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文字数 2,194文字

 小学六年生での修学旅行先のホテルの女子部屋で、こっそりと女子会が行われた。食事も入浴も終えた、就寝までの自由時間。サッカーの上手いケン君と付き合い始めたばかりのアキちゃんを筆頭に、ファンシーな柄のパジャマを着た女子達が敷き詰められた布団の上で輪になって、好きな男子を告げなければならない時間だった。
 クラスの中でも目立っている、可愛い髪留めを付けていて、キラキラしたペンケースを持っている女の子達が率先して男子の名前を挙げていった。不思議なことに、次々と挙げられる男子の名前が重複することはなかった。
 おとなしい女の子達のなかには、その輪に入らずに寝たふりをする子や、実際に眠っている子もいた。
 親元を離れた場所で一泊しているという高揚感に包まれていた優菜は、布団に潜り込むこともできず、だからと言ってその話題についていく事もできなかった。
「次、優菜ちゃんの番だよ!」
 星型のヘアピンで前髪を止めた女子が、枕を抱えたまま優菜を急き立てた。優菜は同じ教室で授業を受けている男子を思い浮かべる。算数が得意な男の子、足の速い男の子、女子に優しい男の子。思いつく名前は先ほど女の子達が挙げていったもので、それ以外の名前が思い浮かばない。彼らにはそれぞれの顔があり性格があり得意分野があり特徴があり、優菜にもそれが見えているはずなのに、自分の答えを待つ女の子達の視線が強くなるたびに、思い浮かべようとする男子達の姿がただの記号になっていった。
「わたしは……、いない」
 座っている布団のシーツを指先でもてあそびながら優菜がつぶやくと、女子達はたちまち興ざめな表情を浮かべ、顔を見合わせて物言いたげに彼女達にしか分からない言葉を目線だけで通信した。そして、最初から優菜への質問などなかったかのように、次の女子が指名される。
 ゆっくりと立ち上がった優菜が部屋を出ようとしても、もう誰にも関心を持たれる事はなかった。夜のホテルの廊下はやけに暗くて、ずいぶんと長いものに思えた。すぐ隣にある男子部屋では、枕投げでもしているのか、振動音や笑い声が響いていた。はっきりと区別される男子と女子の世界は、こんなにも違う空気を放っている。
 優菜はフロア内にある休憩スペースまで歩き、設置されているソファーに座った。修学旅行の為におろしたパジャマの裾が長いので、ソファーの上に行儀悪く座って捲り上げる。
 どっと響いた遠くの笑い声は、よく知る男子達のものではなかった。大人の声。ホテルにはさまざまな人が泊まっている。
 すぐそばにあるエレベーターが軽やかな電子音と共に扉を開けた。中からは、手を繋いだ大人の男と女が優菜の存在に気に留める事もなく歩いていった。
 カップルだ、と思った。ドラマで見たことがある、紆余曲折しながらもたどり着いた二人きりの関係性。アキちゃんとケン君も、大人になったらドラマの住人のように愛の言葉を交わし合うのだろうか。
 現実味のない話のようにも思った。まるでファンタジー映画の魔法を見ているように、別世界の物語のようだ。
 どうしてクラスメイトの女子達には好きな男子がいるのだろうか。どうして、優菜には思い浮かべられないのだろうか。ホテルに置かれたソファーの合皮の感触が、スリッパを脱いだ裸足の裏に馴染んでいく。
 その後、修学旅行をきっかけに、優菜とクラスメイトの女子達の間には目に見えない線が引かれてしまった。誰かを好きにならない自分ははみ出し者なのだと、優菜が理解した出来事のひとつだ。

「絹川さん、そういえば出村とのランチはどうだったの?」
 有紗に訊ねられたのは、玲とランチをした日からすでに十日ほどが過ぎた頃だった。カレンダー上、日数の少ない二月はあっという間に終わりを迎えそうだ。
「どうだった、って……、別に、なにも」
 記憶を辿りよせて、曖昧に答える。有紗に問われるまでその出来事が頭から抜け落ちていた。
 スウィートマンバのサキのスキャンダルに対して広告キャラクターとして使用している会社側にもクレームは少なくないようで、対応に追われている広報部に優菜が応援に入る事もあり、ただでさえホワイトデーや年度末が近づいているうえに慌ただしく仕事に追われていたのだ。
「だいたい、出村と何の話をするのよ」
 出社時間よりも早い朝のロッカールーム内は、まだ他の社員がいないせいかやけに静かで、カーペット特有の匂いが夜に溜めていた空気と共に鼻につく。
 何の話、と有紗の言葉をそのまま小さくつぶやきながら、思考を巡らせる。次第に裏切りに近い感情がよみがえり、優菜はロッカーの扉を閉めた。
「仕事の話です」
 完全な嘘ではなかった。あの日から玲には会っていない。
 もっと悪態をつきたかったのか不服そうな表情を浮かべている有紗からは、いつもと違う香水の香りが漂ってきて、優菜はわざとらしく話題を変えてみる。
「有紗さん、香水変えたんですか?」
 いつかの飲み会でも着ていた白いコートをハンガーにかけている有紗は、肩をすくめた。
「よく気が付いたね。ついでに言うと、男も変わったの」
 玲とのランチよりもずっと奥に仕舞われていた記憶が、ざわざわとよどめいている。好きな男の子を挙げる女の子達の高い声、裸足の裏に感じたシーツの感触と、少しかび臭いホテルの廊下の匂い。
 ロッカーの扉を閉めてデスクまで歩く有紗の後ろ姿が、遠く見えた。
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