ためらい8
文字数 2,350文字
「あぶないッ!」
はッとして、アシの速足をつきとばしたときには、一瞬おそかった。
馬の長の銀のツノ飾りが、アシの速足の背中をつらぬいていた。
だが、ディアディンの、とっさの行動で狙いがそれ、アシの速足は重傷ながら、一命をとりとめた。
「お……長、なぜ、こんなことを……」
血のあわをふいて、失神する。
「月のしずく。おまえのおかげで、しとめそこなった。まあいい。どうせ、これでは動けないからな。アシの速足は、あとでゆっくり始末してやる」
その声をきいて、ディアディンはこわばった。
まちがいない。
魔道だ。
「やはり、刃向かう魂胆だったな。月のしずくよ」
にやにや笑って、魔道は近づいてくる。
「あなたが魔道だったのですね。アシの速足に正体がばれては困るので、こんなことを……」
「残念だよ。月のしずく。おまえは美しい女だから、私の花よめにしたかったのだが。正体を知られたからには、殺さなければなるまい」
(そうか。地下にあった長たちの死体。あれは人質の価値がなくなったからというより、正体を見やぶられたから殺したのか。こいつの魔力は強いが、魔神というほどではない。良きものの長という立場を利用して、自分の実力以上のことをしようとしてるんだ)
良きものになりたい一心で、悪しきものから良きものになった、ニョロの例もある。
良きものが悪しきものに変わることも、ときにはあるだろう。
彼のなかで何が起こって、こうなったのかは誰にも知りえないが。
魔道は銀のツノ飾りをふりたてて、襲いかかってきた。
ディアディンはテーブルを盾にして、よけた。
テーブルは魔道のひづめにかかって、もろくも真っ二つになる。
魔道の姿はさきほどから、じょじょに大きくなっていた。もともと大きな馬だが、今では広間をいっぱいに、うめつくすような巨大さだ。
逃げようにも、逃げ場がない。
「かんねんしろ! 月のしずく」
壁ぎわに追いつめられたディアディンの身に、魔道がせまる。
ナイフは魔道の影武者の背中に刺さったままだ。
長姫に変装するため、剣もはずしてきた。
反撃の手段はない。
(ここまでか)
それもいいか。
初めから、おれは死ぬために砦に来たんだ。
やっと死ねる。むしろ、喜ぶべきこと……。
(本当にそうか? おれは、これでいいのか? 二度と長姫に会えなくても……?)
かくごを決めたつもりでも、最後の瞬間には惑う。
それが、人間。
ディアディンは目をとじた。
その耳もとに、熱風のような息吹を感じる。
すべては、この、ひとつきで終わる。
次の一瞬で、ディアディンの後悔だらけの人生が……。
しかし、そのときだ。
「ディアディンさま! しっかりしてください!」
広間に長姫の声がひびきわたった。
ディアディンが目をあけると、白い竜巻に乗った長姫が、広間にとびこんできた。
長姫は月光のように光りかがやく、長姫自身の姿にもどっていた。
かえりみた魔道がそれを見て、つかのま、ひるんだ。
その一瞬のすきをついて、白い竜巻が魔道に体あたりした。ぐうぜんにも、ふりかえった魔道の右目に、白い竜巻の前足がささった。
魔道は身の毛のよだつ悲鳴をあげて、かききえた。
「ディアディンさま。おケガはありませんか?」
「おれより、アシの速足が」
アシの速足には、まだ息がある。
長姫が傷口に手をあてると、急速にふさがっていった。
「これで安心です」
「魔道を追わなければ」
「今夜はもうムリです。塔のなかから魔道のけはいが消えました。現実の世界へ逃げたのでしょう」
ならば、あとは現実の世界で、ことたりる。
(助かってしまったな。どうやら、おれは、これからも生きていかなければならないらしい)
ためいきをついて、ディアディンはランタンを長姫にさしだした。
「なんで、もどってきたんだ。あんたはさきに帰れと言っといたのに」
とうぜん、長姫が涙ぐんだので、ディアディンはギョッとした。
女に泣かれるのは、どうしても慣れない。
ただの海水なら、しょっぱいだけなのに、同じような塩水が、美しい女の目もとにあるだけで、なぜ、この世のほかの何より、澄んだものに見えるのだろう。
「そんなに、わたくしがジャマですか?」
「おれはただ……あんたを危険にさらしたくなかった」
「わたくしだって、泣きます。あなたに、もしものことがあれば」
たのむから、そんなことは言わないでくれ。おれは、あんたに、ふさわしい人間じゃないんだ……。
ディアディンは長姫のほそい肩を抱きしめた。
ふれると消える神聖なもの。
ふれてはならないもの。
なにかを伝えたかったけれど、言葉にならなかった。
ディアディンの意識は、夢の世界から遠くなっていった。
長姫の不安げなおもてが遠のき、砦の自分の部屋でめざめる。
ディアディンは剣を手に馬屋へ走った。砦には何千頭もの馬がいるが、目的の馬はわかっている。馬小屋にとびこむと、右目のつぶれた白い馬をさがす。
馬屋番の兵士にも手伝わせると、その馬は、じきに見つかった。
「きさまが魔道だな」
ディアディンを見て逃げだそうとする馬を討った。
その日から、馬の消失はピタリとやんだ。
かわりに、兵士たちのあいだに、一時、変なウワサがひろまった。
満月の夜、本丸の一室で、古い木馬がホンモノの馬になって、窓から天空へかけさっていった——と。
その姿は、まるで白い竜巻のようだったと。
(おちこぼれでなくなったから、自由にかけていけるようになったのか)
おれも、自由になろう。
もう自分の気持ちにウソはつけない。
今こそ真実をうけとめ、過去の足枷 を断ち切らなければ……。
了
はッとして、アシの速足をつきとばしたときには、一瞬おそかった。
馬の長の銀のツノ飾りが、アシの速足の背中をつらぬいていた。
だが、ディアディンの、とっさの行動で狙いがそれ、アシの速足は重傷ながら、一命をとりとめた。
「お……長、なぜ、こんなことを……」
血のあわをふいて、失神する。
「月のしずく。おまえのおかげで、しとめそこなった。まあいい。どうせ、これでは動けないからな。アシの速足は、あとでゆっくり始末してやる」
その声をきいて、ディアディンはこわばった。
まちがいない。
魔道だ。
「やはり、刃向かう魂胆だったな。月のしずくよ」
にやにや笑って、魔道は近づいてくる。
「あなたが魔道だったのですね。アシの速足に正体がばれては困るので、こんなことを……」
「残念だよ。月のしずく。おまえは美しい女だから、私の花よめにしたかったのだが。正体を知られたからには、殺さなければなるまい」
(そうか。地下にあった長たちの死体。あれは人質の価値がなくなったからというより、正体を見やぶられたから殺したのか。こいつの魔力は強いが、魔神というほどではない。良きものの長という立場を利用して、自分の実力以上のことをしようとしてるんだ)
良きものになりたい一心で、悪しきものから良きものになった、ニョロの例もある。
良きものが悪しきものに変わることも、ときにはあるだろう。
彼のなかで何が起こって、こうなったのかは誰にも知りえないが。
魔道は銀のツノ飾りをふりたてて、襲いかかってきた。
ディアディンはテーブルを盾にして、よけた。
テーブルは魔道のひづめにかかって、もろくも真っ二つになる。
魔道の姿はさきほどから、じょじょに大きくなっていた。もともと大きな馬だが、今では広間をいっぱいに、うめつくすような巨大さだ。
逃げようにも、逃げ場がない。
「かんねんしろ! 月のしずく」
壁ぎわに追いつめられたディアディンの身に、魔道がせまる。
ナイフは魔道の影武者の背中に刺さったままだ。
長姫に変装するため、剣もはずしてきた。
反撃の手段はない。
(ここまでか)
それもいいか。
初めから、おれは死ぬために砦に来たんだ。
やっと死ねる。むしろ、喜ぶべきこと……。
(本当にそうか? おれは、これでいいのか? 二度と長姫に会えなくても……?)
かくごを決めたつもりでも、最後の瞬間には惑う。
それが、人間。
ディアディンは目をとじた。
その耳もとに、熱風のような息吹を感じる。
すべては、この、ひとつきで終わる。
次の一瞬で、ディアディンの後悔だらけの人生が……。
しかし、そのときだ。
「ディアディンさま! しっかりしてください!」
広間に長姫の声がひびきわたった。
ディアディンが目をあけると、白い竜巻に乗った長姫が、広間にとびこんできた。
長姫は月光のように光りかがやく、長姫自身の姿にもどっていた。
かえりみた魔道がそれを見て、つかのま、ひるんだ。
その一瞬のすきをついて、白い竜巻が魔道に体あたりした。ぐうぜんにも、ふりかえった魔道の右目に、白い竜巻の前足がささった。
魔道は身の毛のよだつ悲鳴をあげて、かききえた。
「ディアディンさま。おケガはありませんか?」
「おれより、アシの速足が」
アシの速足には、まだ息がある。
長姫が傷口に手をあてると、急速にふさがっていった。
「これで安心です」
「魔道を追わなければ」
「今夜はもうムリです。塔のなかから魔道のけはいが消えました。現実の世界へ逃げたのでしょう」
ならば、あとは現実の世界で、ことたりる。
(助かってしまったな。どうやら、おれは、これからも生きていかなければならないらしい)
ためいきをついて、ディアディンはランタンを長姫にさしだした。
「なんで、もどってきたんだ。あんたはさきに帰れと言っといたのに」
とうぜん、長姫が涙ぐんだので、ディアディンはギョッとした。
女に泣かれるのは、どうしても慣れない。
ただの海水なら、しょっぱいだけなのに、同じような塩水が、美しい女の目もとにあるだけで、なぜ、この世のほかの何より、澄んだものに見えるのだろう。
「そんなに、わたくしがジャマですか?」
「おれはただ……あんたを危険にさらしたくなかった」
「わたくしだって、泣きます。あなたに、もしものことがあれば」
たのむから、そんなことは言わないでくれ。おれは、あんたに、ふさわしい人間じゃないんだ……。
ディアディンは長姫のほそい肩を抱きしめた。
ふれると消える神聖なもの。
ふれてはならないもの。
なにかを伝えたかったけれど、言葉にならなかった。
ディアディンの意識は、夢の世界から遠くなっていった。
長姫の不安げなおもてが遠のき、砦の自分の部屋でめざめる。
ディアディンは剣を手に馬屋へ走った。砦には何千頭もの馬がいるが、目的の馬はわかっている。馬小屋にとびこむと、右目のつぶれた白い馬をさがす。
馬屋番の兵士にも手伝わせると、その馬は、じきに見つかった。
「きさまが魔道だな」
ディアディンを見て逃げだそうとする馬を討った。
その日から、馬の消失はピタリとやんだ。
かわりに、兵士たちのあいだに、一時、変なウワサがひろまった。
満月の夜、本丸の一室で、古い木馬がホンモノの馬になって、窓から天空へかけさっていった——と。
その姿は、まるで白い竜巻のようだったと。
(おちこぼれでなくなったから、自由にかけていけるようになったのか)
おれも、自由になろう。
もう自分の気持ちにウソはつけない。
今こそ真実をうけとめ、過去の
了