2-3

文字数 2,536文字

 そしてパーティーが終わった後、透也に連れられてきたカジュアルバーで、玲はカウンターテーブルに置かれたグラスを眺めながら途方に暮れていた。普段玲が耳にする曲調とは百八十度違う、低音を響かせた音楽が店内を飾っている。
 世話になった恩師のためにパーティーには参加したが、二次会に参加する予定は最初からなかった。ましてや、話した事もない元クラスメイトと二人で飲むなんて、本来の自分ではありえない。
 その元クラスメイトである透也は、つい先ほどまでは隣に座っていたはずだが、店内に知り合いを見つけたのか奥に引っ込んでしまった。
 店内には普段の玲とは無縁の種類の人間達で溢れていた。カウンターの斜め後ろの二人掛けのテーブルでは、向かい合って座る男女が顔を寄せて笑い合っている。奥にあるテーブルでは、女子グループが声を張り上げるように感情のまま会話を進めている。
 玲は、やたらと細いグラスに入ったノンアルコールカクテルをちびちびと口に含んだ。大人になっても世界は変わらない。結局、教室でもカジュアルバーでも、構築されている世界から玲ははみ出している。
「出村、悪い!」
 奥から戻ってきた玲が、先ほどと同じように玲の右隣に座り、慣れた様子でカウンターの向こうにいる店員にドリンクを注文した。
「誘っておきながら一人にしてごめんな。仕事の関係者がいて、挨拶していたんだ」
 シガレットケースから煙草を一本取り出した透也は「一本いい?」と玲の返事を待つこともなく、ライターの火を灯している。
 ほぼ初対面の男を飲みに誘った上に、その男を放置して悪びれもなく戻ってきて煙草をふかす。森奥透也という男は、それが許される人間だった。
「仕事の関係者って……」
「ああ、俺、営業職だからさ。色々世話になっている方がいて」
 そういえば、透也の名刺には有名な製薬企業の名前が記されていた。それに比べて、玲は有名な洋菓子メーカーに所属しているとはいえ、毎日パソコンと向かい合っている日々だ。根本的に透也のような人間とはそりが合わないのだろう。
「出村は? 何の仕事してんの?」
「俺は……、ホームページの更新だとか、パソコントラブルに対応したりとか」
「ああ、つまりシステム系?」
 会話下手な玲のしどろもどろとした言葉を上手く拾い上げて簡潔に落とし込むのは、透也の営業マンとしてのスキルなのか、それとも持って生まれたものなのだろうか。
 玲がうなずくと、そこで会話が止まってしまった。透也が口にくわえている煙草もそろそろ終わりそうだ。
 どうしてこんな事になってしまったのだろう、と今夜何度目かになる自問自答が脳を支配する。どうして透也の誘いにうなずいてしまったのだろうか。
 高校生の頃、透也の取り巻く世界は、玲のいる場所からずいぶん遠い場所にあったはずだった。その境界線は簡単に超える事を許さない、教室内の秩序を守るために存在していた。
 玲の普段聴く事のないダンスミュージックがリズムを変えていく。
「……ねーの?」
 黒い灰皿に置かれた透也の吸殻に意識を奪われていた時、透也の声が右耳に入ってきた。それは脳内で無理やり再生させているユウナの声に掻き消され、玲は焦った。
「え……?」
「だから、酒。出村は飲まねーの?」
「ああ……」
 怜は、無意識にジャケットのポケットに入れてあるスマホに触る。
「会社でシステムエラーが出た時なんかは、緊急対応しないといけない時もあるから……」
「え、まじで? 大変じゃん」
 酒を飲みたくない玲の詭弁を信じたのか、透也は大袈裟に同情を示した。本当は連絡なんてほとんど来ないし、スマホを触る意味もない。
 玲はこっそりと透也の横顔を眺めた。高校時代よりも少々痩せた印象はあるが、十年経っても老けた印象はなく、むしろ男前が増している。さぞかし女に困る事はないだろうと、玲は沈黙を作らないように口を開いた。
「森奥君は、付き合っている人いるの?」
 つい先ほどにいたパーティー会場でも、今いる店内の奥の席でも、恋愛話が沸かない場所はない。そして共通の話題がないからこそ、その世界に溶け込もうと玲が思い切って訊ねると、透也は緩めていた口元をこわばらせ、眉根を寄せた。
「それって、出村に関係のある話?」
 思いもしない返答だった。イエスかノーか、せめてグレーゾーンか、予想できる答えを三種類くらいしか想像していなかった玲は、透也からの質問返しに混乱した。
 関係のない話。それは分かる。なら、人々が交わしている会話だって、テレビで騒ぎ立てている熱愛スキャンダルだって、全て関係のない話だ。
 結局透也の答えは分からないまま、玲は自分の発したくだらない質問への罪悪感を打ち消すように、再びユウナの声を思い浮かべる。スウィートマンバのメロディー。美しい歌声と、可憐なダンスフォーム。
 それから帰宅したのは午後十時を過ぎていた。大学時代から暮らしている八畳ワンルームの部屋で、玲はテレビにリモコンを向けた。デッキに入れっぱなしのDVDが小さな音を立てて起動する。
 ユウナのために購入した四十八型のテレビ画面で、ユウナが華麗に踊る。伸びやかに歌う。一昨年に行われたライブ映像は、今の玲にとっての拠り所だ。アイドルオタクと一口に言っても、ファン活動形態はさまざまで、仕事で多忙である玲はライブやイベントには参戦しない在宅オタクだ。だからこそ、繰り返し鑑賞できる音源や映像は玲の必需品でもある。
 やがてライブではバラードの曲調が流れ、サキやマイコの歌声と共に、ユウナの歌声がしっとりと漂った。
 幹線道路沿いに位置するマンションの一室。都会の喧騒の波がすぐそこまで来ている部屋で過ごす時間は、教室の隅で空気のように過ごしていた頃と全く別物のはずなのに、少し似ているかもしれないと思ってしまったのは、透也と再会してしまったせいかもしれない。
 ベッドに寄り掛かるようにカーペットに座った玲は、ベッドから毛布を引きずり落とし、肩から被る。視界の端にはスマホが映るが、意識しないようにカラフルなライトを照らすテレビ画面に意識を向けた。まだ着替えも済ませていないのに、ユウナの歌声によって少しずつ瞼が重くなっていく、ぬるま湯に浸っている時間が至福だ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み