絵空事3

文字数 1,780文字



その夜、仕事の見まわりのとき、ディアディンの足もとを、白いハツカネズミがよこぎっていった。
キキッとないた声が「助けて」と聞こえた。不吉な胸さわぎがする。

眠りにつくと、夢を見た。
満月の夜のような、ほんとうに現実のことと思えるほど鮮明な夢ではない。ぼんやりと、あいまいな長姫の姿が、かすかに光をはなっていた。

「先日、あなたを、あの者たちに奪われたのが運のつきでした。あれは、われらの眷族ではありません。われらを食い、その魔力をおのれの力とする者たちです。われらの魔力をとりこんで、より強い魔物になろうとしているのです。いずれは人にも危害をおよぼすでしょう。お願いします。助けてください」

ディアディンは夢の世界に落ちていった。

修復した絵をかざった客室。
この前の男女が、絵のなかの口ひげの男に向かって、ひざまずいている。
口ひげの男が片手をあげて、絵から、ぬけだしてきた。

「おお、われらの長が、お戻りになられた」
「長のお力が、われらにまで、しみわたる」
「以前と少しも変わっておられぬ。いや、以前よりお強い」

ディアディンはレイグルの技量を、少しばかり恨みに思った。
レイグルの腕が、もっと、まずければ、絵の魔力はそこなわれ、魂がぬけてしまったかもしれないのに。

「さあ、まいりましょう。弱きものを食らい、ますます力をつけていただかねば」

ディアディンは彼らの前に立ちふさがった。
「おれは利用されるのは好きじゃない」

黒髪の男が笑う。

「おや、今日は招いてないのに、ぶしつけだぞ。小隊長」
「だまれ」
「まあ、よい。そなたは、よい働きをしてくれた。とくべつに、そなたをわれらの仲間にしてやってもよい。妹も、そなたを気に入っている」

ディアディンは男の妖しいまでに美しいおもてに、ツバをはいた。
男の表情がこわばり、レースのハンカチで頰をぬぐう。 悪鬼の本性をあらわして、氷のように冷酷な目で、ディアディンを見る。

「とらえろ」

男に命じられて、二人の男女が両側から、ディアディンにとびかかってきた。

ディアディンは剣をぬいた。が、そこが夢の世界だからだろう。ディアディンの手のなかで、剣は泡のように溶けて消えた。ひるんだところを両側から、つかまえられる。

うすっぺらい絵のバケモノのくせに、力は恐ろしく強い。屈強(くっきょう)な戦士のディアディンが、かるくつかまれただけで、ふりほどくこともできない。

「ここは、われらの世界だから、小隊長には分が悪い」
「ふん。絵空事というからな」

夢の世界と、どこか似かよっているのかもしれない。

「ゆるしをこうなら今のうちだぞ。へらず口もきけなくなる」

男がかるく手をふっただけで、その手のなかに短剣があらわれる。

「そなたの心臓を長に召しあがっていただこう。そなたの血は長の力に——ひいては、われらすべての力となる」

黒髪の男は短剣のさやをぬき、きっさきを見せて近づいてくる。

夢の世界で殺されると、どうなるのか、わからないが、男の態度から見ても、いい結果にはならないだろう。

どうにか片手だけでも自由にしたいと、ディアディンが、ジリジリしていたときだ。

とつぜん——

「やめてくださいッ、お兄さま!」

あの青いドレスの女だ。叫んで、黒髪の男にとびついたときには、男は胸から血をながしていた。女の手に、兄のと同じ短剣がにぎられている。

「ばかな……妹よ。そなた、そこまで、この男を……」

黒髪の男は唇に血の糸をひいて、くずおれた。

「おゆるしください。お兄さま」

女は悲しげな目で、ディアディンをかえりみる。そして、自分の胸に短剣をさした。

まわりの男女は悲鳴をあげる。

その一瞬のすきをついて、ディアディンは左右の手をふりほどいた。
黒髪の男の手からこぼれおちた短剣をひろいあげ、彼らの長めがけて、つっこんでいく。

すさまじい叫び声がとどろき、夢の世界は崩壊した。

翌朝、目のさめたディアディンは、ふたたびアトラーのもとへ行った。

「二言を言って、すまない。やはり、こいつらは魔性だった。今すぐ火にくべる」

廊下にならんだ絵も、なおしたばかりの口ひげの男の絵も、ひとまとめに前庭で火に投げこんだ。

「最初から、いけすかないヤツらだと思ったんだ」

炎のなかに、妖しい笑みがくずれていく。



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