第6話 咎人②
文字数 8,746文字
あれからどれだけ経 っただろうか、吸った息をゆっくりと吐きながら姿勢を変える。布団に潜り込んでもう一時間は経 っている筈 なのに、眠りはやってくる気配さえなかった。
原因は千歳 が泊まっているという事を妙に意識してしまっている所為だ。前の時と違うのは岬 さんが家にいないだけ、ただそれだけの事なのに、こんな状態になるなんて最低だった。岬 さんの部屋で寝ている千歳 が知ったらきっと軽蔑 されるだろう。もう若干悟られている可能性すらある。
泊 まっていく事が決まってからの僕は確実におかしかった。いつもみたいに話す事が出来なくなって会話はぎこちなくなったし、お風呂に行く時に言われた「覗 かないでよ」という冗談にも上手く返す事が出来なかった。
スウェットに着替え、携帯用の歯ブラシを持ちながら居間に戻ってきた千歳の姿を想起して、それを振り払う為にまた体の向きを変える。
お風呂で雑念 を払いたくて身体を丁寧に洗っていたら、それがまた何かを意識しているように思えたのも最低だったと自分をなじる。
本当に最低で、でも朝になればきっとこんな気持ちも無くなる筈だと言い聞かせ、眠ろうと努めていた意識が不意に微かな足音を捉えた。それに続く小さな声。
「佳都 、まだ起きてる?」
「……うん」
「入ってもいい?」
何故返事なんかしてしまったんだろうと後悔する。でも、もう遅かった。
「……いいよ」
答えながら掛布団 を持ち上げて身を起こす。開かれた扉から、廊下の照明の光が差し込む。
「どうか、した?」
動揺がそのまま表 れて裏声みたいな変な声が出た。
「眠れなくて、その……そこに座ってもいいかな?」
その言葉に反射的に頷くと、千歳は部屋の照明をつけ、扉を閉めた後でベッドに腰を下ろした。無意識に注視しようとする視線を逸らす。見慣れないスウェット姿は色が違うだけで学校のジャージとほとんど変わらないのに意識しすぎている所為か刺激が強すぎる。
千歳は何か悩み事があって相談に来たのかもしれないのに、そんな事を考えている僕はやっぱり最低だった。
「あー、あのね。岬さんがいつもカップ麺で済ませてるみたいだから心配だって言ったのは本当なんだけど、今日泊 って行ったらいいって言ったっていうのは嘘なんだ。お母さんたちに連絡したのも」
「え?」
千歳の悩みを聞く為に必死に作ろうとしていた心が乱れた。
「でも安心して、今日、家に二人が帰ってこないって事と小柴 の事は本当だから」
「いや、まずいよ」
まずい。どう考えてもまずい。安心できる要素は一つもない。
「今からでも送って……」
「外は寒いし、こんな遅くに外に出るのは危ないよ。此処に居た方が良い。そうでしょ?だけど、確かに、今日私が泊まっていった事を誰かに知られたらまずいかもね。だからこれは秘密」
唇の前に人差し指を当てた千歳が怪 しく微笑む。
「それでね。それで……えっと……」
「……うん」
動揺から、ただ頷きながらやっぱり今すぐに家まで送っていくべきじゃないかと考える。けれど、何故か急に歯切れが悪くなった千歳 の声にそう言い出せなかった。
やっぱり千歳 は何か悩み事があって、それを僕に聞いてほしいのかもしれない。千歳 が悩むような事なんて思い当たらないけれど、もしそうなら僕は僕が出来る事を……
「その……して、みる?」
躊躇 いがちに囁 かれた言葉に思考が一瞬停止した。処理が追いつかず意味が理解できなかったみたいに頭の中で何度か反芻 される。
「……なに、を?」
若干 解ったうえで、そう口にしていた。千歳は言葉を続けずにポケットから四角いビニールのパッケージを取り出して見せた。買った事は無いけど、それが何かは知っている。
「興味無い?それとも……私とじゃ嫌?」
その言葉に視線が反射的に千歳の身体をなぞっていく。スウェット越しにも分かる自分とは違う曲線的な身体。布団の下で足を引き寄せて、粘っこくなった唾液 を飲みこむ。
「そんな事ないけど……」
「けど?」
こっちを見ている顔が傾 げられる。良く知っている筈の千歳に困惑 していた。千歳はこういう事に慣れているのだろうか?そう考えるとなんだか胸がぞわぞわした。
でもそうだとしても不思議じゃない。手入れが面倒だからと昔から短くカットされている髪。運動で鍛 えられた細身 の身体。勉強もできて頼りになる千歳はその人当たりの良さもあって、男女問わずにモテるから……。
「けど、なに?」
自分の中に生まれた感情を上手く認識できないでいるうちにもう一度聞かれた。
「その、僕たちは友達で……だから……」
「あー、えっとね。私達もう付き合ってる事になってるんだ。……まぁ、噂でだけど……」
「……そう、なの?」
「ああ、やっぱり知らなかったんだ。でも、これだけ一緒にいてそう思われない方が凄いと思わない?」
揶揄 われた事はあるけど、そこまでいってるとは思ってなかった。確かに手を繋 いだ事も冗談のように抱きしめられた事もある。それを思い返せば千歳 は僕を異性として意識してくれていたのだろうか?
そう考えてみてもそれが正しいのか分からない。異性同士のそういった駆け引きに僕は全く通じていない。千歳 が慣 れているのなら、それほど深い意味さえそこには無いのかもしれないし……。
それに、もしそこに深い意味があったとしても僕は千歳 を正しく好きだと言えるのだろうか?嫌いな訳 は無い。ただ僕がこれからしようとしている事は本能的な欲求を満たす為だったり、通過儀礼 として自らに箔 をつけたいというような自己満足的な行為ではないと言えるかという事で、受け入れてもらえるからといって自分の認識も曖昧なままそこに付け込むのは不誠実な気がする。
でも、もしかするとむしろ此処で拒 む事の方が寧ろ失礼なのかもしれなくて、けれどそれも自己正当化の為の理屈かもしれなくて……
いや、きっと思考が何度も同じところを廻 っているのは、此処に至る前につき合っているという相互の確認が得られていないからだ。
周りから完全にそう思われていて、それを千歳 が否定していなくても、僕はまだ千歳 に言ってない。何となくここまできてしまったから順序 がおかしくなっていて、つまり必要なのは千歳 に……。
「また、なにか考えてる?」
「あー、その、今からしようとしてる事は、一時の気の迷いによる過ちじゃないか、とか」
纏 まらないうちに問われ、焦 った思考が咄嗟 に漏らした言葉は、完全に逃げに入っていて、言ってしまった後で絶望的に最悪だと思った。部屋の空気が凍った気がした。
次の瞬間に頬 を打たれるのだろうと思い目を瞑 ったが、想像していた痛みはやってこなかった。
「フッ」
響 いた声に目を開ければ千歳 が吹きだすように笑っていた。その手がゆっくりとのびてきて僕の頬 に触れる。深い鳶色 の虹彩 がアーモンド形 をした瞳の中から僕を見つめている。
「それじゃいけない?一時の気の迷いが生んだ過ちだとしても、私は後悔しないよ」
いつもの調子を取り戻した千歳 のその強すぎる視線に目を合わせていられなかった。間違いなく顔は紅潮 している。自分でも情けないと思う。
本当はたぶん僕が踏み出さなきゃいけなくて、千歳 の言葉の真意が例え僕の思っているものと違っていたとしても、少なくともきっと、僕は伝えなくちゃいけなくて、だから躊躇 いながら口を開いた。
「僕は、その、なんていうか……」
「したことない?」
思わず頷 く、千歳 の勘違いが話を先に進めてしまう。それもある、それもあるけれど。
「大丈夫だよ。私もだから」
顔を上げると千歳 も僅 かに頬 を染めていた。その言葉に胸の中にあったぞわぞわしたものが消えていく。
「ほら、こんなにドキドキしてる」
千歳 が僕の腕を取って、自分の胸に触れさせた。生地を通しても伝わる柔らかな感触の奥で心臓が速く打っているのが分かる。
これまでそうだったみたいに今も千歳 に手を引いてもらっていて、このやり取りはきっと教本を読んだなら全ての悪い例を踏んでいるだろう。それでも聞きかじった知識や、こっそり見た映像を頼りに玄人 ぶって失敗するよりはずっといい筈 だと言い聞かせ、言えなかった事は後で必ず言おうと決めた。
千歳 が促 すように目を瞑 ったから、ぎこちなく顔を寄せる。僅かに触れた唇は柔らかくて少しだけ甘い気がした。近づいた事で強まった千歳 の匂いの所為 かもしれない。
離そうとした唇が軽く噛まれ、驚いた僕を見て千歳が笑った。
「緊張してる?」
「……そんなことないよ」
心臓は破裂しそうで、揶揄 うような声に返した精一杯の虚勢 は、千歳 の笑みを深めただけだった。
「普段どんなものを見ているか知らないけど、そんなに気負わなくてもいいから」
否定したい気持ちと嘘を吐くことに対する拒否感がぶつかって曖昧 に頷く。その間に千歳 が立ち上がってズボンを脱いだ。それからその下にあった水色のショーツも降ろし始める。太腿 に引っかかって捩 れるのも構わずにそのまま片足ずつ抜いて、ズボンの上に落とした。
丸まったそれは扇情的 で、慌てて逸らした視線がすらりと伸びる足の曲線を追い、千歳の秘部 を捉 えそうになって、さらに逸 らす。
「何してるの?佳都 も脱いでよ」
聞こえてきた問いかけと共に布団がはがされ、制止する前にズボンと下着の縁 が掴まれた。
「まっ」
ようやく上げた声が言葉になる直前、千歳の手が一気に引かれた。それが後退 ろうとして腰を上げた瞬間と重なって、脱げはしなかったものの、押さえつけられていたものが跳ね上がった。
羞恥から何も言えずにいると、実行した千歳 も何も言ってくれず一瞬沈黙が生まれた。
「こ、興奮してたんだね……」
そう言った千歳 が急に手を離したから、一気に引き戻された下着のゴムが、露 わになったものを直撃した。
「あっ」
伝わった衝撃に変な声が出た。戻ってきた衣類の外に、充血したものの先端だけが取り残される。
「ごめん、痛かった?」
「いや、ちょっと驚いただけ」
そう答えながら立ち上がって、これ以上何かされる前にズボンと下着を脱いだ。下半身に何も纏 わないまま対面しているという奇妙な状況に頭が付いてこない。「あ」とか「その」とか言い合って、二人して沈黙し、ぎこちなく笑い合った。
「く、口で、してあげようか?」
妙な空気に耐えかねたように千歳が上擦 った声でそう口にした。
「いや、あれは……、その、高等技術だと思うから」
返した僕の声も上擦 っていた。あれは良く見るけど、される事にも、させる事にも抵抗がある。
「ああ、そう、そうかもね」
「普通のにしよう」
「うん、普通のね、普通の、初めてだしね」
何が普通なのか、たぶんどっちも知らないけど、そう言って頷き合う。
「じゃあ、とりあえずベッドに寝て、みるね」
その提案に首を縦に振った。それが自然な流れのような気がする。とにかくこの何だか良く分からない状況から抜け出したい。
千歳 がベッドに身を横たえ足を軽く曲げる。考えた末に、その足元の方に上り、座ってみた。千歳 がこっちを見て確認するように頷く。
「見える?ここ」
そう言って千歳は、指を両足の間。整えられているのだろう巻き毛の下に這 わせると、湿 り気を帯 びた薄桃色 の割れ目を広げて見せた。初めて見た自分のものとは違うそれに違和感を覚える。知ってはいたけれど実際に目にすると想像していたよりもずっと生々しい。
千歳も僕のものを見て同じような印象を受けたのだろうか?
「あんまりじっと見ないで、恥ずかしいから」
「あっ……ごめん」
俯 きがちに視線を逸 らしたいつもからは考えられない千歳 の態度に、自分が酷く不躾 な事をしているのに気付いて謝る。まだ現実感がついてこない。
そんな中で太ももの付け根近くにあったホクロだけはなぜだか確かなもののように思え、いきなり奥に手を伸ばす勇気も無かったから、とりあえずそれに触れてみた。
瞬間、千歳が小さく声を上げて身をよじった。何かまずい事をしたと思って慌てて手を戻す。
「ごめん」
「ああ、違う。ただ佳都 の手が、冷たくて、くすぐったかったから」
そう言われて自分の手が人よりも冷たかった事を思い出す。左手で右手を握って温めようとすると、千歳がそれを包み込むように握 って息を吹きかけてくれた。
「これでよし」
温まった僕の手を千歳 が掴 んで導 く。割れ目の入り口に触れ、さらに奥へ。挟 み込まれた指先が温かさの中で粘性 を帯 びた湿 り気を感じる。
包み込む柔らかさをなぞりながら指を曲げると、身じろいだ千歳が吐息 のような声を漏 らした。その事を恥じるみたいに、背 けられた千歳 の頬 が赤く染まる。
初めて聞いた千歳 のそんな声に一瞬気恥ずかしさを覚え、けれどそれ以上に昂 っていく、躊躇 いを失い急こうとする気持ちを抑えつけ、優しく丁寧に反応を探りながら指を動かす。
「ちょっ……ちょっと待って」
荒い呼吸の合間に制止しようとする声が、どこか遠く聞こえた。指は千歳の弱い所を求めて彷徨 う。指先の感触に粘り気のある液体が増え始める。
「やめっ」
強い口調と共に手を掴まれて身体が硬直し、抜けた指先から、付着した液体が糸を引いた。
「もう十分。私だけが恥ずかしいからっ」
怒りを買ったのではないと理解したのと同時にかき消されていた含羞 が溢 れる。
「……ごめん」
指に纏 わりついた千歳 の愛液 はぬらぬらと輝 いていて、気が付けば自分の呼吸も荒くなっていた。何か言うべきだと思うのに、何も思いつかない。
「上も見せてあげようか」
気遣うような声に視線を向けると交差した手が上着の裾 を握っていた。僕が気まずさに負けそうになっている間に千歳 はもう立ち直ったらしい。
声にするのは恥ずかしかったので頷 いて見せると、それが可笑しかったのか千歳 は薄く笑った。
身を起こした千歳 が上着を捲 り上げると、隠れていた腹部と臍 、骨盤から描かれるくびれの曲線が露わになり、最後に現れた胸をさっき脱ぎ棄 てられたショーツと同じ色のブラジャーが覆 っていた。千歳 が纏 っている最後の衣類。
「外してみてよ」
上着を完全に脱ぎ去った後で、挑発 するように胸を張った千歳に、おずおずと近づき抱きしめるように手を伸ばした。
岬 さんのものを畳 んだ事があるから構造は知っている。だから理論上は外せる筈 で、実際、触 れた千歳 の髪とその匂いが鼻をくすぐる中、緊張と焦 りからぎこちなくはなったけれど、留め具を外す事に成功した。
「できたね」
褒 めるような声。千歳が腕を伸ばすのに合わせてそっとブラジャーを取り除く。現れた乳房 は張 りがあって、桜色をした小さな突起 が重力に逆らうみたいに微 かに上を向いていた。
「どう、かな?あんまりおっきくないし、ガッカリした?」
不安そうな声に、見惚 れていた事に気付く。
「そんな事ない。なんていうか、その、綺麗、だと思う」
「そ、そう、それなら良かった」
千歳 が恥ずかしそうに言って、僕は壊れた機械みたいに数回頷いた。
「その、触ってみても……」
「いいよ、っていうかもっと大事なとこ触ってたでしょ」
千歳がつっこみながら笑う。慣れてきたのか、段々といつもの千歳に戻ってきた気がする。
「ああ、うん。そうだ、ね。それじゃあ」
声をかけてから胸に触れた。掌 に伝わる柔らかさ。指で押してみると沈み込むような不思議な感触がして、その心地よさと同時に生まれた気恥ずかしさから視線を下げると呼吸とともにほんの少しだけ浮き上がる肋骨の凹凸の上にもホクロを見つけた。
「えっと、そろそろ入れてみようか」
そう言われて胸から手を離した。少し名残惜しかったけれど執着 すると引かれそうな気がする。
「つけてあげる」
千歳はベッドの上に転がっていたパッケージを拾い上げて封 を切りながら、僕のものを軽くつまんだ。自分で触るのと違って唐突に訪れた感触に、思わず身を引きかける。
「じっとしてて」
そう言われて身体が動かないように耐える。
「そう、そのまま」
まるで何か重要な処置を施している執刀医 みたいに、千歳 はパッケージの中から取り出した円形のものを先端に押し付けた。
それがクルクルと展開されてあっという間に根元まで覆 われる。
「うん、たぶん上手くいった。じゃあ、ね?」
その言葉に頷 いて、導 かれるままに自分のものを千歳の指示してくれた場所にあてがう。
「そのまま、ゆっくり前に」
言われるがままぎこちなく前進させると、想像していたよりもずっと狭 いそれに躊躇 いを覚えた。先端が包まれるのを感じながら、これ以上押し込めば千歳 を傷つけてしまう気がした。
「入っ、た?」
その声が少し苦しそうに聞こえる。
「先っぽだけ、でもこれ以上は」
「心配しなくても大丈夫だよ。そういうふうにできてるんだから」
そっと背中に千歳 の腕がまわされ引き寄せられる。それに従って恐る恐る身体を押し込む。
強引に抵抗を超えた感覚。肌と肌が接した瞬間、微 かな苦鳴 と共に千歳の顔が歪 んだ。
「だ、大丈夫?」
「だいじょう、ぶ、でも、少しだけ待って」
咄嗟 に上体を退 いて頷 くと赤い液体がシーツに垂れた。躊躇 いながら伸ばした指にそれが付着する。
「千歳 、血が……」
視界に映る赤 に、動揺 が生まれた。
「たぶん膜 が裂けただけ、普通の事だから、大丈夫だからね」
そう言って頬 に触れた千歳の指先から伝わる体温。あの時と同じ温かさに身体が震 え始める。
「大丈夫」
くり返された言葉にいつかの声が重なる。幻聴 が反響 し、鼻の奥に濃密 な鉄臭さが満ちる。両手が血に塗 れているような気がした。
「大丈夫、だよ」
僕を引き寄せようとした千歳 の腕を思わず払いのけていた。驚いたその顔を見て急速に現実感が戻ってくる。鉄臭さは消え両手も汚れていなかった。
自分がしてしまった事に気付いて、けれどもうどうしようもなかった。身体はまだ震えていて抜けたものはもう萎 えてしまっている。
「……ごめん。本当にごめん」
後退 ると、もう一度伸ばされようとしていた千歳の腕が宙を彷徨 った後で戻っていった。
「気にしないで、初めてだし、きっと、その……今日は、やっぱり帰るね」
服を拾った千歳 が部屋から出ていくのをただ見送った。暫 くして玄関の扉が開閉 する音を聞いて、それでも追いかけられなかった。
最低だった。そのまま布団を引き寄せて頭まで覆 った。暗い闇の中で、全てをなかった事にしたかった。いっそこのまま目が覚めない事を願いながら身を縮めた。
◆◆◆
どれだけそうしていただろう。布団から僅 かに顔を出すと、カーテンと壁の隙間にはもう朝日が差し込んでいて、明けない夜は無いとかいう耳当たりのいい言葉が頭の中で白々しく響いた。
重い足を引き摺 って登校し、そそくさと自分の机に座れば、千歳 とその近くに集まった女子達がこっちを見ていた。
机の上に腰かけたり、椅子の背もたれに気だるげに腕をのせたりしている彼女達の表情から伺えるのは、嫌悪や蔑 み、或いはそれ故の興味であり、好意的なものはひとつも無い。座っている僕と彼女達との間には見えない線が引かれていて、けれど不意にこちらに向かってきた千歳 はそれを躊躇 なく越えて僕の前に立った。
僕は千歳を見上げ愛想笑いを浮かべようとして失敗した。向けられた冷ややかな眼差しに背筋が凍る。千歳の口が開き、そこから言葉が……。
◆◆◆
悲鳴と共に目を開けると、そこは自分の部屋だった。カーテンと壁の隙間から陽光が漏 れている。同時に今日が休日だった事を思い出す。全部夢だったのかもしれないと祈りながら布団を取り除いてみるとシーツには血で出来た染みがはっきりと残っていて、それを隠す為にもう一度布団を被せた。
時計を見るともう十時を過ぎている。岬 さんがいつ帰ってきてもおかしくない。そう思っていると玄関扉が開く音と「ただいまー」という声が聞こえた。本当に岬 さんが帰ってきた。慌てて昨日脱ぎ捨てたズボンと下着を穿 きながら視線を動かす。何処かに転がっているだろう避妊具 とそのパッケージを回収しなくてはならない。そんな事をしてももう終わっているのに何故か繕 おうとする気持ちはまだあった。
「佳都 ー?」
岬 さんの声と足音が近づいてくる。布団の中にあった避妊具 を掴んだ後で、床に落ちているパッケージを見つけた。
「寝てるの?鍵かけ忘れて……」
音を立てないように動きながら手を伸ばす。間に合いそうにない。岬 さんは高確率でノックを忘れて扉を開ける。
扉の取っ手が微 かに下りた瞬間に呼び鈴 が鳴った。取っ手が持ち上がり、呼び鈴 に対する応答と共に足音が遠ざかっていく、助かった。パッケージを握りしめて息を吐き、そのまま崩れようとしていた身体が玄関から聞こえてきた声に硬直した。
理解できないままに逃げ道を探す。部屋の外には出られない。
「佳都 ー。千歳 ちゃんが来たよー」
岬 さんの声を無視して布団に潜り込み息を殺した。岬 さんが僕を呼ぶ声がもう一度響く。
岬 さんが来たら調子が悪いっていう。
岬 さんが来たら調子が悪いっていう。
岬 さんが来たら調子が悪いっていう。
すべき事を呪文 のように頭の中で繰り返していると、扉が開く音がした。軽い足音。一瞬の静寂 。
「あのさ、まさか本当にまだ寝てるわけじゃないよね?」
想定と違う声。さっき岬 さんと話していた時とは違う声色 に心臓が止まりそうになる。
「そのままなら布団引き剥 がすけど、いい?」
もうどうにもならないと悟 って、恐る恐る布団を下げると千歳と目が合った。夢で見たよりもずっと冷ややかなゴミを見るような眼差しに耐えきれず目を逸 らす。
「……ごめん」
「それは昨日聞いた。それより映画を見に行くから、支度して」
辛 うじて絞 り出した謝罪を遮 った声には一切の反論を許さないだけの圧力があった。
原因は
スウェットに着替え、携帯用の歯ブラシを持ちながら居間に戻ってきた千歳の姿を想起して、それを振り払う為にまた体の向きを変える。
お風呂で
本当に最低で、でも朝になればきっとこんな気持ちも無くなる筈だと言い聞かせ、眠ろうと努めていた意識が不意に微かな足音を捉えた。それに続く小さな声。
「
「……うん」
「入ってもいい?」
何故返事なんかしてしまったんだろうと後悔する。でも、もう遅かった。
「……いいよ」
答えながら
「どうか、した?」
動揺がそのまま
「眠れなくて、その……そこに座ってもいいかな?」
その言葉に反射的に頷くと、千歳は部屋の照明をつけ、扉を閉めた後でベッドに腰を下ろした。無意識に注視しようとする視線を逸らす。見慣れないスウェット姿は色が違うだけで学校のジャージとほとんど変わらないのに意識しすぎている所為か刺激が強すぎる。
千歳は何か悩み事があって相談に来たのかもしれないのに、そんな事を考えている僕はやっぱり最低だった。
「あー、あのね。岬さんがいつもカップ麺で済ませてるみたいだから心配だって言ったのは本当なんだけど、今日
「え?」
千歳の悩みを聞く為に必死に作ろうとしていた心が乱れた。
「でも安心して、今日、家に二人が帰ってこないって事と
「いや、まずいよ」
まずい。どう考えてもまずい。安心できる要素は一つもない。
「今からでも送って……」
「外は寒いし、こんな遅くに外に出るのは危ないよ。此処に居た方が良い。そうでしょ?だけど、確かに、今日私が泊まっていった事を誰かに知られたらまずいかもね。だからこれは秘密」
唇の前に人差し指を当てた千歳が
「それでね。それで……えっと……」
「……うん」
動揺から、ただ頷きながらやっぱり今すぐに家まで送っていくべきじゃないかと考える。けれど、何故か急に歯切れが悪くなった
やっぱり
「その……して、みる?」
「……なに、を?」
「興味無い?それとも……私とじゃ嫌?」
その言葉に視線が反射的に千歳の身体をなぞっていく。スウェット越しにも分かる自分とは違う曲線的な身体。布団の下で足を引き寄せて、粘っこくなった
「そんな事ないけど……」
「けど?」
こっちを見ている顔が
でもそうだとしても不思議じゃない。手入れが面倒だからと昔から短くカットされている髪。運動で
「けど、なに?」
自分の中に生まれた感情を上手く認識できないでいるうちにもう一度聞かれた。
「その、僕たちは友達で……だから……」
「あー、えっとね。私達もう付き合ってる事になってるんだ。……まぁ、噂でだけど……」
「……そう、なの?」
「ああ、やっぱり知らなかったんだ。でも、これだけ一緒にいてそう思われない方が凄いと思わない?」
そう考えてみてもそれが正しいのか分からない。異性同士のそういった駆け引きに僕は全く通じていない。
それに、もしそこに深い意味があったとしても僕は
でも、もしかするとむしろ此処で
いや、きっと思考が何度も同じところを
周りから完全にそう思われていて、それを
「また、なにか考えてる?」
「あー、その、今からしようとしてる事は、一時の気の迷いによる過ちじゃないか、とか」
次の瞬間に
「フッ」
「それじゃいけない?一時の気の迷いが生んだ過ちだとしても、私は後悔しないよ」
いつもの調子を取り戻した
本当はたぶん僕が踏み出さなきゃいけなくて、
「僕は、その、なんていうか……」
「したことない?」
思わず
「大丈夫だよ。私もだから」
顔を上げると
「ほら、こんなにドキドキしてる」
これまでそうだったみたいに今も
離そうとした唇が軽く噛まれ、驚いた僕を見て千歳が笑った。
「緊張してる?」
「……そんなことないよ」
心臓は破裂しそうで、
「普段どんなものを見ているか知らないけど、そんなに気負わなくてもいいから」
否定したい気持ちと嘘を吐くことに対する拒否感がぶつかって
丸まったそれは
「何してるの?
聞こえてきた問いかけと共に布団がはがされ、制止する前にズボンと下着の
「まっ」
ようやく上げた声が言葉になる直前、千歳の手が一気に引かれた。それが
羞恥から何も言えずにいると、実行した
「こ、興奮してたんだね……」
そう言った
「あっ」
伝わった衝撃に変な声が出た。戻ってきた衣類の外に、充血したものの先端だけが取り残される。
「ごめん、痛かった?」
「いや、ちょっと驚いただけ」
そう答えながら立ち上がって、これ以上何かされる前にズボンと下着を脱いだ。下半身に何も
「く、口で、してあげようか?」
妙な空気に耐えかねたように千歳が
「いや、あれは……、その、高等技術だと思うから」
返した僕の声も
「ああ、そう、そうかもね」
「普通のにしよう」
「うん、普通のね、普通の、初めてだしね」
何が普通なのか、たぶんどっちも知らないけど、そう言って頷き合う。
「じゃあ、とりあえずベッドに寝て、みるね」
その提案に首を縦に振った。それが自然な流れのような気がする。とにかくこの何だか良く分からない状況から抜け出したい。
「見える?ここ」
そう言って千歳は、指を両足の間。整えられているのだろう巻き毛の下に
千歳も僕のものを見て同じような印象を受けたのだろうか?
「あんまりじっと見ないで、恥ずかしいから」
「あっ……ごめん」
そんな中で太ももの付け根近くにあったホクロだけはなぜだか確かなもののように思え、いきなり奥に手を伸ばす勇気も無かったから、とりあえずそれに触れてみた。
瞬間、千歳が小さく声を上げて身をよじった。何かまずい事をしたと思って慌てて手を戻す。
「ごめん」
「ああ、違う。ただ
そう言われて自分の手が人よりも冷たかった事を思い出す。左手で右手を握って温めようとすると、千歳がそれを包み込むように
「これでよし」
温まった僕の手を
包み込む柔らかさをなぞりながら指を曲げると、身じろいだ千歳が
初めて聞いた
「ちょっ……ちょっと待って」
荒い呼吸の合間に制止しようとする声が、どこか遠く聞こえた。指は千歳の弱い所を求めて
「やめっ」
強い口調と共に手を掴まれて身体が硬直し、抜けた指先から、付着した液体が糸を引いた。
「もう十分。私だけが恥ずかしいからっ」
怒りを買ったのではないと理解したのと同時にかき消されていた
「……ごめん」
指に
「上も見せてあげようか」
気遣うような声に視線を向けると交差した手が上着の
声にするのは恥ずかしかったので
身を起こした
「外してみてよ」
上着を完全に脱ぎ去った後で、
「できたね」
「どう、かな?あんまりおっきくないし、ガッカリした?」
不安そうな声に、
「そんな事ない。なんていうか、その、綺麗、だと思う」
「そ、そう、それなら良かった」
「その、触ってみても……」
「いいよ、っていうかもっと大事なとこ触ってたでしょ」
千歳がつっこみながら笑う。慣れてきたのか、段々といつもの千歳に戻ってきた気がする。
「ああ、うん。そうだ、ね。それじゃあ」
声をかけてから胸に触れた。
「えっと、そろそろ入れてみようか」
そう言われて胸から手を離した。少し名残惜しかったけれど
「つけてあげる」
千歳はベッドの上に転がっていたパッケージを拾い上げて
「じっとしてて」
そう言われて身体が動かないように耐える。
「そう、そのまま」
まるで何か重要な処置を施している
それがクルクルと展開されてあっという間に根元まで
「うん、たぶん上手くいった。じゃあ、ね?」
その言葉に
「そのまま、ゆっくり前に」
言われるがままぎこちなく前進させると、想像していたよりもずっと
「入っ、た?」
その声が少し苦しそうに聞こえる。
「先っぽだけ、でもこれ以上は」
「心配しなくても大丈夫だよ。そういうふうにできてるんだから」
そっと背中に
強引に抵抗を超えた感覚。肌と肌が接した瞬間、
「だ、大丈夫?」
「だいじょう、ぶ、でも、少しだけ待って」
「
視界に映る
「たぶん
そう言って
「大丈夫」
くり返された言葉にいつかの声が重なる。
「大丈夫、だよ」
僕を引き寄せようとした
自分がしてしまった事に気付いて、けれどもうどうしようもなかった。身体はまだ震えていて抜けたものはもう
「……ごめん。本当にごめん」
「気にしないで、初めてだし、きっと、その……今日は、やっぱり帰るね」
服を拾った
最低だった。そのまま布団を引き寄せて頭まで
◆◆◆
どれだけそうしていただろう。布団から
重い足を引き
机の上に腰かけたり、椅子の背もたれに気だるげに腕をのせたりしている彼女達の表情から伺えるのは、嫌悪や
僕は千歳を見上げ愛想笑いを浮かべようとして失敗した。向けられた冷ややかな眼差しに背筋が凍る。千歳の口が開き、そこから言葉が……。
◆◆◆
悲鳴と共に目を開けると、そこは自分の部屋だった。カーテンと壁の隙間から陽光が
時計を見るともう十時を過ぎている。
「
「寝てるの?鍵かけ忘れて……」
音を立てないように動きながら手を伸ばす。間に合いそうにない。
扉の取っ手が
理解できないままに逃げ道を探す。部屋の外には出られない。
「
すべき事を
「あのさ、まさか本当にまだ寝てるわけじゃないよね?」
想定と違う声。さっき
「そのままなら布団引き
もうどうにもならないと
「……ごめん」
「それは昨日聞いた。それより映画を見に行くから、支度して」