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文字数 2,010文字

 優菜はベッドに横たわったまま、壁掛けテレビの前にあるソファーをぼんやりと見つめていた。繁華街の一角にあるラブホテルの一室。間接照明に照らされた薄暗い空間に並んだちぐはぐな家具が、ここを非現実な世界だと教えてくれる。
「ところで優菜ちゃんって、有紗さんと仲いいの?」
 部屋のほとんどを占めているダブルベッドの端で、優菜に背を向けて起き上がった透也が、静かに訊ねた。優菜は被っているシーツをぎゅっと握り、寝返りを打つ。
「仲が悪かったら、一緒に飲んだりしないよ」
「そうかな。女の人の仲良しを、俺は信じていないから」
 ちらりと優菜を見下ろした透也は、枕元に置いてあったシガレットケースを手に取り、「タバコ吸ってもいい?」と訪ねるなりライターの火を灯した。つい先ほどまで優菜に触れていた長い指が火に照らされている。
「じゃあ質問を変えるけれど、普段、有紗さんとはどんな会話をしてるの?」
 どこにでもある煙草の香りが優菜と透也の間に流れてきて、優菜は軽く咳払いをした後、じっと透也を見上げた。
「透也君、有紗さんを好きなの?」
 薄い煙に隔たれた向こうで、口に煙草をくわえていた透也が顔をしかめた。
「は……?」
「だって、飲んでいる時も、今も、有紗さんの話題ばっかりじゃん」
「それは俺と優菜ちゃんの間に共通の話題がねーからじゃん。ていうか、」
 枕元に置いてあった灰皿に煙草を押し付けながら、透也は最後の煙を吐き出すように、深くため息をついた。
「そうやってすぐに恋だの愛だのに結び付ける奴って鬱陶しいわ」
 ベッドが不穏に揺れた。シーツから抜け出した透也が黙ったままドアの向こうへと消えたのと同時に、シャワーの水音が響き始める。
 優菜はシーツに(くる)まったまま、ゆっくりと息を吐いた。枕元に視線を移す。灰皿に残された吸殻はもう熱を失っているだろう。刹那の快楽に身を焦がしていく過程は、恋に似た高揚感を優菜に教えてくれるようだ。でも、すぐ失敗に終わってしまう。
 飲み会でも、男と二人きりになった場所でも、その場にいる自分は自分じゃないみたいだ。
 灰皿のすぐ横で光を放つデジタル時計が日付を超えようとしているのを見て、優菜は慌てて飛び起きた。室内の照明を明るくした途端、瞼が光を拒否するように瞬きを繰り返す。ようやく明るさに目が慣れてきた頃、脱ぎ捨てられていたナイトウェアを羽織り、ソファーに置きっぱなしにしていたトートバッグの中を探る。手に取ったスマートフォンで、今夜は帰らない旨のメッセージを母親に送る。実家暮らしはこういう時に不便だ。
「何してんの?」
 いつの間にシャワーを浴び終わっていたのか、白いタオルで濡れた髪を拭きながら歩いてきた透也が、優菜の横に立った。
「あ……、母親に連絡」
「実家暮らし?」
「うん」
 優菜は両手でスマホをもてあそびながらも、つい先ほどの自分の失言を思い出して、喉元を強張らせた。上手くしようと思えば思うほど、空回りをしてしまう。ドラマや映画に出てくるようなキラキラした女の子達のようには上手くいかない。
 そんな優菜の気持ちを知ってか知らずか、先ほどの会話などなかったような顔をして優菜と同じナイトウェアを羽織った透也も、テーブルに置いてあったスマホを手に取った。
「まだ連絡先聞いてなかったよな?」
 透也の言葉に優菜は驚き、まじまじと透也の横顔を見つめてしまった。暗がりの中にいたベッドで見たものとは違い、整った横顔はからりとした印象を受けた。顔を合わせた時から好きな顔だと思った。飲み会の席で隣に座って会話した事も、こうして二人きりで抜け出した事も、選ばれたという事実に心がうずいた。でも、優菜にとってはそれだけだ。ましてや共通の話題すらまともに持てないというのに、今後があるなんて思えない。
 しかし、優菜は一瞬にして渦巻いた言葉を思い直し、スマホを持ち直した。
「番号で検索できるかな」
「うん、たぶん」
 二人でスマホを見せ合って、メッセージアプリのIDを交換し合う。ただの社交辞令、これもお遊びの過程のひとつなのかもしれない。
「あー、もう十二時過ぎてんのか」
 スマホをテーブルに置いた透也が大きく伸びをして、ベッドに入った。優菜はシャワーを浴びるためにトートバッグから化粧ポーチを取り出した。
「優菜ちゃん」
 バスルームへと向かう優菜の背中に、眠そうな透也の声が心地よく響く。
「俺、先に寝ていい? その代わり明日もう一回して、その後に朝カフェしようよ」
 つかみどころのない透也の提案に、思わず振り返ってうなずいてしまった。明るい照明の下で透也が笑ったのを一瞥した後、今度こそドアを開けてバスルームへと入る。
 洗面台の大きな鏡の前で、優菜は嘆息した。慣れない場所で、たった一枚のナイトウェアを脱ぐ事さえ躊躇してしまう。酒の勢いなど、一時的な効果しかない。
 胸の奥がそわそわと落ち着かないのは、決して恋をしているからではない。
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