ためらい1

文字数 2,071文字




いつものように、そのウワサをディアディンのもとへ持ちこんだのは、情報通のアンゼルだ。

「このごろ、毎晩、馬屋から一頭ずつ、馬が消えるんだそうですよ。気味が悪いですね。魔物のしわざでなきゃいいけど」

考えごとをしていたディアディンは、ウワサを聞きつけて、ご注進におよんできた忠実な部下のために、つとめて明るくふるまう。
このごろ、ディアディンが沈んでいるから、手柄になりそうな話を持ちよって、元気づけようとしたのだろう。

(おまえのそんなところに、これまでも何度も救われてきたな。アンゼル)

だが、今回ばかりは、せっかくのアンゼルの心づかいも、あまり役には立たない。
ディアディンの心が別のことで、いっぱいになっているからだ。

時計の長老とネールの友情。
異種族でありながら、じつの親子より親子らしい、ニョロとニョロロン。
そんなニョロを信じつづけた、ウニョロとムニョロ。

たがいを信頼しあう彼らの、かたい絆を思うと、胸の奥がチクチクする。

(おれが、まちがってたんだろうか? なあ、リック。あのときの最後のおまえは……)

これまでも、何度も、何度も、逡巡(しゅんじゅん)した。でも、事実を認めたくなくて、答えを先送りにしていた。

いや、そうではない。本当はとっくに知っていた。

だから、こうして砦に来たんじゃないか。
早く死んでしまいたくて。
自分の身のふりかたに決着をつけたくて。
ここでなら、かんたんに死ねると思ったのに……。

このごろは、満月の夜が待ちどおしい。長姫たちに会えると思うと、なんだか心がはずむ。毎日が楽しい。

そんな自分が不安になる。
このままじゃいけない——そう思う。

話に身が入らないディアディンに、アンゼルがたずねてくる。

「隊長、大丈夫ですか?」
「なんでもないよ」

ようすが変だとは思ったろうが、アンゼルはあきらめて口をとざした。

そして、満月。
呼ばれていったディアディンに、長姫は切迫したようすで用件をのべる。

「大変なことが起こっているのです。あなたのお力が必要です」

彼らが困っているのは、いつものことだが、今回はとくに切実なものを感じた。

「何があったんだ?」
「わたくしの命にかかわることです」

それは、たたごとではない。

「命だって?」

「十日前です。恐ろしい魔物がやってきて、こう告げました。次の満月の夜が明けるまでに、わたくしを人質にさしだせ。さもなくば、われらの眷族を一人ずつ食べていくと。今夜が、その期限です」

「なるほど。それは不安だったろうな。さっそく退治しに行くか」

魔物退治は本業だから、ディアディンは負ける気がしない。かんたんに請け負ったが、長姫の顔色はすぐれない。

「いけません。いくら、あなたでも、そのまま行けば殺されてしまいます。今度の敵は本当に強いのです。もともと、人間を襲うほどの魔物ですから。
多くの力弱き一門が、われらと同じ要求をつきつけられ、長を人質にとられて泣いています。長をとられた者たちは、貢ぎものをさしださせられたあげく、重い労働をしいられます。死ぬまで召し使われるのです。
わたくしは、そのような苦しみに、わが民をさらすくらいなら、死ぬほうがマシです。けれど、わたくし亡きあとは、さらに弱いものばかり。 一同そろって逃げだそうにも、行くあてもなく、困りはてていたのです」

ディアディンは考えあぐねた。

「それほど強い魔物なら、おれたちの世界でも害悪が出てるはずだ」

あるいは馬が消えるというのが、それだろうか。

「話を聞くと、そいつは砦じゅうの魔物を支配する気でいるみたいだな」
「いずれ、人間たちを襲うときの、すてゴマにするためです」

「なら、どうせ、おれの仕事だ。その魔物はどんな姿なんだ? または、どんな技を使うとか」

「強い力をもっていることは、たしかですが、どんな魔法を使うのかは、わかりません。姿も黒い衣で覆われていて、よくは見えません」

「もちろん、弱点も——」
「わかりません」

「しかたない。そいつは今夜、あんたを迎えにくると言ったのか?」
「いいえ。夜明けまでに、わたくしが魔道の塔へ行くことになっています」

「魔道の塔?」
「あの魔物があらわれると同時にできた、ぶきみな塔です。そこに、その魔物は住んでいます。ですから、われわれは、その者を『魔道の塔の悪魔』または単に『魔道』と呼んでおります」

「わかった。そこへは、おれが行く。あんたはここで待ってろ」

すると、きっぱりと長姫は断言した。

「わたくしも行きます」
「なにを言ってるんだ。あんたを人質にとられたら困るんだ」
「それについては、秘策があります。おまかせください」

どんなに説得しても、長姫が聞かないので、そのうち、ディアディンのほうが折れた。言いあらそっている時間も惜しい。

「あんたも、たいがい強情だな。しかたない。あんたの秘策ってのを聞かせてもらおう」

聞けば、さほど悪くない策だった。
それが魔道に通用するかどうかはわからないが、このさい、それに賭けてみるしかない。
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