約束4

文字数 1,750文字


老人は無反応だが、ネールとすごしたころの他愛ない幸福な思い出の数々が、波のように静かに、あたりに満ちた。

「そうだな。砦に人間は山といるが、あんたたちに声をかけるやつは、そうはいない。あんたにとって、ネールは本当に大切な友人だったんだ。
だが、あんたは知らないだろう。ネールが去ったのは、実家の父が急死したからだ。ネールは長男で跡取りだから、残りの兵役は免除されて帰省した。それがいけなかったんだ。急ぎの文には死因まで書いてなかったが、ネールの父は、悪性の流行性感冒(インフルエンザ)で死亡した。ネールが帰りついたときには、一家全員が感染していた。ネールは家族の病気をもらって……死んだんだ」

ディアディンは苦い思いを奥歯のあいだにかみしめた。

「待っても、もう、ネールは来ない。あんたが強情をはる必要はない」

ところが長老は、かすかに首をふった。
ディアディンはカッとなって、言葉をたたきつけた。

「わかってるのか? 人間は死んだら生き返らないんだぞ。ネールとの約束が果たされることは永遠にない。ネールを待つってことは、死んだネールに殉じて、あんたも死ぬってことなんだ!」

老人の枕元をこぶしでたたくディアディンを、老人の思念が静かに包みこむ。


——それでもいいんじゃよ。これは、わしとネールとの、男と男の約束じゃからな。


「ばかやろう!」

ディアディンが涙をながしたのは、自分と同年代のネールの不幸な死のせいでもなく、老人の決意のさきにあるものでもなく、それらをもたらした残酷な運命のせいでもない。

運命は残酷なものだ。
そんなことは、とっくに知っている。

雨が降る。激しい雨が。
ディアディンの心の奥底で、いつまでも、ふりやまぬ雨が。

リック。リック。
あと少しで手が届いた。

くずれた橋とともに流されていったリック——

(リック。おれたちの友情が終わったのは、いったい、いつだったんだろう? おまえがミュルトを守れなかった十二のとき? それとも、おれが、おまえを救えなかった十六のとき?)

もうずっと前から、おれたちの友情は、とっくに腐ってたのかもしれない。

おまえが悪いんじゃない、おまえが、わざとしたわけじゃないと、自分に言いきかせながら、おれは心の奥では、ずっと、おまえを許せなかった。

それでも、おまえと友情ごっこを続けたのは、おまえが貴族で金をもってたからだ。
ミュルトの薬を買ってきてくれたり、屋敷から持ちだしてくる高価な品々が、ミュルトの看病のため働きにいけない、家族の生活に必要だったから……。

なんて汚いんだろう。
こんなのは友情じゃない。

それなのに、この時計のバケモノは、友情のために死んでもいいと言う。

それでは、あんまり、おれが(みじ)めじゃないか?

だから、涙があふれて、止まらない。

ディアディンは立ちあがった。
目をとざしたままの、おだやかな長老の顔。その胸の上に、ふところから出したものをほうりなげる。

ネールが残した、あの歯車。

その瞬間だった。
ふわりと影のようなものが立ち、あわく光を発する青年の姿になる。


——遅くなって悪かったね。なおしてあげるよ。約束……だからね。


青年の姿は、つかのま輝いて、やがて消えた。

いつのまにか、歯車は長老の体のなかに吸いこまれている。

歯車に残るネールの思いと、ネールを信じ続ける長老の気持ちが符合して、そんな奇跡をおこしたのかもしれない。

長老は目をひらき、ゆっくりと起きあがった。

「信じておったよ。きっと来ると。ネール、最後に会えて嬉しかった」

めざめた長老を喜びで迎える時の精霊たちの群れから、ディアディンはそっと離れた。

やつらは種族をこえて、友情をつらぬいた。
どうして、あいつらは、あんなにキレイなんだ?
どうして、おれだけが汚いんだ?

廊下を歩く足は、しぜんと長姫のもとへ向かっていた。

長姫はどこまでも清らかな笑みで、ディアディンを迎えてくれる。

「おれだって、なくしたくて、なくしたわけじゃないさ」

長姫の足もとにすがりつき、ひざまくらに顔をうずめた。

「今だけ、こうしてくれ。少しのあいだ……」

長姫の指が、優しく、ディアディンの髪をなでる。



ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み