第48話 渋滞に分け入って鼻唄を撒き散らさば
文字数 1,267文字
夏の始まる三歩手前の今日は三歩先を考えるにうってつけの『ラヂオジャム・デ・ルジューフェリエ』だ。
交通の混雑は曜日関係なしにサンドイッチと水筒、酔いが半ば醒めて、信号機は僕が考えていた巴里よりも些か混み入った道案内をする。タクシーの運転手は気さくな老人でローカルラジオと一緒に共有しやすい流景を移動させ、こちらの身勝手で取り留めない話も聞き飽きれば「聞き飽きた」と右手ではっきり合図する。
「彼女に会ったら、」そう、僕の奥さんにこの都市の何処かでもし出会うようなことがあったら「NOEL」に、そこに来てくれと伝えてくれないか。それがオテルだかバールだかリストランテだか誕生日なんだか僕もよくは知らないけれど、渋滞の海からクラクションが鳴って、一斉にクラクションが鳴り出して、こんな日和に眩暈だらけの僕は地図を眺めるのを諦めて結婚式場の階段の花吹雪を思い出しクスクス笑い、彼はそれを見て小さな舌打ちをする「ホーリー・モーゼス」。
頼むからと頼むと、右手で「ああ、もう分かったから」と諫められた。他にも似たような客がいたんだろうな、何人もいたんだろうな、茹だる暑さに頭やられちまって、降車にトランクが先に降りて、後から僕と、次いで財布が降りた。
ポンド札は遣い慣れないから買い物がてら歩こうと思っただけだ。とんがった口笛で学生街おぼしき道を歩く、彼女の気に入りそうな洒脱な骨董店を見つけ、そこで一時間ほど予定を盗られた。
銀メッキの剥げたティーカップ2客、荷物が増えて期待も膨らみ足取り軽く、一先ずの目的地「リヨンの大学」に辿り着いた。ずいぶん掛かったが雨雲から逃げ続ければ当然だ。
守衛に尋ねると学生案内所とお勧めのベーカリーショップを教えてくれて、もう夕暮れなのにまだ夕日が遠くそれで途方に暮れ「アルガディニ(夜まで遠く夜は長く夜に死す)」、その頃には僕は下宿先に既に自己紹介が済んでいるらしかった。
夜の匂いがする、パルス信号の移動もAさんの気紛れも日常に然したる問題を提起する訳でなし、互いの当倍速の波長に今日が同時に暮れて、こんなもんか、荷解きを諦め、つかれた、管理人が淹れてくれたお茶を、ティーポッドから中身を確認もせず飲むとベッドに横たわった。
開いた窓から見える通りにはカフェテラスが灯りを集合させ、思い描いていた風景、雑誌のガイド写真、実際の賑やかな視覚体験を重ね合わせ、実感というもの何某かに縋って僕も多少、紅茶の香りと自分の安堵を少なからず観測できた。数学に問題らしい問題なんて見つからず、いつも巡り巡ってフランス語は耳に螺旋し、同じ地点でふたたび邂逅する、辞書引き多忙をくり返し、道を尋ねる、思い出す彼女とのデートの会話のように思えた。
翌朝、部屋に備え付けの鉢植えの観葉植物が瑞々しく葉肉をたわわ、睡眠は彼女や僕たちにだけ必要なものではないのだな、シャツに珈琲を溢しパンを齧る、陽光はテーブルにまだら、マーマレードは甘酸っぱくてだいぶ前に通り過ぎた青春とその産物を、一口でもいいからAさんに教えてあげたかった。
交通の混雑は曜日関係なしにサンドイッチと水筒、酔いが半ば醒めて、信号機は僕が考えていた巴里よりも些か混み入った道案内をする。タクシーの運転手は気さくな老人でローカルラジオと一緒に共有しやすい流景を移動させ、こちらの身勝手で取り留めない話も聞き飽きれば「聞き飽きた」と右手ではっきり合図する。
「彼女に会ったら、」そう、僕の奥さんにこの都市の何処かでもし出会うようなことがあったら「NOEL」に、そこに来てくれと伝えてくれないか。それがオテルだかバールだかリストランテだか誕生日なんだか僕もよくは知らないけれど、渋滞の海からクラクションが鳴って、一斉にクラクションが鳴り出して、こんな日和に眩暈だらけの僕は地図を眺めるのを諦めて結婚式場の階段の花吹雪を思い出しクスクス笑い、彼はそれを見て小さな舌打ちをする「ホーリー・モーゼス」。
頼むからと頼むと、右手で「ああ、もう分かったから」と諫められた。他にも似たような客がいたんだろうな、何人もいたんだろうな、茹だる暑さに頭やられちまって、降車にトランクが先に降りて、後から僕と、次いで財布が降りた。
ポンド札は遣い慣れないから買い物がてら歩こうと思っただけだ。とんがった口笛で学生街おぼしき道を歩く、彼女の気に入りそうな洒脱な骨董店を見つけ、そこで一時間ほど予定を盗られた。
銀メッキの剥げたティーカップ2客、荷物が増えて期待も膨らみ足取り軽く、一先ずの目的地「リヨンの大学」に辿り着いた。ずいぶん掛かったが雨雲から逃げ続ければ当然だ。
守衛に尋ねると学生案内所とお勧めのベーカリーショップを教えてくれて、もう夕暮れなのにまだ夕日が遠くそれで途方に暮れ「アルガディニ(夜まで遠く夜は長く夜に死す)」、その頃には僕は下宿先に既に自己紹介が済んでいるらしかった。
夜の匂いがする、パルス信号の移動もAさんの気紛れも日常に然したる問題を提起する訳でなし、互いの当倍速の波長に今日が同時に暮れて、こんなもんか、荷解きを諦め、つかれた、管理人が淹れてくれたお茶を、ティーポッドから中身を確認もせず飲むとベッドに横たわった。
開いた窓から見える通りにはカフェテラスが灯りを集合させ、思い描いていた風景、雑誌のガイド写真、実際の賑やかな視覚体験を重ね合わせ、実感というもの何某かに縋って僕も多少、紅茶の香りと自分の安堵を少なからず観測できた。数学に問題らしい問題なんて見つからず、いつも巡り巡ってフランス語は耳に螺旋し、同じ地点でふたたび邂逅する、辞書引き多忙をくり返し、道を尋ねる、思い出す彼女とのデートの会話のように思えた。
翌朝、部屋に備え付けの鉢植えの観葉植物が瑞々しく葉肉をたわわ、睡眠は彼女や僕たちにだけ必要なものではないのだな、シャツに珈琲を溢しパンを齧る、陽光はテーブルにまだら、マーマレードは甘酸っぱくてだいぶ前に通り過ぎた青春とその産物を、一口でもいいからAさんに教えてあげたかった。