第43話 レコード屋でも開けばいいのに

文字数 3,082文字

 待ち合わせに僕は歯磨きの分すこし遅れて、まだAさんが来ていない、埋め合わせに待てるまで待つことにした。三年前の結婚式には友人たちがたくさん集まってくれて、新婚旅行から新しい出会いの連続するまま、パスポート期限の途切れることはなかった。

 その時はじめて見た外国の花火、それは紙を千切って張り付けた、糊の匂いが香ばしい、記憶の中に一枚の絵画として今も保存されている。


 これから二人で花火大会に向かう。彼女の作る家具は三年間でその独創性ゆえ売れ行きを増し、本人はさらに廉価に仕上げることに執心を向かわせた。自宅のキッチンの冷蔵庫の隣にはペインティングされた木片が積んであり彼女に尋ねると、既に完成しているそういう家具だよ、はてやはて、やはり納得しかねる。
 花火を見るのに椅子が必要か尋ねれば、現地に行って、無ければ無いでどうにかなるよ、僕は文句言わず従い、気にもしないようにその場所に隠れるように、くくっと笑ってやり過ごした。

 ほんとうにここから花火が見えるのか、橋の欄干に足がもたついて落ち着かず見回せど人通りすくなく、ビルの狭間に期待なかば寄せ、彼女が仕事場からここまで開幕に間に合うのか、うすうす不安で、川の水に流されず佇まう自分の陰と淋しさを半ぶんこし、ぼんやり夜の帳を何枚か数えるにそれを人任せにしていた。夕暮れはとうに、三十分前に過ぎていた。

 「花火は明日だ。花火はセールだ。花火はたくさん降ってくる」道端に男が紙袋を両手に提げて歩いてくる。何事か、僕は興味ありつつも素通りを願っていたが、男は僕の隣にやって来て欄干の手摺りに荷物を乗せた。紙袋の中身は大量のレコードとカセットテープだった。

 男は僕をじろりと見て、
「世界はもうすぐ、明日すぐにでも融けて滅びる。滅びやしない物、色あせる宛てない物、時間とともに腐らない食べ物なんてこの世の中に全くありやしない。パンを一欠けら、小麦の一画にも工場にしろ、いずれにしてもその世界は無くなっちまう」。

 無視も出来なくて「でも滅ばない方が良いですよね。それはレコードですか?」、男は鼻を思いきり啜って咳払い、僕がしばらく耳を傾けるまま彼は花火に関しての、世界がなぜ滅びるか、何世紀にも渡るシルクロード流通と、そこに埋もれた「戸或る書簡」の話を息切らせず、僕がいないみたいにずっと話していた。「遅れる」そう、彼女から連絡があったがまだ着かない。花火大会も本当にあるのかどうか、この男も、だんだん怪しくなってきた。


 今から七世紀前、それは人類に火が与えられて火の灯る生活に飽きてきた頃、実利用の花火と祭儀用の花火から歓楽用の花火へと、それらの役目が移動され始めてきた。ファイアー・ワークスが幾人もの職人によって独自の色を無尽に得て、その幾人もの職人が増えれば花火は際限なく色の模様や、その形を幾通りも変えることが可能であった。花火は自分を空のように失い、人々は花火を食事のように分け合った。

 シルクロードは東西の文化を入り乱れさせ、食べ物や衣服、信仰や芸術を裾広く伝播させた。それは文明が作られてから今まで、僕がさっきから彼女が来ないのを疎ましく待っている今、続けざまにあらゆる対価交換が行われ、目の前の男は話すことを寸に至らず止めることなかった。各国の王侯の手紙のやり取りもこの道沿いに行われ、この道は今も続いて、無視できない遺跡として地図上にもぼやけた線分で残されている。

 流通の道の途中に紛失される美術品も多々あった。何世紀も後に見つかりその使用法から疑問視される道具類も後を絶たず、道は埋もれた骨董美術品の保管庫ともなっている。天然のヒュミドールだ。

 三世紀前にシルクロードの砂中から木組みの造形物と小さな箱が見つかった。やはり使い方がわからない。
 箱の中には崩れた紙片が貼りついていて、元の形を想像すると文書のようなものが入っていたことは間違いないという。おそらくこの造形物の使い方が記されていただろう、考古学者たちはその地域に残っている伝承や調度品をつぶさに調査する。

 でもやはりこの八十センチ四方の木の塊の用途がまったく判らない。
 砂漠を移動する際に使う家具なのか、移動中に要らなくなった商材か、それとも密教の儀祭用のトーテム、王から王へ渡される宝箱なのか。その宝石は見つからず、用途もさっぱり判別できない。

 「空から落ちてきたノアの残骸」その仮説もその提唱者が亡くなり、それ以降同じことを言う人間もいなくなった。今までその「造形物」と「その(取り扱い説明書)」がかつて存在したという事実、二つのみが残り、美術館に並べて厳重に飾られている。この二つの共通点は、双方が相互に価値を保存し続けている、補完対称関係、それ自体にある。

 もし世界が滅ばないなら世界は一つではない。幾つかの世界が幾人もの生活者によって支え合えられ、共通する見えない力を土台に組み上げられ存在している。たった一人によって作り上げられた「世界」はひどく脆く味だって食えたものじゃない。都市には振動が溢れている。幾つもの周波が折り重なり混濁し、秋になれば詩となり歌となり鳥となる。分岐し衝突し形ない空白を響いて、冬にメロディは骨になり地中にて孤独に分解される。

 万物は数であり、数列された音素、音楽は建築である。そしてレコードはその設計図である。彼は設計図を集めて歩いている。集めすぎてよく紛失してしまい、それも把握できていない。それなのにどうしてか集めてしまう。


 「世界は一粒で出来ている」僕にこう言いたいんですか?、男はまた咳払いをしたあとぶっきらぼうに大声で「そんなこと別に言いたくない」レコードの紙袋を腕で抱える。「少なくとも」君に、君一人でできることは何もないよ、橋を渡って足取りを確かめながら街路のおく曲がり角に、こちらにクスリ笑みを振って、足音と一緒に消えていった。

 彼女に連絡してみると「あと十分」、花火は今日はないかもしれないよ、「あれ?、おかしい」、とりあえず早く来て「うん。もうちょっと、待って」、雨が降りそう「こんなに晴れてるのに?」、いいから早く来て「わかった」。

 夜空に雨なんてあまり変わりなくて打ち上げ花火に期待も、それから十分後、彼女はどこで買ったか綿菓子に顔を埋めながらこちらに歩いてくるに、その甘くて美味しい愉しみを分けてくれるだろう、ドンっと大きな音が響き、遠くビル狭間の空を見上げると続けざまに音がして、大きな花輪が色きらびやかに咲き、他に見物客がいなくて二人で、僕が買ったコーラを喉に流し込んで胃を膨らませた。Aさんはご機嫌で、ふわふわの綿飴を千切って僕の口に放り込んでくれた。

 明日は現在執筆中の長編小説が佳境に向かう、もう少しで完成するのに朝食の準備が僕の役割だったし彼女の寝顔を眺めるのも追加の仕事で、少しだけ書き物をする時間を他所に譲ってしまう。彼女の夜更かしに理由が寝言で「仕事に行きたくないよう」お互い様だったので、物語の結末が先延ばしになるのを彼女一人のせいにするのに些か自分が情けない男にも思えた。

 あの空に浮かび沈む幾重もの花火の波紋のように、明日の朝には僕はトーストと珈琲と目玉焼きをいつもの分量準備して、彼女の「行ってきます」笑顔だけが夢に反復するように、一日のあいだ物語の結末を考える、結婚式の後ひどい雨が降り、黄色いレインコートを誰かが貸してくれた、愉しかったヨーロッパ旅行や、失くした指輪が見つかって、結婚一年目のサプライズパーティーを、ベランダでひとり思い出しながら。




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