1-4

文字数 1,740文字

 小学六年生の頃、クラスで一番可愛いアキちゃんが、クラスで一番サッカーの上手いケン君と付き合い始めた。六年生になった当初からアキちゃんがケン君を好きである事は周知の事実で、それ以外の女子がケン君を好きになる事は許されない空気があった。
 中学生の頃、バスケ部の女子だけが校則を大っぴらに破っていた。髪の毛を巻いたり小振りのネックレスを付けたりしている彼女達はひどく大人びて見えて、男の子達との遊び方も派手だった。誰と付き合っただの、誰とキスしただの、これまでドラマや漫画でしか見た事のなかった世界が目の前で繰り広げられていた。そこに踏み込めるのは、ごく一部の生徒だけだった。
 高校生の頃、男女が付き合うという事自体が珍しくなくなった。教室内には常に色恋話がまとわりついていて、それによって人間関係のバランスが変化した。恋を得た女の子はキラキラと輝き、恋を失った女の子は嘆き悲しみながらもその心を癒すべく前を向いていた。
 優菜は、それらの景色に混ざる事ができなかった。


 日曜日の早朝のカフェ店内は空いていた。軽やかなBGMが輪郭を持って店内の雰囲気を作っている。
 優菜は注文したカフェラテとスコーンを持って、透也の座る席へとついた。透也は先にサンドウィッチを食べ始めている。
 これまでにもこうした一夜の関係を経験したことはあるが、その相手と朝食を摂るのは初めてだった。
「透也君」
 ホテルの外に出て冷えた身体に、温かなカフェインが染み渡る。食道に温度が伝っていくのを感じながら、優菜は昨日と同じ服装の透也を見た。えんじ色のV字襟のニットから覗く首元が、不思議と寒そうには見えない。
「休みの日にはよくカフェとかに行くの?」
「いや、別に」
「朝は、パン派?」
 自分達の間には存在しないと言い切られた共通の話題というものを、優菜は無理やり作り出すが、やっぱり上手くはいかない。昨日と同じだ。不格好な繕いだけが、丸いテーブルに落ちていく。透也の前に置かれたブレンドコーヒーから立ち昇る湯気さえも白々しい。
「普段、朝は食べない派」
 そう答えた透也は、最後の一口を口に放り込んだ後、優菜の顔をじっと見た。
「俺ら、付き合う?」
 二人きりになってわずか数時間しか経っていないが、自分が透也に選ばれる人間だとも思えず、優菜は思わず笑ってしまった。
「付き合えないよ」
 優菜の答えに、透也もただ「そうか」と答えただけだった。
 壁一面の窓の外では、二月の風が吹き抜けているようだ。閉じたシャッターの横にあるブランドショップのショーウィンドウには、ハッピーバレンタインの文字が大きく装飾されている。慌ただしかった年越しから流れる時間は早い。
 次の春には入社して六年目を迎える。優菜はスコーンをかじる。物足りない甘さが、空腹の胃に沁みた。

 二月の朝の空気は澄んでいる。少々の後ろめたさを抱えながら帰宅すると、母親はリビングでコーヒーを飲んでいた。
「あら、おかえりなさい。誰のところに泊まったの」
「会社の先輩の家」
 いつから嘘をつくことに罪悪感を覚えなくなったのだろう。コートを脱ぎながら、優菜はついているテレビに目を向けた。一週間の出来事をまとめたワイドショーでは、先週にトップニュースになった大物女優の結婚報道が大きくクローズアップされている。
 手に触れる事もない四角い箱のなかでさえ、他人の恋愛や結婚がおおごとになっている。優菜はうんざりしながら、コートを片手に自室へと繋がる階段をあがった。
 一晩帰らなかった部屋はカーテンが開けっ放しで、白い光が室内を照らしていた。クローゼットの前に立って、コートに沁みついた匂いにようやく気が付いた。慌てて消臭スプレーをコートに振りかけ、クローゼットに片付ける。ホテルでシャワーを浴びたとはいえ、髪の毛やニットにも同じ匂いがついているのだろうか。
 優菜は全身鏡の前に立つ。鞄に入っていたポーチのみで直したメイクが崩れている。睫毛のカール具合、眉毛の形、肌の質感、唇の色。自分はこの社会に溶け込めているだろうか。
 幼い頃の情景から逃れるように、優菜は鏡に背を向ける。二十七歳の優菜は、きっと恋愛至上主義の世の中を生きられているはずだった。少なくとも、子供の頃はそう信じていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み