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文字数 2,261文字

 土曜日の夕方の繁華街は、ラフな格好をした若者で溢れ返っている。自分も彼らと同じような無邪気さに包まれていると信じていたのに、いつから隔たりができてしまったのだろうか。彼らを若いと思ってしまった時か、もしくは自分のスーツ姿に違和感を覚えなくなった時か。歳をとるという事に感慨はなくとも、実感させられる。
 駅前にある電光広告塔では三人組のアイドルグループが華麗に踊り、新曲か何かのリリースをしきりに宣伝していた。スウィートマンバというアイドルグループだった。そこそこ知名度もあり、玲がスマホで動画を鑑賞しているのを何度か目にしていたので、透也も時々動画サイトで曲を視聴している。
「透也君」
 視線をあげたままぼんやりと三人のアイドルを眺めていると、横から控えめに優菜が声をかけてきた。
「こんばんは。今日は来てくれてありがとう」
 病院で会った時とは違い、今日の優菜は三年前を彷彿させるような恰好をしている。ベージュのワイドパンツが、秋の雰囲気によく似合う。
「優菜ちゃん」
 駅前の喧騒に、彼女を呼ぶ自分の声がひどく浮いている気がした。
「電話でも話したけれど、特にお礼をしてもらう必要性なんて感じないんだけど」
「そういうわけにはいかないよ」
 肩元までのまっすぐな黒髪を揺らしながら、優菜は言う。
「私もお母さんも、あの時はどん底にいたの。お父さんの前では無理して気丈に振舞っていたから、なおさら。あの時、透也君がいてくれて、嬉しかった」
 優菜の手元には、財布とスマホくらいしか入らないような小さな鞄のほかに、有名な和菓子メーカーの紙袋があった。自分への礼だと気付くのは容易だった。敢えて視線を向けないように、透也は優菜と同じ歩幅で歩き出す。
 優菜が予約していた店は、駅から徒歩十分程度にあるダイニングキッチン風の居酒屋で、通された席は窓際の四人掛けテーブルだった。
 向かい合って、席を案内した店員にドリンクを注文し、透也は改めて優菜と向き合った。彼女のまっすぐな視線が痛い。
「あの時、透也君はお仕事中だったんでしょう。製薬メーカーの営業職って言ってたもんね」
 メニューを透也に向けながらつぶやく優菜に、ふつふつと煮え切らない気持ちが沸き上がる。父親の事でまだ落ち込んでいるはずの優菜に対して、ひどい言葉を投げつけたくなる。
「俺の仕事なんてよく覚えていたね」
 優菜の透き通った瞳が、わずかに揺れた。
「ブロックしたのは、そっちなのに」
 どこか投げやりな雰囲気の漂う平日とは違い、土曜日の店内の空気は少し苦手だ。世間の縮図をさらに切り取ったような光景があちこちに転がっている。互いしか見えていないようなカップル、価値観を共有できるのだと信じている女の四人組、かつての自分達のように男女が入り混じったグループ。
 やがてギャルソンエプロンを付けた女の店員がやって来て、生ビールとカクテルをテーブルに置いていった。自分達は近くの席にいるようなカップルとは大違いだ。
「優菜ちゃん」
 透也は、うつむいてしまった優菜をまっすぐに見た。テーブルに置かれた生ビールの泡と同じように、沸き上がった感情が少しずつ薄くなっていく。優菜を責めるためにここに座っているわけではない。
「理由を教えてよ」
 煮え切らない優菜の態度に苛立たないわけではない。しかし、全面的に透也が正しいわけでもないので、透也は穏やかな声で訊ねた。
 ごめんなさい、と電話で聞いたのと同じ声が、木製のテーブルにぽつりと落ちた。優菜の目の前に置かれている色鮮やかなカクテルが彼女の雰囲気にぴったりだと思った。
 どんな言葉で言い訳をされ、責められるのだろうか。しかし、優菜の震える唇から零れた言葉は、予想外のものだった。
「あの頃、ほんのわずかな時間だったけれど、透也君と一緒に過ごせて、すごく楽しくて……」
 店内のざわめきが遠くなっていく。透也は優菜の言葉を脳内で何度も繰り返す。
「だから、あのままではいけないと思ったの」
 三年前の自分の行動が、決して褒められたものではない事くらい自覚している。いい加減で、誠実さのかけらもなかった。それでも、透也にも優菜と一緒にいたい理由は存在していた。優菜と過ごした時間。連絡が絶たれて、彼女の会社の近くまで行ってしまった夜もあった。
 そっか、と透也は会話の出口を見つけられないまま、泡のなくなったビールのグラスを手に持った。わだかまりを溜め込んだ乾杯の音が、重く響く。
 何ひとつ納得できていない。優菜と向き合って座っている椅子の感触すら現実味を帯びないままだ。
 やがて料理が運ばれ、優菜が透也の皿に取り分けていく。その自然な手つきを見て、優菜がどれだけ大切に育てられてきたのかが分かる。
「親父さんは、その後どう」
 色とりどりに盛り付けられたサラダを口に入れながら、透也が話題を切り替えると、優菜は少し表情を綻ばせた。
「おかげさまで、術後の状態もいいみたいで。本当にありがとう」
「俺は何もしていないよ」
「ううん」
 優菜も、透也と同じサラダを少しずつ食べながら、言う。
「私達は何度もお医者さんに話を聞いたけれど、私もお母さんも冷静じゃなかったし、先生の話をどこまで信じていいのか分からなくて。だから、透也君に病気の事を色々教えてもらえて、本当に助かったんだよ」
 そういえば彼女とラブホテルに泊まった時、優菜はきちんと家族に連絡を入れていた。実家暮らしだと言っていた。非現実的な密室空間で沸き上がった三年前の感情が、生野菜で埋められようとする胃に混じり込んでいく。
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