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文字数 1,686文字
優菜の勤務する洋菓子メーカーが、ホワイトデーに合わせて人気アイドルグループ〈スウィートマンバ〉とコラボする事になった。
そのプロモーションにより、優菜の仕事も格段に増えた。ポスターやチラシなど、大量に届いた広告資材や販促物を仕分けるだけでも一苦労だ。まだバレンタインすら終わっていないのに、何度も目にする「ホワイトデー」の文字に季節感覚が混乱を起こしそうだ。
「そういえば、スウィートマンバって、情シス部の出村が好きなアイドルだよね」
仕分け作業の為に借りた社内の会議室で、女三人で雑談を交わしながら段ボールを開けていると、有紗がふいにそう切り出した。
「あー、机にも写真を飾っているっていう人ですよねー」
優菜の一年後輩にあたる女性社員もそれに乗りかかるように、答えた。
スウィートマンバはデビューして二、三年の、三人組の女性アイドルグループだ。国民的というほど認知度はないにしても、芸能事情にそこまで詳しくない優菜でもグループ名くらいは知っている。可憐さと強 かさを融合したような風貌が印象的だ。
「その出村さんって人、スウィンバの誰推しなんですか?」
「知らないよそんなのー! 絹川さんに訊けばー?」
勢いよくガムテープを剥がしながら有紗が笑い、後輩の視線が優菜に向いた。玲自身に対してではなく、玲との仲に対して好奇心を持った視線に優菜は思わずおののき、慌てて反論をする。
「いや、私だって知らないですよ」
「えー、でも同期じゃーん」
「前にも話しましたけど、あまり話した事がないので」
いつかのトイレでの出来事を思い浮かべながら言うと、有紗は「分かっているよー」と笑った。ただの会話の流れだったのに本気で否定してしまった事に対して優菜はこっそりと舌打ちする。女子同士の会話のノリというものを、今でも苦手なままだ。
玲とあまり話した事がない。それは嘘ではない。だけど、あの昼休みの出来事の頃とは少しだけ状況が違う。玲と二人でラーメンを食べに行った夜から、三日が経っていた。
「出村さんって、色々と有名ですよね。仕事はできるって、情シス部の同期が言っていましたけれど」
「色々って?」
段ボールを触りすぎたせいでカサつき始めた指で資料と販促物を確認しながら、優菜は思わず後輩に訊ねてしまった。
「アイドルオタクっていうのもですし、彼女がいた事がないとか、セット一万円のスーツしか着ていないとか」
A4用紙が、荒れた指先に引っかかる。室内で効き始めた暖房が、身体から容赦なく皮膚を保護する水分を奪っていくようだった。
「えー、彼女がいた事ないんだ? まぁそんな感じだけどね」
「あっ、噂ですよ! 本当かどうか知らないですよ!」
「いやいや、でも見た目もそんな感じだもん。いかにも童貞って感じで」
いらない情報を得てしまったが、一度耳に触れた言葉は取り消されない。社内であろうと品も知性もない話題で盛り上がれるのは、ここに男性社員がいないからだ。
「私、その出村さんって人、会った事がないんですよねー」
後輩が笑いながらポスターを広げた。嫌な響きの笑い声だった。
広げられたポスターから、三人の女の子達が視線を寄越してきた。ピンク色と黒色をふんだんにデザインした独特のワンピースを着た女の子達が、ラッピングされたクッキーやキャンディーを持って微笑んでいる。そこに、ただ可愛いだけではない、というメッセージ性を読み取ってしまうのは、優菜が同じ女だからだろうか。
優菜は黙ったまま、販促物を仕分けし始めた。担当のエリア内だけでも二十を超える小売店がある。いつの間にか、有紗達の話題は社内の別の人間の噂話に移っていた。
バレンタイン当日は百貨店店舗への応援が入っている。クリスマスやバレンタインといった季節が繁忙期になるのは、この業界の宿命だ。
まだホワイトデー関連の仕事もあったが、翌日のバレンタイン当日に備えて定時であがり、会社を出て地下鉄の駅へと向かっていると、メッセージアプリから一件の通知が届いた。鞄からスマートフォンを取り出した優菜は思わず目を見開き、立ち止まった。透也からのメッセージだった。
そのプロモーションにより、優菜の仕事も格段に増えた。ポスターやチラシなど、大量に届いた広告資材や販促物を仕分けるだけでも一苦労だ。まだバレンタインすら終わっていないのに、何度も目にする「ホワイトデー」の文字に季節感覚が混乱を起こしそうだ。
「そういえば、スウィートマンバって、情シス部の出村が好きなアイドルだよね」
仕分け作業の為に借りた社内の会議室で、女三人で雑談を交わしながら段ボールを開けていると、有紗がふいにそう切り出した。
「あー、机にも写真を飾っているっていう人ですよねー」
優菜の一年後輩にあたる女性社員もそれに乗りかかるように、答えた。
スウィートマンバはデビューして二、三年の、三人組の女性アイドルグループだ。国民的というほど認知度はないにしても、芸能事情にそこまで詳しくない優菜でもグループ名くらいは知っている。可憐さと
「その出村さんって人、スウィンバの誰推しなんですか?」
「知らないよそんなのー! 絹川さんに訊けばー?」
勢いよくガムテープを剥がしながら有紗が笑い、後輩の視線が優菜に向いた。玲自身に対してではなく、玲との仲に対して好奇心を持った視線に優菜は思わずおののき、慌てて反論をする。
「いや、私だって知らないですよ」
「えー、でも同期じゃーん」
「前にも話しましたけど、あまり話した事がないので」
いつかのトイレでの出来事を思い浮かべながら言うと、有紗は「分かっているよー」と笑った。ただの会話の流れだったのに本気で否定してしまった事に対して優菜はこっそりと舌打ちする。女子同士の会話のノリというものを、今でも苦手なままだ。
玲とあまり話した事がない。それは嘘ではない。だけど、あの昼休みの出来事の頃とは少しだけ状況が違う。玲と二人でラーメンを食べに行った夜から、三日が経っていた。
「出村さんって、色々と有名ですよね。仕事はできるって、情シス部の同期が言っていましたけれど」
「色々って?」
段ボールを触りすぎたせいでカサつき始めた指で資料と販促物を確認しながら、優菜は思わず後輩に訊ねてしまった。
「アイドルオタクっていうのもですし、彼女がいた事がないとか、セット一万円のスーツしか着ていないとか」
A4用紙が、荒れた指先に引っかかる。室内で効き始めた暖房が、身体から容赦なく皮膚を保護する水分を奪っていくようだった。
「えー、彼女がいた事ないんだ? まぁそんな感じだけどね」
「あっ、噂ですよ! 本当かどうか知らないですよ!」
「いやいや、でも見た目もそんな感じだもん。いかにも童貞って感じで」
いらない情報を得てしまったが、一度耳に触れた言葉は取り消されない。社内であろうと品も知性もない話題で盛り上がれるのは、ここに男性社員がいないからだ。
「私、その出村さんって人、会った事がないんですよねー」
後輩が笑いながらポスターを広げた。嫌な響きの笑い声だった。
広げられたポスターから、三人の女の子達が視線を寄越してきた。ピンク色と黒色をふんだんにデザインした独特のワンピースを着た女の子達が、ラッピングされたクッキーやキャンディーを持って微笑んでいる。そこに、ただ可愛いだけではない、というメッセージ性を読み取ってしまうのは、優菜が同じ女だからだろうか。
優菜は黙ったまま、販促物を仕分けし始めた。担当のエリア内だけでも二十を超える小売店がある。いつの間にか、有紗達の話題は社内の別の人間の噂話に移っていた。
バレンタイン当日は百貨店店舗への応援が入っている。クリスマスやバレンタインといった季節が繁忙期になるのは、この業界の宿命だ。
まだホワイトデー関連の仕事もあったが、翌日のバレンタイン当日に備えて定時であがり、会社を出て地下鉄の駅へと向かっていると、メッセージアプリから一件の通知が届いた。鞄からスマートフォンを取り出した優菜は思わず目を見開き、立ち止まった。透也からのメッセージだった。