まぼろしの海7
文字数 2,153文字
「今日は楽しかったな、番人。また来るぞ」
手をふって、洞くつの外へふみだす。
ディアディンが一歩、外へ出ると、くるりと番人は、きびすをかえした。洞くつの奥へもどっていく。
「ちょっと、ちょっと、どうして、白しっぽは泣いてるんですか? なんで、あそこから出てこないんです?」
「まさか、つかまっちゃったんじゃないでしょうね?」
「だいたい、なんで、白しっぽが洞くつのなかに?」
「小隊長が、つれていったんじゃ?」
「ええッ、なのに白しっぽを見すてるのか! なんてヒドイ。人非人だ。極悪人だ」
見物人は大さわぎを始めるし、白しっぽは涙ながらに、
「お父さーん、お母さーん、さきだつ不幸をおゆるしくださーい」
などと叫んでいる。
それらの声が岩壁に反響して、もう何がなんだかわからないほど騒々しい。
番人は立ちつくした白しっぽには見向きもせず、騒音のなか、
白しっぽが魔法の力に阻まれて、自力では外へ出られないことを承知しているのだろう。
見物人に
白しっぽのよこを通りすぎ、さらに奥へ、地ひびきをたてながら進んでいく、黄金色の怪物——
(いまだッ!)
ディアディンはいっきにダッシュをかけて、洞くつにとびこんだ。
ディアディンと白しっぽは同じ香水をつけている。匂いでは気づかれない。さらに、足音は見物人のわめき声で、かきけされた。ディアディンが洞くつに入ってきたことに、宝の番人は、まだ気づいていない。
「あれっ? 小隊長? なんで、もどってきたの?」
ぽかんとしている白しっぽをかかえあげ、ディアディンは入口へ引きかえした。
異変を察した番人がふりかえったときには、もうディアディンは洞くつの外だ。
「たしかに貰ったよ。おまえの宝」
くえェーッと声をあげて、番人がかけもどってきた。でも、ディアディンは洞くつを出てしまっているから、手の打ちようがない。
「クルゥ……」
「やられたぁ、と言っております」
「だから、また来るぞと言ったろ。おれの二度めの挑戦ってことになるのかな。戦利品は、白しっぽと、魔法の石うすだ」
「魔法のチーズもです」
りっぱに最後まで、にぎって離さなかったチーズをかかげて、白しっぽは、はしゃいでいる。さっきまで、自分が死んでしまったかのように、泣きさけんでいたくせに。
「それにしても、ヒドイよ。ぼくを見すてようとしましたね。小隊長」
「あれは、そういう作戦だったんだ。おまえが失敗するかもしれないって可能性は、計算のうちに入ってた」
「じゃあ、なんで、そう言っといてくれなかったんですか。おかげで、ぼく、すごく怖かったよ」
「おまえたちはウソがつけないだろ。事前に告げてたら、番人に見ぬかれて、うまくいくわけがない」
「そんなことないよ。ぼくだって、ちゃんと……」
ゴソゴソとポケットに手を入れていた白しっぽは、またまた青い顔になった。
「あれ……? ない」
「ないって、おまえ、まさか……」
「石うすがありません。どっかで落っことしちゃったみたい。あ、たぶん、チーズを追いかけてたときだ。なんか、コロンといったような……」
ディアディンのため息が、あばら骨まで出てきそうになるのも、ムリはあるまい。
「ほんとに手のかかるヤツらだな! 夜明けまで、あと、どのくらいある?」
オーディエンスにたずねる。
「半刻ほどですね」
「それだけあれば充分だ」
ディアディンは洞くつの入口に立ちはだかり、番人を見あげた。
「おれの三度めの挑戦だ。今度は、サシで勝負だ。ただし、勝負はカードで。おれが勝ったら、魔法の石うすをくれ。おまえが勝ったら、このカードをやるよ」
カード中毒寸前の番人が、イヤだと言うはずがない。
ディアディンは三たび、洞くつへ入り、数分後には外に出てきた。もちろん、その手には魔法の石うすをもって。
こうして、ディアディンは一晩に三度、宝の洞くつに挑んだ勇者として、長姫の眷族のあいだで、長く語りつがれることとなった。
この記録は少なくとも、ディアディンが知るかぎり、ぬりかえられたことはない。
「今回は本当に、たいへんムリなお願いをしてしまい、もうしわけありません」
夜明けを前に、長姫のもとへ帰り、石うすをさしだした。
長姫の清らかな笑顔を見ると、ようやく苦労がむくわれた気がする。
「これで、お客さまに、ぶじにお帰りいただけます」
そのあと急速に、ディアディンの意識は遠くなっていった。が、完全に現実世界に覚醒するまでに、夢を見た。
月光の反射する、あの地下で、長姫が石うすをまわすと、石のあいだから、みるみる海水があふれだす。
新鮮な海水につかった客の姿は、弱々しい小魚ではなくなっていた。
銀のしっぽをもつ人魚だ。
両手をとりもどした人魚は、長姫から石うすをうけとり、自分でまわし続ける。
海水は満ちあふれ、こつぜんと地下に海が出現した。
人魚は波に乗り、故郷の海へ帰っていった。人魚が波間に消えると、またたくまに潮が引き、幻の海も消えていく。
けれど、その後も、あの客はときおり、遊びに来るらしい。
やはり夏になると、砦では今でも、潮騒が聞こえる。
了