エピローグ

文字数 1,763文字

 披露宴の主役の二人が、出入口で参列者を見送っている。オルゴール調のBGMに聞き覚えがあり、それがスウィートマンバのラブソングである事に優菜はすぐに気が付いた。
 式の準備はほとんど彼女が進めてくれているんだ、と新郎である玲が優菜に話したのは、二か月前に二人でラーメンを食べている時だった。
 ――その代わり、BGMは俺が決める事になって。俺は普段スウィンバしか聴かないから、いま色々動画で探っているところ
 玲が同じ情報システム部に所属する後輩と付き合い始めたと聞いたのは二年前の秋だった。
「絹川さん」
 グレーのスーツに遊び心を入れたチェック柄の蝶ネクタイを飾った玲が、優菜を見た途端にほっと顔を綻ばせたのが分かった。親族と社内の人間しかいない場とはいえ、彼なりに緊張していたのだろう。
「出村君、本当におめでとう」
 優菜が言うと、普段はあまり表情を動かす事のない玲が目を伏せて、「ありがとう」とつぶやいた。玲の隣では、新婦である玲の後輩が参列した女性社員と会話を弾ませている。
 優菜はこの三年間を思い浮かべる。噂通りあまり恋愛経験のないのだと告白してきた玲の話を、反芻していく。
 ――これがちゃんとした恋愛なのか、未だによく分からないんだよね
 そして、二か月前の玲の言葉を思い返す。
 ――ユウナもよく愛を歌っているけれど、それと俺の思っているものが一致していない気がする
 そんなの人それぞれだよ、と答えながら、優菜はそれすらも羨ましいと思っていた。理想と現実の違いを受け入れてでも、他人と共に一生を全うしようとする覚悟はきっと生半可なものではない。
 三年前、玲を好きになれたらきっと幸せだと思った。そしてそれが間違いではなかった事を、幸せを独り占めしたような新婦の表情が証明していた。できなかったのは、自分だ。
「BGM、どれも素敵だったよ」
「本当? 今流れているのは、スウィンバの神曲なんだ」
 オルゴール調のメロディーにはユウナの声は響かない。それでも、そう言った玲の表情にはわずかな自信が滲んでいて、優菜は思わず声を出して笑った。
「ラブソングだよね」
 会場に響いているオルゴールの音色から、さまざまな形の愛が落ちてくる。それは、挙式と披露宴で主役の二人が温めた空気だからこそ、成り立っているものだ。
 恋だけがすべてではない。恋をしなくても、優菜は多くの愛をもらった。両親から、同僚から、そして友人と呼べる存在から。
 淡い水色のドレス姿の新婦が優菜に気付き、微笑んだ。リボンのかけられたプチギフトが、綺麗にネイルを施した両手によって優菜の手のひらに乗せられた。
「お幸せに」
 優菜が言うと、二人ははにかみ、頭を下げる。
「絹川さん」
 プチギフトの重みを受け止めていると、最後に玲が言った。
「絹川さんも、幸せに」
 玲の言葉は彷徨うことなく喉元に触れ、優菜は戸惑った。誰かと生涯を共にできない自分は、幸せを祈ってもらえる事なんて一生ないのだと思っていた。「ありがとう」と答えた声は不自然ではなかっただろうか。優菜はヒールを履いた足で会場を出る。
 会場であるホテルの外には冬の匂いが立ちこもり、優菜はコートとマフラーに首をうずめるようにしながら歩いた。寒さよりも、非日常の空間から戻ってきたという安堵が胸に広がった。幸せに、という言葉を温めながら、アスファルトの地面をパーティー用のパンプスで踏みしめていく。
 優菜の目の前を、ダウンコートを着た二人の男女が体を寄せ合って横切っていった。憧れていた光景、欲しかった温もり、自分が手に入れる事はきっとない。
 喜びや悲しみを共有できる人がいないという覚悟。優菜は一人で生きていく。自分の気持ちに正直に生きる方法を、自分の意思で選択した。
 駅前の交差点では耳馴染みのあるラブソングが響いている。クリスマスが近づいた冬の街の景色。手にある紙袋を持ち直して、メロディーに耳を傾けながら青信号を渡り、駅に到着する。チェーンバッグの中でスマホが震えた。
「もしもし?」
 スピーカーの向こうにいる相手を思い浮かべる。「式の後に会おうよ」といういつかの約束は有効なのだろうか。
 改札を抜けても、広がる空間の景色はいつもと変わらない。切ないラブソングは、今日も恋愛至上主義に満ちた世界を優しく包み込んでいる。

(了)
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