月のしずく4

文字数 1,913文字


今度は、もっと深刻な場面だった。

以前と同じ少女の家だが、家のなかの空気が重い。少女の寝室に大ぜいの人間が集まり、涙をながしている。

少女の母らしい女が男にすがりついて、
「この子を助けてください。あなたは都一の名医ではありませんか」
などと泣きさけんでいた。

少女の顔を窓の外から見たディアディンは、この子はもう助からないと思った。今夜か明日が峠だろう。

(だから、イヤだったんだ。こんなふうになると、わかってたのに)

少女が死ぬところは見たくない。
だが、今さら、この場を立ち去ることもできない。

ディアディンは窓の外に立ちつくし、そのときを待った。
眠ったまま逝くのかと思ったが、少女は一度だけ意識をとりもどした。
ディアディンを見て、青ざめたおもてに笑みをうかべる。

「来てくれたんだ」

吐息のような声が、なぜか、ディアディンの耳には、はっきりと聞こえた。

「こっちへ来て。あたしの手をにぎってよ」

少女の目は、ディアディンだけを見ている。が、まわりの大人たちには、ディアディンの姿は見えていないようだ。少女が幻を見て、うわごとを言っていると思うらしく、しのび泣きが増した。

ディアディンは窓をあけ、室内にすべりこんだ。以前より、さらに細くなった少女の手をにぎる。

「お願いがあるの。前に約束したよね。あの約束を、いま、叶えて」
「うん。なんだ?」
「あたしをもう一度、あの場所へつれていって。その本を読めば、わかるから」

少女の好きだった本は、まだ枕もとにあった。

ディアディンがそれに手をのばしかけたとき、少女の容体(ようだい)が急変した。少女の意識は深い闇におちていき、それきり、息をひきとった。

少女の母は気を失い、父はそれを支えて部屋を出ていく。医者を見送って使用人も出ていく。
つかのま、室内はディアディンと少女の二人きりになった。

ディアディンは眠る少女のかたわらで、その本を手にとった。
最初の一ページを読んで、なぜ少女が病気の体をおして、あんな森へ行ったのかわかった。
少女がディアディンに何をたのみたかったのか。


『あるところに、小さな女の子がいました。女の子は生まれつき体が弱く、大人になるまでは生きられないと、お医者さまに言われていました。もう次の春はむかえられないと言われ、なげき悲しむ両親に、少女はこう言いました。

「わたしが死んだら、月光のあたる丘に埋めてください。月の女神さまにお願いして、わたしは、かならず、帰ってきますから」

それで、その年の冬、死んだ女の子を、両親は言われたとおり、月光のふりそそぐ丘の上に埋めました。はたして、女の子をうずめたあとには、見なれない植物が生えてきました——』


花ひらく前に死ぬという、自分の運命を知る少女の、それが願いだった。
月の魔力をかりて、美しい花に生まれ変わること……。

ディアディンは少女を死の床から抱きあげた。

その夜は満月だった。
静まりかえった森のなかで、ディアディンは孤独で残酷な作業をひたすら続けた。
わが子の死をなげく両親のもとから、少女のなきがらを盗み、永遠に隠してしまうという作業。

だが、誰に止めることができただろう?
薄幸に死した少女の最期のたのみをかなえることを。

満月の光をあびるように受ける丘のいただきに、ろくな道具もなく、少女のための永劫の寝床をつくるには難儀した。
が、これくらい苦痛をともなうほうがいい。心の痛みをまぎらわすためには。

夜中までかかって、野犬やオオカミにも荒らされないほど深い穴をほった。ディアディンは、そこへ少女をよこたえた。

泥だらけになった手で、少女の髪をととのえると、少女の白いひたいも、うっすらと泥でよごれる。どうせ土をかぶせてしまうのに、それがひどく、ディアディンは気になった。よごれた自分の手が、少女の神聖をけがしてしまったように思えた。

(おまえは、けがれを知らないまま死に、おれは汚辱(おじょく)にまみれて生き続ける。いったい、どっちが幸せなんだろう?)

全身に泥をかぶっていたが、比較的キレイな服の内側で、少女のひたいの汚れを神経質にふく。

そして、ディアディンは少女にお別れした。

月光のしずくを受けて、少女のおもては、あでやかなほどに輝いている。

「ダメじゃないか。まだ、ダンスも踊っててなかったのに。お姫さまがいなくなってしまうなんて」

さよなら——

死ぬなと泣いてすがっても、人は死んでしまうもの。

またひとつ、ディアディンの胸に、消えない烙印のような記憶が残る。

少女のおもてが土の下に隠れると、ひとすじ、涙がこぼれおちた。
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