プロローグ
文字数 1,187文字
駅前の交差点で信号を待っていると、馴染みのあるラブソングが聞こえてきた。絹川 優菜 は手に持った大きな紙袋を抱え直し、そのメロディーに耳を傾ける。
クリスマスが近くなるとバラード調のラブソングが生み出されていくのはなぜだろうか。
交差点の向こうでは、手を繋いだ男女のカップルが顔を寄せ合い、何かを囁き合っているようだ。きっと彼らが冷たい風を浴びる事はないのだろう。
やがて信号が青に変わり、優菜はヒールの高いパンプスで横断歩道に踏み出した。土曜日の午後六時、十二月の夜の訪れはとても早い。
駅の構内に入った頃、肩にかけたチェーンバッグの中でスマートフォンが震えた。
「もしもし?」
表示された名前に問いかける。
『今日は結婚式だったんだっけ?』
頼りのない生地のパーティードレスの上にコートを羽織った優菜をお見通しのように、電話の相手は言う。
「うん。もうすぐ帰りの電車に乗るところ」
『二次会には参加しないの?』
ずいぶんと耳に馴染んだ低い声を聞きながら、優菜は薄く笑う。スマホを耳に当てながら改札を抜けると、そこは季節感のない無機質な空間だ。
久しぶりに参列した結婚式では、純白の衣装で身を包んだ新郎新婦が、世界の幸せを凝縮させたように微笑み合っていた。二人で完結していた世界が広がる瞬間を見届けるのは、少し切ない。
子供の頃から憧れていた。運命の出会い、愛に満ちた日々、そして人と共に生きていくという覚悟。
「二次会には参加しない」
問われた言葉をそのまま返しながら、ホームへの階段を降りていく。充満している冷たい空気にヒールの音が甲高く響いた。
辿り着いたホームから見える広告塔では、秋にヒット曲を出したばかりの三人組の女性アイドルが、電車を待つ人々を見据えていた。反対側のホームではもうすぐ電車が到着するようだ。耳心地のよいアナウンスの声とメロディーが、天井の低い空間に響き渡っていく。
この世界にはこんなにも人が多いのだから、運命に出会えなくても不思議ではない。
『駅まで迎えに行こうか?』
優菜の気持ちを知ってか知らずか、低い声が優しく鼓膜に触れた。世界には明確な境界線が存在していて、優菜は向こう側には超えられない。三十歳になった今なら、その事実に対して悲観的になったりはしない。恋のない世界の存在をちゃんと受け入れられる。
電光掲示板が示した時刻通り、優菜の立つホームにも電車が入ってきた。冷たい風を頬に受けた優菜はスマホを切り、段差に気を付けながら電車に乗り込む。
土曜日の夕方の車内の混雑は、平日に比べたらささいなものだ。引き出物の入った紙袋を両手で持って窓際に立つと、視界の端では予備校帰りに見える高校生カップルがひとつのスマートフォンを共有していた。
優菜の描く景色には存在しないもの。
冬に流れる切ないラブソングとは裏腹に、視界に映る恋人達は今日も幸せそうだ。
クリスマスが近くなるとバラード調のラブソングが生み出されていくのはなぜだろうか。
交差点の向こうでは、手を繋いだ男女のカップルが顔を寄せ合い、何かを囁き合っているようだ。きっと彼らが冷たい風を浴びる事はないのだろう。
やがて信号が青に変わり、優菜はヒールの高いパンプスで横断歩道に踏み出した。土曜日の午後六時、十二月の夜の訪れはとても早い。
駅の構内に入った頃、肩にかけたチェーンバッグの中でスマートフォンが震えた。
「もしもし?」
表示された名前に問いかける。
『今日は結婚式だったんだっけ?』
頼りのない生地のパーティードレスの上にコートを羽織った優菜をお見通しのように、電話の相手は言う。
「うん。もうすぐ帰りの電車に乗るところ」
『二次会には参加しないの?』
ずいぶんと耳に馴染んだ低い声を聞きながら、優菜は薄く笑う。スマホを耳に当てながら改札を抜けると、そこは季節感のない無機質な空間だ。
久しぶりに参列した結婚式では、純白の衣装で身を包んだ新郎新婦が、世界の幸せを凝縮させたように微笑み合っていた。二人で完結していた世界が広がる瞬間を見届けるのは、少し切ない。
子供の頃から憧れていた。運命の出会い、愛に満ちた日々、そして人と共に生きていくという覚悟。
「二次会には参加しない」
問われた言葉をそのまま返しながら、ホームへの階段を降りていく。充満している冷たい空気にヒールの音が甲高く響いた。
辿り着いたホームから見える広告塔では、秋にヒット曲を出したばかりの三人組の女性アイドルが、電車を待つ人々を見据えていた。反対側のホームではもうすぐ電車が到着するようだ。耳心地のよいアナウンスの声とメロディーが、天井の低い空間に響き渡っていく。
この世界にはこんなにも人が多いのだから、運命に出会えなくても不思議ではない。
『駅まで迎えに行こうか?』
優菜の気持ちを知ってか知らずか、低い声が優しく鼓膜に触れた。世界には明確な境界線が存在していて、優菜は向こう側には超えられない。三十歳になった今なら、その事実に対して悲観的になったりはしない。恋のない世界の存在をちゃんと受け入れられる。
電光掲示板が示した時刻通り、優菜の立つホームにも電車が入ってきた。冷たい風を頬に受けた優菜はスマホを切り、段差に気を付けながら電車に乗り込む。
土曜日の夕方の車内の混雑は、平日に比べたらささいなものだ。引き出物の入った紙袋を両手で持って窓際に立つと、視界の端では予備校帰りに見える高校生カップルがひとつのスマートフォンを共有していた。
優菜の描く景色には存在しないもの。
冬に流れる切ないラブソングとは裏腹に、視界に映る恋人達は今日も幸せそうだ。