まぼろしの海1

文字数 2,387文字




ディアディンにとって現実は、つねに厳しいもので、それはいつになっても変わらない。
たぶん、心によどむ、いくつかの記憶があるかぎり、ずっと、そうなのだろう。

金色の髪のリック。
青い瞳のリック。
誰もが羨むようなきれいな少年だった。
貴族の家に生まれ、前途洋々(ぜんとようよう)
なに不自由なく、彼の人生は続いていくはずだった。

時計の長老と人間の友情を見たせいだろうか。
このごろ、ことに思い出がつらい。

「ねえ、ディアディン。僕、結婚することになったよ」
「えっ? でも……まだ十六だろ。ずいぶん急なんだな」
「親が決めた許嫁(いいなずけ)なんだど。それがさ。この前、初めて会ったら、顔も可愛くて、けっこういい子でね。僕ってラッキーだよね」

ラッキー?
そんなこと、あっていいのか?
ミュルトを結婚できない体にしたのは、セオドリックなのに……。
リックだけ、こんなに幸せな結婚話に浮かれてるなんて。
だって……だって、ミュルトは、リックを……。

それは三人で遊んでいたころから気づいていた。
ミュルトは自分があんな体になってから、その気持ちをかくしていたが、今でも思いが変わらないことを、その目が告げている。

どうして、リックにばかり幸福がおとずれて、おれたち兄妹はどんどん不幸になっていくんだろう。

神さまは不公平だ。

それでもリックの恩情にすがらないと、高い薬代を一家のかせぎでは、まかなえない。

「そんな……でも、リック。じゃあ、ミュルトは……? ミュルトはどうしたらいいんだ? あいつは、おまえを……」

リックは長いこと考えこんだあと、言った。

「ミュルトは僕がひきとるよ。結婚すれば、自分の城をもてるから。形は愛人ってことになるけど。そのほうが、ディアディンたちも手がかからなくてすむだろ」

友情のくずれおちる音を聞いたのは、このときだったのかもしれない。

(違う。やめろよ。そんな言葉、聞きたかったんじゃない。おまえがミュルトを壊したくせに。まるでキズものみたいに、ミュルトのことを……)

バカにして——

怒りにふるえた、あの日。

思い出を消すことができたら、どんなにいいだろう。
あの記憶があるかぎり、ディアディンは友情なんて信じられない。

物思いにふけっていると、どこか遠くで潮騒が聞こえた。近辺はどこまで行っても、森が続くだけの樹海だというのに。

「おかしいな。波音が聞こえなかったか?」

ディアディンは、ぶやいた。

任務時間外のたいくつな午後。
自室にはディアディンのほか、アンゼルしかいない。

「夏にだけ聞こえるってやつですね。砦の七不思議のひとつですよ」
「そうなのか。初めて聞いた」

「そういえば、今年はあまり聞きませんでしたね。もうすぐ秋になるっていうのに。まあ、森のなかをふきぬける風が、そんなふうに聞こえるだけなんだとは思いますが。ウワサでは砦の地下に幻の海があるとかなんとか」
「幻の海か。あれば、見てみたいな」

ざれごとに話した。

その夜は、満月。
使いは以前にも来たことのある、スノーホワイト族の少女だ。

「今度はまた、おまえたちの願いか?」

「違いますよ。おかげさまで、われらは小麦をおなかいっぱい食べることができて、満足しています。そのせつは、ありがとうございました」

ぴょこんと腰を半分ほども折って、頭をさげる。
やっぱり、カラクリみたいな連中より、こっちのほうが微笑ましい。
彼らと話していると、少し、気分がほぐれる。

「そうか。じゃあ、なぜ、おまえが迎えに?」
「今夜の一族は、われらのように歩くことができないんです。だから、ぼくがお使いに来ました」
「歩けない種族か。また難題をだされそうだな」

少女は前歯の目立つ子リス(ネズミだから、似たようなものだ)みたいな顔に、ぱっと明るい笑みをうかべる。

「今日のは難題です。でも、これまでで一番、おいしいかもしれませんよ。うまくすればね」

それ以上は、どうくどいても、ニパニパ笑うばかりで教えてくれない。

まあ、そんな会話を楽しんでいるうちにも、長姫のいる月光のふりそそぐ一室へついた。

いつもどおり、長姫は美しい。
いや、このところ、とくに、その美が水ぎわだってきたように見えるのは、気のせいだろうか?

「いらっしゃいませ。ディアディンさま」
「ああ」

つかのま、見つめあい、どちらからともなく、ぎこちなく目をそらした。
なんだか、てれくさい。

「今日のは難題らしいな」
「はい。危険がともないます。お覚悟を」

覚悟のいるようなことなのかと、ディアディンが思っていると、長姫はディアディンの前に、狩りの角笛くらい大きな貝をさしだした。二枚貝の片方に脚がついて、さかずきのようになっている。

なかには水が満々と張られ、ほんのり潮の香がした。海水のようだ。
そこに一尾の魚が泳いでいた。
銀のウロコの美しい魚だが、どことなく元気がない。

「これは、われらの眷族というよりはお客さまなのですが、困ったことになっております。お力をお貸しください。彼女は——」

「女なのか」

「はい。彼女はここへ来るとき、地下で大切なものを落としてしまいました。その品物をさがしだしていただきたいのです。が……」

と、これまでになく、長姫は躊躇(ちゅうちょ)する。

「地下にはトレジャー族がいるのです」
「トレジャー。宝の一族か」

「彼らは宝石や黄金などの宝が大好きなのです。地下の洞くつに宝物を集めて暮らしています。一族の数は多くはありません。今は一人だけ。われらの眷族のなかでは、ずばぬけて腕力も魔力も強い種族です」

「姫の眷族なら、お客人の大切なものを返しておくれと、言えばいいんじゃ?」
「それができればいいのですが」

長姫は美しいおもてを、なやましく曇らせる。

いったい、なんだっていうのだろう。
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