第37話 機器的に機器が行うこと、例えば思うこと

文字数 1,903文字

 両手にビニール袋を提げて、空調の効き過ぎに舌打ちをする。彼女が三年間お世話になった、無論僕も、考え事の暇を見て知り合いの医師に伺い立てる、まだでしょうか「あの方は何とおっしゃっていますか?」

 僕はまだ信じても、ほとほと信じきれないでいたものなんですが、病院に足を運んだ、医師はボールペンを指から机に滑らせながら頷く。この病院には各入院病棟にいくつもの心電計が電力源を共にしている。街並みに幼年時を結び付け、時おり人生に意味を塗り付けた、自由に生きる上で必要な鎖は目覚めと共に解どけてしまう折り紙の夢みたいに、僕には充分な人生ってやつをもう既に全うしつつ、袖に隠した飲めない酒を飲む、意固地なへべれけは笑いの仮面をかぶって何喰わず生きている。

 祖父は酒がひたすら飲めた。飲める物は何でも飲んだ。客間に人つどうこと多く、祖母は邪見もなく酒宴をあつらえて自らも愉しんだ。カレンダーのメモ書きには
「ビール3ダース サケ3本 ウヰスキー2ビン カンブツヤ」、
呪術の文言のように幼い僕は足元がすくんで、世界の裏側に肌にしみいる冷気の案内や、祖母がときおり話す茶箪笥の中の死後の世界、取り出し可能でありながら其れがいつになるのか分からない、宴会は果てなく続いて、その途中でいつの間にか祖父は川を舟で渡った。酒ビンは墓標のように並び、騒ぎの火中に僕は別の世界の人間のようにその場所で誰の目にも映らないでいるようだった。
 ラムネ瓶が転がって、誰かが中のビー玉を盗んで面白みのないガラスの塊を原っぱに放り投げ、いづれも任ぜられたそれぜれの役目を果たせないでいた。

 心電モニターの横糸がピコピコ着地をするたびに、好きだよ、って嘘ではなくて喉の奥から本当の気持ちを君に伝え、思い出の鼻唄をうたえば君は電子音ゆらして喜んでくれたし、医師に相談すると二分された世界が歩み寄りの相を示している、訳の分からぬ呪詛をまたも並べる。

 彼にとって、彼女に関して、どうやら僕はその「(誰か)の思し召し」の(誰か)にその役割を替わって貰えそうにはなかった。暗い室内に一人いて、彼女が今どこか街路をハイカラなワンピースで、毛布やセパレーションに、思い出し笑いの格好悪い自分を隠して貰っていたし、泣くにしても、彼女は同じ音程の慰め方を延々と飽きもせず、少しの間隔で杞憂してしまう自分が男して情けなく、ごめん、無理だ、耐えられそうにない、飛行中のハネムーンを諦めてしまう。すべてを諦めそうになること、何度も、何度もだ、何度も何度もあったんだ。

 君、お隣さんが来たのを覚えてる?、二年前、交通事故で大きな大きなケガをした幼い女の子が君の隣のベッドで眠っていた、覚えてるかい。家族の人たちが何かとても悲しそうに見えたけど、そのうちスッと居なくなって、女の子も何処かへ消えて、それは手品のようにどこかへ消えてしまったんだよ、すごく悲しそうに見えたのにそれが全く何もなかったようにすべてがフッと消えてしまったんだ、嘘みたいでしょ。

 君が見たがっていた建築を見てきた。デザインも史跡も勉強してきた。物事には順番がある。設計図に関して、たぶん図面を見ればその順番が分かる。樹木の根と幹と葉の循環したり、動物の必要な栄養素と臓器段階に於ける化合態、いつか君が笑って、花火がキレイ、ってテレビには基本ひとつにつき一個のリモコンやスイッチしかなくて、電子機器は大概の仕組みにして電源を落とせばその仕事を嬉しいことかな放棄もできる、うん、ごめん、謝ってばかりだ、ごめん、ごめんね。

 その(誰か)はすごく優しくて寛容な人で、君が僕に優しくしてくれたように、君にも優しくしてくれるよ、必ずそうなんだ、覚えてるかい君がサンダルとパジャマ姿で外出したとき僕の一張羅のスーツを褒めてくれたこと、「私も負けてないでしょ」って笑って、鼻を掻いたら「かゆいの?」、靴の踵が入らなくて「これが靴ベラっていう当店オススメの商品です」、眠気まなこに「結婚式の夢を見たの、せっかくいい天気だったのに」夜中の二時に洗濯物を取り込みながら、どんな結婚式?
「あなたが『その人は知らない。知らない人。だから君に誓う』って言って聞かなくて、みんな笑ってた」、僕もこの思い出し笑いをするのは四度目ぐらいだ。

 僕のわがままは君にとってはワガママではないことも多かった。一緒にいたいね、少しの間でいい、あまり欲張りではない、どちらかと言えば君が決定権を持つように、明日の朝、今、引き伸ばした昨日に、思い出し笑いをするよ、ずっと、君が僕を許してくれると、呼吸と呼吸の合間に、こっそりそう、こっそり言ってくれるまで。




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