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文字数 2,361文字

 十二月半ばの日曜日、久しぶりに何の予定もない休日となり、引越し業者から受け取った段ボールに小説本や自己啓発本を重ねていきながら、何かを忘れている気がした。
 壁にかかっている時計は午後六時を示している。窓の外は真っ暗だ。付けっ放しのテレビではクリスマスに相応しいデートスポットが紹介されており、それを見た瞬間、凄まじいスピードで脳に電流が走った。慌ててスマートフォンを手に持ち、電話をかける。
『もしもし?』
 電話の相手が透也である事を分かった上での声だった。その背後には街中の気配が濃く息づいている。どきりとした。
「今日は結婚式だったんだっけ?」
 透也は手に持っていた文庫本をソファーに置き、カーテンを閉める。
 優菜の同期社員の結婚式の日だった。社内恋愛でゴールインした二人を、優菜は心から祝福しているようだ。十一月の終わりに優菜が泊まりに来た以来、時々メッセージを交わしていたのに、すっかり今日を忘れていた。
『うん。もうすぐ帰りの電車に乗るところ』
 結婚式場は繁華街のど真ん中にあるホテルだった。新郎新婦が同じ会社の同僚同士という事は、同じ社員である優菜も二次会に呼ばれたりしないのだろうか。透也も二十代の頃には参加した二次会で散々もみくちゃにされ、誰が主役なのか分からないほどだった。
「二次会には参加しないの?」
『二次会には参加しない』
 決まり切っていたセリフのように返してきた優菜の声を聴き、十一月末に交わした約束を実行すべく、透也はロータリーのある駅名まで迎えに行く提案をした。
 約束の駅まで車を走らせ、一般車両の入れるロータリーで待っていると、やがて人の波に乗るように優菜が歩いてきた。黒いコートの下にある淡いピンク色のドレスが、街灯の下で華やさを放っている。
「お疲れ様。荷物、後ろに置く?」
「ありがとう」
 優菜は後部座席のドアを開け、大きな紙袋を座席に置いた。結婚式とはどうしてこうも荷物が多くなるのだろうか。
「お邪魔します」
「終わったの、遅かったんだな」
「式自体が午後からだったの。披露宴が二時からで」
 そう言いながら助手席に座った優菜はシートベルトをし、ふくらはぎに手を当てている。
「足、すっごい疲れた。ヒールがしんどい」
「いっつもヒール履いてるじゃん」
「普段のパンプスと、ドレス用の靴は全然違うよ」
 ウインカーの軽やかな音が、優菜の声に混じる。対向車のヘッドライトが眩しい。
「実はね」
 車が県道を走り出した頃、優菜が言った。
「二次会なんて、本当はなかったんだよ」
「そうなの?」
「二人共、そういうのがあんまり得意じゃないんだって」
 ハイブリット車である車内では、エンジン音はほとんど響かない。
 これからどうしようか、と透也は思う。何の約束もしていない。ただ、優菜が穏やかな気持ちで式に参列できたならよかったと、それだけを思う。
「お腹空いたな」
「披露宴で豪華な飯食ったんじゃねーの」
「美味しかったけれど、お腹は膨れないよ」
 助手席から恨めし気に睨む優菜の視線を左頬に受けながら、透也は行き先を決めて、アクセルを踏む。

 優菜を連れてやって来たのは、郊外にある老舗の洋風レストランだった。十二月の日曜日の夜、予約なしで無理かもしれないと思ったが、運よく席に通された。
「このお店、ずっと気になっていたんだ」
 肩までの髪を器用にヘアセットされた優菜は、普段よりもずっと大人っぽく見えた。普段着の自分が彼女と釣り合っていない気がしたが、そもそも合わせる必要もなかった。 優菜は上機嫌にメニューを眺め、ノンアルコールカクテルを頼んだ。運転する透也に気を遣ったのだろう。
 レストランの一押しメニューであるハンバーグが運ばれ、それを食べながら優菜は饒舌に色々と語った。今日参列した結婚式の新郎とは同期入社だが、仲良くなったのは三年前だという事、彼はスウィートマンバのユウナのファンである事、後に妻となった同じ部署の女性社員とのあれこれの相談を受けていた事。
 今日の新婦のウエディングドレスが綺麗だった事。
「披露宴でさ、新婦がお母さんに手紙を読む演出があるじゃない?」
 器用な手つきでハンバーグをナイフで切りながら、優菜はつぶやいた。
「とても素敵なんだけど、何とも言えない気持ちになるんだよね。あー私はこんな風にお母さんを喜ばせてあげられないんだなって」
 レストラン内ではクリスマスを連想させるオルゴール調のメロディーが控えめに流れている。店内の雑音が静かに横たわっている。周囲に気を遣わなくてもいい席の設置もこのレストランの売りだった。
 後悔でも絶望でもない、自分の中で折り合いをつけたものをぽつりと話す優菜の姿は、カップルで溢れているこのレストラン内の誰よりも凛としていた。
「優菜ちゃん」
 透也はフォークとナイフをトレイに置き、紙ナプキンで口元を拭って優菜に視線を向ける。
「最近、お母さんとはどうなの」
 ストレートな問いにも、優菜は動じない。
「どうだろう。表面上では普通だし、お父さんも仕事に復帰したから今まで通りって感じなんだけど」
「そっか」
 自分達も、周囲からはカップルに思われているのだろうか。まるで釣り合いの取れていない二人だけど。
「俺は優しくないから、優菜ちゃんのお母さんが絶対に優菜ちゃんを理解する日が来るなんて、言ってあげられない」
 自分でもひどい事を言っていると思う。心の奥底にあるリアルが夢を壊し続けている。そうやって、完璧さを諦めてきた。恋を、諦めてきた。
「でも、どんな事があっても、俺は優菜ちゃんの味方でいたいと思うよ」
 優菜は黙ったまま、澄んだ眼差しを透也に向けている。
 自分の意識から、他者の声を排除する。静寂は恐怖だ。それでも、伝えなければならない。
「優菜ちゃん。俺、もうすぐここを引越すんだ」
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