月のしずく3

文字数 2,067文字


「さあ、帰るぞ。きっと今ごろ、おまえの両親が泣いて探しまわってる」

今度は少女も何も言わなかった。
しかたなさそうに身をおこし、最後に、もう一度、なごりおしそうに丘の景色を見わたした。

「ここがきれいな場所で、よかった」

少女がどんな気持ちで言ったのか、そのとき、ディアディンは気づいてなかった。

道をたどっていくと、小一時間で森はとぎれた。 田舎町らしい集落が見える。石造りの町なみは、よくある風景だ。本当に時代をとびこえたのか、これだけではわからない。

しかし、ディアディンの服は奇抜らしいので、ひとけのない通りに来たところで少女をおろした。

「おまえのうちは、もう近くか?」
「あの赤い屋根のうち」

わりに大きな家だ。想像していたような貴族の城ではなかったが、やはり、裕福らしい。

街路の向こうから現れたた人々が、こちらを見てさわいでいる。

「どうやら、迎えが来たみたいだな。おれがつれ去ったと思われたら、やっかいだ。このまま行くよ」
「また会える? ダンスの約束したもの」
「そうだな。じゃあ、いつか、また」

てきとうに言って、逃げるように走りさる。

すると、景色がゆらいだ。
ディアディンは月夜の庭に立っていた。きれいに手入れのいきとどいた庭だ。白壁に赤い屋根の家が目の前にあった。自分の家だと、少女が言っていた館だ。

あの一瞬で、時間のなかを進んできたらしい。
いったい、いつ自分の時代に帰れるのか知らないが、これは、あの子に会っていけという意味に違いあるまい。

本当は気が向かなかった。
だが、ディアディンは、そこから見える窓辺に近づいていった。

窓のなかは子ども部屋だ。
女の子らしい数々のものにかこまれて、少女は眠っている。

かわいい寝顔をみて、ディアディンは、ほっとした。

まだ、ぶじだったかと考えて、自分でイヤになる。なんだかんだ言って、けっきょく、少女の安否が気になっている。このままでは、つらい思いをすることになりそうだ。

ディアディンが立ち去ろうとしたとき、少女が目をさました。
とびおきて、窓辺にかけよってくるので、こっちの寿命がちぢむ思いだ。

「ばか。走るな」

少女は平然として、ディアディンの首にとびついてくる。

「来てくれたのね」

嬉しげに頰を上気させている。でも少し、やつれた。
寝台から窓までの、ほんのわずかの距離を走っただけで、もう息をきらしている。容体はよくないのかもしれない。

「ムチャをするなら帰るぞ。ベッドに運んでやるから、おとなしく寝てるんだ」
「うん」

窓から入りこんで、素直に従う少女をベッドへつれていった。寝具によこたえ、みだれた黒髪をなおしてやる。

「あなたが来るとわかってたら、もっとオシャレしとくんだったわ。あたし、変じゃない?」
「いや。カワイイよ」

やつれたことを自分でも気にしてるのだろうか。

少女の成長ぶりから見て、この前、森で会ったときから(ディアディンには一瞬だったが)、一年以上はたっている。
女の子なら異性の目を気にし始める年ごろだ。
本当なら、これから美しい花になって、咲きほこる年だというのに、この子はもう衰えを気にしている。

毎度のことだが、この世に神などいないと思う。
いるのなら、なぜ、こんなに小さな女の子を苦しめなければならないのだ。

「今夜は満月ではないが、月がキレイだから会いにきたんだ」
「嬉しいわ。もう会えないかと思ってた」
「ダンスの約束をしたじゃないか」
「うん」

少女は少し涙ぐんで、枕もとに置かれた一冊の絵本を手にとった。

「これが、あたしの一番、好きなお話よ。いつも、これを読んで、いろんなことを空想するの。
あたしが花の精になったら、満月の夜に、エルフの丘で、ダンスパーティーをひらくの。
あたしの国の妖精たちは、まっしろいフワフワのハツカネズミや、小さな緑色のアリ。みんな嫌うけど、あたし、けっこう、カラスも好きよ。前に窓の外にいたから、ゆで卵をなげてあげたの。そしたら、あたしのほうをふりむいて、カァって、ひと声ないてから飛んでったのよ。あれは絶対、ありがとうって言ったんだわ。
それから、巻毛のたてがみのポニーでしょ。人魚と友だちになって、バラやユリやヒナゲシの精霊をしたがえるの。ぬいぐるみや、ふだん、しゃべれないものとも話せたらいいな」

少女の話す夢の話は、どれもディアディンには聞きおぼえがある。なんだか、どこかで聞いたようなものたちばかり。
ディアディンの胸は妖しく惑乱(わくらん)する。

この少女、いったい、なんなんだ——?

「王子さまは、あなたよ。ねえ、いいでしょ?」
「ああ……」
「あなたに、お願いがあるの」
「おれにできることなら」
「できるわ。今じゃないけど、いつか、きっと……」
「いつ?」
「たぶん、今年の冬くらい。そのときには、かならず、また来てね」

しゃべり疲れて、少女は眠ってしまった。
少女の頰をなでて外へ出た。

すると、風景が変わった。
また時間を飛んだのだ。
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