しになっていたかもしれない。そんな惧 れは常 に僕の中にある。
やっぱり学校に行くのはやめよう。とてもそんな気持ちにはなれない。用意していて全てを置 いて部屋に戻る。
「クストス」
部屋の中に姿が無かったから呼びかけると、クローゼットの扉が少しだけ開き、クストスが顔を覗 かせた。
「はい、なんでしょう?」
岬 さんが仕事に行ったら出てきてもいいと伝 えていたけれど、どうやらそうしようとは思わなかったらしい。クストスのする人形的な考え方をすれば、その必要が無かったのかもしれない。
「ちょっと」
手招 きすると、クストスはクローゼットから出て目の前までやってきた。
昨日 、僕のお古 を着せたクストスは、一見 少年みたいな見た目になっている。
「今から、コードを集めに行こう」
差し出した僕の手を見てクストスは首を傾 げた。
「学校はどうなりました?」
「……休みになったんだ」
そう言うとクストスは黙ったままじっとこちらを見つめた。
「佳都 の端末 を経由して、あらゆる情報を取得しましたがそのような事実は確認できません。また佳都 が保護者の方とそのような話しをしている声も聞こえませんでしたし、仮に佳都 が複数の端末を所持しており、それにより無声通信を行ったのだとしても、現在の技術で私に捉 えられない通信は存在しません」
淡々 とした言葉がほとんどの逃げ道を潰 した。泳ごうとする眼を必死に抑 えながら考える。クストスが納得する何か、それが可能な連絡手段。例えば声も通信を使わないような……。
そうだ、実は初めから休みだったと言うのはどうだろうか、いや、休みになったと言ってしまった以上、クストスはたぶん納得せずそこを追求して……。
「佳都 」
名前を呼ばれた事で思考が停止した。深く青 い眼 が瞬 きもせずに僕の目の奥を覗 いている。
「あなたは嘘をついているのではありませんか?」
その言葉に、一気に血の気が引いた。とても静かで怒気 の欠片もなく、ただ確認しているだけみたいな声に、それでも僕は戦慄 していた。思わず視線が逃げる。
「ごめん、なさい……」
反射的に謝罪を口にして、僕は責 められると相手が自分よりも遥 かに小さな女の子の姿であっても、耐えられないのだと知る。
「……でも、クストスを早く直したいんだ」
口を吐 いたのは本心でありながら、同時に自らの罪を軽くしようとする言葉。
「私は生活を無視してまで行動するのなら協力できないと言い。それを佳都 は承諾 してくれました。現状私を直す事が佳都 の日常を大きく変更せずとも達成可能である以上、変更は認められません」
少女の様 な姿と、表情も抑揚 も平坦 なままのクストスを見て、千歳にだったら絶対に出来ないだろう一歩を恐る恐る 踏み込む。
「……絶対に?」
「絶対にです」
◆◆◆
結局、説得出来なくて渋々 家を出た。諦 める前に、人形は管理者の命令には逆らえないと言っていた事を思いだし、お願いみたいにじゃなく命令すれば或 いは僕の意志を通せるのではないかと考えはしたけれど、そうしたくなかったのだから仕方がない。
クストスが大丈夫だと言った事もあるし、なによりクストスの望みを強引に抑 え付けてまで行動するだけの覚悟 を持つ事が出来なかった。
ともすれば、意気地 がないと言えるかもしれない。何よりも早くクストスを助けてあげたいのに、その為になら彼女に恨 まれても良いと思いきれる程の強 さは僕には無い。
仕方がないから、足を進めながら携帯端末 を取り出す。地図を開くと、クストスと常時 接続状態になって強化されたらしい端末が異様な程 詳細 な地図を表示する。クストスの位置を示す赤い点は確かに自宅であるマンションの上にあって、その事に僅 かな安堵 を覚えつつ、けれど
「おはよう、佳都 」
唐突 に聞こえてきた千歳 の声に慌 てて端末をポケットにしまう。顔を上げると千歳 がこっちに近づいてくるのが見えた。でも、なんだかいつもの元気が無いような気がする。
「おはよう、はい、これ」
目の前まで来た千歳 に挨拶を返し、鞄から取り出したストラップを差し出すと、それを受け取った千歳 は此方 を窺 うような顔をした。何処か不安そうにも見える。
「あー、やっぱり、その……怒ってる?」
千歳もそんな顔をするんだと驚 きつつ、違和感の理由を理解した。
「別に、そんな事ないよ」
「だって昨日送ってきた文面素っ気なかったし、今もなんかそんな感じだし、私もちょっとやりすぎちゃったかなって……その、ごめん」
千歳 の言葉に昨日送った文面 を思い出す。確かに簡潔 に過ぎたかもしれない。クストスの事で頭がいっぱいでそこまで考えが回らなかった。
「ああ、あれは、そう言うんじゃなくて別に考え事があって、千歳 の所為じゃないんだ。本当」
「考え事?」
自分が原因じゃないと分かり不安の色が消えた千歳 は首を傾げながらじっとこっちを見た。自分の言葉を後悔 する。こうなると千歳 はもう引き下がらない。千歳 の強い視線から逃げるように目を逸 らしながら、当たり障 りのない考え事を探す。
「えっと、その、……そう、そろそろ勉強しないといけないと思って……ほら、テスト近いし」
絞 り出した言葉と共に視線を戻すと千歳 が目を丸くしていた。
「佳都 が……勉強?今まで一度もそんな事言わなかったのに、大丈夫?熱でもあるんじゃないの?」
額 に当てられようとした手から、身を引いて逃 れる。
「そろそろ本格的にやばいと思うんだよ」
「ああ、まぁ、前回の酷かったもんね。……うん、そういう事なら私が教えてあげる。学校が終わったら佳都 の家に行くね。テストが終わるまで毎日続けよう」
成績の悪さが咄嗟 の言い訳に説得力を与えた悲しみに浸 る間もなく、興奮した千歳 の声を聞いて、自分が選択を間違えた事に気付いた。強い力で僕の手を握った千歳 の目が輝 いている。
「いや、でもそれは千歳 に悪いし、それに一人でやった方が集中でき……」
「何言ってるの?できてないからその成績なんでしょ?」
千歳 を止めようとした言葉は圧倒的な正論に消された。正しすぎて返す言葉が無い。
「あー、でも千歳には部活が……」
「大丈夫。うちゆるいから」
悪意のない笑顔が眩 しい。でもこのまま押し切られる訳にはいかない。そんな事に成ればクストスを助ける為の行動が全て出来なくなってしまう。
「いや、でも、えっと、家はちょっと、その、やっぱりまだちょっと気まずいというか……」
できるだけ哀 れみ感じさせる表情になるように努力する。
「ああ、そうか、そうだよね。そこまで考えなかった」
「ごめん」
「気にしないで、……じゃあ図書館にしよう」
僕を気遣 う顔に胸が痛む。とりあえず家に千歳が来る事は避けられた。これ以上は無理だ。
「学校が終わって一度帰ったら、必要な物を持って図書館に集合って事で」
「分かった」
そう言って頷 きながら嘘を吐いた事を心の中で謝った
けれどそんな事はありえない。人は人を殺せる。ただそれを大半の人間は実行に移さないだけだ。
できるけれどやらない。
テレビを消して
夢の中で僕は包丁を手にしていて、それを母さんの背に突き立てる。
母さんを助けられなかった時、広がった血だまりの中に落ちていた包丁の光景が焼き付いてしまった
ましてこの身体にはあいつの血が流れているのだ。
岬さんや千歳がいてくれるからそうならずに
やっぱり学校に行くのはやめよう。とてもそんな気持ちにはなれない。用意していて全てを
「クストス」
部屋の中に姿が無かったから呼びかけると、クローゼットの扉が少しだけ開き、クストスが顔を
「はい、なんでしょう?」
「ちょっと」
「今から、コードを集めに行こう」
差し出した僕の手を見てクストスは首を
「学校はどうなりました?」
「……休みになったんだ」
そう言うとクストスは黙ったままじっとこちらを見つめた。
「
そうだ、実は初めから休みだったと言うのはどうだろうか、いや、休みになったと言ってしまった以上、クストスはたぶん納得せずそこを追求して……。
「
名前を呼ばれた事で思考が停止した。深く
「あなたは嘘をついているのではありませんか?」
その言葉に、一気に血の気が引いた。とても静かで
「ごめん、なさい……」
反射的に謝罪を口にして、僕は
「……でも、クストスを早く直したいんだ」
口を
「私は生活を無視してまで行動するのなら協力できないと言い。それを
少女の
「……絶対に?」
「絶対にです」
◆◆◆
結局、説得出来なくて
クストスが大丈夫だと言った事もあるし、なによりクストスの望みを強引に
ともすれば、
仕方がないから、足を進めながら
もどかしさ
は無くならなかった。「おはよう、
「おはよう、はい、これ」
目の前まで来た
「あー、やっぱり、その……怒ってる?」
千歳もそんな顔をするんだと
「別に、そんな事ないよ」
「だって昨日送ってきた文面素っ気なかったし、今もなんかそんな感じだし、私もちょっとやりすぎちゃったかなって……その、ごめん」
「ああ、あれは、そう言うんじゃなくて別に考え事があって、
「考え事?」
自分が原因じゃないと分かり不安の色が消えた
「えっと、その、……そう、そろそろ勉強しないといけないと思って……ほら、テスト近いし」
「
「そろそろ本格的にやばいと思うんだよ」
「ああ、まぁ、前回の酷かったもんね。……うん、そういう事なら私が教えてあげる。学校が終わったら
成績の悪さが
「いや、でもそれは
「何言ってるの?できてないからその成績なんでしょ?」
「あー、でも千歳には部活が……」
「大丈夫。うちゆるいから」
悪意のない笑顔が
「いや、でも、えっと、家はちょっと、その、やっぱりまだちょっと気まずいというか……」
できるだけ
「ああ、そうか、そうだよね。そこまで考えなかった」
「ごめん」
「気にしないで、……じゃあ図書館にしよう」
僕を
「学校が終わって一度帰ったら、必要な物を持って図書館に集合って事で」
「分かった」
そう言って